ドストエーフスキイ全作品を読む会 読書会通信 No.199 発行:2023.8.10
第317回8月読書会読書会のお知らせ
月 日 : 2023年8月26日(土)
場 所 : 池袋・東京芸術劇場小会議室5(池袋西口徒歩3分)03-5391-2111
開 場 : 午後1時30分
時 間 : 午後2時00分 ~ 4時45分
作 品 : 「弱い心」(ド全集2河出書房新社)他
報告者 : 梶原公子さん
会場費 : 1000円(学生500円)
全作品を読む会10月読書会
日時:2023年10月14日(土)14:00~16:45
会場:東京芸術劇場小5会議室
作品:未定
第76回 大阪読書会
日時:2023年9月29日(金)14:00~16:00
会場: 東大阪ローカル記者クラブ
作品:『虐げられし人びと』
連絡:080-3854-5101(小野)
8月読書会
作品『弱い心』
1848年2月 『弱い心』祖国雑報で発表
報告者は梶原公子さん。
以下の著作を書かれています。
「ドストエフスキー作品における「聖痴愚」への一考察」梶原公子
『静岡近代文学36』静岡近代文学研究会 2021.12
『弱い心』について (2023年8月26日)
梶原公子
1、 作品の背景
1848年の作品 ドストエフスキー27歳 ペトラシェフスキーサークルに出入りしている。シャルル・フーリエ(仏)のユートピア社会主義に傾倒していく。
同年に『ポルズンコフ』『白夜』などを執筆
2、 本作への関心、疑問
① 主人公ワ―シャはなぜ発狂したのか?
② 親友のアルカージーがネヴァ川河畔で発見した新しい、奇怪な考えとは何か?
上記の疑問と重なるが、親友アルカージーは、ワ―シャの発狂後生まれながらの快活さをなくし、面白みのない陰気な人間になったのはなぜか?
③ 本作品から読み取れるドストエフスキーの思想とはどのようなものか?
3、 上記の関心から、作品中の人物の台詞や描写を拾ってみる。
主人公ワ―シャの性格描写
「僕はこんな幸福を受ける資格なんかありゃあしない!ぼくにはそれがわかるんだ。それなのになんだってこんな幸福が授かったんだろう!」
「この世にはどれだけの人間が、どれだけ涙を流し、どれだけ悲しみに耐え、どれだけ日の目を仰げないような灰色の生活を送っていることだろう!」
「僕は肉体的欠陥を持って生まれてきた。体が少し曲がっている」
アルカージーによるワ―シャの観察
・ 羽目を外しやすい。
・ とりわけ激しやすい。世間のことや実際の生活を全然知らない。
・ 苛立ちやすい。
「君は人がいい、実に優しい男だ。しかし弱いね。許しがたいほど弱い男だよ」
「君は自分が幸せなもんだから、みんながそれこそ一人残らずみんなが一度に幸福になればいいと考えているんだ。君は自分一人だけ幸福になるのがつらいんだ。心苦しいんだ」
ワ―シャのアルカージーに対する言葉
「君は知らないだろうが、君の愛情さえも僕にはやりきれなかったんだぜ…君がそれほどまでに僕を愛してくれているのに、僕はそれに対して何一つ恩返しできず…」
「僕はこの世の誰にも、誰に対してもいいことをしたことがなかった。することができなかったんだよ・…。それなのにみんな僕にいいことをしてくれるじゃないか・…」
「僕は自分の幸福を台なしにしてしまうに違いない!…」
「僕の罪だ、僕の罪なんだ」
このあとワ―シャは気を失ってしまう。
上記のワ―シャの言葉に対するアルカージーの思いはこう述べられている。
ワ―シャは自分自身に対して自分を罪びとだと感じている。彼は運命に対して自分を恩知らずだと思っている。
ワ―シャは幸福に圧倒され、幸福に強いショックを感じて自分はその幸福に値しないと思い込んでいるのだ。
上司ユリアン・マスターコヴィッチのワ―シャに対する言葉
「人間一匹感謝のあまりで気違いになるなんてことがあるのだろうか」
「何でもないことから人間一人身を滅ぼしたことになる」
4, 主人公ワ―シャはなぜ発狂したのかについて、評論の解説を見てみる。
中村健之介『ドストエフスキー人物事典』(2011 講談社学芸文庫)による
「幸福という恐怖」に追い詰められて狂気に逃げた。
「みんなの幸せ」という究極の理想に憧れたが、いざ実現しそうになった時、同時にその可能性を壊したくなる心理というものがある。幸福もまた人によっては、恐怖や苦痛に変わりうる。
このとき、ワ―シャはあまりにも自分が無力で小さな存在であることをまざまざと感じた。コンスタンチン・モチュリ―スキー『評伝ドストエフスキー』(2000 筑摩書房)による
弱い人間は、自分には過ぎた幸福がみないちどきに降りかかると、それに耐えきれず気がくるってしまう。→自分はそれに値しない人間だという罪の意識から。
社会的に抑圧された人間には、劣等感が生じていて、良心が鋭くなるとそれは罪の意識になりやすい。
5, 親友のアルカージーがネヴァ川河畔で発見した新しい、奇怪な考えとは何か?
・ ふと何か奇怪な想念がおとずれた。
・ いまこそ何か新しい事実を見破ったようであった。
・ その後アルカージーは気むずかしく面白くない男になり、快活さはすっかり失ってしまった。
この記述について中村健之介は次のように述べている。
「何気なく夕日を眺めていたり、夕日の斜めの光線を身体に受けたりしたときに、明朗から憂愁へ、また暗から明に転換する例が最も多い」
「人間は景色を眺めていただけでも身震いするような、ある強い衝撃、あるいは予期しなかった感触に襲われて、突然自分も世界もそれまでとは一変してしまった、と感じることがある。つまり、ワ―シャは「幸福という恐怖」に追い詰められて狂気に逃げた。
↓
ワ―シャのこの変化を見て、アルカージーは「発見した新しい」「奇怪な考えが想起された」
ことになる。
しかし、ワ―シャが狂気になったこととそれだからアルカージーが「面白みのない陰気な人間になった」こととの因果関係がいま一つ明確に語られず、理解しづらい。
6、本作品から読み取れるドストエフスキーの思想とはどのようなものか?
モチュリ―スキーは「人類の幸福」「地上の楽園」はドストエフスキーのイデーであった、と述べている。作家と同様にこの理想を抱いていたワ―シャは幸福から狂気に身を隠した。→「人類の幸福」という理想に絶えられなかった。
最後の作品『カラマーゾフの兄弟』でも、イワン・カラマーゾフが同じ「理想」をアリョーシャに語って聞かせる場面がある。だが、イワンはワ―シャとは違い、誇り高くそれ「人類の幸福」を放棄し「自分の切符を返上する」と言う。ドストエフスキーは20代の時から30年以上、同じ「理想」を持ち続けてきた。
報告者コメント
① 本作品は「分不相応な幸福が人を狂気に追いやる」という概念が、作者によって設定されている。このことを作品でどのように展開していったのかが興味深い点である。
アルカージーは、自分はワ―シャのような弱気な人間ではない、快活である。だからワ―シャを支えてあげられると思っていた(信じていた)。だが彼は、人が人を支え続けることができない結果を目の当たりにする。ワ―シャの性格、考え方を知り抜いていたにもかかわらず、ワ―シャが狂人になることを防げなかった。
ワ―シャが狂気になる姿を見たとき、自分(アルカージー)もワ―シャと根本的にはあまり変わらないのではないか、という想念がネヴァ河畔で夕日を見ているときに沸き起こった。自分アルカージーもワ―シャもあまりにも無力な人間であることをまざまざと感じた。ということは、多くの場合分不相応な幸福に直面した時、やはり狂気に逃げるのではないか、という考えが「奇怪な想念」となって想起された、というとことではなかろうか。「人類はみな幸せになる(なるべきである)」ということは、婚約者リーザが言うように「あたしたち三人揃って一人のように暮らす」という「理想」であるが、これは無邪気な感激に過ぎないという事実に至るのである。
人生は高邁な「理想」を掲げることなく、ごく現実的な生き方をしていったほうが結局幸せなのではないか。分相応な、ほどほどの幸せが良いのだ、という「想念」である。この「新しい事実」がネヴァ河を見ているときアルカージーに想起された。だから彼は快活さを失い、気むずかしい、面白みのないごく普通の人間に変わってしまったのではなかろうか?
② なぜ、アルカージーは面白みのない人間に変わったのか?
アルカージーとワ―シャの関係からみると、ワ―シャは身体障がいがあることを負い目に感じている。また、精神的に弱い面があることも。それに対してアルカージーは快活で行動力があり、心身両面でワ―シャが社会で一人前に生きている支えになっている。アルカージーは常にワ―シャよりも優位に立っており、必要でなくてはならない存在だと、両者とも思っていた。
ところで、ある障害者に関する文章を読んだとき「する/される」関係という言葉が出てきた。障害者はサポートされる側であり、健常者はサポートなどをする側として語られることが多いが、これは問題ではないか、と。『弱い心』でもワ―シャはされる側であり、アルカージーはする側、と捉えられがちである。
だが、よく読むとワ―シャは上司から目をかけられ、婚約者もできる。この事実はワ―シャにはある種の人間的魅力があること、いうなれば「人格者」ではないかと思われる。ワ―シャはアルカージーにはないものを持っていた。だがこのことはワ―シャ自身にその自覚がなく、アルカージーにもなかった。それどころか過分な任務や美しい婚約者ができたことが重荷になり、とうとうワ―シャは狂気に陥ってしまう。
ワ―シャが病院に連れていかれ、彼がいなくなった時初めて、アルカージーは自分にとってワ―シャは必要不可欠な存在だったことに気がつく。その時彼は「する・される」関係が逆転しうることに気がついた。自分はずっとワ―シャを支える側だと思っていた。ところがワ―シャがいなくなってみて初めて、自分もまたワ―シャに支えられていたことに気がついた。つまり、人間関係とは主客が転倒し、する・される関係も逆転することがありうると実感した。これに気づいたアルカージーは、自分は決してワ―シャよりも優れているわけでも優位に立っているわけでもなく、ワ―シャと同じ「人間」であるという自己認識を持った。この「発見」がアルカージーの目を開かせた、と同時に、自分の固有性、独自性に全幅の自信を持つことができなくなった。
この経緯がアルカージーを面白みのない人間に変えた一要因ではないだろうか。
プレイバック読書会
5サイクル目読書会『弱い心』(2012.2.18)に寄せられた感想より
A.S.さん
「身が余る」という、この身体感覚は、分不相応な栄誉などを与えられた時にしばしば感じるものである。身の置き所を失って、ところを得ない、なんとも不安定な精神状態である。
自分だけこんな幸せにあずかって、いいのだろうかという負い目もある。自分でも知らないうちに罪の意識が忍び込んでいるのかもしれない。
リーザとの婚約を親友アルカージイに告げるときのヴァーシャの心理も、これと似ているように思える。日ごろ、幸運に恵まれない人たちのなかには待ちに待った幸福を、いざ手に取る段になると、その事態を素直に受け入れられない性質の者がいる。ヴァーシャはまさしくこの手の人種だ。不幸に慣れ親しんだ彼の心に、待ち望んだ幸福が受け入れられるためには、周りの人がみんな幸せになってくれないと困る、そうならないと、自分も幸せになれないような気がするのだ。相思相愛の友人アルカージイだけには自分と一緒に幸せになってほしいと願い、自分に目を掛けてくれたマスタコーヴィチの恩義になんとしても報いようとする。こんな優しい心こそが、何かを恐れる弱い心の顕れなのだろう。そう、いま、ここの幸福を無邪気に喜べない不幸な心なのだ。
でも、どうしてヴァーシャは破滅へ向かうのか。幸せを目の前にしてすべてが破綻してしまうのか。ヴァーシャの追い込まれた状況は、たしかに切迫して抜き差しならない。しかし、これは決して不可抗力ではない。ヴァーシャが自ら請じ入れた結果だ。破綻は避けようとすれば避けられたはずである。
ヴァーシャは、リーザとの幸福を手に入れたばかりに、自分だけが幸福になることに怯える。幸せになりたい気持ちを強く持てばこそ、自分の周りの人たちを差し置いて、リーザと二人だけで幸せになることを禁ずる声がどこからともなく聞こえてくるのだ。その怯えから逃れようと、周りの人たちがみな幸福になる世界を想う。けれども、いま、ここの現実を抜き取った、そんな夢想の世界が、どこかにあるはずもない。リーザとアルカージイの3人で暮らすことなど所詮無理な注文、こころの底ではそんなことを決して願っていない自分がいること、その自分に自身が気づくことを恐れて、彼のこころの闇は自己正当化を図る。つまり、彼は自分の状況をどんどん苦しい方向に追い詰めることで、ユートピアを夢想する自己に、その不可能さを納得させようとする。
はたしてユートピアが実現不可能だと自己に示すことは、せっかく手に入れた自己の幸せも放棄すること。彼の心は引き裂かれる。夢想にすら逃避できなくなったとき、現実は彼にとって、すでに生きていくことのできない世界と成り変わっていた。彼の弱い心は、狂気という象徴的な死を自らに課すことでしか、自己の矛盾と折り合いをつけることができなかったのだ。
この小説はユートピア=nowhereの両義性に引き裂かれ、発狂した男の物語である。つまり、no-whereを夢想する男の悲劇であり、片や、now-hereを失った同じ男の喜劇である。
T.T.さん
ド氏の天才的な「良い意味での意地の悪さ」が、集中的に発揮された傑作。私の感覚で、最も素晴らしいのは、以下の2点。
(1)ワーシャの発狂の描写。
(インクのついていないペンで白紙をなぞっていることに、アルカージイが気づいた場面の戦慄は、まさに圧巻。)
(2)アルカージイの寄与の、プロセスとしての正確な描写。
(秘密──6冊のノートが残っていたこと──を告げた後でも、まだ正気だったワーシャが、秘密の共有によって制空権を握ったアルカージイの母親のような愛情の一方的押し付けの継続により、最終的な狂気に至った、という描き方に、人間観察の達人、ド氏の真骨頂が見られると思う。また、冒頭のアルカージイの悪ふざけの場面は、それまでの5年間の関係を一瞬にして描き切っていて上手い。)
終盤は発狂と別れをピークとした悲劇が展開されるが、前半には、帽子を買う場面や、ペーチャの新年の挨拶など、明朗快活で爽やかな印象を残す場面も適度に入っており、全体に読み物としてのバランスが取れている。
同じ「狂人もの」である『分身』と比較すると、主人公の発狂の責任のかなりの部分を「健常者」(かぎかっこつき)アルカージイに負わせることで作家側の倫理的な危うさを回避している点が目を引く。最後に、ネヴァ河の幻想的な光景の描写によって読者の注意をワーシャという個別の存在から逸らしてから、アルカージイの変化と、リーザの後日談を簡潔に提示して、ワーシャ中心のドタバタ悲喜劇=「狂気を描いた小説」としての本質をオブラートで包んでトーンを沈静化したところ、今までの作品の不評にも配慮した、老獪とも言える手法である。短くなった分、しつこさが少なく、洗練されており、本人なりにだが、節度を持った作家としての成長が感じられた。
欠点も指摘してみたいと思ったが、ド氏作品全般に共通する、なんとなくごたごたした動きの多さ、作者の独善とも思われる、理解しにくい台詞回しなど、瑣末なものを除くと、これというものが見えて来ない。初期作品の中で、明白な欠陥がこれほど見出しにくいものは『貧しき人々』以来、見当たらないと、今のところ思っている。
6月読書会報告 2023年6月10日(土)
第316回(2023.6.10)全作品を読む会で取り上げた作品は『スチェパンチコヴォとその住人』。編集室が笑劇「ステパンチコヴォ村騒動記」に脚本化したものを、参加者の方(5名)が16人登場人物を複数役で口演していただきました。ご協力ありがとうございました。脚本は全作品HPで読むことができます。
参加者は8名。遠く山口県からの参加もありました。
連 載 「ドストエフスキー体験」をめぐる群像
(第108回)前田英樹著『保田與重郎の文学』が刊行(2023.4.25)されて
福井勝也
前回は、大江健三郎氏死去に伴う文芸誌追悼号の話題から、大江と三島由紀夫との生涯確執の問題を取り上げた。その流れで、大江が小林秀雄の『本居宣長』(1977)完結に際して宣長を丁寧に読み、それを喜んだ小林が大江に宣長自筆の書簡を贈っていたエピソードを紹介した。但し、大江は小林没後にその書簡を遺族に返却したらしい。
今回も、文芸誌の『新潮』(7月号)に掲載された標記大著の書評の話題から入ってゆきたい。初めに付言しておけば、この『新潮』には、前田英樹氏の『保田與重郎の文学』と奇しくも同日(4/25)に発刊された作家平野啓一郎氏『三島由紀夫論』を論ずる片山杜秀氏との対談「三島と天皇 『三島由紀夫論』を読む」も掲載されていて因縁を感じた。
両著は、どちらも長年月『新潮』で掲載(平野著作は、2000年から2021年まで10年間以上間歇的に執筆された四作品論の中心構成、序論・結論付、総670頁。前田著作は、2018年から2021年までの連載稿に今回「序章」付、全37章、総788頁)され今度の大著刊行となった。当方どちらも『新潮』掲載時から、特に両稿が同時掲載になった最後の2020年から2021年頃には必ず併読していた。今回両著を同時に手にして、『新潮』(7月号)の「書評」と「対談」を読みながら感じたことを記しておきたいと思った。
両書を並行して話を始めたが、自身にとっての著作刊行の意味は圧倒的に『保田與重郎の文学』の方が大きい。それには、本欄でも触れてきたベルクソンを通じた長年の前田氏とのお付き合いもあるが、連載時から本書内容のお話を伺って来たことも関係している。
さらに前田氏は、保田生誕100年の2010年に保田ゆかりの新学社から『保田與重郎を知る』を既に刊行している。当方は、その翌年3月の東日本大震災・福島原発事故発生も重なった機会に、著作紹介に併せて、現在に甦る言葉と痛感した保田の文章(s.35『述史新論』→s.59『日本史新論』)を本欄で引用させて頂いた。その際、これ以上の追悼の誠は尽くされなかったと確信した保田の三島由紀夫追悼文「天の時雨」(s.46)も紹介した経緯がある(『通信No.128-129』)。それらの文章を今日読み返して、既にその時期に教えて頂いた保田という存在がこの国(くに)に生きた核心「自然(かん)ながらの道」について、改めて十年以上を経て認識を新たにする機会を与えられたと感じている。実は、連載時毎月の雑誌刊行が待ち遠しい読書であったが、今回全37章、本文774頁の正本をほぼ一月かけて再読させていただき、かつて読めていなかった保田與重郎の存在の大きさに正直驚いている。
本書刊行から約一ヶ月が経過したが、この間先述の『新潮』(7月号)での書評「畏るべき批評文学の源泉-前田英樹『保田與重郎の文学』を読む、富岡幸一郎」と「真正面から「読む」といふこと-前田英樹『保田與重郎の文学』を読む、酒井隆之」二本。それよりやや早いものに「窮極の保田與重論-前田英樹『保田與重郎の文学』、片山杜秀」(新潮社『波』5月号)がある。富岡氏の文章は、本書による保田與重郎の再生を今回強く印象付けるものになると感じた。この後更に少しでも触れたいと思う。しかしその前に紹介すべき、刊行前プレス発表の場で各新聞社インタビューに著者自らが答えた読売(6/10)・毎日(5/15)・産経(6/11)の貴重な記事がある。どれも構成は共通だが、本書の保田口絵写真を大写しに転載し、その素顔と見出/要約がいいので「読売」から一部引用する。
横書き大見出し「保田與重論 真意は平和志向」、上段半ば縦見出し「前田英樹さん大著-「戦争賛美は誤読」」、中段説明見出し「米作りの原理」-「前田さんは「文学は思想のみを抽出してイデオロギーを論じるものではない」との立場で、保田の著作と向き合った。「保田が説いたのは米作りによる祭りの暮らし。米は連作ができて作り手みんなに行き渡る収穫があり、他に野菜や豆があれば栄養価も足りる。米作りの原理は平和の中に生きる原理で、当時、軍の中に彼の文章を理解できる者がいれば保田は逮捕されたかもしれない。」「前田さんは「保田の言う『神州』は近代的な権力者としての天皇が統治する近代国家でなく、神と結びつき米作りをする古来の日本の姿だった」と語る。今なお五穀豊穣を祈る祭りが残るように、米作りの社会は神とともに成り立つからだ。」下段説明見出し「批評の力に共鳴」-「和泉式部や芭蕉、それぞれの文学の力が吹き上がってくるところを保田は批評の力で語っている。著作を読んでいくうちに保田の語った原理がパッとわかった」。その原理が理解されず、保田は戦後、公職追放されるなど一身に悪名を着せられたと感じた。「ふさわしい称賛や感謝を受けるべき人だ」と800ページ近い本書を書き上げた。」(「読売新聞夕刊-6/10付」から、抜粋等は福井)
本欄がロシア19世紀の作家ドストエフスキーのことを書き続けているスペースであることを忘れたわけではない。既にウクライナ戦争が始まって以来一年数ヶ月が過ぎ、苛酷な戦況は日常茶飯に報道され、今日我々の感覚がほぼ麻痺し始めている感すらある。しかしそんななかでも、当方はロシアが生んだ文豪への思いは熱くなりこそすれ、冷めて来ていない。それにしても、今や「ロシア」と言えば何もかもが白眼視をされ、そしてドストエフスキー文学までもが「歪曲」され論じられていないか。『作家の日記』の片言が誤読され、「好戦論者」の作家像を専門家も暗に口にするようになっている。
そもそも何故、戦争が21世紀の今日に至るまで毎日延々と続けられているのか。それらの根源にある近現代の問題とは何なのか。考えてみれば、それらの人類の課題こそドストエフスキーがイデオロギーに堕することなく、個人的な文学思想表現によって解決しようとした難問であった。そこに『カラマーゾフの兄弟』の「大審問官論」の議論も、『作家の日記』の「プーシキン記念演説」での最後の訴えもあったはずだ。
作家は、そのことをロシア古代の、もしかしたら日本古代にも通じたアジア的古代の潜在的生活(「暮らし」)の「絶対平和の世界」に降りてゆき思索したのかもしれない。それこそが、ドストエフスキー文学を支えるマグマでなはかったか。だとすれば、今回前田氏が論じ切った、先の大戦を跨がって一貫して日本の国の潜在的根幹を問い続け、その原理を日本古代に見出した保田與重郎こそ、ドストエフスキーに共通する文学者ではなかったか。保田は、その知的営為の核心を万葉集、古事記等日本古典のなかに探る本居宣長に列なる国学的系譜を継承するなかで蘇らせた。明治維新以降輸入された近代的学問では、それに応える力が無かったからだ。しかしそのために、戦中戦後を通して、その成果は真反対な誤解を受け「戦争賛美者」の汚名を着せられた。この姿こそ、ドストエフスキーに昔から根強く冠せられた汚名のあり方とも似ていないか。それが今日も、亡霊のようにロシアにウクライナに、そして日本を含む世界で流布されている。おそらくその原因は、二人がだれよりも苛烈かつ根源的に戦争を不可避にする近代の真相に迫り、その原因を排除する手立てを真に表現した文学者であったからだろう。
ここで富岡氏の書評文の指摘から、当方も元々関心のあったことについて書いておきたい。富岡氏の本文は、本書刊行で前田氏が付加した「序章 倭(やまと)し麗(うるわ)し」から始められて、戦後保田の『絶対平和論』(s.25)や三島自裁事件に際しての一文「天の時雨」(s.46)について触れた終章近くの章まで要点になる内容について丁寧に言及されている。
実は、当方が連載当時から気になっていて、何となく前田氏にお聞きしたことがあった。それは、保田を論じる際にどうしても前に立ちはだかる問題の戦後先行文献、橋川文三著『日本浪漫派批判序説』(s.35)についてであった。先入観的関所のようなその書名をいつか口にすると、前田氏ははっきりと「言及するつもりはない」と明言された。やや予測できたことだったので、その場はそれ以上お聞きするのを止めた記憶がある。富岡氏は、この問題に「本来ならば不要であったかも知れないが」と正確な断りを付けて、やはり書評冒頭で触れることになる。そして当方がお聞きしたかった前田氏の応答が的確に序章から引用されることになる。
《 実際、橋川の思考法、それを運ぶ文体は、保田與重郎が創りあげた文学とは、ほとんど無縁のもののように、私には思われる。保田の文学は、彼自身が歴史の深所に掘り当て、創造し直した遠大な系譜の潜在する内側から爆発し、噴出している。その運動がやむを得ず巻き上げ、撒き散らした同時代の粉塵をあれこれと執拗に分析したところで、噴き上がったその力の本体に入り込むことはできない。橋川が、そのことを直覚していなかったはずはない。だからこそ、彼の文章は、何か独特な政治上の留保と自問とに渦巻くのである。 》
これも連載が終わって既に製本に移行する段階だったと思うが、本文に「序章」を付すという話が編集担当から出ていると聞いた。その時、咄嗟に「面白い。いいですね-。」と返した記憶がある。その際、まさか以前ご本人が否定した橋川氏が俎上に登ると当方が考えたかどうか定かではない。その後間もなくして、橋川氏の名前を前田氏からお聞きした。その時、おそらくそれが編集サイドからの要請だろうと思った記憶がある。
今回改めて本著を読み、富岡氏引用の部分を真っ先に読んで、やはり「序章」が付されてよかったと思った。それは、前田氏自身が(無論、保田も)育った奈良大和を語った件が序章の柱となり、それが何ともやさしい文体で綴られ、保田を回顧する本書全体を包み込むように感じられたからであった。しかし無論それだけでなく、この引用文をよく読んでみると、真に哲学的で正確な表現であると思えた。これには、前田流の裏付けがあると直ぐに感じた。それ故に、自分が今後保田を論じる際、今まで戦後的呪文を唱えるように『日本浪漫派批判序説』という言葉を先行的に語る必要性は以後消滅したと感じられたのだった。この引用文は、長年前田氏からベルクソン哲学の教授を受けてきた者ならピント来る比喩がベースになっている。それはベルクソンが「哲学的直感」と題する講演(1911)で述べている次の比喩に基づいている。
「哲学者は、いろいろな出来合いの観念から出発しません。せいぜい、彼はそこに到達する、と言えるだけです。そして、彼がそこに到達する時、彼の精神の運動に引き入れられた観念は、新しい生命で活気づきます。その観念は、文から意味を受け取る語と同じで、もはやそれが竜巻の外にあった時と同じではありません。」
(「哲学的直感」『思想と動くもの』所収、引用は下記前田英樹著作より)
この部分の後に前田氏が「竜巻」の比喩についての解説しているところがあるので、そちらも更に引用します。なお上記「哲学者」とは、ベルクソンが言う真の「哲学者」を指しており、ここで前田氏は、当の保田がそうした「思索者」だと言うのでしょう。
「ここで「竜巻」と彼(ベルクソン、注)が言っているのは、思考する行為についての比喩である。思考とは、移動し続ける「竜巻」のような運動で、それは周囲にたまたまあったものを、いやでも巻き上げる。枯れ葉を、紙屑を、砂粒や埃を巻き上げる。竜巻がその形を現わすのは、そのようにして巻き上げた塵によってである。塵がなければ、竜巻の姿は見えない。だが、間違えてはならない、とベルクソンは言う。塵は、この竜巻が姿を現わす「条件」ではあっても、決して「構成要素」ではない。竜巻が、今この姿を取っている理由ではなおさらない。「塵」は、語や観念を指す。あるいは、その時代に流通する語彙、発想の型、自明になった思想や諸学の形態までを指すだろう。そんなものは、みな「塵」だとベルクソンは言うのである。」 (前田英樹著『ベルクソン哲学の遺言』から、上記部分含め引用抜粋)
おそらく前田氏は、序章で橋川氏に触れることを最後までためらったに違いない。そしてそれには、どうしても何らかの哲理が必要であって、それがこのような表現になったと思える。今回再読してみて、本著には保田の文学を論ずるために、随所でそのような哲理が裏付けられていると感じた。しかしそのやり方は、例えば、ベルクソン哲学の応用などと言うものでは全くない。喩えて言えば、小林秀雄が自身の批評の原理をベルクソンから学んだように、前田氏自身が同じようにそれを血肉化せしめたということだろうか。しかしそれにしても、橋川氏を裁断する前田氏の表現をよく読むと、どこかに時代を生きた先人を敬して弔う気品のようなものを感ずる。結局この細やかなものが、「稀有なるこの「一個の批評文学」――千年の歴史を貫く言葉の光輝がよみがえるために、保田の没後から四十有余年の歳月を要した」と、書評子の富岡氏に書かしめたのだと思う。
それにしても富岡氏の書評文の率直さもみごとであった。「今回本書を通読して、自分が如何に保田の著述を読めていないか目から鱗であった」。と書き、なかでも昭和十九年四月に出征兵士たちへの贈り物とした、『延喜式(えんぎしき)祝詞(のりと)』の本文全篇に詳細な注釈をした私家版『校注 祝詞』を「(かつて)通読はしたが、全く読めていなかったのである。」と語ってみせる。そして前田氏の本書による保田読みの眼目として、この『校注祝詞』と同年保田の出征直前、一時は危篤状態になりながら保田が「己れが立つ思想上の原理」として書き遺した「鳥(と)見(み)のひかり」「事依(ことよ)佐(さ)志(し)論」「神助ノ説」(戦後『鳥見のひかり』に纏められた)を特筆している。もう一つの志を感ずる書評文(酒井隆之氏)の通り、「真正面から「読む」といふこと」を愚直に実践されたものであったと思う。
既に今回書きたいことはほぼ書き終えたのでここで止めてもいいのだが、最初に触れたことでもあり、平野片山両氏の対談「三島と天皇 『三島由紀夫論』を読む」の保田與重郎に触れた件については言及しておく。無論、二人の対談全般を問題にするわけではないが、同じ文芸誌で片や作家の貴重な復権と顕彰の機会として書評欄を設けながら、僅か30頁程前の誌面では、対談と称して同一作家に対して旧態依然のレッテル貼りをする場を平気で設けている。それもそのうちの一人は、前田著書の書評子であるのだから呆れる。
とにかく、保田を誹謗し、同時に三島をも中傷する二人の言動を掲載し今後の戒めとしたい。とにかく、今回前田英樹氏の著作が一人でも多くの読者の眼に触れることを望むものだが、出版社の価格設定、流通の仕方についても疑問が残る。何らかの善処を期待したい。ここまで来て、今も保田與重郎を正当に評価したくない黒い力の働きを感ずる。
平野 30代の後半に何かきっかけがあれば、違った人生があったかもしれない。死の願望もあった一方で、生に対して最期まで執着があり、迷いも看て取れます。結局は自決するわけですけれども、どこかにポイント・オブ・ノーリターンがあって、後戻りできなくなったんじゃないかなと僕は考えています。たとえば、三島は保田與重郎と一緒にされることを嫌がっていて、戦時中、あれだけ若者を戦死へと駆り立てながら、結局自分は生きながらえている保田を批判的に見ていました。だからこそ、楯の会のイデオローグになって、右翼学生を集め、左翼学生の「生命尊重主義」を批判しているお前はどうなんだ、となったときに引っ込みがつかなくなってしまう。言った以上は自分もやらなきゃいけない、というのが三島の責任の取り方です。(中略)楯の会の学生たちに対して年長者のイデオローグとして振る舞ったあとで、責任をとらないとなれば、自分も保田與重郎と同じになってしまうということは、やはり相当考えています。
片山 保田はついには皇国即農本主義という復古の回路の確信犯で、そのために日本人が幾ら死んでもどうでもいいと開き直れる人なんだろうけれども、三島はやっぱり鶴田浩二なんですよ。死んでいった者たちへの責任があると思って死ぬ気になって初めて生きられる。 (引用部分下線は、福井)(2023.6.30)
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