ドストエーフスキイ全作品を読む会 読書会通信 No.207 発行:2024.11.25
第324回2024年12月読書会のお知らせ
月 日:2024年12月6日(金)
場 所:IKE Biz としま産業振興プラザ
〒171-0021 東京都豊島区西池袋2-37-4 (Tel.03-3989-3131)
(池袋駅西口より徒歩約10分、メトロポリタン改札より約7分)
開 場:午後1時30分
時 間:午後2時 ~ 4時45分
作 品:『罪と罰』第3回
報告者: 私の一推し登場人物&場面(フリートーク)
会場費:1000円(学生500円)
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
全作品を読む会2月読書会
日時:2025年2月6日(金)14:00~16:45
会場:としま産業振興プラザ
作品:『罪と罰』第4回目
大阪読書会(第82回)
日時:2024年12月20日(金)14:00~16:00
会場:東大阪ローカル記者クラブ
作品:『ネートチカ・ネズヴァーノヴァ』1~3
連絡:080-3854-5101(小野)
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
2024年12月6日(金)読書会
『罪と罰』第3回
テーマ:「私の一推し登場人物&場面」
参加者が各自で、思うこと、気になる箇所など、きままに語りあいましょう。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
2024年10月読書会報告 10月11日(金)
作品 『罪と罰』2回目 報告者 徳増多加志さん
参加者12名。
哲学に詳しい報告者の博識に富む報告でした。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
編集室資料 1
非凡人と凡人の思想 人類二分法
典拠:ナポレオン三世(1808-1873)「ジュリアス・シーザー伝」
並外れた功績によって崇高な天才の存在が証明されたとき、この天才に対して月並みな人間の情熱や目論みの基準を押し付けるほど非常識なことがあろうか。これら、特権的な人物の優越性を認めないのは大きな誤りであろう。彼らは時に歴史上に現れ、あたかも輝ける彗星のごとく、時代の闇を吹き払い未来を照らしだす。・・・本書の目的は以下の事を証明することだ。神がシーザーやカルル大帝のごとき人物を遣わす。それは諸国民にその従うべき道を指し示し、天才をもって新しい時代の到来を告げ、わずか数年のうちに数世紀にあたる事業を完遂させるためである。彼らを理解し、従う国民は幸せである。かれらを認めず、敵対する国民は不幸である。そうした国民はユダヤ人同様、みずからのメシアを十字架にかけようとする。
編集室資料 2
芥川龍之介「侏儒の言葉」より
★ドストエフスキイ
ドストエフスキイの小説はあらゆる戯画に満ち満ちている。尤もその又戯画の大半は悪魔を憂鬱にするに違いない。
★自由意志と宿命と
兎とに角かく宿命を信ずれば、罪悪なるものの存在しない為に懲罰と云う意味も失われるから、罪人に対する我我の態度は寛大になるのに相違ない。同時に又自由意志を信ずれば責任の観念を生ずる為に、良心の麻痺を免れるから、我我自身に対する我我の態度は厳粛になるのに相違ない。ではいずれに従おうとするのか?
わたしは恬然と答えたい。半ばは自由意志を信じ、半ばは宿命を信ずべきである。或は半ばは自由意志を疑い、半ばは宿命を疑うべきである。なぜと云えば我我は我我に負わされた宿命により、我我の妻を娶めとったではないか? 同時に又我我は我我に恵まれた自由意志により、必ずしも妻の注文通り、羽織や帯を買ってやらぬではないか?
自由意志と宿命とに関らず、神と悪魔、美と醜、勇敢と怯懦きょうだ、理性と信仰、――その他あらゆるてんびんの両端にはこう云う態度をとるべきである。古人はこの態度を中庸と呼んだ。中庸とは英吉利語イギリスごの good sense である。わたしの信ずるところによれば、グッドセンスを待たない限り、如何なる幸福も得ることは出来ない。もしそれでも得られるとすれば、炎天に炭火を擁ようしたり、大寒にうちわを揮ふるったりする痩やせ我慢の幸福ばかりである。
★神
あらゆる神の属性中、最も神の為に同情するのは神には自殺の出来ないことである。
又
我我は神を罵殺する無数の理由を発見している。が、不幸にも日本人は罵殺するのに価いするほど、全能の神を信じていない。
★民衆
民衆は穏健なる保守主義者である。制度、思想、芸術、宗教、――何ものも民衆に愛される為には、前時代の古色を帯びなければならぬ。いわゆる民衆芸術家の民衆の為に愛されないのは必ずしも彼等の罪ばかりではない。
又
民衆の愚を発見するのは必ずしも誇るに足ることではない。が、我我自身も亦民衆であることを発見するのは兎とも角かくも誇るに足ることである。
又
古人は民衆を愚にすることを治国の大道に数えていた。丁度まだこの上にも愚にすることの出来るように。――或は又どうかすれば賢にでもすることの出来るように。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
連 載
「ドストエフスキー体験」をめぐる群像
(第116回)小林秀雄「ドストエフスキイ・ノオト」とベルクソン哲学⑦
引き続き「「罪と罰」についてⅡ」(1948)について
福井勝也
このところ読書会でも『罪と罰』を読み合っていて勉強になる。前回第2回目は、徳増多加士氏が「ソーニャとラスコーリニコフの対話場面の解読」ということで、三つの重要場面(「ラザロの復活」朗読、ラスコーリニコフ犯行告白、本編最後自首に至る三場面)について独自の読みを報告された。時間の制約から、主に最初の対話について参加者との議論がなされた。自分も司会ながら意見を述べたが、会終了後前前回「連載稿」の小林引用文章が思い出された。遅まきながら、ここで再引用させてもらう。
「両者の不断の烈しい対話が、この作者の生涯を貫く。而も、この両者は、各自の能力を行使しようとして、限りなく複雑に分化しようとする知性と、いよいよ単純に深化してゆく直覚との交叉に悩むのである。ここに現れる混乱と矛盾は凡そ徹底したものであって、この疑わしさの渦の中から、例えば、アリョシャが正しいかイヴァンが正しいかという様な問題を掬い上げる事は、殆ど児戯に類する。」
(「感想―ドストエフスキイのこと」(1946.11)、『全作品15』p.45-46、太字は筆者)
今回紹介文のポイントは下線を引いた場所で、限りなく複雑に分化しようとする知性(ラスコーリニコフ)と、いよいよ単純に深化してゆく直覚(ソーニャ)と思える両者だ。両者は本来水と油の関係で、片や「分化する」片や「深化する」特徴的な個性の運動体であって、特に後者は堅固な精神として表現されている。結局、後者が前者に侵入し、前者が変化し更生する可能性が暗示されて物語は閉じられる(「エピローグ」)。しかし、それ以前の物語では、両者は元々その「出来(性質、能力)の違う」登場人物たちなのだ。
そのように、ドストエフスキーは二人を描き分けた事が小説『罪と罰』の要点になる。そこには、「知性の人(ラスコーリニコフ)」と「直覚の人(ソーニャ)」の本質的差異が顕現している。結局、ラスコーリニコフとソーニャが「交叉」するということがあり得るならば、ソーニャがラスコーリニコフに侵入し、後者の潜在する「直覚」が甦るということだろう。「直覚」とは、「直観」と読み替えられるが、この場合「共感」とも「愛」とも言い得るだろう。そしてこのことを、小林はベルクソン哲学によって語っていると思う。
ここには、我々の宇宙を物質的傾向と生命的傾向の充満する世界と捉えるベルクソンの哲学が背景になっている。ドストエフスキー文学における「プロとコントラ(肯定と否定)」ということが指摘されるが、その前提をベルクソン流に言うならば、対照的な物質的傾向と生命的傾向の充満する宇宙の成り立ちにその根拠が求められよう。であれば、ここで小林はベルクソン哲学を流用しているように見えるが、実はそうではない。
そこでの真実には、ドストエフスキー文学とベルクソン哲学の「アナロジー(類似性)」を正確に見抜いた小林の慧眼が存在しているからだ。だから、恰もドストエフスキー文学がベルクソン哲学と対照されるように、小林はドストエフスキーを論じている。結局、それ程に小林はベルクソンと一体化し、その哲学を自家薬籠化したのだと言える。
そんな例示的表現は、小林の「「罪と罰」についてⅡ」に見つけようと思えば、更に発見することができる。小林は、主人公ラスコーリニコフに一体化することで、作者ドストエフスキーの思想哲学に最後まで迫ることができた。それが前回に紹介した、論稿最後の「光源と映像を同時に見る様な感覚の経験」であった。そこまで到達して、結語の聖書の言葉が末尾に迸り出たのだった。小林の批評は、ラスコーリニコフの心の奧深くに侵入することで、作者ドストエフスキーの心中にも限りなく接近し共感することが可能になった。言ってみれば、その批評を導いたのがベルクソンの哲学であったと思う。
それらのことを示していると思える箇所を、「「罪と罰」についてⅡ」からもう一つ引用してみたい。これも「エピローグ」を論じた第4章のほぼ最後に位置する。連なる言葉が緊密であり過ぎて、途中抜粋することの困難な小林の文章であれば、やはり長いものになってしまうが仕方ない。小林のラスコーリニコフ像が最後に披瀝されている。
「ラスコオリニコフを駆り立てた「デモン」は、否定的な破壊的な意志ではなかった。充たされる事のない真理への飢渇であった。彼の絶望は、其処から来るからこそ、癒し難いのである。彼は、日常の些事を侮蔑し、個々の事物の価値を知ろうともしないのだが、又、真理が一定の形を持ってやって来れば、もう彼には不満であり、それを乗り越えようとする。あらゆる所与は忽ち課題と変ずる。断っておきたいが、彼は決してそういう哲学者でもなし、彼の哲学的教養も言うに足りないのだが、作者が主人公をそういう哲学的気質として描いたという事は間違いない事である。序でに附記して置きたいが、遂に哲学者にならぬ哲学的素質、哲学者には無智と映る哲学的素質は世の中には無数にある筈だが、これらを哲学的システムによって真に凌駕する事は非常に難事であって、それは恐らく稀にしか現れぬ最高級の哲学的システムだけに可能な仕事だ。その事に気(・)が(・)附きたがらぬ(・・・・・・)事(・)、即ち大多数の哲学者等の凡庸さに他ならぬ。ラスコオリニコフの様な皮肉を知らぬ精神は、所謂懐疑派にも厭世家にもなる事は出来ない。(-中略-)彼等(凡庸な大多数の哲学者等、注筆者)に比べれば、ラスコオリニコフは、殆ど愚直と評してもいい。彼には、一切の目的は疑わしいが、或る言い現し難い目的、言わば自分が現にこうして生きているという事実の根源、或いは極限という謎は、あらゆる所与を突破し、課題に変じて前進する為に、どうしてもなくては適わぬ目的である。ラスコオリニコフは、認識が到るところで難破する事を確め、もはや航海の術もなく、自己の誠実さという内部の孤島に辿りつく。彼は、この孤島の恐ろしく不安な無規定な純潔さに、一種の残忍性をもって堪えようとした。この青年には、十七歳の作者の言葉が吐けたはずだ。新しい計画、発狂する事。作者は、愛する主人公に、己を分かたざるを得ないものである。」
(「「罪と罰」についてⅡ」、『全作品16』p.165-6、太字は筆者)
小林が論稿最後に明らかにしたラスコーリニコフとは、十七歳の青年ドストエフスキーに遡ることであった。それは人間の謎を探求しようと決意し、哲学的な素質を顕わにした作者ドストエフスキーの分身であった。ここで小林が拘っている哲学的素質が、小林自身の問題であったことも文学史的事実が明らかにしている。「蛸の自殺」という処女小説を書いた小林二十歳の青年期、神経症から「壁をなめた話」など伝説がある。間違いなく、小林はラスコーリニコフの青春を自身が経験してきた者であった。その時期小林が、哲学的素質を発揮し向かった先が、或る言い現し難い目的、言わば自分が現にこうして生きているという事実の根源、或いは極限という謎を問うことであったのは確かだろう。
そしてほぼ同時期に廻り合ったのが、ベルクソンの『物質と記憶』であったことは、本論稿の連載始まり(「通信201号」)に書いた。例の如く小林はここの引用でもベルクソンには言及していない。しかしこの後で指摘する、これら(哲学者にならぬ哲学的素質、哲学者には無智と映る哲学的素質)を哲学的システムによって真に凌駕する(‥‥)稀にしか現れぬ最高級の哲学的システムこそ、紛れもなく小林があの時期に出会い、生涯の縁を結ぶことになったベルクソン哲学であったことは間違いないだろう。
小林は「「罪と罰」についてⅡ」の最終部において、これらのことを明らかにしていると思う。ここで小林は、ラスコーリニコフと凡庸な大多数の哲学者を対照することによって、ベルクソンの哲学がラスコーリニコフの愚直な思索の延長に来た最高級の哲学的システムであることを明らかにした。そして小林秀雄は、ベルクソンの哲学によってその青春期に人生を救済された実感があったのだろうと、僕は推察している。
さて今回の主題からやや逸れるが、前回連載稿の終わりでも触れた予審判事ポルフィーリーについてもう少しこだわってみたい。この二人の対話(取り調べ)も真に興味深いもので、物語の進行に応じて合計三回行われている。元々今回作品を読み直して、一番気になった人物がポルフィーリーであった。それは、ラスコーリニコフの「犯罪論」(「ナポレオン思想」)を事前にしっかりと読み込んでいるのが彼であったからだ。それは取り調べのためであった。しかしその遣り取りが、意外に正確に辿られていないように感じられた。
ラズミーヒンの同席する一回目の対談から、誇張したラスコーリニコフの「犯罪論」(ナポレオン思想)なるものが、ポルフィーリーの口から語られる。ラスコーリニコフは、その都度苦笑いをして、その中身をなるべく正確に伝えようと努力しているのがわかる。途中こんな言い方がされる。「ぼくが書いたのは、かならずしもそんなんじゃないですよ」「(‥‥)ちがう点はひとつ、つまり、非凡人が、いつだってあらゆる無法行為をするべきだとか、しなくちゃならないなんてことを、ぼくはぜんぜん主張してません。そんな論文だったら、おそらく活字にならなかったと思いますよ。 ぼくはただ、ほんとうにあっさり、におわせただけです、『非凡人』には権利があるって‥‥つまり、公的な権利じゃありませんが、自分の良心に許可を与える権利を、ね‥‥それは、ある種の障害を踏み越える権利なんですが、それもただひとつの場合にかぎります、つまり、もし、その非凡人の思想の実行にあたって(ときにはそれが全人類にとって救済になるかもしれませんよ)その踏み越えが必要になるという、そういう場合にかぎります。」
(『罪と罰2』p.161、亀山郁夫訳、光文社古典新訳文庫2010.5、太字は筆者)
さらに、ここでの下線部分(引用者注)に絡んで、この少し後で友人のラズミーヒンがラスコーリニコフに鋭いツッコミを対話の急所に入れていると思う個所も引用しておく。
「いいか、ロージャ、これがじっさいにまじめな話なら‥‥むろん君の言うとおり、とりたてて新しくないし、それに似たような考えは、どこかでなんべんも読んだり聞いたりしてきたよ。でもな、いまの話には、ほんとうにきみだけのオリジナルがある、じっさい、恐ろしいことに、きみだけが言っていることがあるんだよ、それはつまり、きみがなんといっても、良心(・・)に(・)したがった(・・・・・)殺人を許容していることさ。それも、こんなこと言っちゃ悪いが、かなりくるってる感じでね‥‥ってことは、きみの論文のいちばん大事な思想もここにあるんだな。良心(・・)に(・)したがった(・・・・・)殺人をよしとするなんて、それって、おれからしたら、血を流すことをおおやけに法律で許可するのより、もっと怖ろしいことです」ポルフィーリーが同調した。(‥‥)「論文には、そんなことぜんぜん書いていないぜ、ちらっとほのめかしただけだ」ラスコーリニコフが言った。「そうでしたね、たしかにそうでした」じっとすわっていられずにポルフィーリーが口をはさんだ。
(同『罪と罰2』p.171~172、太字は引用者)
この時点で、ラズミーヒンはラスコーリニコフの論文を未だ読んでいないようだが、話題の急所を鋭く突いているのは確かだろう。問題は、良心(・・)に(・)したがった(・・・・・)殺人を許容するか否かにある。ポルフィーリーは、どっちつかずのあやふやな態度を取っていて、ラスコーリニコフはそんなことは論文に書いてないと、ここでも語っている。結局、真相は明かされない。
それとポルフィーリーとの対話で、ラスコーリニコフは「新しいエルサレム」「ラザロの復活」を信じていると言い、神も「信じています」と語る。この辺のラスコーリニコフの言葉の真実性と彼の「犯罪論」との関係をどう考えるべきか。当方がそんななかで、ポルフィーリーに注目したのは、ラスコーリニコフを最後まで「太陽になれ」と励ます存在であったことによる。苦しみを背負ってそれを通過することで、ラスコーリニコフの未来に更生した「新人類」の誕生を期待したのが、ポルフィーリーではなかったか。その点で流布されたラスコーリニコフの「犯罪論」「ナポレオン思想」には、権力的な選民思想とは別種な意味内容が含まれていなかったか。この点で、当方気になったのがベルクソンの『道徳と宗教の二源泉』で語られる「神秘家」「特権的な魂の人々」とラスコーリニコフとの関係であった。
この観点から「エピローグ」読み解きに資すると思われる文章を今回最後に紹介したい。偶々時期が重なって読み直していた清水(しみず)孝(たか)純(よし)氏(ドスト会の会員で、本年4月に94歳でご逝去された国際的研究者)の著作『ドストエフスキー・ノート -「罪と罰」の世界-』(1981)の一節に惹きつけられた。清水氏とはドスト会で何度かお話し頂いた程度なのだが、元々小林秀雄からドストエフスキー研究へと進まれた大先輩として尊敬してきた思いがある。さらに前掲書以前に既に書き上げられていた『小林秀雄とフランス象徴主義』(1976年、刊行は1980年)は、小林批評の淵源をフランス象徴主義文学に求め、それを緻密に論証した初期労作と言えよう。とりわけそこではヴァレリーと共にベルクソンを重視し論及されていて、当方近時評価すべき特別な著作だと感じてきた。偶然かつてサインも頂いていた。
さらに本著が、主に小林のドストエフスキー批評を対象とする論文集であってみれば、その後清水氏の長い研究者の出発点となった著書と言えよう。そしてそのことを直ぐ明らかにしたのが、第一回池田健太郎賞を受賞した本著『ドストエフスキー・ノート (1981)であった。今年亡くなられたこともあり、やや長めに清水氏故人に触れさせて頂いたが、以下残りのスペースで氏の「エピローグ」を論じた印象的な文章を引用しておきたい。
「こうして、この偉大な物語は、ラスコーリニコフが、幾度か自己をくぐり抜けて、深くかくされていた自我の基層ともいうべきもの、永遠にして普遍的生命に脈絡する大地的部分への到達によって終わります。作者は、最後に、ここで新しい物語が始まる、と記しています。 ところで、この小説において復活とは、自己の中に大地的なものを見いだしてゆく、ことなのです。それはわれわれの中に眠っている、われわれを超えた普遍的なるものですが、通常われわれには意識されもしない、見えもしないものなのでしょう。そこに深奧くラスコーリニコフが入って行けたのは、いうまでもなく、その妥協を知らない知力の行使によってなのです。そこには、確かに運命のアイロニーといったものが働いているのですが、この「エピローグ」の結末において発する新たな光が、本編に照射して明らかにするのは、そうしたアイロニーです。「エピローグ」でも、ラスコーリニコフの、ネヴァ河のほとりでの自殺への逡巡にふれ、「もうあのとき河のほとりに立ちながら、自分自身の中にも、自分の確信の中にも、深い虚偽を予感していたかもしれないのを、彼は了解することができなかった」という注目すべき言葉が記されています。流刑においても彼は自殺を敢行しえなかった自分を卑怯者と自嘲しますが、卑怯者と自卑によって、実は生命の道を歩いたのです。このように、本編は、復活の曙光の鮮やかな光が照射されることによって新しい意味がそれに与えられてゆくのです。 この視点に立ってみれば、なぜドストエフスキーが、真の解決を「エピローグ」に置いたかが明らかになります。本編においては、地上の裁きが、そして「エピローグ」では、それを超えた世界の裁きが扱われている、といえます。」(前掲著、Ⅰ『罪と罰』の構造、第二章『罪と罰』の筋を追って、p.199~200)
やはりスペースが尽きた。今年はここまでにする。では、良いお年を!(2024.11.8)
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
編 集 室
年6回の読書会と会紙「読書会通信」は、皆様の参加とご支援で続いております。
開催・発行にご協力くださる方は下記の振込み先によろしくお願いします。
郵便口座名・「読書会通信」 番号・00160-0-48024
2024年10月2日~2024年11月25日までにカンパくださいました皆様には、この場をかりて心よりお礼申し上げます。
「読書会通信」編集室 〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原敏彦方