ドストエーフスキイ全作品を読む会  読書会通信 No.78  発行:2003.4.4


144回(4月)読書会のお知らせ

2月読書会は、下記の要領で開催いたします。大勢の皆様のご参加をお待ちしています。

 月 日 : 2003年4月12日(土)
 時 間 : 午後6時00分〜9時00分
 場 所 : 東京芸術劇場小会議室1(池袋西口徒歩3分).03-5391-2111
 作 品 : 『ネートチカ』ドストエーフスキイ全集C
 報告者 : 武富健治氏
 会 費 : 1000円(学生500円)

 ※ 主に米川正夫訳『ドストエーフスキイ全集』をテキストにしています。

 ◎ 終了後は、近くの居酒屋(西口)で二次会を開きます。

 会 場 : 養老の瀧(変更の場合も有り)
 時 間 : 9時00分〜11時00分頃迄
 会 費 : 2〜4千円



4月12日(土)読書会


『ネートチカ・ネズヴァーノヴァ』報告要旨

  武富 健治                            

 ご存知のとおり、この作品は大きく3つあるいは4つの話に分かれています。これらは作者、そして語り手でもあり主人公でもあるネートチカの個性によってごく自然に結びつき、十分な統一感を作品にもたらしておりますが、それぞれ特有の持ち味も認められますし、また興味深いと思います。
 報告では、あくまで私見ながら、これらそれぞれについて、作家の意図、あるいは作家が意図しなかったかもしれないが自然と顕れた作者の思い、などについて少し話させていただきたいと思います。
1. ドストエーフスキイの中のエフィーモフとB〜あくまで結果でしか語れないかもしれない本物と偽者の境界線・成功と破滅の狭間で
2. 幼時のネートチカの行動・心理の描写のリアリティ
3. ネートチカとカーチャの相愛は、ドストエーフスキイの分裂しせめぎあう女性の好みの和解という妄想か?
4. アレクサンドラとネートチカの教育・学習に見る、ドストエーフスキイの先見の明
5. アレクサンドラへの手紙の主〜弱い心の男
 このようなことを考えておりますが、出来れば個人発表は短めにすませ、それぞれについて詳しいことは、まずみなさんの意見・感想などもお聞きした上で、意見交換の中で、話題の流れによって、もしふさわしい時が来たらその都度話させていただく、という感じに出来たらと思っています。
 なにせまだドストエーフスキイに関しては不勉強なところが多いので、みなさんにお聞きしたいことも多いのです。ネートチカやカーチャ、エフィーモフだけではなく、ヴァイオリニストBや、アレクサンドラへの手紙の主の男なども、地味ながら気になっています。他の作品の登場人物との共通点などについてなど、思い当たることなどありましたら教えていただけるとうれしいです。





ドキュメント『ネートチカ・ネズヴァーノヴァ』
   (編集室)


 以下は、書簡から探る『ネートチカ』情報です。(『ドストエーフスキイ全集16 書簡上)

1846年10月下旬 兄ミハイルへ 『ネートチカ・ネズヴァーノヴァ』を構想
 「ぼくはまる一年作品の発表をやめて、いま寸時もぼくを落ち着かせてくれない長編を書くことにします。11月26日 ヴァシーリエフスキイ島1丁目大通り角、ソロシッチ持家、26番地ルーテル派教会の向かいに引っ越す。ベケートフ、ザリュベーツキイらと暮らしはじめる。(一人あたま年1200ルーブル紙幣以下)

12月17日 兄ミハイルへ  『ネートチカ』に取り組む。 
 「ぼくはいま山のように仕事をかかえて、1月の5日までにはクラェーフスキイに、『ネートチカ・ネズヴァーノヴァ』の第1編を渡さなくちゃあならないのです。あなたもその広告を『祖国雑誌』でもうすでにご覧になったでしょうね。/ぼくは夢中になって執筆しています。なんだかわが文学界ぜんたい、すべての雑誌、すべての批評家を相手に、訴訟でも起こしたような気がしてなりません。しかし、この1年間に『祖国雑誌』に掲載する三部に分かれた長編で、文壇における首位を確定的なものにして、ぼくに悪意をいだく連中の鼻を明かしてやります。クラェーフスキイはすっかり悄気ています。彼は破滅に瀕しているのです。『現代人』は盛んに売り出しています。この二つの雑誌の間にはもうつばぜり合いが始まりました。」

1847年1月〜2月 兄ミハイルへ これはゴリャードキンのような告白です。
 「あなた『ルクレチャ・フロリアニ』を読みましたか、カロールをご覧なさい。しかし、まもなく『ネートチカ・ネズヴァーノヴァ』を読んでもらえるでしょう。これはゴリャードキンのような告白です。もっとも調子も性質も別なものですが、ゴリャドキンについては、そっと内証に(しかも大勢の人から)ぞっとするようなうわさを耳にします。しかし、中には、あれは奇跡だが理解されなかったのだと、真っ直ぐにいってくれる人もあります。これは将来おそるべき役割を演ずべき作品で、たとえぼくがゴリャードキン1人しか書かなかったとしても、充分すぎるくらいだ、ある人々にとってはデュマ的興味以上に興味ふかいものだ、というのです。/どうか成功を祈ってください。」

1849年2月1日 A・A・クラェーフスキイへ 最初の2部を「祖国雑誌」に発表する。
 最後にA・アレクサンドロヴィチ、小生はよく知っていますが、正月に掲載した『ネートチカ・ネズヴァーノヴァ』の第1部は、いいものです。それはもちろん『祖国雑誌』が堂々と誌面を割き得るほどいいものです。あれが重大な作品であることは、小生も知っています。最後に申しますが、これは小生の言ではなく、すべての人のいうところなのです。小生はあれを台なしにはしたくありません。」  

3月25日 『祖国雑誌』へ第1章の後半を送付(但し掲載ならず)

4月23日  午前4時、ドストエーフスキイ逮捕される。

   4月〜5月 『祖国雑誌』5・6月号に掲載許可。未完に終る。

※訳者米川正夫評「ついに完結を見るに至らなかったのは、かえすがえすも遺憾である。なぜなら、もしこの長編が完成していたら、ただにドストエーフスキイの前期で最も優れた作品となったばかりでなく、後期の名作と伍しても異色ある作品として光芒を奪われなかったろうと想像されるからである。」




読書会プレイバック



 30年前、『ネートチカ』の作品は、発足2年目の第8回「全作品を読む会」読書会でどう読まれたか。会報を振りかえって見てみた。(「会報」No.18 1972.2.18発行から『場』T)

『ネートチカ・ネズヴァーノヴァ』     

佐々木美代子

 この中篇小説は未完であるゆえに何と様々な推量や期待を読者に呼び起こすことだろう。幼年期から娘時代に至る過敏で優しい女性の三様の愛に関わるこの一人称の物語は、哲学や宗教、政治の分野にひきずり込みがちなドストエーフスキイを、、無類の物語作者、人間を深く識った天才作家として再認識させ、人間への強烈な好奇心と愛に充ちた芸術家に他ならないことを知らしめる。
 作者がペトラシェフスキイ徒党であり、間近に逮捕される状況にあり、そのために未完に終ったということが、この作品の中から具体的にうかがいとれるものであろうか。こういう外部状況から作品を推察の種にすることは、予想通り読書会では殆ど行われなかった。むしろ、ようやく作家としての認識が確かなものとなったドストエーフスキイが、自身の芸術観をこの作に託して披瀝したものと読みとれるという見解が出された。敗北の音楽家エフィーモフの生彩を放つ描写や、ネートチカが読書の世界に没入してゆく過程を描く調子の高い文体の中に、作者自身の生の声が聞きとれるようである。ネートチカの感受性の質に深く共鳴するか、その過敏性を受けつけぬかで、この物語の評価は決まってしまうことがわかる。例えば『トニオ・クレーゲル』は自分である。と幾分でも思うことなくあの作品を愛するなどということがありえないように、ネートチカの感受性の内に多少なりとも自身を発見する喜びこそ、『ネートチカ』と本質的に関わることではないだろうか。この作品を哲学や政治の分野に解体分析して、そこから『カラマーゾフの兄弟』などと同質の答えを求めようとすることが読書の仕方なのだろうか、と思われるのだが・・・。
 『ネートチカ』は未完であるが、後年の大作中の強烈な女性像の中に、ネートチカやカーチャとの魂の同一種族を見出すことができる。





「ドストエーフスキイ全作品を読む会」読書会の軌跡 @
 < 1回〜7回まで>

1971年3月19日発行『会報No.13』にはじめて「ドストエーフスキイ全作品を読む会へのおさそい」が掲載される
(発起人は野田吉之助氏、佐々木美代子氏、岩浅武久氏)
 
1971年
第1回読書会4月14日(土)、作品『貧しき人々』午後3時〜 早大大隈会館の一室
第2回読書会5月15日(土)、作品『分身』 午後6時〜9時 早大校友会館 12名
第3回読書会6月26日(土)、作品『プロハルチン氏』『九通の手紙からなる物語』『ペテルブルグ年代記』 午後6時〜9時 早大大隈会館
第4回読書会月日不明、作品『ペテルブルグ年代記』『主婦』
第5回読書会9月25日(土)、作品「ポルズコフ」『弱い心』
第6回読書会10月15日(土)、作品『人妻と寝台の下の夫』『正直な泥棒』
第7回読書会、月日不明




2・8読書会報告

       
『正直な泥棒』は、喜劇か?で議論沸騰!!

 2月8日に開かれた読書会は、13名といつもより少なめの参加者であった。おそらく新年如月気分の抜けない時期であったのと、訳者をして「とくに取り立てていうほどの作品ではない」といった評価が災いしたのかも知れない。
 そんなわけで開催当初は、フリー報告も手伝って、司会者手腕に頼るだけのいささか心もとない読書会となってしまった。あげられた感想や意見も巷間評されている「ドストエフスキーの不安な生存感覚を反映している」(中村健之介)といった繊細な人間観や「堕落した者を嫌ってはいけない」といった道徳噺の域をでなかった。
 しかし、議論半ばであげられた人見さんの、「わたしの毛皮外套をいとも悠々と外套掛けからはずして、小脇にかかえ込み、ぷいと戸外へ飛び出した」泥棒は、もしかして間借り人アスターフィ・イヴァーヌイチのズボンを盗んだエメリヤン・イリッチではないか。彼は死んだことになっているが、真相は生きていた・・・との発言に喧喧諤諤となった。

エメリヤン・イリッチは生きていた!!
 
 荒唐無稽と思われた感想であったが、検証してみると、その推論に符号する個所が結構あって、納得する意見や評が多く寄せられた。
 エメリヤンがわたしの外套を盗んだ泥棒であった推理される点。(この作品が、喜劇的小噺とみられる個所及び言葉)
・「世馴れた人」という表現。
・「つるこけ桃」の言葉。シェークスピアの『空騒ぎ』のドグベリイを彷彿する。
・「外套を守るために何一つしょうとしなかった」怪。
・ 「・…」文末の点線の意味。
などなどである。ともあれ、エメリヤンが生きていて泥棒だったとすると、この作品の解釈はまったく違うものになってしまう。所謂、感傷的小噺からお笑い漫才話となってしまうのだ。これまでになかった読みだけに今後も注目してゆきたい。


米川正夫、中村健之介の作品評(編集室)


 この作品について訳者の米川正夫は、多くを論じていない。むしろ素っ気無い。実際、テキストにしている『全集A』の解説でも「とくに取り立てていうほどの作品ではないけれども、気が弱く、あまりにも善良すぎ意志の力に欠けているため、おのれを亡ぼした一種の無用人の型が浮き彫りされている。この典型は前作『弱い心』のヴァーシャ・シュムコフと同一系列に立つものであろう。」と、あっさりしている。別巻『ドストエフスキイ研究』では、取り上げていない。

 全集では、浮浪者のエメーリャが死ぬところで終っている。

「見ると、エメーリャはまだ何かいいたそうにして、自分で体を持ち上げながら、一生懸命に唇をもぐもぐさせていましたが、急に顔を真っ赤にして、わっしを見つめるのです・・・と、不意にまたさっと血の気がひいて、あっという間にぐったりとなりましてね、首をうしろへがっくりさせて、一つ息をついたと思うと、そのまま魂を神様にお返ししましたよ」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

しかし、作品の最後については、削除された文もあるようだ。その所について、中村健之介は著書『ドストエフスキー人物事典』のなかでこう述べている。

 現在私たちの読んでいる短編『正直な泥棒』は1860年の改作後のもので、1848年の『祖国雑報』誌初出のテキストとはかなり違っている。初出テキストでは小説の最後に、語り手によるかなり長いしめくくりの一節がついていた。そこには、作者がこの作品で訴えたかった考えが、文学的衣装をまとわず、むき出しのまま現れている。語り手はこう説いている。

 「あの不運なエメーリヤのやつを赦してやってくださいますように。あいつは酒がのみたかったんでございますよ。そりゃあもう、のみたくてたまらなかったのでして。堕落した人間を毛嫌いなさっちゃあいけませんや。それはキリストさまのお命じにならなかったことでございますからね。キリストさまはご自身よりもわたしどもを愛してくださったのですからね。あのエメーリヤの野郎は、生きていたとしたら、人間と言えるような代物じゃございません。まあ、ごみくずみたいなものです。ところがですよ、やつは、つらくてたまらなくて、良心の苦しみが因で死んだんです。ということは、何であったにせよとにかく、自分は人間だったという証を立てたってことですよ。罪科なんてものは人間だれにだってあるもので、なにも、生まれついての、一生消えないものじゃあないんです。そんな生まれついてのものなんぞは、もうすっかり消えてしまったんですよ。それでなきゃ、つまり、わたしどもが原罪のためにいつまでたっても罪ある者のままでいる定めになっているなんてことでしたら、キリストさまがわたしどものところへおいでになったということにはなりませんや。」

 削除された一節。この、しめくくり踏んで中村健之介氏は、この作品に対し、次のような結論をひきだしている。

「新しいキリスト教としての社会主義」を信奉する作者ドストエフスキーは、「ごみくずみたいな人間」の中にも清純な良心は宿る。「堕落した人間」を嫌ってはいけない、とお説教をたれているのである。
 ドストエフスキーはその全作品を通して、みじめな者、あなどられ嘲られても仕方のない者の中に、羽振りのいい成功者たちの持ち合わせない純真で繊細な心が保たれているという人間観を語り続けた。と、しながらしかし、それにしても、なぜドストエフスキーは卑しい道化やアル中の浮浪者に、こうも熱心に身を寄せるのだろうか。「押しつぶされた人間の復興」を説く時代思想になぜそれほどまでに心酔するのだろうか。と、疑問を寄せている。そして、その謎を「ドストエフスキーの不安な生存感覚」からくるものと解いている。以上は、目にした二つの関係書物のなかで述べられていた作品評である。



私はこう読んだ 『正直な泥棒』


 2・8の読書会作品『正直な泥棒』では、作品にたいするアンケート&感想を皆様からお寄せいただきました。ご協力ありがとうございました。本頁でご紹介します。


人間に内在する善と悪
山岸 都

『正直な泥棒』という作品の意味するところは「人間に内在する善と悪」「個の中の両者の葛藤」
作品の感想

 人間の弱さ(貧しさ、ひもじさからの盗み)
 人間のやさしさ(それを許そうとするこころ)
 人間の正直さ(盗んだことを告白しようとするこころ)
 人間のあわれさ(それらもろもろのものを包括した人間の全体像)
書き終えたところで2月1日のスペースシャトルの事故がありました。宇宙開発には、人類進歩といいながらも、神への挑戦ともいえる側面があるように思います。
 ドストエーフスキイが生きていたら何というでしょう。地上には飢えやさまざまな悲劇がくり返され不条理な苦しみ悲しみがあふれています。
 21世紀は始まったばかりですが、果たして私たちは永遠の光の中に天上の星くずとなっていのちの種を残していけるでしょうか?ドストエーフスキイの作品にはさまざまな意味
で大切な示唆を与えてくれる文学のバイブルともいえる要素があるように思います。


作者の独特な感受性が見える作品
熊谷暢芳

 ドストエフスキーにとって、「泥棒」とは恐ろしく重要な意味を持ちます。単なる所有権の侵害ではありません。むしろ、単なる所有権の侵害と言う捉え方と、ドストエフスキーの泥棒に込める意味とには、大きな裂け目があって、その裂け目の見分けにくさが、3000ルーブルを使い切ってしまえば泥棒になってしまう、と苦悩するミーチャ独特の絶望の深さを、回りの者からも、また、読者からもわかりにくくしています。ミーチャにとって泥棒であるとは、高潔であることの対局に位置することなのですが、この卑劣さは、独特な存在論的な意味を持ち、イワンの悪魔へとつながっていきます。
 マトリョーシャを死に至らしめたスタブローギンは、手始めに、泥棒の罪を彼女になすり付けています。白痴における罪深いおこないの告白にも泥棒についての告白があり、ナスターシャに心底軽蔑されています。罪と罰でも、ルージンがソーニャを泥棒の罪に落とそうとして逆にラスコーリニコフにばらされてしまいます。ドストにおいては、泥棒は、利得を目的としない、むしろ奇妙な快楽を目的としたものとして描かれがちです。
 泥棒は、被害に遭う者にとっては、単に損害を被ると言うだけでなく、彼の世界の中に、気味の悪い裂け目が一つできると言うことです。その時、泥棒自身は誰にも気づかれない世界の外側から世界に手を伸ばす者として、ある自由を手に入れます。高潔さが、「自分はあなた達がみての通りの自分である」、ということであれば、この卑劣さは、その対局に位置します。同時にそこには、異界の住人として、外側から世界の進む方向に致命的な力をふるう快楽があります。
 猜疑の人ドストエフスキーは、この泥棒する方・される方の二つの面を、ほとんど生理的に共々に感受できたのだとおもいます。特に冒頭早々の、鮮やかな外套盗難のシーンは、幻覚を連想させる(たぶんほんとにこうした幻覚がドストにあったのだと思います)もので、異界が現実の世界に割り込んできたかのような鮮やかな印象を受けました。小説のテーマはこの印象からは離れていきますが、ドストエフスキーの独特な感受性が見える作品として、興味深かったです。エメリヤン・イリッチがキュートでよかったです。


世馴れた男への懐疑
秋山伸介                                
                               
 
 「わたし」の新しい間借り人アスターフィ・イヴァーヌイチは、なかなかの世間慣れたという触れ込みでやって来た。といったところで、家政婦のアグラフェ−ナの言葉を鵜呑みにすればの話だが、なるほど、目の前で外套を盗まれて為す術なくポカンとしている二人(私とアグラフェ−ナ)に比べれば、敏速果敢に飛び出して盗っ人の後を追い、門番に嫌味のひとこと言うのも忘れていない。なかなかの世慣れた手さばきである。そうでなければ、世渡り上手な仕立て屋稼業は務まるまい。そう思わせるに十分なパフォーマンスである。それにつけても、盗っ人を取り逃がしたことを悔やむこと、悔やむこと。これも彼の世渡り術のひとつか、それとも、心からの世話好きなのか。かつて自分も泥棒には痛い目にあったといいながら、正直な泥棒の話をし始める。ところが、話を聞けば、世慣れたどころか、なんとも人のいい男が、そこにいるではないか。これがアスターフィ・イヴァーヌイチの真の姿なのだろうか。
 その話とはこうである。居酒屋で知り合った呑んだくれの、失職宿無し男に慕われ、転がり込まれ、自分の生活が精一杯の貧困の中、やっとなんとか二人で暮らしていけるように遣り繰りをつけていた矢先、盗みまで仕出かされる始末。恩を仇で返されるとはこういうことを言うのだ。気の毒で目も当てられないと思いきや、本人はあくまで健康的に、エメリヤ−ヌシカとかいう、無為徒食の飲兵衛男の手管に掛かって、彼を信じてしまうのだ。どこが世慣れているというのだろう。挙句の果ては、盗んだことを打ち明けて死んでいったこの男に感涙して、アスターフィは喉を詰まらせている。まさに少年のような無垢な心とでもいえば、いいのだろうか。正直な泥棒なんているのかと聞かれれば、さすがにアスターフィも、そんなやついるはずないと言い張る。しかしながら、正直そうなやつが泥棒を働いたとなると、どうやら話は別らしい、打って変わって寛容、いや、たちまち慈悲深い態度をみせる。どこが違うというのだろう。エメリヤーヌシカは全くかわいそうなやつでしてと、アスターフィは、いたく同情するのであった。なにがそこまで、彼を惹きつけるのか、エメリヤーヌシカのどこにそんな魅力が潜んでいるというのか。
 「無口でおとなしい質で、自分から物をねだるなんてことはけっしてありません、じっと坐ったまま、犬っころみたいに私の目を見ているばかり。」アスターフィの眼にアスターフィはこんな風に映っている。根っからの怠け者の、飲兵衛野郎には違いないのだが、いくら飲んだところで暴れるわけではなし、おとなしく、遠慮深く、愛想がよくて、親切で、とアスタ-フィの賛美は続く。ところで、現実に目を向けるならば、このまま、エメリヤーヌシカを養うわけにはいかない。共倒れだ。しかし、アスタ-フィは、思案しつつ、はしなくも想像の世界へトリップしてしまう。もしここに置いておくわけにはいかないと言ったならば、どうだろうと。「何一つ合点がいかなかったような顔つきをして、長いこと、じっとわっしを眺めているが、やがてようやくわっしのいったことが呑み込めると、自分の風呂敷包みを取り上げて、着ている外套をちょいと直す。それはあまりぶざまでないように、暖かくって、穴が見えないようにという心づかい、」ここまで想像すると、アスターフィは「そういう気の優しい男なんで!」と感嘆の心声を挙げる。エメリヤーヌシカの出て行く後ろ姿を思い浮かべると、自分の窮状そっちのけで、同情してしまう。
 エメリヤーヌシカの魅力の秘密はどうやらこのあたりにあるらしい。そう踏んだ。とはいえ、その具体的な性質について、言っているのではない。そうではなく、彼の魅力の在り処は、むしろ、そのような幻想を生み出す性質にあると考える。その証拠を並べろと言われれば、小説の中からそのいくつかを拾い出すことは容易だ。たとえば、「もしエメ-リャが行ってしまったら、おれの世の中が味気なくなるだろう・・・そこで親とも恩人ともなってやろう、とはらを決めました。」「『ひょっとお前さん、あの立派な首をどこかにつるしたんじゃないのかね』と私は考えました。『どこかの垣根の下で、酔っぱらったままくたばって、今頃くさった丸太ん棒みたいに転がっているのじゃないのかね?』・・・なんだっておれは、あの子供みたいな知恵しかない男を手放して、自分勝手に暮らさせるようなことをしたんだろうと、自分で自分を呪った次第です。」
 エメリヤーヌシカが魅力的であるのは、極めて逆説的である。なぜなら、その魅力とは、エメリヤーヌシカの、何か魅力的な内容に惹かれてではなく、その中身が何もないことによってであるからだ。彼は何もせず、与えられたままを、犬のように生きる。働く気もなければ、感謝の言葉ひとつ言わないで、飲んでばかりいる。にもかかわらず、優しく、正直そうに、親切に見える。とどのつまり、無垢とはそういうことかもしれない。ひたすら与えられたままに生き、死んでいく。奮闘努力して、自力で生きることから、遠く離れて、乃至は、理性的な生き方から、はるかに離れて、為す術なく生きる姿が、幻想を生み出す。傲慢さのかけらもない、無垢という幻想、正直な泥棒という在り得ない幻想を生み出してしまうのではないだろうか。
 「わたしのようにいつも退屈な生活をしているものにとっては、こういう話し手はまさに宝といわなければならない。」と語り手がいみじくも述べているように、物語とは、聞く人を魅了させる装置である。この「正直な泥棒」の話は、何が聴く人の幻想を呼び起こすか、どうすれば崇高といった感情に訴えるか、をよく示している。「わっしはこの神様のように正直な人間の性分を知っているものですから、」という言葉をあらためて聞き直すと、ろくでなしの飲兵衛盗っ人が、神様に祭り上げられていることに驚かざるを得ない。この話を聞きながら、いつのまにか幻想のなかで、この飲兵衛野郎に襤褸を纏ったイエスの姿をダブらせてしまっているからである。
 一切ポジティブなものを見出せない、その場所にこそ不可能=幻想=可能の産褥がある。正直な泥棒という表現こそ不可能なものが幻想によって可能になったことの証である。エメリヤーヌシカの、価値の空しい中身が、物語の装置に絡め取られると、幻想によって神の域にまで昇華する。フェテェシズムの原初の形をそこ見るばかりでなく、いかに私たちがそのようなフィクションなしでは生きていけないかを如実に物語っている。アスターフィは何が人の心を魅了するかをよく心得ている。物語のなかで人のいい人物を演じながら、巧みな話術で、ただの飲んだくれに崇高さの属性を纏わせる。まさしく世間慣れした男であるといえるだろう。ちなみに、「いったんアグラフェーナの頭に浮かんだ考えは、必ず実現されねばならなかった。・・・この覚束ない頭にどうした偶然で、何か観念というか、計画というか、それに類したものができあがったが最後、その実現を拒否するということは、この女をいっとき精神的に殺すことであった。」ここにも、生きていくうえで、フィクションに頼らざるを得ない人間のあり方が象徴的に呈示されている。


落語を彷彿
堤 崇弘

 『正直な泥棒』という題名を見たとき、『レ・ミゼラブル』のジャン・バルジャンを思い出した。読んで見ると、主人公は似ても似つかないような弱い男だった。ところが、それにも係らず、2つの作品には根底で共通するものを感じる。
 「盗むことは確かに悪いことかも知れないが、盗むことによって、過剰に罰せられることは、もっと大きな悲劇である」ということだ。
ただ、このように真正面から「意味」を求めることには、あまり意味がないようにも思われる。これについては、感想の方で書きたい。

 「大家といえば親も同然、店子といえば子も同然」
 この作品を読んでいるとき、昔から記憶に残っていたこの言葉が連想され、頭の中でリフレインしていた。どこで耳にしたのか、なかなか思い出せなかったが、ふと思い当たった。
それは、実家で昔、レコードかテープで聞いた、故・古今亭志ん生の、『大工調べ』だったか何かの落語である。そして自分がそういうフレーズを思い浮かべたのは、この作品が、間借り人を我が子のように思う、という心理(ちなみに、『大工調べ』の与太郎も知恵足らずの役立たずであるが憎めない、守ってやりたいと思わせるキャラクターである。
 ただし、親代わりたるべき大家さんの、「横丁のご隠居」は彼を邪険にし、一方、彼をお情けで使っていた大工の棟梁が彼を助けて、憎い大家さんを裁判で逆転で負かすという噺だったと思う。)を描いたものだからというだけの理由ではなさそうだ。自分にとって、この作品の最大の特色は、その「語り」の妙にあった。自分は米川氏の訳で読んだのだが、冒頭の間借り人を置くことに関する家政婦と作中作家の対話といい、途中の(「つるこけもも」の籠がどうのこうのなどの)アスターフィイとエメリヤンの会話といい、その間の抜け具合、はずし具合は、全く落語そのものと言って良い。
 そういえば、この物語の主たる語り手となっているアスターフィイは、元は兵隊だったようだが、貴族ではなく、その召使の階級の人である。その点からいっても、なめくじ長屋の八っつぁん、熊さんの世界の人なのだ。下層階級の人間がオンパレードで出てくる『死の家の記録』を先取りした作品だと言えなくもない。一人称代名詞からして、「わっし」である。
 これが、「あっし」になれば、間違いなく志ん生の声に聞えてしまうところだ。とにかく、このアスターフィイの語りは、ドスト節なのか、米川節なのか、わからないのだけれど、私には絶品だった。エメリヤンが泣き出して、喜劇から悲劇に移行するまでの、その前半部分の猛烈な可笑しさは、完璧と呼べるもので、ドスト氏が、もし現代に生きていたら、恐らく放送作家、台本作家として、コメディーや漫才の脚本を書き、その後は、北野武のように映画監督にでもなっていたかも知れない、などと想像が膨らんでしまう。もっとも、多くの人を束ねて行く映画監督は「世慣れて」いないドスト氏には、少々、荷が重過ぎるかも知れないが。
 話がそれたが、喜劇から悲劇にすうっと切り替わって行く、この手際も見事であるが、こういう2段階の話に対して正面切って「意味」を問うとなると、勢い、「悲劇」の部分にスポットが当たり勝ちだ。確かに、自らの犯罪によって(ゾシマに言わせれば「キリストの掟」によって)裁かれ罰せられるエメリヤンは、後にラスコーリニコフになり、ゾシマの客(ミハイル)になり、イワンになっていくわけで、そういう要素は見逃せない。だが、だからといって、この作品の私にとっての最大の魅力が、この前半の馬鹿馬鹿しい「語り」の妙にあることが、変わるわけではない。
 だから、私としては、この作品について「意味」を議論することをあまり積極的に欲しない。
そういうわけで、これほどの名訳をした米川氏自身が、解説で、「とくに取りたてていうほどの作品ではない」などと冷淡に評しているのは、私にはどうも納得がいかない。この頃の作品を読み続けるにつけても、ドスト氏が、喜劇作家、ないしは、悲劇作家として一歩ずつ確実に成長を遂げている、ということが読み取れないはずはない、と、つい力が入ってしまうのだ。

『正直な泥棒』の謎
「読書会通信」編集室

 さて、この作品は、訳者や研究者が解説するように意志のなさから身を亡ぼした無用人の小話。「堕落した人間」を嫌ってはいけない。とお説教をたれている道徳短編。「押しつぶされた人間の復興」。たしかにそんな感想もしないではない。
 だがしかし、読後なぜかこうした評だけでは納得できないものを感じる。その一番の理由としては、訳者や研究者が述べていることは、すべて作品に書かれているからである。「ごみくずみたいな奴」「人間といえる代物でない」などなど、主人公がどんなにくだらない人間であるか、という人物評価は、物語がはじまってから延々と述べられてきている。
 このことは読者にしてみれば、案内人から裏通りに酔いつぶれて寝ている無宿人を「これは、浮浪者です。社会の落伍者です。しかし人間です」と説明されているようなものである。
 多分にこうした表層的見解は一般的であり無難といえる。が、ドストエーフスキイ読者としては、大いに天邪鬼精紳を発揮したいところである。本当ににそうなのか。見たままでよいのか。そんな疑念を投げかけたいところである。
 そういった視点からみると、大雑把だが、この作品には二つほどの謎がある。もっとも単純な極めて初歩的な謎ではあるが・・・。
 一つには、なぜドストエーフスキイは、(この作品に限らないが)エメーリャ、本式にいえばエメリヤン・イリノッチのことを、こうも糞ミソにこきおろしているのか。いかにダメ人間かをことこまかに描いているのか。
 二つには、そのダメ人間エメーリャを妙に持ち上げてもいるのはなぜか。「神様のような」とまで言わせているのだ。普通の生活では到底つきあいたくない手合いの人間である。こんな人間に、間借り人アスターフィ・イヴァーヌイチは、異常なまでの親切心で接している。純真な人間と称えている。どこか映画『真夜中のカーボーイ』を彷彿するものがあるが、映画はストーリ展開、俳優の演技力・知名度で伝わってこなくもない。が、この作品でのアスターフィ・イヴァーヌイチの憐憫は謎である。このダメ人間に対する限りない友愛はいったい何か。どこからくるものか。「押しつぶされた人間の復興」だけでは腑に落ちない納得しがたいものがある。
 そこで思うのは、ドストエーフスキイの作品全体に流れているのは、何かということだ。「人間の謎」といったものが基本なら、その上に「人間とは何か」「神とは何か」といった問題がある。独善的ではあるが、こうした根本テーマを踏まえて想像すると、なにかしら見えてくるものがある。表層からは見えなかったもの。それこそがドストエーフスキイが真に書きたかったものといえる。
 では、その内在するものとは何か。浮浪者で飲んだくれのエメーリャの内に一体何があるというのか。作者は、ドストエーフスキイは神の姿を描きたかった。突飛だがそんな思いがするのである。地上におりてきて、同じ時間、同じ社会の中に生きる神は、一体どこにいるのか。壮大な王宮でも、神聖な教会でもない、神は裏通りゴミ箱の横に酔客の嘔吐物にまみれて眠っているのだ。社会の人間の底の底から、人間たちをじっと見ている。ドの作品は「さげすまれている者の名誉回復」ではなく「さげすむ者を見守る物語」ではないだろうか。
 だからこそ、どんなくだらん奴でも、「わっしは水をやりました。」という気持ちをおこさせるのだ。「目からは涙がぽろぽろ」でてくるのだ。
 そしてなによりも、彼が神であるという証しは、作中のなかで如実にあらわれている。それは、どの登場人物よりも「堕落した人間」エメーリャの方が、何倍も鈍い光を放って、その存在を示していることだ。
 人間は、何のために考え、進歩しているのか。人類の数百万年の旅は何であったのか。それはただ一つの目標、神を探すため、神の正体を突き止めることにあった。21世紀、いまだ人間は神を追い求めている。探しつづけている。
だがしかし19世紀ドストエーフスキイは、すでに神を追い詰め、描こうとしていた。『正直な泥棒』のごみくずのような人間エメーリャに出会ったときも、そんな思いがしてならなかった。




桜前線・特別寄稿
 
毎回、皆様に読書会作品の感想をお願いしているが、前回の『正直な泥棒』では、以前に二度ほど読書会に出席したことがあるという御仁から感想のかわりと以下のメールをいただいた。(失礼ながら名前も顔も、まったく思い出せない人であったが・・・)


バンドマンの死  ― 無名氏のメールより―


 ご無沙汰しています。こんどの読書会で取り上げる『正直な泥棒』について、感想を書きかけたのですが、近ごろ文章など書いたこともなく、うまくまとまりませんでした。かわりに、私が最近聞いた話を添付します。ドスト作品とは、何ら関連ないかも知れませんが、この話をきいたとき、なぜか『正直な泥棒』の話を思い出したのです。

<添付してきた話>
 このあいだ偶然に山手線の車内で学生時代の友人に会った。卒業以来であったから実に35年ぶりということになる。せっかくなので駅前の居酒屋で一杯やった。が、お互い還暦を目前にしたリストラ組、全共闘時代の威勢はどこへやらで、でるのは愚痴とため息ばかりであった。それでも少しは明るい話をと思い
「息子の就職が決まってね。やっと家を出ていくよ」
と、冗談まじりに打ち明けたが、これがやぶへびで友人は
「うちの息子は居候を決め込んでいてね。もう三十になる」と、嘆息した。
「いやあ、一緒に住んでいるうちが花だよ」私はあわてて慰めた。
「まあ、そうだろうけどね・・・」友人は、頷きながらも「息子を追い出せないわけがあるんだ」と苦笑いした。そうしてこんな話をしてくれた。
 もう十数年も前の話になる。会社に、ひょっこりK氏が訪ねてきた。K氏は竹馬の友で、東京にきてからも親友づきあいはつづいていた。家庭を持っても友情は、変わらなかった。しかし、彼の細君が急な病で亡くなってから疎遠になった。
 K氏は、子供の頃から楽器が好きで、将来はそんな仕事につきたいと言っていた。大人になったとき夢が叶ってバンドマンになった。いつも黒服にワイシャツといった古典的バンドマンスタイルでラジオ、テレビ局、劇場と結構忙しかったようだ。子供はいなかった。両親を早くに亡くした彼は、一人っ子で、親戚とも付合っていなかった。それで、奥さんに死なれるとまったくの天涯孤独の身となった。すると、糸の切れた凧のようになって自宅にはめったに帰ってこなかった。地方の温泉地を巡っているらしかった。
 その彼が突然、あらわれたのである。5年ぶりだった。あいかわらず黒の背広にノーネクタイのワイシャツという二、三昔前のバンドマンスタイルだった。車を運転してきた、というので、我が家で飲もうということになり、彼の車で帰宅することにした。車は小型のライトバンであったが、乗ってみて驚いた。後ろの座席に布団袋やら段ボール箱などがびっしり詰まれていた。
「引っ越しでもするのかい」たずねると彼は苦笑して
「いや、自宅のマンションを引き払ってきた」と、言った。年に何回かしか帰ってこないから、が理由だった。本当は先物買いの株で大損して自宅を売る羽目になってしまったのだ。だが、このときはまったく疑ってもみなかった。
 その夜、我が家はにぎやかだった。久しぶりの友の来訪に妻の芳子は喜んだ。同居している父も昔話に花を咲かせた。それ以上に喜んだのは高校生と大学生の息子だった。音楽好きの二人は、K氏がいとも簡単に、リクェストするあらゆる曲を弾いてみせるのにすっかり感動した。仕事柄当然だろうが、クラッシックも流行歌もなんでもござれだった。
「いまのはなんですか」
「ジョニーギターさ。『大砂塵』という西部劇のなかで弾いているんだ」
と説明するK氏を息子たちは尊敬の眼差しでながめていた。
 翌朝、家族のものは彼を引きとめた。
「どうせもうマンションはないんでしよ。ゆっくりしていけば」
嫁が言ったので父も喜んで引きとめた。父は連れ合いを亡くして十年になる。偏屈な父は寂しい老後生活をおくっていたので、同郷のKはよい話し相手だった。
「ギターを教えてください」
息子たちにも頼まれ、K氏は
「つぎの仕事も決まってないし、バンド仲間に二三日休むと連絡します」
と、滞在を承知してくれたのだ。
 我が家は5人家族であったが、一人増えたことで、にわかににぎやかになった。Kは昼間は父とテレビを見ながらお茶をのんでいた。芳子は
「お客さんがいると、食材を買うにも楽しくなる」
と、仕事帰り、スーパーで、いつもより大きなぶら下げてきた。
三日が過ぎた。が、K氏は温泉地に行く様子がなかった。そのことを我が家では喜んだ。「なに、一人ものだし、急いで仕事にいくこともない」
そう言って、なおも引きとめる言葉をかけていたのだ。
 ところが2週間たち3週間たっても彼は腰をあげなかった。私と芳子が出勤し、息子たちが学校やバイトにでかけたあと、彼は、父と日向ぼっこをする毎日だった。夕方は駅まで私を迎えにくるのが日課になっていた。
「ねえ、いつまでいるのかしら」
十日も過ぎたころ芳子は、訝しがるようになった。
「なあに、いいじゃないか、おやじの相手もしてくれてるし」私は気楽に考えていた。
しかし、芳子のなかではKはお客から厄介な居候に変わっていた。息子たちも音楽の話をきかなくなった。
「温泉での仕事は、どうなってるんだい」ときくとKは
「カラオケというものが流行り出したので、バンドの声がかからなくなった」
と、説明した。
 一ヶ月も過ぎると芳子の辛抱も限界にきた。父とは仲良くやっていたので、直接に出ていってくれともいえず「私も手伝うから一緒に温泉地で部屋をさがそう」と、言って私も湯河原にでかけた。さいわいに下宿が見つかった。車に積みこんでいた全家財を運びこみ、そのまま彼を残して帰ってきた。
 我が家に、ようやく平穏がおとずれた。私はうしろめたい気持ちはあったが、立場として出て行ってもらうほかなかったのだ。
 ある小春日和の昼近くだった。幹線道路の十字路に一台の小型ライトバンが止まっていた。後部座席には、ぎっしりと日曜雑貨が積みこまれていた。黒服の運転手が、ハンドルをしっかりにぎったまま挫座席にもたれていた。不審に思った通行人が覗くと銀バエが数匹車中を飛びまわっていた。
警察の話では、Kは我が家に向かっていたらしい。我が家しかほかに行くところがなかったようです。それをおもうと可哀想になって、あんなふうに追い出さなくても、と後悔するのです。それで息子をむげに追い出せないでいるんです。
 いま、自分が会社からも家庭からも必要とされない人間とわかって、はじめてKの(死に場所を探していた)思いが身にしみるんです。そういって友人は、ため息をついて。夜の雑踏のなかに消えていった。 (完)

                                  




ドストエーフスキイ情報



・新聞・朝日新聞 2003年2月16日 日曜日「いつもそばに本が」
 柳田邦男                            

/その頃、社会主義思想をしきりに説く友人のN君から教えられて、河上肇の『貧乏物語』を読み、資本主義社会の矛盾に憤りを感じた。しかし、過度にイデオロギッシュになることもなく、文学好きのS君が話題にする芥川龍之介、川端康成、有島武郎、太宰治の小説を読んだり、読書家のI君がドストエフスキー全集を読破していく気迫に圧倒されて、辛うじて『罪と罰』に挑んだりしていた。/原爆、河上肇、ロマン・ロラン、リルケ、ドストエフスキー、太宰、中也などが、ごった煮のようになって前頭葉の中で煮えたぎっていた高校時代。その厳しく甘酸っぱいカオスは、私の思想形成の発生母地となったものだ。/社会の矛盾の構造を知ろうと、大学に進学してマルクス経済学を学ぶことにしていたのだが、なぜか『侏儒の言葉』(芥川龍之介)に惹かれて座右に置いていた。マルクス経済学への失望を、学ぶ前から暗示されていたと言おうか。/」

・本・高山文彦著『火花』北条民雄の生涯 飛鳥新社 2000年 1900円

161頁/あるのはドストエフスキーの『悪霊』を再読しはじめたことと、島木健作の『癲』を読んでいることである。『悪霊』の登場人物のなかで民雄がもっとも共感をおぼえたのは、無神論者キリーロフだった。
170頁/文壇との接触を避けるようくり返し述べ「先ずドストエフスキイ、トルストイ、ゲエテなどを読み、文壇小説は読まぬこと」と戒めているのは、川端自身の生き方でもあった。
181頁/ドストエフスキーのデスマスクを木炭で描いてもらったのも、そのころのことだ。「写真を見て画いたものであるが、写真と比較すると、幾分感じが強く、陰影が深い。が、ドストエフスキーだから強い方がぴったりするように思えた」
231頁/愛読していたドストエフスキーの『悪霊』であろう。『悪霊』の主人公ニコライ・スタヴローギンは、国家転覆を図る集団の上に教祖のごとく君臨し、露悪的で邪悪なふるまいをいとも軽々やってのける。ヨーロッパ近代の頽廃と教養を身につけたスタヴローギンは、あらゆる美と醜をこともなげに受け入れる「凡てを肯定した虚無」の王である。
233頁/机の上に飾っているのは、東条耿一が木炭で描いたドストエフスキーの肖像画だった。たとえ聖書をひらいても、読む箇所は決まっていた。ドストエフスキーがくり返し読んでいたという旧約の「ヨブ記」である。
263頁/村山でみっちりトルストイとドストエフスキーを研究するつもりです。
268頁/「ドストエフスキーとトルストイに没頭しようと思っております。」
269頁/それからこれが三度目となるドストエフスキーの『罪と罰』を読んでいった。
285頁/川端に、フロオベル全集ばかりでなくドストエフスキー全集の豪華本まで送ってほしいなどとわがままを言っている。
287頁/できあがった肖像画のなかの民雄は、まえに垂らした長髪と黒い丸眼鏡、着物姿といういで立ちで、ドストエフスキー全集やフロオベル全集をならべた書棚を背にし、机の上で本をひらいている。
289頁/「ドストエフスキーの『悪霊』の最後は凄いなあ。『スタヴローギンが縊れた縄には、石鹸がべっとりと塗りつけられていた』の一句で終っている。凄いなあ、凄い」
306頁/ドストエフスキー『地下生活者の手記』を読み始む、読書のみが救いなり。
351頁/友人たちが形見分けとしてもらったのは、東条耿一がドストエフスキー全集を、於泉信夫がトルストイ全集をまずとり、/

・新聞・読売新聞 2003年2月1日 土曜日 「言葉を生きる」

 バルザック:ルイ16世の首を斬ることにより、革命はあらゆる家庭の主人の首を斬ってしまったのだ。今日ではもう家庭は一つとして残っていない。あるものはただ個人ばかりだ。(「二人の若妻の手記」鈴木力衛訳、東京創元社刊)
「権威」根こそぎにした革命    鹿島 茂(フランス文学者)
歴史には不可逆的変化の起こるポイントというものがある。フランス大革命による16世のギロチン処刑は明らかにこの一つである。国民公会で国王処刑に賛成投票した議員たちは、たんにルイ・カペー(王位を剥奪されたことにより、姓が戻った)一人の首を斬るだけだと思っていたようだが、その影響は思わぬところでジワジワと現れ、気がつくと、取り返しのつかない事態になっていた。つまり、国家の権力の象徴たる国王の首がはねられたことにより、すべての家庭の父親の首も(各人の心理の中で)飛び、どの家庭にも権威というものが存在しなくなったのである。革命派は父親の「権威」の代わりに兄弟の「友愛」を置いて結束を図ろうとしたが、やがて、兄弟同士が血で血を洗う闘争を始め、接着剤たる「友愛」すらも失われた。後に残されたのは、家庭の接着剤を失って漂流する「個人」ばかり。「今」の原因を知るには歴史をさかのぼることが必要だとバルザックは教えてくれる。
ロシア革命然り(「読書会通信」編集室)

・新聞・朝日新聞 2003年3月1日 土曜日 スターリン「復権」?                            
 1879年ドストエーフスキイは「ロシア報知」に『カラマーゾフの兄弟』の連載を開始した。この年、グルジアの地方都市ゴアの貧しい靴職人の家に男の子が生れた。命名はヨーシフ・ジュガシビリ。(大人になっても身長160cmの小男)貧弱な赤ん坊だった。が、その子はやがて「鋼鉄の人」と名のり1千万人以上の人々を粛清する悪霊に変貌していった。
 そして、没後半世紀、亡霊はふたたび復活しようとしている。(「読書会通信」編集室)

・『カラマーゾフの兄弟』70位で健闘!!2002年売上ランク

 JR津田沼駅前にある書店「昭和堂」は、同店における2002年文庫本ランキングを発表している。それによると『カラマーゾフの兄弟』は70位。ちなみに1位は宮部みゆきの『理由』。なみいるベストセラーのなかで、(古典で)この位置はかなりの健闘らしい。次のような解説がつけられていた。

「よく考えてみると、この本が年間ランクで70位というのは、異常じゃないでしょうか。」



広 場


読書会秘湯の旅報告

7名の参加者、那須山中の露天でゆったり
読書会秘湯の旅は、計画通り2月22日(土)〜23日(日)に行われた。参加者は次の7名の皆さんでした。

日程は下記の通り。
22日午前8時45分上野駅集合
9時20分発「黒磯」行普通列車乗車 車中にて「那須レポート」を配布。
「那須レポート」編集室では、読書会でペトラシェフスキイ事件が近いことからこの事件に関係した資料を作成した。宿までの電車・バス車中と就床前の一時、ご笑覧いただくため。
 配布資料「那須レポート」の目次(20頁分)
@ 1847、48、49年の時代背景
A その頃の書簡について(書簡に登場する人物)
B 当時のドストエーフスキイの人物評
C 事件までのドキュメント
D 仮想号外「暴動を企むフーリェ主義者一斉検挙」
E 最高軍会議の記録・判決文
F ベリンスキイ「ゴーゴリへの手紙」
G グリゴーリエフ「兵士の話」

夕食前に金村氏の講義「中東問題」を聞く

今回は急だったため読書会形式は断念した。かわりに金村繁氏に「中東問題」主にイスラム、ユダヤ教について講義していただいた。旧約から現代に至るまで。
 翌日は、那須の山道を散策、ステンドガラス美術館見学、と楽しい旅でした。


<イラク戦争に寄せて> 

/「戦争はわれわれの呼吸している空気を浄めてくれる・・・長きにわたる平和は常に残忍、怯懦、粗野な飽満したエゴイズム、そして何よりも知的停滞を生み出すものである。長い平和時代には、ただ民衆の搾取者が食い太るばかりである。時としては戦争の中にも救済があるのである(『作家の日記』)」と。国内の経済問題に加え麻薬にもむしばまれつつあったアメリカと長年の戦争で疲弊したイラクはドストエフスキーのこの論を模倣するしかなかったのか。平和→腐敗→浄化(戦争)→平和そして腐敗。人間は真理を伝導せんがために楽園を汚すのか。楽園を汚さんがために伝導するのか。まさに呪うべき真理の輪廻である。もはや人間に救いはないのか。平和と戦争、楽園と堕落。この両者は常にリンケージされねばならないのか。ドストエーフスキイはこの謎解きを読者に託したままペンを置いた。「地上の楽園などあり得ぬこととしてもよい」「まず肝心なのはおのれ自らのごとく他を愛せよということ、それが一番大切なことだ」(『おかしな男の夢』)として/
  1991年1月湾岸戦争勃発に際して「あるドキュメント番組」からより (編集室記)



2・8読書会参加者

参加者13名



編集室便り

カンパお礼申し上げます。

ドストエーフスキイ情報、ご意見、紹介などありましたらお寄せください。

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