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1月 9日(木) |
朝鮮の近代化
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さて、19世紀後半、中国は現状維持、日本は近代国家への転身のため、がんばっていました。 では、お隣の朝鮮はどうだったでしょう? 江華島事件(「朝鮮開国」 参照)以来、朝鮮だってがんばっています。 当時の朝鮮は、「朝鮮は朝鮮のままであるべきである」という「守旧派」と、「このままじゃ駄目だ」という「開化派」とに別れていました。 開花派の筆頭は、朝鮮国王「高宗」の后である「閔妃」の一族。 日本と同じく「とりあえずは武力」ということで、近代的な軍隊を目指します。 近代化に対しては一日の長がある日本から、軍事顧問を招き、日本式の訓練を行ったり日本に留学したりと、一生懸命です。 ところが守旧派の軍隊は不満です。 開花派の軍隊との待遇が違うからです。 そりゃ、開花派は軍の近代化を目指しているわけですから、当然、武器とか用具とかも新しいものが当たるでしょうし、隊員も両班(貴族のようなもの)の子弟が中心。 開花派と待遇が違うのは当たり前です。 兼ねて加えて、当時朝鮮では財政難で軍隊への給料が遅れていました。 給料といってもお金ではなく、日本の武士のようにお米で払われていましたが、これが遅れに遅れて13ヶ月。 不満は高まるばかりです。 そして、やっと支払われた米には・・・砂が入ってました。 米の支給に当たった倉庫係が砂で水増しして、残りを着服しようとした為です。 守旧派の軍隊は、ブチ切れです。 兵士達は倉庫係をタコ殴りにしたあと、倉庫に監禁してしまいます。 とりあえず、その場はそれで治まったのですが、この「倉庫係タコ殴り事件」の中心人物が捕まり、処罰されることになりました。 判決「死刑」 いくら軍規を乱したとはいえやりすぎだ!と兵士達は大暴れ、しかもこれを煽る人がいました。 前に政権を握っていた「大院君」です。 ちょっと前に失脚していた大院君は、この反乱に応じて閔妃などの政敵を一掃。 政権を再び、この手にっ!というのが狙いです。 おまけに反乱を起こした守旧派の軍隊は、朝鮮の近代化を図る日本人も気に入りません。 「朝鮮は朝鮮のままあるべきだ」ってやつですね。 日本人軍事教官を殺害し、日本公使館を焼き討ちします。 結局、閔妃逃がしたものの、国王である高宗は、政権を大院君に渡し、大院君の企みは成功したかに見えました。 ところがところが、逃げた閔妃は高宗に連絡を取り、清に密使を送ります。 「へるぷ みぃ」 それを受けて清は軍隊を派遣します。 日本も日本公使館を護るため、軍隊を派遣します。 ここで、日本と清、どちらが反乱を鎮圧するかの言い争いになりますが、「朝鮮は清の属国だから」という理由で、清がゴリ押し。 そのまま、反乱を鎮圧してしまいます。 ついでに大院君を「勝手なことするんじゃねぇ」と拉致。 政権は閔妃の一族に戻ります。 暴れ損です大院君。周りも大迷惑。 閔妃といえば、日本から軍の講師を招くほど「親日派」だったのですが、この異様に頼もしい清にメロメロ。 「やっぱ清だわ」と親清派に転向してしまいます。 これらの事件を「壬午事変」(又は「壬午軍乱」)といいます。 この後、この事件を受けて日本と朝鮮は「済物浦条約」を結び、日本軍による日本公使館の警備を約束します。 こうして、日本は朝鮮に軍隊を置くことになりました。 「朝鮮は俺の物」という姿勢の清を牽制する意味もあります。 こうして、「朝鮮を独立させようとする日本」と「朝鮮は俺の物という清」との対立が表面化して来たのでした。 |
2月10日(月) |
朝鮮版明治維新(前編)
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さて、壬午事変(「朝鮮の近代化」 参照)の結果、開化派の筆頭だった閔妃が「清ラブラブモード」に入ってしまいました。 しかも、閔妃一派は政権を握っていましたので、朝鮮という国自体が「清に護って貰おうね」と、いう状態になってきています。 朝鮮近代化のピンチです。 ところが、開化派だって、まだあきらめません。 トップの一本釣りを狙います。 すなわち、国王「高宗」を、開化派にする。 これを狙ったのが金玉均と朴泳孝です。 彼等は独立党の指導者で、朝鮮の独立はもちろん、日本の明治維新を参考に朝鮮の近代化を目標としていました。 とはいえ、独力で近代化というのは、正直難しい話です。 ここは一つ、近代化に関しては先輩である日本のノウハウを手に入れたい。 そんな訳で、彼等は福沢諭吉や大隈重信をはじめ、日本の政財界の代表者達に接触し、交流を深めていきます。 日本だって、朝鮮の近代化は望むところです。 支援しない訳がありません。 こうして、朝鮮版「明治維新」の準備が整ってきました。 開化派が狙うのは、日本と同じように国王(日本の場合は天皇)をトップとした、近代立憲君主国家。 これなら国王だってニッコリでしょう。 早速、朝鮮国王、高宗に聞いてみます。 国内では国王をよそに守旧派がやりたい放題、清も政治や軍事やetc、なんでも口を出してくるという状態で、高宗も、へこんでいた所にこの話題。 それはもうニッコリです。 こうして、開化派は日本の支援の次に、国王の支持までGET! 朝鮮は一歩近代化に近づきました。 とりあえず、作戦はこうです。 年末に、郵政省の開局祝賀パーティーがあります。 その時に、会場から、ちょっと離れたところに放火。 なんだなんだ?と近寄ってきた高官を倒し、守旧派を一掃。 朝鮮国王は、クーデターだ、ということで、日本に保護を依頼。 日本は公使館警備用の軍を派遣して、朝鮮国王を保護し、その後、開化派が新政権を発足。 朝鮮国王をトップとする立憲君主国家をうちたてて、朝鮮は日本の助力のもと、近代国家への道をまっしぐら。 しかーも、親日国家です。 ん〜薔薇色の人生。 しかし、問題は、やっぱり清。 クーデターとなれば、当たり前のように軍を派遣してくるでしょう。 日本だって、正直、まだ清とはやり合いたくありません。 ところが、清は現在フランスと戦争中。 「ベトナムって未開地だからいただき!」と、攻めてきたフランスと「ベトナムは俺の属国じゃぁ」という清が争っていた、清仏戦争の真っ最中。 こういう状態なら、清だって、さすがにベトナムと朝鮮両方に軍を送れないはず。 現に朝鮮に配備している軍隊だって、現在、通常の半分です。 これはもう、やるしか無い!といった感じ。 さて、朝鮮版明治維新は成功するのでしょうか? |
3月14日(金) |
朝鮮版明治維新(後編)
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と、ここまで来て、残念なニュースが飛び込んできました。 清仏戦争、終了。 結果、清の負け。 ベトナムはフランスの物になり、フランス領インドシナが誕生しました。 領地も属国も、もりもり失っていきます。清。 こうなりゃ、せめて朝鮮くらいキープしておかなきゃ、威信が保てません。 こうして清は、朝鮮は誰にも渡さないぜモードに入ってしまいました。 もちろん、開化派は、がっかり。 それでも、やるときゃやらなきゃなりません。 作戦通り、クーデター実行です。 放火失敗 が、開き直って、無理矢理、守旧派をぶっ倒します。 結果オーライ。 日本も、朝鮮国王を保護。 王宮に待機しています。 こうして、独立党の新政権が誕生しました。 と、おもいきや、やっぱり清が軍を出して介入してきました。 清の軍隊は、朝鮮国王の王宮まで攻め込んできます。 そして、清 vs 日本 in 王宮という状態に・・・ 結局、日本軍は撤退。 出来たばかりの新政権は倒れ、清ラブラブの守旧派が臨時政権を樹立。 こうして、朝鮮版明治維新は、3日で幕を閉じたのでした。 この事件を「甲申事変(又は、甲申政変)」といいます。 この事件を受けて、いつまでも、朝鮮のことで清と争うのは、お互いのためにならない。と、いうことで、日本は清と朝鮮に関する協定を結びました。 内容はこんな感じ ・両国とも朝鮮に軍事顧問を派遣するのはよそう。 ・両国とも朝鮮に軍隊を置くのはやめよう。 ・朝鮮になんかあって、兵を送らなきゃならない状態になったら、 お互い事前に文書で教えよう。 これを「天津条約」といいます。 っつーか、これ「も」「天津条約」です。 英清、仏清、露清、日清、4種類の天津条約があるわけですね。 結局、日清の関係は、なにげに悪化。 朝鮮はどんどん清寄りになってしまってますし、なんか、裏目裏目に出ています。日本。 これから一体、どうなってしまうのでしょうか? |
4月25日(金) |
脱亜論−朝鮮密約編
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さて、日本は万国公法に基づいた近代国家の道を、逆に清は自分がTOPである華夷秩序の維持を歩み、間に挟まれた朝鮮は華夷秩序の呪縛に捕らわれたまま、近代国家への道を歩めないでいる、そんな時代のお話です。 ちょっと、日本は悩んでいます。 列強は、もりもりと世界を制圧していってます。 すでに、グローバルスタンダードは万国公法となり、このままでは、世界は欧米のものになってしまうのではないか? これに対抗するにはどうしたらいいか? やはり、日本、清、朝鮮が一丸となり、列強の「西洋の力」に対して「東洋の力」で対抗するべきじゃないか? そう考えてました。 しかし、現実はどうでしょう? 清は、あれだけ大英帝国やフランスにボコボコにされても「俺は偉いんだ。うぉー」と威張ってますし、朝鮮は日本がいくら手を貸しても近代化できず、清の華夷秩序にべったりです。 日本の近代化だけでも精一杯なのに、ちっとも成果の上がらない朝鮮の近代化と、日本を見下している清の近代化、そして団結。 正直、無理じゃねぇか? そう思い始めてきました。 そんな時、福沢諭吉(一万円札の人)が、ある論文を発表しました。 「隣国の近代化を待っている暇は無いんじゃないか?もう、こうなったら日本だけでも、ちゃちゃっと西洋(近代)化してしまおう。もう隣国だからといって、特別扱いしないで、構わないでおこう。」 そんな内容の論文です。 これを「脱亜論(又は脱亜入欧論)」といいます。 これが発表されたのが、1885年の3月。 日本軍が朝鮮から引き揚げることになった、日清天津条約の締結が同年4月。 日本のこれからの流れが、なんとなく定まりつつあった、この時期、ある事件が起こりました。 日清天津条約の結果、日本軍も清軍も朝鮮を去り、朝鮮が自由に動ける時期になりました。 ここは一発、近代化・・・とまで行かなくても、独立国として体制を整えるチャンスです。 さて、どういう方向性にしようかな?と、朝鮮は考えます。 日本に頼って近代化しようとすると清が出てきますし、逆に清に頼ると色々口出しされる上に日本が出てきます。 とはいえ、日本、清、ロシアの三国に挟まれている状態。 朝鮮単独では、こころもとありません。 日本も清も駄目ならロシアに頼ろう。 朝鮮国王「高宗」は、そう考え、帝政ロシアに密使を送り、密約を結ぼうとします。 密約の内容は、こんな感じ。 ・金玉均(甲申事変の首謀者)がロシアに行ったら、捕まえて朝鮮に渡してちょうだい。 ・(甲申事変に関しての)対日賠償金を払わないで済むように、日本に圧力をかけてちょうだい。 ・第三国が朝鮮半島を侵略した際には護ってね。 ・ロシア皇帝の勅命をうけた大臣を漢城(ソウル)に駐在してもいいよ。 ・朝鮮の海域はロシア海軍が護ってね。 ・陸路での交易や貿易を朝鮮とロシアでやりましょう。 ようは、「帝政ロシアさん、これから朝鮮を護ってね」という内容。 日本にとっても、清にとっても最悪の展開です。 いままでの苦労は何だったんでしょう? この密約交渉の中で朝鮮にロシアの軍事顧問を招こうという話がでした。 この密約を推進したいこともあって、ロシア側はもう、ノリノリです。 ところが、密約は密約。 表沙汰になっていなかったため、当時の朝鮮の外務督弁(外務大臣のようなもの)はアメリカから軍事顧問を招いてしまいます。 あとから、ロシアが「約束したじゃねぇか」と来たけれども後の祭り。 と、いうより、外務督弁は密約を知らなかったのですから、当然拒否。 ここで密約の存在が表沙汰になってしまいました。 結局、ここで、日本も清もロシアも怒らせる結果になってしまった朝鮮。 福沢諭吉の言うとおり、もう、構わない方がいいのかも・・・ |
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