ドストエーフスキイ全作品を読む会 読書会通信 No.202
 発行:2024.2.7


第320回2月読書会のお知らせ

月 日 : 2024年2月17日(土) 
場 所 : 池袋・東京芸術劇場小会議室5(池袋西口徒歩3分)03-5391-2111
開 場 : 午後1時30分 
時 間 : 午後2時00分 ~ 4時45分
作 品 : 『地下室の手記』(ド全集3河出書房新社)他
報告者 :  田尻 道宏さん
会場費 : 1000円(学生500円)



☆全作品を読む会4月読書会
日時:2024年4月20日(土)14:00~16:45
会場:東京芸術劇場小5会議室  
作品:未定

☆大阪読書会(第78回)
日時:2024年3月28日(木)14:00~16:00 
会場: 東大阪ローカル記者クラブ 
作品:『虐げられた人々』第3編



2024年2月17日 読書会 


作品:『地下室の手記』 
報告者::田尻道宏さん


『地下室の手記』要略 
埴谷雄高『ドストエフスキイ その「生涯と作品」』より

田尻道宏


『地下生活者の手記』は多くの批評家にドストエフスキ―の転機を示す重要な作品として認められています。その第一部は四十歳になった退役官吏のモノローグ。第二部は淫売婦とのエピソードという構成になっています。冒頭はこのように始まっています。

「私は病的な人間だ…私は意地悪な人間だ。私は人好きのしない人間だ。これはどうも肝臓が悪いせいらしい。」

そして、こういう見事な導入部をもっています。

「それにしても、ちゃんとした人間が心から満足しながら話すことができる話題というのは、そもそもなんだろう? 答は自分自身のことである。では、私もひとつ自分の話をしょう」

文学は、表面どういうかたちをとるにせよ、すべて自分の内面にかかわるのが鉄則でありますけれども、『死の家の記録』で描かれたように、外面から見ていくのとは違って、いきなり内面を覗くという手法をとったこの作品は、そのモノローグのすべてを「苦痛は快楽だ」という逆転したテーゼの適用と展開をもって押し通したところに際立った特色があります。

この地下生活者の提出している「逆転したテーゼ」、アンチテーゼというにはあまりに巨大で、どっしりとしていて、とうていジンテーゼへ向かいそうもないこの「逆転したテーゼ」を列記すると、こういうふうになります。

①意識しすぎることは病気である。ただにその過剰ばかりでなく、意識そのものがすでに病気である。

②そんなことをしていけないと意識するとき、私達は反対に醜悪な行動をする。美しいもの、高きものを意識するとき、私達は醜悪な行動をとる。

③私達は、しばしば自分の利益でない行動をとる。自分の利益でなく、不利を敢えて願うことがある。理性、名誉、安泰、平和にそむいて、あるときはそうでなければおさまらないのである。

④私達はなんといっても、破壊や混乱を熱愛しているのだ。

⑤歯痛や呻きは快楽である。一般的にいって、苦痛は快楽である。そして、後悔、屈辱の意識も快楽であり、絶望もまた快楽である。

⑥システムや抽象的な結論にこだわると、私達は自分の理論を生かすために、ともすればわざわざ真実をゆがめ、見えても見ず、聞こえても聞かずということになりがちである。

⑦法則、自然科学、数学は二×二が四であるが、私達は二×二が五を欲する。意識は最大の不幸だが、それを人間は愛し、何ものともとりかえないのであり、その意識こそが二×二が四の石の壁より高度なものなのだ、等々。

この『地下生活者の手記』は当時ロシアのインテリゲンチャによく読まれたチュルヌイシェフスキイの『何をなすべきか』への反駁以上のものがまぎれもなくあります。ドストエフスキ―自身は、兄ミハイルへの手紙のなかで、この地下生活者の?神的な言葉は、ひたすら「見せかけのため」に述べられたものだと書いていますが、「苦痛は快楽であるという逆転したテーゼにまでドストエフスキ―が達したことは、驚くべき力を内包した「見せかけ」といわねばなりません。

現実の苦痛は、ここでは、「苦痛は快楽である」という「見せかけ」とまったく同じ力をもつことになりました。私は、この時期のドストエフスキ―を「徹底した懐疑家」と呼びましたが、そこにはこのような驚くべき力のバランスがあることを指しているのでした。ある事柄に対する深い懐疑を表明するだけではひとりの懐疑家であっても、徹底した懐疑家とはいえないでしょう。ドストエフスキ―がポーリナとの恋愛を契機として「徹底した懐疑家」にまで達したのは、苦痛の現実と、苦痛は快楽である見せかけの二つをともにまったく同一の力をもったものとして、それぞれの方向の極点まで進めたことに由来するといえましょう。

ドストエフスキ―は、この時期の苦悩を通して、キリスト的であればあるほど同時に反キリスト的になり、もはや彼は現実をそのまま映す鏡ではなく、現実に思いがけぬ意味を与える種類の驚くべき作家として出発することになりました。そして、この時期に獲得されたこの不思議に徹底した懐疑の方法なくしては、キリストに対する大審問官も、ゾシマ長老に対するイヴァンもとうてい出現し得なかったといわねばなりません。



『地下室の手記』を読んで思ったこと


田尻道宏

(1)僕は、この小説の主人公は、人にはたらきかける力がなく、そのことに悩んでいると考えていました。
(2)自分の気持ちを打ち明けることが上手く出来ずに苦しんでいるのだと思っていました。
(3)自分の話を理解してくれる人がいれば助かるのかなと思って読んでいました。
(4)人と話をしているときも自意識に悩まされて、混乱し、自分の感情を人に届くように話すのが難しいと悩んでいると思っていました。

どれも平凡な感想かもしれません。

2回目にこの小説を安岡治子訳(光文社古典新訳文庫)で読みますと、僕の感想より、かなり上のレベルで悩んでいるかもしれないと思いました。もっと深刻で、怖い悩みであるかもしれないと。

江川卓訳をもっと力を入れて読めばよかったと思いました。

この主人公は、自分が孤独だということで悩んでいるのではなく、自分の思想を語るために口からでる言葉が人に通じないことに悩んでいるかもしれません。ランボーの詩でいう、「外道の言葉しか知らない」という表現が当たっているのでしょうか?

僕には、この作品を読解する力がないのではないかと思います。僕より深くドストエフスキ―の作品に親しみ、読み続けている方達の感想をうかがわせていただければ、僕もドストエフスキ―の作品にもう少しでも近づけるのかと思いました。




投 稿


「エビデンス主義」に掉さす『地下室の手記』


下原康子


わたしのドストエフスキー事始めは、二十歳のころ読んだ『地下室の手記』でした。冒頭から即のめりこんでしまいました。

「ぼくは病んだ人間だ・・・・・ぼくは意地の悪い人間だ。およそ人好きのしない男だ。ぼくの考えでは、これは肝臓が悪いのだと思う。もっとも、病気のことなど、ぼくはこれっぱかりもわっかちゃいないし、どこが悪いのかも正確には知らない。」(江川卓訳)

これは時空を超えた、まさしくブログです。ブログの主はひきこもりの四十男。孤独な空想家でうぬぼれの強い小心者です。全編が貧相なこの人物のモノローグで占められています。人恋しくなって友人の集まりにのこのこ顔を出して無視されたり、娼婦に高尚ぶって説教したら逆に自分の方が哀れまれたりする、そんな滑稽な男のなかに、わたしは自分自身を見出したのでした。一方で、それは、ずっと後になってから明確に認識できたことですが、この男の真骨頂は、エビデンス主義(自然科学、数学、統計学)に噛みつくあっぱれな毒舌にありました。

「諸君、二二が四だけ幅をきかすようになったら、もう自分の意志も糞もないじゃないか?・・・わたしはちゃんと知っている。自意識は、たとえば、二二が四などよりは、かぎりもなく高尚なものである。・・・諸君、二二が四というのは、もう生ではなく、死の始まりではないのだろうか。」(江川卓訳)

当時二十歳のわたしに深い思索があろうはずもなく、単にこの人物の気まぐれと天邪鬼が愉快でたまらなかった、とどのつまりは相性が良かったというだけのことですが、文学がもつ「アイロニーの力」を強く予感させてくれた、わたしにとっては記念すべき一冊になりました。「ひきこもりのバイブル」として推奨したいと思います。ともあれ、この作品のおかげ世界文学の敷居がぐんと低くなったのは確かです。



参 考 1


『地下室の手記』の翻訳 
 

江川卓訳『地下室の手記』新潮文庫
中村融訳『地下生活者の手記』角川文庫
水野忠夫訳『地下室の手記』世界文学全集(集英社 1970年)
米川正夫訳『地下生活者の手記』『ドストエーフスキイ全集 第5巻』河出書房新社
小沼文彦訳「地下生活者の手記」『ドストエフスキー全集 第5巻』筑摩書房
安岡治子訳『地下室の手記』 光文社古典新訳文庫
亀山郁夫訳『新訳 地下室の記録』 集英社



参 考 2


☆ChatGPT(3.5)に質問してみました。 


『地下室の手記』第2部「ぼた雪にちなんで」に登場する娼婦リーザと地下室人の内的告白を詩にしてみてください。(質問者:下原康子)


リーザの詩 (ChatGPT)

残忍な世界に蝕まれて
ぼた雪の街、私の舞台
夜に纏いし憂いのドレス
娼婦の心、静かに泣く

闇に彷徨い、愛を求め

身体の欠片、値札に換え
鏡に映る、疲れ刻まれ
心の叫び、誰も聞かず

触れる手は、温もりを知らず
愛されずに過ごす孤独の日々
ぼた雪の下、足跡消えて
夢さえも、凍てつく寂寥

傷だらけの心、優しさを夢見
愛の欠片、手に触れぬまま
ぼた雪の夜、影に消えて
娼婦の詩、誰にも聞かれず


地下室人の詩(ChatGPT)

冷たい壁に抱かれし地下の底
哲学の闇、孤独に舞い
ぼた雪の下、足跡消えぬ
心の奈落、絶えず広がる

虚栄の舞台、儚き夢に囚われ
魂は憎悪と葛藤の中
嘲笑う笑み、生きる意味を問う
ぼた雪の夜、静寂に包まれ

自由なる精神、重くのしかかり
愛に縛られぬ身、解き放たれず
鏡に映る、歪んだ姿
娼婦の詩、胸に秘めし哀しみ

理性の狭間、独り立ちし者
ぼた雪の闇、真実の裏に潜む
自虐の笑み、心の底から湧き上がり
地下の手記、悲哀の響き




12月14日読書会報告
 

作品は『虐げられた人々』でした。参加者11名。一回では収まり切れないほど内容の濃い報告に触発され、活発な意見が交わされました。



全作品を読む会「読書会」『地下室の手記』報告の記録


☆1972年 第21回第22回『地下生活者の手記』 報告者 斎藤俊雄 (『場Ⅱ』)
☆1983年 『地下生活者の手記』1回目報告者 高梨 2回目 高梨 (『場Ⅳ』)
☆2005年10月読書会 『地下室の手記』1回目 参加者フリートーク
☆2005年12月読書会 『地下室の手記』2回目 フリートーク
☆2006年2月読書会 『地下室の手記』 フリートーク
☆2006年4月読書会 『地下室の手記』『地下室』『悪霊』について 亀山郁夫氏講演
☆2014年4月読書会 『地下室の手記』報告者 近藤靖宏
☆2014年6月読書会 『地下室の手記』報告者 前島省吾
☆2014年8月読書会 『地下室の手記』報告者 国枝幹生
☆2024年2月読書会 『地下室の手記』 報告者 田尻道宏 



連 載

「ドストエフスキー体験」をめぐる群像


(第111回)小林秀雄「ドストエフスキー・ノート」とベルクソン哲学 ②  
-《「地下室の手記」と「永遠の良人」》(s.10)とシェフトフ論争 -

福井勝也


前回から仕切り直しでもないが、小林秀雄のドストエフスキー作品論を順に論じてゆく予告をした。そしてその際、小林のドストエフスキー体験に併走したと考えられる、ベルクソン哲学と現代物理学への関心に配慮した新たな読解を試みたいと述べた。

この間の前回読書会、徳増多加志氏報告の『虐げられた人々』(1861)では、問題点を総ざらいするような丁寧な資料と刺激的な報告を頂いた。作品を精読する良い機会となり、新鮮な読後感(作家全創作の転機を予兆し、『地下室の手記』『罪と罰』への踏切板的作品)を得た。更に今回読書会が、『地下室の手記』(1864)ということで、本連載にとって波長の合った廻り合わせも感じている。文学史的通念に囚われぬ作品熟読を第一に本稿に取り組みたい。実は小林の批評文学こそ、この熟(愛)読に支えられていたと思っている。

この時期、小林のドストエフスキー読解は二本立ての構えで書き始められた。この点については、前田英樹氏のベルクソンの根本的思索方法に準拠したと思われる指摘-小林の批評方法とは、対象の徹底した巧みな質的分割にあり、それがドストエフスキー論の始まりには、<生活>の(問題形成)と<作品>の(回答)によって二分割となって顕現した。(『定本小林秀雄』2015.3)がある。なお当論考は、本書から根本的な示唆を頂戴している。

小林のその一本が『ドストエフスキーの生活』(s.14.5)で、数年の連載(s.10~s.13『文學界』~ s.14『文藝』)を経て、最後に「序」として「歴史について」が付され、早々と単行本(創元社)として刊行された。もう一本が、自身が「ドストエフスキーに関するノオト」と称した数多の「作品論」であり、既にこの頃『生活』に前後して発表され始めていた。

その最初の作品論が《「永遠の良人」》(s.8.1月号「文藝春秋」)で、感想風の読書記スタイルで、当初題名は「手帖」として発表された。これを作品論の嚆矢とするのは、後に何度か小林全集が刊行された際、昭和42年版以降《「永遠の良人」》と改題されたことによるらしい。この点を含め、今回本稿を記すにあたっては『ドストエフスキイ全論考』(s.56.11.25講談社)を参照させて頂いた。なお本書巻末には、編集者の郡司勝義氏による「解題」の詳細な付記がある。それによれば、実質的な最初の作品論として《「未成年」の独創性について》(s.8.12月号「文藝」)が挙げられている。その理由と前提になる事情が語られ重要だと思うので、やや長目だが以下に郡司氏の注釈を引用しておきたい。

「(「未成年」論が、注)本格的論文となっているのは、(小林の、注)対象への傾倒が一段と深まってきたことを示している。(改行) 昭和七年六月の「現代文学の不安」では、今度こそ本当にドストエフスキイを理解しなければならぬ時がきた、とみずからの意志を表明していた。それを受けるように「永遠の良人」について書かれたのは昭和八年の一月であり、そのすぐあと五月の「故郷を失った文学」には、米川正夫氏の訳により『未成年』を再読した旨が記され、この論文の書かれた動機の一端がもらされている。それによれば、その思想によってでもなく、哲学によってでもなく、ましてや宗教によってでもなく、実に「自意識」の問題によって、ドストエフスキイの世界への突破口をきりひらいたことが窺われるのである。」(前著解題、p.522-523、太字は福井)

この郡司氏注釈が重要だと思うのは、小林が本格的にドストエフスキーに向かい合おうとした時期がほぼ確定できること、その前提の事情が「現代文学の不安」や「故郷を失った文学」など同時期の時評文によって既に「ドストエフスキー問題」として言及されたこと、そしてこの時期それらの問題が《「永遠の良人」》や《「未成年」の独創性について》の作品論と結び付いたことだろう。さらに、そのことで切り開かれたドストエフスキーの世界が小林には「自意識」の問題として認識されたこと、その中身の考察が重要であろう。

これらからまず注目すべきは、作品論として小林が注目した最初の作品が「永遠の良人」であったことだろう。しかしその発表形式が読書感想風であったとかで、今回問題にする《「地下室の手記」と「永遠の良人」》(s.10.12月~s.11.4月)で、「永遠の良人」の再論が試みられようとした。それで実際に《「永遠の良人」》から読んでみると、文量もあって、作中人物への洞察も深くなされていて、作品論デビュー作としては十分評価できる内容に読めた。同時にそれは、この時期の小林がドストエフスキー作品論を開始する宣言文として新鮮に感じた。試しに冒頭の一部を引用してみよう。「言ふ迄もなく、甚だ陰惨な読書だが、かういふ小説にくらべれば、現代日本の小説、まづ大概のものは多少屁みた様なものだと思ひ到り、下痢がうまく利いた時の様にさばさばした気持ちになる」。確かに研究者風の「作品論」から逸脱した物言いなのかも知れないが、文芸批評家で時評家でもあった小林秀雄の面目躍如の「ドストエフスキー作品論」の始まりとして好感を持った。

そしてその数年後に書かれた《「地下室の手記」と「永遠の良人」》は、何回かの連載稿後、文末に「(未完)」と付記された作品論の第一号となった。結果、拘りを見せた「永遠の良人」は再論されることなく、「地下室の手記」のみが論じられることになった。しかしその内容は、独自の完結した「地下室の手記」論として画期的な論稿であったと思う。後に分かることだが、小林の繰り返えされる「地下室」論の原形は、ここにできあがっていた。それは例えば戦後の「罪と罰」論にも、その始まりの部分でそれを発見することができる。当方は、この「地下室」論を高く評価したいと思う。小林に、何故このような論稿が書けたのか。

その一つのやや複雑な廻り合わせが、レオ・シェストフの『悲劇の哲学』(原題は「ドストエフスキーとニーチェ・悲劇の哲学」1903年発表、1924年独語訳、1926年仏語訳、1934年・昭和9年1月、河上徹太郎、阿部六郎による邦訳、芝書店)の本邦出版であり、その際にシェストフ・ブーム、シェストフ論争と呼ばれたジャーナリズム現象へと発展した。

小林自身も本書出版後の比較的早い時期に「レオ・シェストフの「悲劇の哲学」」(文藝春秋・昭和9年4月号)を発表している。そして、この昭和11年春頃まで連載された《「地下室の手記」と「永遠の良人」》での「地下室論」は、この間のシェストフ論争を総括する内容にもなった。三木清、藤原定、小林秀雄、河上徹太郎、青野季吉、阿部六郎、板垣直子、戸坂潤。今ここに列挙した者たちは、現在『現代日本文学論争史 下巻』(2006.未来社新版)「シェストフ論争」の項目で、その論文が読める者たちである。実際にそれらを読んでみて、確かに論戦と称すべき内容は余り感じられない。ただし哲学者の三木清が議論を先導したか、彼だけ二本の論稿が掲載されている。どちらにせよ、その程度の「論争」であった。

しかし同時に、ドストエフスキー文学とりわけ『地下室の手記』という作品受容について言えば、シェストフの本著は、これまでにないドストエフスキー文学の影響力を本邦に広めた文学史的事件であった。何よりその要因をつくった、河上徹太郎や小林秀雄において深い痕跡を残した。但しそのことは、シェストフの「悲劇の哲学」が、小林や河上に丸ごと容認されたことを意味していないことも注意すべきだろう。
 しかし一般読者には、かえって一般通念化した「シェストフ的問題」が世相的影響を及ぼし、『地下室の手記』の読まれ方、その後の日本人のドストエフスキー受容に半ば誤解を生んだ。それには、この時期の左翼転向問題が拍車をかけた。今回シェストフの本著(近田友一訳、現代思潮社版古典選書1976)や関係書籍を読んで、改めてそんな感想を抱いた。

なお小林に限っても、この時期のシェストフへの言及は思ったより多く、その本音が様々に語られていることが重要だろう。例えば、横光利一と広津和郎の近作を論じた「『紋章』と『風雨強かるべし』」とを読む」(s.9.10月、「改造」)では、シェストフに対する小林の率直な理解(立場)が示されていて、奥行きのある表現として読んだ。引用しておきたい。

「シェストフの表現に悪い意味で文士風なところが目に附いて気懸かりだ、と三木氏は書いていた、ちょっとした言葉だが、なかなか興味がある。三木氏に限らず哲学専門家があれを読むとみんなそんな事を言いそうだからである。僕は近頃必要あってロシヤの歴史をいろいろ読み、ロシヤの文化というものがいかに若いかという事を痛感した(おそらくこれは、この時期の「ドストエフスキイの生活」連載の執筆に関係した事実だろう。注-福井)。ドストエフスキイとフロオベルとが同じ年に生れ殆ど同じ年に死にながら、いかに異った環境に生活したかを了解した。(中略-この部分には、ロシアの歴史が西欧のように文芸復興も宗教改革も経験せず、何でも彼でも自分一人で戦わねばならなかった知識人の姿として語られていた。注-福井)恐らくこれはシェストフの場合でもあまり変らなかったろうと思う、彼も亦哲学のない場所で生き生きと哲学を考えた一人なのだ。僕は彼のそういう処に一番惹かれるのである。彼の論理は結局の処は単純だろうし、又曖昧でもあるだろう。然し彼の哲学の生とか死とか善とか悪とかいう概念は実に殆ど子供の使う言葉の様に大胆で純粋なのである。トルストイやドストエフスキイの小説に文学以前の荒々しい情熱が感じられる様に、僕はシェストフの論文から哲学以前の息吹きを感ずる。それをニイチェの所謂文士臭があるなどと言うのは、こっちが何処かしゃら臭いのである。哲学的に衰弱しているのだ。恐らくシェストフは文学と哲学との対立する世界で仕事をはじめた人ではない。彼の教養には専門化を知らぬ野生がある。彼は悲劇主義者でもなければ、不安の宣伝家でもない。ただ当時の社会不安のなかに大胆に身を横たえた一人の男なのだ。そこから彼の哲学は由来しているので、彼の哲学には批評家の餌食になる様な結論もシステムもないのである。(改行)だが身を横たえるという事は、どんなに難しい事だろう。誰が何んといおうが一番強い生活の不安の上に、不安がなければインテリ面が出来ない態の様々な段階の不安がある、又その上に色々な信念がお互いに喧嘩している。そういう処へごろりと横になるということは。」
(「『紋章』と『風雨強かるべし』」『小林秀雄全作品5』所収p.222~223、太字は福井)


ここでは、不思議な程に小林はシェストフに寄り添おうとしている。それは「ドストエフスキイの生活」を書きながら小林がシェストフに出会い、19世紀のロシア知識人(但し、シェストフは1866年キエフのユダヤ人の家に生まれ、ロシア革命後1920年にロシアからフランスに永住、1938年パリで死去)の根底にある心の真実を両者に感じたからだろう。

そして更に言えば、小林がシェストフの「哲学以前の哲学的思考」に感知したものこそ、ベルクソンが伝統的西欧哲学の盲点を発見した根本的思索を小林に連想させていないか。
しかし無論これだけの読み取りでは、小林のシェストフ紹介、『悲劇の哲学』評価として不十分なことになる。それで手にした関連書籍《ドストエフスキイ『地下室の手記』を読む》(リチャード・ピース著、池田和彦訳、高橋誠一郎編2006.4)に付論としてあった池田和彦氏の論稿、「日本における『地下室の手記』-初期の紹介とシェストフ論争前後」を再読させて頂いた。改めて、論者の小林に関する叙述、説明の正確さを感じた。上述した小林の文章と是非併せて読むべき論稿だと思った。ここに引用させて頂く。

「小林のシェストフ観の特徴は、シェストフの描くドストエフスキイ像がニーチェに無理に近づけられ、シェストフの言うドストエフスキイの「信念更生」の劇がシェストフ一流の創作であるとする点である。(*1)そして、「地下室人」の独白に作者の思想的表現を見ることを否定し、むしろ解体された自意識、自我の表現となっている点に注目する。すなわち、驚くべきは「地下室の思想」ではなく、そこに表現された自我の形の新しさ、現代性にあると言うのである。(*2)そのため合理主義の「壁」と個人の自由をめぐる問題をはじめ「地下室人」の提起した問題についてはあまり重要視していない。シェストフの影響についても、「読者に切羽詰まった観念的な飢渇のない場合、影響という事は本当には考えられない」、と否定的であった。(*3)「転向」や「不安の時代」という同時代の空気にいわば背を向けた読み方をするのである。(改行)もちろん小林は「レオ・シェストフの『悲劇の哲学』」の結びで、「何故に作家のリアリズムは社会の進歩なるものを冷笑してはいけないのか。(中略)現存するあらゆる愚劣、不幸、苦痛を、未来のゆえに是認することを肯ぜぬリアリズムの精神の上に、果して社会の進歩が築かれ得るか」、(*4)と書いたように、「地下室人」やイワン・カラマーゾフの問うた問題と同時代の社会主義運動、プロレタリア文学との関係を十分認識していた。しかし、河上と同じく唯物史観に否定的だった彼にとって、この問題に関する歴史の進歩の信奉者の苦悩は自分の問題たりえなかった。そこに、小林とのちにいわゆる戦後文学を担っていく世代との溝があった。」 (前掲著付論の「池田論文」p245~246、(*)は注記個所、太字部分は福井)

なお途中本文には四個所の注記(*)があって、中には「『紋章』と『風雨強かるべし』」からのものもあり(*3)、改めて的確な出典紹介と精密な目配りがなされていると感じた。注記(*4)では、戦後の「『罪と罰』」論(1948)から、「小林自身『地下室の手記』」の重要性に気づいたのがシェストフによってであることを認めている。しかし、「地下室人」の語る言葉の意義を認めず、ドストエフスキイとのつながりを否定する点は変わっていない」。との簡潔な総括的コメントが付されている。

さて本稿の目的は、この時期の小林の「ドストエフスキー・ノート」(作品論)に、ベルクソン哲学と現代物理学への関心を読み取ることであった。当方の見方によれば、いよいよそのことが、《「地下室の手記」と「永遠の良人」》(s.10)の「地下室論」において、明らかに語られ始めたと思った。そして、シェストフの『悲劇の哲学』が小林にそのきっかけを与えたと直感された。ただし、シェストフが『悲劇の哲学』で語る「地下室論」は、ドストエフスキーに精通した小林には、その「誤読」を容易に指摘できた。しかし同時に、シェストフが『悲劇の哲学』で「哲学」を語るその「語り口」には、小林は深く共感した。それはシェストフが、ドストエフスキーが作品を生み出す同じ精神を共有していたからであった。

結局小林は、この「地下室論」(作品論)で、新たに自分の「地下室人」を語リ始めることができた。そしてこの際に、小林の作品理解を実質的に助けたのがベルクソンの哲学と現代物理学であった。その前提には、シェストフが(ドストエフスキーが)実践した、「一番強い生活の不安の上に、身を横たえる」、その経験に対する小林の直観が働いた。

残念ながら(幸いにも?)、「シェストフ的不安」を表層で受け入れただけの、あの時代の日本人には、シェストフの真の影響はありえなかった。結局ジャーナリズムの「シェストフブーム」として終わった。しかし、小林はその「地下室論」において、その正確な刻印を表現として残した。小林は、何を「地下室」に読み取ったのか。その部分を引用してみよう。

「彼(「地下室人」、注)の意識には枠がない。枠のなかで観念や心理像が運動する光景は、「手記」の何処にも描かれてはいない。読者に明瞭なものは、意識の流れに関する見取図ではない、寧ろ意識の流れる音である。かかる心的状態は意識とか心理とか称するより寧ろ可能的行動と呼ぶ可きものだろう。あらゆる行動の契機を見失うことは、凡ゆる行動が可能だという事に他ならない。「手記」の第二部に描かれた、主人公の数々の行為が、すべて明確な動機を持たぬ、無償の行為である事に注意を要する。

シェストフは、「地下室の手記」を機として、「理性と良識との時代が終り、心理の時代という新しいが時代が始った」という。併し、「地下室の男」の人間像は、心理とか観念とか性格とか行為とかいう様な言葉で捕らえられる凡そ実体的なものから成立してはいない。こういう分析的な言葉が意味を失う様な、生活の中心に彼は立っている。僕は、この作品を神秘化して語るのではない。この作品の率直な印象は、主人公の絶対的身振りだけだと書いた所為なのだ。

ファラディ、マックスウェルの天才以来、実体的な「物」に代って、機能的な「電磁的場」が物理的世界像の根柢をなすに至ったのは周知の事だが、この物理学者等の認識に何等神秘的なものが含まれていない様に、ドストエフスキイが、人間のあらゆる実体的属性を仮構されたものとして扱い、主客物心の対立の消えた生活の「場」の中心に、新しい人間像を立てた事に、何等空想的なものはないのである。」
(《「地下室の手記」と「永遠の良人」》小林秀雄全作品6』所収p.254~255)

ベルクソン哲学に親しんだ者なら、ここの文章の始まりの数行を読んで、その第一主著『意識の直接与件に関する試論』(別の邦題、『時間と自由』)をイメージしない者はいないはずだ。それは、小林が「意識の流れる音」に愛着しているところに特に表れている。さらに小林は、シェストフに析出された「地下室人」の人間像の心理主義的な理解の誤認を指摘する。それは、ベルクソンが同じ第一著書によって既に論証してきたことだからであろう。

しかしなおそれでも、シェストフが「悲劇の哲学」という「哲学」に拘るとしたら、その新たな「哲学」を生み出した「生活の中心に彼(も)立っている」ことによるためだろう。そのことに、シェストフに真に寄り添った小林はおそらく気が付いたのではなかったか。

そして小林の「地下室論」が画期的なのは、ベルクソン哲学が、物質の究極を極める現代物理学と並置すべき、人間精神の真実に迫る直観の哲学であるという、その前提を見抜いたからだろう。とすれば、そこに現出する新たな生活の「場」の中心にある、われわれ人間はどうなるのか。小林は、それを描いたのが『地下室の手記』(第二部)であると見抜いた。

小林は、ベルクソン哲学と現代物理学の知見から、新しい人間像を発見し、それを通してドストエフスキーの作品を読み抜いたことになる。実は、このことは実質的に最初の作品論であった《「未成年」の独創性について》の主人公アルカージイへの小林の着目において、既に意識され発見されていた。本稿の始まり、郡司氏の解題における「ドストエフスキーの世界への突破口をきりひらいた「自意識」の問題」とは、実はここで明らかにされたベルクソンの「持続」の哲学によるものだった。小林は『未成年』の「独創性」も発見した。
                     (2024.1.14、70歳誕生日に記す)



新 刊
 

藤倉孝純著『魂の語り部 ドストエフスキ―』 作品社2023.12.8
偉大な作家の始原とは何かに迫る渾身の文芸批評!

著者の藤倉孝純さんから以下のお手紙をいただきました。

私は長年にわたって慢性腎炎の治療に努めてきましたが、薬による治療では腎臓の悪化を止めきれず、本年三月、病院でOPを受け透析治療を続けております。一日3回透析液を交換する暮らしです。そんな苦しい生活のなか、非才を顧みず、ようやく一書の出版にこぎつけました。拙著はドストエフスキ―がロマン主義美学から離れ、人間の内奥へ眼をそそぐに至るプロセスを、マイナーな作品を手掛かりに論及したものです。

藤倉さんは、混迷の20世紀後半、読書会世話人として読書会継続に尽力くださいました。
2月17日、2月読書会当日、静岡県伊東市から参加くださいます。

本書は、当日、会場にて販売致します。



編集室


本年もよろしくお願い致します

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