ドストエーフスキイ全作品を読む会 読書会通信 No.195
 発行:2022.11.22


読書会のお知らせ

月 日 : 2022年12月2日(金) 
場 所 : 池袋・東京芸術劇場小会議室5(池袋西口徒歩3分)03-5391-2111
開 場 : 午後1時30分 
時 間 : 午後2時00分 〜 4時45分
テーマ : 「私は、なぜドストエフスキーを読むのか」フリートーク
会場費 : 1000円(学生500円)


2月読書会
日時:2023年2月11日(土)14:00〜16:45
会場:東京芸術劇場小5会議室 
作品:未定

第70回「大阪読書会」
日時:2022年12月26日(月)14:00〜16:00 
会場: 東大阪ローカル記者クラブ 
作品:『九通の手紙に盛られた小説』



12月読書会について
 

テーマ「私は、なぜドストエフスキーを読むのか、読みつづけるのか」

12月読書会は、平日開催になりましたが、1年の締めくくりの読書会です。それぞれの「私のドストエフスキ―」を思いきり語りあいましょう。

「編集室」より

全作品を読む会「読書会」は、5サイクル(50年)の長きにわたりドストエフスキー作品を読んできた。2022年は6サイクル目スタートの年である。これまでどおりの新たな旅立ちだが、毎回、気になることがあった。それは、はるか彼方の最終ゴール『カラマーゾフの兄弟』に向かって最初の一歩を踏み出したとき、どこからか聞こえてくるこのささやきだ。「おまえは、なぜドストエフスキーを読むのか、読みつづけるのか」

思えば、この問いにいまだしっかり向き合っていない気がする。この問いを解かぬ限り、たとえ五大長編を何度再読しても真にドストエフスキ―を理解したとはいえないのでは…毎旅、この問いに焦燥する。

そんなとき一冊の新刊書が届いた。前々号「読書会通信193」の「お知らせ」で予告した芦川進一さんの『予備校空間のドストエフスキイ』である。本書のなかで、芦川氏は、ご自身のドストエフスキー体験を述べている。

…私が最初に手にとったのは、以前からタイトルに魅かれていた『白痴』でした。「キリスト公爵」とも呼ばれる主人公のムイシュキン公爵。この「白痴」たるムイシュキンの魂の純粋さと、彼を巡って繰り広げられるドラマの激しさと悲劇性は作品の背景をなすH・ホルバインの衝撃的な絵画「「死せるキリスト」と相俟って、私の心を揺り動かしました。身体が「金縛り」のようになり、胸も鳴り、時間が来てもアルバイトに出かけられなかった日もありました。「ドストエフスキイ体験」とはこれかと思いました。(「混沌」と「空虚」、そして「ロシアの小僧っ子」200頁参照)



ミレニアム記念寄稿(2000)
「私は、なぜドストエフスキーを読むのか、読みつづけるのか」より。

四大作品があるから人生やっていける! 出川成海
                                  
私が人生の極限情況に直面したとき、例えば死病に取り憑かれたとき、机上の読書から得た思想をもってその運命を従容として受け入れることが出来るだろうか?書物から得た思想が頭で理解した知識にとどまらずに血肉化されることの難しさ、書物にしか人生の拠り所を見出せなかった私にとり、これは大問題でした。しかし、初めて『白痴』を読んだ時の震撼は我が人生上の衝撃的体験でした。椎名さんが「ドストエフスキイ体験」と言うように、ドストエフスキイを「読む」ことは即ち、「身で経験する」ことにほかならない、と実感しました。活字を読んでドストエフスキイほど直接生身に応えた例は他にありません。四大作品があるから人生なんとかやっていける、というのが私のドストエフスキイに対する思い入れです。ですから我が存命中は常時、何れかの作品を読み返し続けるつもりです。



資 料


初期作品目録
典拠:「ドストエフスキー略年譜」中村健之介訳 朝日選書

1846年10月『プロハルチン氏』『祖国雑報』
1847年1月「九通の手紙から成る長編小説」『祖国雑報』
    4月〜6月「ペテルブルグ年代記」新聞『ペテルブルグ報知』
    10月〜12月「女あるじ」『祖国雑報』
1848年1月「他人の女房」『祖国雑報』
    2月「かよわい心」『祖国雑報』
       「ポルズンコフ」発行停止
    4月「正直な泥棒」『祖国雑報』
    5月 批評家べリンスキー死去
    9月『ヨールカ祭りと結婚式』『祖国雑報』
    12月『他人の女房とベットの下の亭主』『祖国雑報』
      『白夜』『祖国雑報』
1849年1月〜2月『ネートチカ・ネズワーノワ』最初の部分を『祖国雑報』
    4月23日ペテラシェフスキー事件で逮捕34人
    5月『ネートチカ・ネズワーノワ』「祖国雑報」未完

発表当時の初期作品評 
典拠:『ドストエフスキー写真と記録』論創社 中村健之介訳

『プロハルチン氏』


V・N・マイコフ

…ここでドストエフスキ―氏の第3作である『プロハルチン氏』について数言費やさないわけにはいかない…我々は信じて疑わないのであるが、作者の描きたかったのは、プロハルチン氏が、度を越した倹約に全力を傾けて、ついに精魂つき果てる恐ろしい結末であるに違いない。その端的なまでの倹約は、自分の生活に保証がないことを思ううちにプロハルチン氏の内に募っていったものなのである…

ドストエフスキーから兄ミハイルへ(1846年9月17日)

『プロハルチン氏』は例の所(検閲)でひどい片輪にされてしまいました。例の所の旦那方ときたら「官吏」という言葉まで禁止してしまいました。一体何のためにそんなことをしたのか、全然見当もつきません。そのままにしておいてもおよそ罪なき代物なのにあらゆる個所でその言葉を削ってしまいました。生き生きしたところがすっかり無くなってしまいました。残ったのは、ぼくが前にあなたに読んできかせたものの骨と皮ばかりです。これが自分の小説だと認めたくありません。

V・G・べリンスキー

『祖国雑報』第10号にドストエフスキ―氏の第3作である中編『プロハルチン氏』が載っている。この作品はドストエフスキ―氏の才能を崇拝していた者たちを一人残らず不快な驚きへ突きやった。そこには大いなる才能の存在を火花がきらめいてはいるが、そのきらめきは実に濃い闇に包まれているので、その光では読者は何一つはっきり見分けられないのである…我々に想像がつく限りでは、この奇妙な小説を生み出したものは、インスピレーションでも、自由で素朴な創造地からでもなく、何といったらよいのか、小賢しさともつかず、衒いともつかぬ何かである…ひょっとすると我々は間違っているかもしれない。
しかし、それなら、どうしてこの作品はこんなわざとらしい、気どった、わけのわからぬものにならねばならなかったのか…

N・A・ドブロリューボフ

この男(プロハルチン氏)の性格は、打ちひしがれた人たちはすべてそうであるが、臆病ということである。この男はおのが哲学は易々と崩れるものではないと固く信じている。しかし、実際の世の中では、病気、火災、上司の意向による思いがけない解雇といったさまざまな不慮の災難が起こるということも、この男は見て知っている…自分の境遇が不安定で、保障されていないという考えが、この貧しい男の頭にこびりついて離れなくなっていくのである…。プロハルチンは事実、本物の自由思想家になったのだ。彼は単に自分の地位の安定を信じなくなったばかりではない。彼は、自分自身の従順な性格が変わらぬものであるということも信じなくなったのだ。

『女あるじ』(『主婦』)

ドストエフスキーより兄ミハイルへ (1846年10月)

ぼくは『女あるじ』を書いています。これはもう『貧しい人たち』を上回る出来映えです。これも同じような種類のものなのです。ぼくのペンを動かしているのは、心の奥底から直ちに湧き出てくる泉のようなインスピレーションです。ひと夏苦しんだ、あの『プロハルチン氏』の場合とは違います。

V・G・べリンスキー

作者が、その気まぐれなファンタジーの驚く謎について必要不可欠な説明と解釈を与えてくれぬ限り、この、恐らくは極めて興味深いものであるに違いない小説(『女あるじ』)の、思想のみならず、意味そのものさえ、我々の思考力をもってしては理解できない秘密であり、いつまでも秘密のままであろう。そもそもこれは何なのか ? …



10月22日読書会報告

参加者11名。コロナ禍にあって開催できたことを喜びたいと思います。
「ドッペルゲンガーから読む分身」という、下原康子氏によるやや異色の報告でしたが、活発な質疑応答がかわされました。



連 載
 

「ドストエフスキー体験」をめぐる群像
 
(第104回)ウクライナ・ロシア戦争が終わらぬ年末に思うこと
      −『カラマーゾフの兄弟』と『道徳と宗教の二源泉』− 

福井勝也

今年も歳の暮れを迎えようとしている。まさかの戦争が勃発し(2/24)、それもよりによって、われわれのドストエフスキーが依拠したロシアとウクライナとの悲惨な戦闘が年末まで続く事態に直面するとは、戦争を引き起こした当人のプーチンはともかく、他の誰が予想し得たと言うのか。歴史とは、連続したおそろしい不意打ちの異名であるのか。

そして改めて思うのは、シベリアに四年も抑留された当方の父親も、シベリア出兵に駆り出された母方の祖父も、日露戦争で片足を失い傷痍軍人として生涯を過ごした父方の祖父も、始めから戦争にそれ程深く自身が係わるとは思ってはいなかったはずだ。つまり戦争というものは、ある日突然に始まり、いつの間にか自身に迫ってくるものなのだ。

さらに今回、戦争など前世紀の野蛮な遺物だと高をくくっていた戦後日本人(自身を含む)は、青天の霹靂の映像を日々眼にして、人類史から戦争は無くならないこと、戦争はある日突然に始まり、一度始まれば終わらせることが容易でないことに気付かされている。

それにしても、第三次世界大戦は既に始まっている、核戦争の危険が迫っていると言われ続けた今年、確かにこれまでと違った人類滅亡の危機に臨んでいるのかもしれない。

しかし我々は、それに日々どれだけ自覚的でありうるか。人間とは、自分の狭い日常だけが安全であればそれでよい恥ずかしい動物なのか。暢気に高見の見物を決め込んで居てよいはずはない(自戒を込めて)。ドストエフスキーと血を分けたスラブ民族同士の歴史的災いが一刻も早く終結するよう作家に祈りつつ、何らかの手立てを自問自答するしかない。

私事ながら、今秋約五年半(2017~2022)に及んだ前田英樹先生のベルクソン講座『道徳と宗教の二源泉』(1932)を聴講し終えたことは、何よりも嬉しかった。ここに謝意を記しておきたい。別講座『創造的進化』はなお講読中だが、こちらも終盤にかかっている。
『二源泉』では、特に今春以降講座の最終盤になって、人類史における戦争、そして第一次世界大戦(欧州大戦)に関するベルクソンの所感を辿ることになり、今回事態とシンクロするなかで講義のフィナーレを迎えた(この一部は、既に「通信191号」で触れた)。

それまでのベルクソン著作の文体とは明らかに違い、欧州大戦を経験したベルクソンの危機感が伝わってきた。その末尾まで辿り着き、この文言こそ、今熟読すべき我々への「遺言」だと直感させられた。ちなみに、ベルクソンは『二源泉』刊行後の9年目(1941年1月4日)ナチス占領下のパリで病死した。『二源泉』は、確かに全著作が辿り着いた「遺著」と言えるものに違いない。なお戦争の続く今年終わりにあたって、既に上記「通信」でも引用したが、この末尾メッセージ(前田訳)をここでも是非再掲したいと思った。

「人類は、みずからが為した進歩の重圧の下で半ば押し潰されている。人類は、自分の未来が自分次第ということを、まだ充分にはわかっていない。まず、自分が生き続けたいかどうか、それを確かめるのは、人類の方なのだ。次には、ただ生きたいのか、あるいはその上に、神々を作る機械にほかならぬ宇宙の本質的機能が、この反抗的な地球においてまでも果たされるのに必要な努力をしたいのか、それを問うのも人類なのである。」(ジル・ドゥルーズ編纂ベルクソン選文集『記憶と生』1975、前田英樹訳・1999・未知谷、引用は本書巻末前田の「解題 度合の哲学としてのベルクソニズム」の「自然の意図」末尾の翻訳文p.277、さらに下線部分の「神々」以下は下記説明における問題箇所)
 
ここでの引用文について、更に触れてゆきたいことがある。今回最終講読の際、前田氏は翻訳文の大事な内容と思われる注釈をさりげなく補足された。すなわち、引用文4行目冒頭の「神々」について、「物質に対する生命のたたかいに勝利した人間たち」と注釈を加えられたのだ。この説明は、一見「神々」を「人間たち」と言い換えるもので最初耳を疑い、あわてて本書の欄外に、そのままメモとして書き付けたくらいであった。

しかしこの文章をそのような意味で何度か読み返すうちに、その解説された意図が次第に自分に納得され、これまで分かり難かった文脈が急に筋が通ったように読めた。そのきっかけになったのは、ベルクソンが『二源泉』終盤のメインテーマ「動的宗教」を語るうえでキイワードに用いた「神秘主義」「神秘家」(の人間たち)こそ、問題の「神々」であると直感したことによる。つまりこの「神々」とは、ベルクソンが説く「動的宗教」を切り開く「特権的な魂」を有する「神秘家」だと気が付いた。さらに、その「神秘家」に導かれ、その魂をリレーする人間たちも含めて、ベルクソンは「神々」と表現したのだろう。

とかく誤解しやすい「神秘主義」「神秘家」という用語であるが、ベルクソンの哲学に即してこの言葉を読むうえで役立ったのが、何とドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』であった。すなわち、ベルクソンの言う「神秘家」イメージが『カラマーゾフの兄弟』の「ゾシマ」、そして彼に導かれる「アリョーシャ」の人物造形(人物像)と重なって見えたのだ。「ゾシマ」から「アリョーシャ」への「魂のリレー」、これこそ『二源泉』の末尾でベルクソンが人類に希望を託した、その「理想」の具体的な伝達のありように思えたからだ。

ただし、ベルクソンが『カラマーゾフの兄弟』を読んだかどうかははっきりしない。しかしその可能性は十分に有り得たと思う。それはともかく、歴史的危機に直面する人類の救済には、人間自体の根本的な変革と進化が前提になる。二人はそれに焦点を当てた。片やドストエフスキーは文学で、片やベルクソンは哲学(精神科学)でその同じことを説いた。

人類は知性動物としての生物進化をどうにかここまで成し遂げて来たが(産業化、科学技術の発展)、その発達した知性に逆襲されるように、その進化は停滞し踊り場に差し掛かっている。いや踊り場から転落しそうなギリギリの土壇場に差し掛かっている。この危機を超えて出るには、新たな人類種への創造的な進化が必要である。言わば旧人類から新人類への生まれ変わりが、自然から要請されている。この辺は今年、ドストエフスキー(『カラマーゾフの兄弟』のイワン)が説く「地質学的変動による人類変容説」に関係して「通信193号」でも触れた。そしてベルクソンにあっては、第三の主著『創造的進化』(1907)において、ダーウィン等従来の生物進化説を精密に検証した後、「生命的飛躍」(エラン・ヴィタール)による「進化」の「創造」説に到達した。そしてさらに、人類社会の基礎にある「道徳」と「宗教」の歴史社会的意味を独自に考察し、到達すべき進化した人類をイメージしたのが『道徳と宗教の二源泉』(1932)であった。ベルクソンは『二源泉』のなかで、既存宗教の「静的宗教」とは異質な高次に開かれた「動的宗教」について語り、その灯りを精神に点火した人間、更にその理想を継承する者たちを「神秘家」として語った。ベルクソンは、彼らその「神秘家」と『創造的進化』で明らかにした「生命的飛躍」(エラン・ヴィタール)が重なるところに、更に真理を探求することになった(『二源泉』岩波文庫、P.303~304)。

「神秘家」は、かようにベルクソン哲学にとって極めて重要なファクターと言える。そして今日においてこそ注目すべき内実を孕んでいると思う。それでもう少し、この「神秘家」に拘ってみたい。例えばキリストを神の子とするかどうかは、「動的宗教」以前の「静的宗教」の問題だが、キリストはベルクソンが説いた「動的宗教」に人類を導く「特権的な魂」を持った者であった。ソクラテスや孔子や仏陀も、そのキリストに同類の者としてベルクソンは考えていたようだ。そしてさらに、その「特権的な魂」を更に継承する者たちも歴史的に誕生してきている。そんな「神秘家」として、ベルクソンが名指したのは、聖パウロ・シエナの聖カタリナ・聖テレザ・聖フランチェスコ、さらにジャンヌダルクといった歴史的人物であった。しかし無論、「神秘家」をキリスト教の聖人に限ったわけでない。無名の人びとも含まれてくる。それら「人間たち」こそ、『二源泉』末尾における「神々」であった。

ここでやや後付けながら、ベルクソンが『二源泉』で語っている「神秘主義」「神秘家」の重要な定義を引用しておく。すなわち「我々の見るところでは、神秘主義の帰着点は、生命の顕示する創造的努力との接触の獲得であり、そうした努力との部分的合一である。そうした努力は、神そのものではないにしても、神のものである。偉大な神秘家とは、種にその物質性によって指定されている限界を飛び越え、このようにして、神的活動を続け、それを発展させるような個性のことであろう。これが我々の定義である」(『二源泉』平山高次訳、岩波文庫p.269、なお、太字は福井)。

実は、前田先生の前述「注釈」も、この定義から導かれたものであったと思う。但し、分かりづらいことに、ここでベルクソンは、「神」という言葉を従前のキリスト教的な使い方でも語っている。それに対して、『二源泉』末尾の「神々を作る機械にほかならぬ宇宙の本質的機能」というフレーズの複数形の「神々」は、「神秘家とそれに連なる人間たち」のことを指していた。そして彼らを生み出す「機械に他ならぬ宇宙」を、言わば従前の「神」と想定していたようだ。しかしここでは、その「神」という言葉はあえて避けられていて、むしろその「本質的機能」としてのみ語られている。ちなみに前田氏は、それを「創造」という言葉、動的な「働き」に置き換えて説明された。この辺まで来て自分には、その文脈全体がやっとはっきりした。前述の『二源泉』での「神秘家」と『創造的進化』での「生命的飛躍」(エラン・ヴィタール)との複数の事実線の交点に、その真理を更に探求するベルクソンの試みは、この『二源泉』末尾のメッセージへとそのまま繋がっていたと思う。

さらに、ベルクソンはこの「神秘家の」定義を述べた直ぐ後で、ギリシャ神秘主義思想系譜の哲学者プロティノスの「行動は観想の衰えである」という言葉を問題にする。そしてベルクソンはこの言葉を結局、次のような断言で根本的な批判をする。「少なくとも、彼はギリシャ主知主義に神秘性を強く浸み込ませた。一言で言えば、ギリシャ思想は我々の解するような絶対的意味での神秘主義には達しなかった」(同著p.270)。この帰結には重要な前提が含まれていた。つまり、ベルクソンの言う「神秘家」とは、隠者のようにただ「観想する人」ではなく、さらに外部へ出て行き「行動する人」でなければならなかった。

その意味では、彼が「神秘家」の実例としてジャンヌ・ダルクをあげていたことも肯ける。さらに考えてみれば、そのような意味で「キリスト」とは、確かに「観想の人」ではなく、むしろ「開かれた愛を実行する人」であった。ここまで書いてきて、ベルクソンの「神秘家」に、『カラマーゾフの兄弟』の「ゾシマ」と「アリョーシャ」をイメージしたことは間違いではないと思えた。ゾシマがアリョーシャを僧院から世間に出て行かせ、アリョーシャが世俗のなかで行動する人間として描かれていることは、物語の重要なポイントだと感じた。

ここまで書いてきて、改めて今日世界の危機的な状況を思い起こし、『カラマーゾフの兄弟』(1880)と『道徳と宗教の二源泉』(1932)がともに「遺著」として、人類への共通した希望を語った作品、著作に思えてきた。確かに『カラマーゾフの兄弟』は未完かも知れぬが、メッセージは既に書かれている。『道徳と宗教の二源泉』は、『意識に直接に与えられたものについての試論』(第一主著・1889)と『物質と記憶』(第二主著・1896)によって、それまで対象とした個人の意識、記憶、身体、何よりその実在する時間と言った主題から、人類種の歴史社会的問題へと対象を広げた。その点で『創造的進化』は、『二源泉』と密接に関係しつつ、更に飛躍する思索を切り開いた。しかし同時に、『二源泉』は第一著書から始まったベルクソンの粘り強い生の持続(哲学的思索)が到達した最終的な高みであった。

そしてその遺言的著書を書かせた直接的要因こそ、第一次大戦(欧州大戦)から第二次大戦に至る時期の人類滅亡へのベルクソンの強い危機感だった。今年が間もなく終わろうとしている今、我々が改めて意識すべき出発点がここにある。この危機が、ドストエフスキーに縁の深いロシア・ウクライナで始まったことも何か運命を感じる。今回の拙文で、ドストエフスキーとベルクソンに共通した人類救済の祈り、その切実さがどこまで伝えられたか心許ない限りだ。今年は自身、とにかくベルクソンの『道徳と宗教の二源泉』を読み終えることができた。そこで二人の文学と哲学が、人類への貴重なメッセージであることに強く気付かされた。今、そのことを一人でも多くの人に伝えたいと強く感じている。 (2022.11.10)



広 場
 

『予備校空間のドストエフスキイ ―
学びと創造の場、その伝達のドラマ ―』

芦川進一 (河合文化教育研究所・ドストエフスキイ研究会)

このたび上記の著書を出版しました。内容は三つの部分に分かれています。第一部ではバブル期の頂点たる1980年代の半ばから30余年間、河合文化教育研究所の「ドストエフスキイ研究会」に於いて、若者たちがドストエフスキイと如何なる出会いをしたのか、延べ60人の例を報告しました。次の第二部前半では、私自身が師の小出次雄先生に導かれ、ドストエフスキイとイエスとの出会いに至るまでの試行錯誤を回想し、後半部ではこの師が神の「絶対のリアリティ」を求め、西田幾多郎教授の許で如何なる修業時代を送り、生涯にわたる思索と創作の土台を築いたかを記しました。

ドストエフスキイに於ける聖書の重要性は広く知られた事実です。ところが日本ではこの角度からの本格的なアプローチは少なく、ドストエフスキイ論や作品の翻訳に於ける聖書・宗教関係の誤読・誤訳は今も絶えません。しかし西田哲学最後の作品『場所的論理と宗教的世界観』の結論部が『カラマーゾフの兄弟』とイエスとの対決であることから始まり、続く小出宗教哲学が提示するに至った『ゴルゴタ論』も、ドストエフスキイとイエス像の一貫した探求の上に立つものであり、更に小林秀雄による一連のドストエフスキイ論の頂点たる『白痴論』も、ゴルゴタに向かうイエスの絶対美の賛美です。日本のドストエフスキイ受容史に於いて、キリスト教に対する島国的精神の狭小さという主潮流の中で、ドストエフスキイと聖書に向ける鋭利な眼も、確たる一水脈として存在し続けたと言うべきでしょう。

このような認識の上に立ち、ドストエフスキイ研究会も専らドストエフスキイの作品と聖書テキストとの取り組みを続けてきました。本書の大部分は数多くの若者たちの具体的エピソードを土台として展開しています。彼ら/彼女らがドストエフスキイと聖書と出会い、そこで示す反応の多様さは、プラスとマイナスの両方向で、驚くべきものがあります。まずはそれらのエピソードを読み進めて頂くことで、我々日本人のドストエフスキイとの出会いや取り組みの様々な在り方が浮かび上がるばかりか、そもそもドストエフスキイ世界が如何なる問題を抱えた世界であるかについて、我々は改めて眼を開かされるのではないでしょうか。その点で私は本書を、若者たちの純朴な眼と心を介した新たな一つのドストエフスキイ論として、更にはドストエフスキイと聖書とを繋ぐ作業を自然かつ積極的に試みる若者たちの誕生のドラマ、言い換えれば新しいドストエフスキイ世代が生まれつつあることの報告書としても読んで頂けるのではないかと思っています。

この後私は残された時間で、なおドストエフスキイとそのイエス像と取り組み、若者たちとの勉強を続けつつ、恩師から託された膨大な原稿類の整理を進めようと思っています。「読書会通信」に、その途中経過の報告をさせて頂くことを楽しみにしています。



『予備校空間のドストエフスキイ』を読んで。思い出したことなど。 

下原敏彦

本書を楽しく、面白く、そしていろいろ思いだしながら読んだ。読みながら、コロナやロシア侵攻で重くもやっていた気持ちが、晴れ渡ったときの秋空のように天高くひろがっていく。そんな清々しさを覚えた。本書は私にとって、まさに「謎解き芦川進一」となった。

これまで芦川氏のドストエフスキ―論に触れるたびに、氏には申し訳なかったが、自分の読みの浅さでわからないところが多々あった。「なぜ聖書なのか」「なぜロシアの小僧っ子なのか」「なぜ不死に興味をもつのか」「なぜ塾か」。こうした靄が霧のように消えていった。同時に、いろんな光景が思い出された。

私は自宅近くで柔道の道場を開いている。オンボロ道場だが40年近くつづけているので門下生は100人は下らないだろう。そのなかにドストエフスキ―を読んでいた練習生がいたかというと、自信はない。読書会も同じ。毎回10人〜20人前後あった参加者から、柔道のことどころか創始者嘉納治五郎の名さえ聞いたことはない。

22年前になるが、稽古が終わり子どもたちが帰ったあと、静かになった道場で帰り支度をしていると「今晩は」と若者が入ってきて「柔道を習いたい」と言った。この春大学を卒業したばかりで市の医療センターに介護士として勤め始めていた。

道場のことを説明しているあいだ、彼は壁のポスターを興味ありげに見ていた。ポスターは、2000年8月22日 ドストエーフスキイの会主催・千葉大学欅会館で開催された「国際ドストエフスキ―研究集会─21世紀人類の課題とドストエフスキー」だった。半年前から貼っているが、気にとめる門下生はいなかった。

「ドストエフスキーに興味あるんですか」と私は聞いた。
「いえ、自分はないですが」若者は苦笑して言った。「予備校の先生がよく話していましたから。ドストエフスキーのこと」
「―というと、予備校というと河合塾ですか?」
「ええ、そうです・・・芦川先生です」若者はうれしそうに言った。
「予備校生活で一番に印象だったのは、芦川先生とドストエフスキーでした」

「この炎を超えるものはあるのか? ─祖父を燃やす炎」で思いだしたこと。

もう40数年も昔になる。五月晴れの爽やかな日、母は、遺体となって病院から帰ってきた。13キロ離れた城下町飯田に焼却炉はあったが、混んでいて三日あとになるという。村の焼却炉は建設中だった。そんなわけで、母は部落最後の土葬の仏様となった。お通夜の前、部落の男衆は、山のふもとにある墓地に穴を掘りにいった。

よく朝、母を棺桶に入れることになった。墓地がせまいので、棺は風呂桶のような丸い桶だった。寝ている母を兄と抱き上げて桶の中に正座させた。そのとき母の口から少し血がでた。まだ生きている! 私は慄然としたが、叔父たちは驚かない。「曲げたから押されて出たんだ。これで拭いてやれ」とチリ紙をくれた。この瞬間、私は悟った。母は、もうこの世にいないのだと。時間のない想像もつかない世界にいってしまったのだと。唇の血を拭いながら、遺体もこの血もただの物質に過ぎないのだと無理に思った。そうして不死のことを思い、自分は伊那谷の小僧っ子なのだと思った。



熊谷元一【一年生――ある小学教師の記録】(岩波写真文庫)
産経新聞「ビブリオエッセー」2022.9.29夕刊 

下原敏彦

小学教師の熊谷は昭和30年、第一回毎日写真賞を受賞した。プロアマ多くの応募作の中、著名な写真家たちを押しのけての快挙だった。その受賞作が長野県阿智村の小学生を撮影した写真集『一年生』である。それは写真集の枠を超えた作品で一篇の文学を思わせる。昭和28年、山村の小学校に入学した東組・西組60余名の一年生を東組担任の熊谷が一年間、撮り続けた記録だ。入学の日にはじまり、学年末の通知表に苦笑いする日まで、教室や校庭で、授業中はもちろん、いたずらやけんかまで見逃さない。一年生の学校生活すべてを収めた。まだ写真が珍しかった頃だが、子供たちの表情は自然だ。

そこに一年生の私が写っている。私は被写体の一人だった。「先生はどんなふうに撮っていたの」とよく聞かれるが、正直、記憶にない。熊谷先生に尋ねたら「手の届くところにいつもカメラを置いてこれはと思ったときに撮った」と語っていたのを思いだす。黒板を開放して自由に絵を描かせた黒板絵も懐かしい。熊谷は武井武雄に指導を受けた童画家でもあった。  昭和13年、小学校教師だった熊谷は写真集『会地村』で高い評価を受け、当時の拓務省の嘱託となる。満州各地の開拓村を撮影したのはこのときだ。昭和16年には写真雑誌の座談会で同い年の土門拳と出席しているが、生涯、アマチュアであることにこだわった。

終戦末期にはプロパガンダ写真に背をむけて教育現場に戻った。図らずも悲惨な満州開拓と言う国策に手を染めてしまったことへの贖罪だろうか、恩師は黙して語らなかった。【一年生』は見る人の気持ちをなごませてくれる。後に復刻版もでた。不安な世相、不穏な地代だからこそ、お薦めしたい。



お知らせ


シンポジウム 

第18回国際ドストエフスキー協会(IDS)シンポジウム
https://www.ids2022n.jp/ コロナで下記日程に延期しました。
開催日時;2023年8月22日〜8月27日
開催場所;名古屋外国語大学

ドストエフスキ―生誕200周年記念原稿募集

テーマ「私は、なぜドストエフスキ―を読むのか、読みつづけるのか」は引き続き受け付けています。そのほかの寄稿も常時お送りください。
原稿またメールにてお送りください。



寄 稿


ぼた雪 ―19世紀ペテルブルグ地下室男VS現代日本の風俗嬢―
『地下生活者の手記』へのオマージュ

庵 敦吾
 
青字箇所は米川正夫訳より抜粋
                            
19世紀末ロシア・ペテルブルグの娼婦リーザに敗れた地下室男は、懲りることなく21世紀にタイムスリップして極東のちっぽけな島国の風俗嬢に戦いを挑んだ。果たして彼は、現代日本の風俗嬢の深層に迫り、その心根を覆すことができるだろうか。彼女たちに子供が自分の大好きな人に、物をねだるような目つきをさせることができるだろうか…。宝物のように、大事にしまっていた恋人の手紙をとりに駆けださせることができるだろうか。

登場人物

・地下室男
・風俗嬢
・黒犬
・風俗店呼び込み

202X年、ぼた雪降る冬の夜。ここはアジア最大の歓楽街日本の新宿歌舞伎町。コロナが収束して賑わいを取り戻した歓楽街。歌舞伎町にある風俗店前。19世紀末のペテルブルグからタイムスリップした地下室男。一緒に黒犬もついてくる。けばけばしネオン通りに裏悲しく「雪のふる町」の曲が流れている。
 
 雪の降る町に 雪の降る町に
 思い出だけが 通り過ぎていく

地下室男 なんだ、なんだ、この陰気臭い歌は! ここはどこだ?!
黒犬   アジア最大の歓楽街、極東のセンナヤ広場でっさ。
呼び込み (黒犬をみて) な、なんだ、この黒公は?! どこからきゃがったんだ、うせろ (黒犬をけっ飛ばして、追い払う) まったく、保健所はなにやってるんだ。(地下男はと見ると豹変して、ニコニコ顔で大げさに平身低頭、揉み手をして)
社長さん、いらっしゃい ! いい娘いますよ。ピチピチした新しい子が。
地下室男 しゃちょうさん !? なんのことだ?
呼び込み 社長さんじゃあない! あ、失礼しました。先生でしたか、先生、いい娘いますよ。(無理に風俗店に引き込もうとする)
地下室男 ぼくはセンセイじゃない。
呼び込み こりゃまた失礼しました。おとのさま !
(抵抗する地下男に、再びあらわれた黒犬が吠える。)
黒犬   なんでもいいから、入ってみな。極東のリーザに会えるから。
呼び込み しっこい野良だ。焼き肉にするぞ。ビールびんをなげつける。
(黒犬、キャンキャンと逃げ去る。)
風俗嬢  (はっぴ姿)あら、いらっしゃい。センセイ。
地下室男 あ、ぼくは先生なんかじゃない。
風俗嬢  いいのよ、いいのよ。ここにくる人は、みんなセンセイか社長さん。
地下室男、強引に風俗店に引き込まれ、小部屋に案内される。風俗嬢と向き合って座る。風俗嬢、はっぴの下は超短の短パン。地下室男、落ち着きなく小部屋の室内を見まわす。ちいさなベッドがある。一人用なのにダブルと書いてある。
地下室男 (つぶやく)ふむ、ここが未来の娼婦館か。ベッド一つで商売できるか。ペテルブルグとたいして変わりないな。リーザやソーニャの商売場所と…。
風俗嬢  外人さんだから不安なのね。大丈夫、世界中、どこに行ってもこの商売同じよ。同じでしょ。あなた、どちらの人? わたし日本語しか話せないわ。
地下室男 (あわてて)言葉は大丈夫。この通り話せます。
風俗嬢  そうみたいね。ウフフ…
地下室男 さて、あの話… どのように切り出すか、
それは愛情もなく無恥粗暴な態度で、本当の愛の栄冠となるべき行為から、いきなりことを始めるのだ。
風俗嬢  なにもじも言ってるの?わかんないわ。(じっと、地下室男を見据えてくっくと笑う)
彼女はわたしの視線を受けながら、目を伏せようともしなければ、その眼差しも変えもしなかった。
地下室男 
お前の名はなんというんだい?
風俗嬢  まだ、決まってないのよ。何かないかしらいい名前。
地下室男 なんだ、なんのことだ?!
風俗嬢  だから名前よ。いい名前ないかしら、考えてるの。
地下室男 な、なんだって、まだはじめたばかりなのか!
風俗嬢  そうよ。それで考えてるの。最初が肝心でしょ。姓名判断でみてもらおうかしら芸名。だって、女優の名前って難しいから。
地下室男 じ、女優だって!だれのことだ?
風俗嬢  わたしよ。きまってるじゃない。この体験、女優への第一歩でしょ。
地下室男 何なんだ、その論理。少しも卑下していない。風俗嬢から女優になれる。本気でそう思っているのか。
地下室男、慌てたが、気を取り直して、リーザにしたように話かける。
地下室男 
どこから来たの?
風俗嬢  やだ、身元調査なの。いいわ、原宿からってことにしとくわ。わたしって都会の娘に見えるでしょ。フフフ、竹下通り歩いていたらスカウトされたの。芸能プロダクションの人に。ちょうどヒマしてたから、面白そうだし。冷やかしにちょっとやってみようと思ったのよ。
地下室男 
えっ、それでいきなり(客を)とったのかい。
風俗嬢 そうよ。別に演技いらないっていうから。
地下室男、口をあんぐり。
地下室男 (恐る恐る) 
前(いつ)からここへ釆てるの?
風俗嬢 昨日からよ。この世界、新しい娘の方がもてるんだって。やたら褒められちゃったわ。わたしそんなに魅力あるかしら。フフフ…
地下室男 うっ、この明るさ、この陽気さは何なのだ… 
これではいっこうに無愛想な調子に、だんだんぶっきら棒になっていかないではないか。
早くも地下室男に焦りの色があらわれた。
地下室男 
お父さんお母さんはいるのかい?
風俗嬢  いるわよ、二人とも元気よ。どうして、そんなこと聞くの。わかった! わたしが風俗嬢だから、ちゃんとした両親がいないと思ったのね。わたし一人暮らしはじめたけど、両親は元気にしてるわ。
地下室男 
どこにいるの?
風俗嬢  東京よ。もしかしたら、田舎かも知れないけど・・・フフフ、訛りがないのね、あたしの言葉。
地下室男 
いったいどういう人なんだい?
風俗嬢  ちゃんとした人よ。地位があって教養があって、教育者とか聖職者みたいな。
地下室男  そ、そんな家庭の娘さんがなぜなんだ?!
親の家に暮らしていたら、どんなにいいかもしれないじゃないか!なぜきみは親もとを離れたんだい?
風俗嬢 きまってるじゃない。一人で住みたかったからよ。干渉なんかされたくないわ。もう大人でしょ。だから自由に生活したいのよ。自由に…
地下室男 (独り言)ム、ム、ム、ム…自由と風俗どんな関係があるんだ。
娘たちの中には家で暮らすのが愉快でたまらないというのがいるよ!そんな娘たちがいるのに。この娘は一体何者だ。
風俗嬢の理解不能な言動。地下室男、早くも形勢危うしである。
地下室男 (独り言)こうなったら… そうだあの話をしてやれ、これなら少しはこたえるぞ。
地下室男 
きょうあるとこで棺を担ぎ出していたが、あやうく取り落とすところだったよ。
風俗嬢 棺って、葬式の?!エーッ見たかったわ。死体転がり出たの?めったに見られないんじゃない。
地下室男 めったに見られない、だって! どんな性格してるんだ!(ここは堪えて)
いやな臭いがしてね。胸が悪くなるようだったよ。
風俗嬢 あら、いやだ。腐ってたの。
地下室男 そうさ、夜の商売で一人で暮らししていたからね。あの売春婦、もしかしたら性病にかかっていたかも知れないな。頬が痩せこけていて顔じゅう班点だらけで、そりゃあひどいものだった。
風俗嬢 ふうん、物好きね。そんなに詳しく見るなんて。悪趣味ね。
地下室男 
今日あたりの葬儀はいやだなあ!
風俗嬢  どうして?
地下室男 ボタ雪が降ってるだろ、春の雪、いやだね、こんな日に限って葬式が多いんだ。道路は渋滞するし火葬場は満杯だ。どうせ身元不明の遺体なんか一番最後に回されるから運搬していった市の職員なんか不満たらたらさ。そのうち遺体にだって当たりだすよ。帰りが遅くなるだの、パチンコする時間が減るとかいってね。それとも以前その女の子、買ったことあるとか、何とかいってみんなでげらげら笑いあうのさ。
風俗嬢  フン、死んでしまえば他人が何いおうが勝手よ。
地下室男  
いったいきみはどうだってかまわないのかい。死ぬってことが?
風俗嬢  そうよ。だって、なんのためにわたしが死ぬのよ。そんなこと考えなきゃいけないのよ。
地下室男  
そりゃ、人間いつかは死ぬさ。ちょうどさっき話した死人のように、あれと同じ死に方をするのさ。あれもやはり、きみと同じような女だったんだ。
風俗嬢  ちょっと! 違うわよ。あなたの見たのは商売女でしょ。わたしは女優のタマゴよ。そのうち映画やお芝居に出るわ。
地下室男  
現在、きみは若くて、奇麗で生き生きしているからうんと高く買ってもらえるけど、こんな生活をもう一年つづけていたら、きみもすっかり変わってしまって、しなびてくるに決まってる。
風俗嬢  おあいにくさま、わたしだってこの仕事、長くやるつもりないわ。
地下室男 そうかい、
いずれにしても一年たったら、きみの相場は下がってくるよ。次々と新しい女の子たちが入ってくる。きみはもっとハードな風俗を要求されるようになる。そして、結局のところこの商売から抜け出せなくなる。こんな商売やっててテレビや映画に出れる娘なんて、殆どいやしないさ。たいてい場末の風俗営業店の方に流れていくんだ。新宿から上野、北千住とね。そのあとは…、月百万、二百万とってた娘が、堅気の十万、二十万の仕事なんかできっこないからね。よくてストリッパーでドサ回り。ソープランドか立ちんぼさ。
そうやって、
だんだんと低みに落ちてゆく。七年ばかり経ったら、いよいよセンナヤ広場の穴蔵まで行きついてしまうわけさ。それだけならまだしもだけれど、そのほかに何か悪い病気でも背負いこむとか… こんな生活をしていると、病気はなかなか早く癒らないから、とっついたら最後、もう離れないかもしれないぜ。 こうして、とどのつまりは死んでしまうのだ。きみは一年間に身元不明死体が何体でると思う。
風俗嬢  知らないわ。
地下室男  2万体以上さ。そのうちの半分が女性だ。誰も知らず引き取り手もなく死体置き場のプールの中にぷかぷか浮かんでいるのだ。
風俗嬢  あ、そう。そうなったら、そうなったよ。心配なんかしてないわ。平気よ。
地下室男 (独り言)まったくどんな神経をしてるんだ。リーザのときなんかもっと深刻だった。沈黙・・・深い沈思があった。
彼女はもうすっかり毒々しい調子で答えていた。
風俗嬢  死んでしまえば、なんだって同じよ。
地下室男  それはそうだが… 
だってかわいそうじゃないか。
風俗嬢  だれが?
地下室男  命がさ。
命がかわいそうなのさ。
風俗嬢  命? なによ、それ?
地下室男  魂さ、きみの。体とは別のものなのだからね。
風俗嬢  なにそれ、意味わかんない。
地下室男 心だよ。心は肉体とは別なんだ。いくら肉体が汚れても心がきれいなら美しい人なんだ。
風俗嬢  あ、そう。なんだかわかんないけど、わたしそんなこと全然思わないわ。肉体がどうの、心がどうのなんか。
地下室男  なんということだ? 人がこんなに優しくしてやっているのに、この女は。
いったいきみは、どんな気でいるんだね? まっとうな道を踏んでるとでも思っているのかい、え?
風俗嬢 どんな気って、関係ないでしょ。風俗がなんで悪いのよ。じゃあ、ヌード写真集を出版したタレントや女優はご立派というわけ。裸で勝負してるわ。おんなじよ。違うっていえるの。
地下室男 (独り言)なんだ。ああいえば、こう云う。いっこうにリーザのように素直にならない。
地下室男、たじたじとなって額の汗を拭う。どうも、まっとうな道の定義が変わってきているようだ。お国柄かご時世の違いかも…。
地下室男 しかし、
きみはまだ若くて、器量もいいんだから、恋をすることもできようし、結婚することもできる。幸福な身の上にもなれるというものだ。
風俗嬢  あきれた、まだそんなこといってるの。
お嫁にいったものが、みんな幸せだとも限らないわ。 第一わたし女優になるという夢があるんですから。
地下室男 (思わずかっとなって怒鳴る)きみは本気で思ってるのかい。はなっから女優になれるって。それを目指すんなら道が違うんじゃないのかい。まずはじめは演劇の練習からだろ。
風俗嬢 バカじゃない、知らないの、テレビに出ているタレントや役者のほとんどは、皆いきなりスカウトされるのよ。それから女優や歌手になる勉強するのよ。下積みなんてないわ。あなた時代遅れよ。頭が古いわ。
地下室男 時代遅れだって! いいかい人間の心は文明のように進歩しないんだ。
風俗嬢  あっそう。もしかして立派な人間ぶってるの。それでごちゃごちゃ説教たれるのね。そうでしょ。
まるで本でも読んでいるような話し方をするんですもの。
地下室男 
よしてくれ、本がどうのこうのと、いってる場合じやないよ。いったい、いったい、きみ自身こんな所にいるのが、いまわしくはないかい?
風俗嬢  男なんかみんな同じね。
なんでもわかる一段えらい人間だと思われたくて偉そうなことを言うだけよ。本当は、欲望だけのかたまりのくせして。
地下室男 きみ、そ、そんな..欲望だけじゃない人間だっているんだ。
(独り言)リーザのときは、最初はうまくいったのに。教えた住所に訪ねてきたんだ。おれの言葉を信じて…それが、彼女は、はじめから信じない。
地下室男、しどろもどろになる。
風俗嬢 (勝ち誇って)どうだか。いいわよ。あなたにその気があれば、つき合ってあげてもいいわよ。たっぷりサービスするわ。
風俗嬢は勝ち誇ったように席を立って妖しく歩み寄る。
地下室男 (がっくりと肩を落としてつぶやく) 二十一世紀においては
ダイヤモンドにも等しい処女の宝である愛は道化に過ぎないのか…。失敬するよ。(ふらふら立ち上がる)
風俗嬢  あら、もうお帰り、つまんない。でも二時間分は、いただくわよ。
呼び込み まいどありがとうございました。
地下室男、店の外に出る。
黒犬 (走ってくる) だんな、どうでした未来のリーザは。自分の宝物、見せてくれましたか。
地下室男  ペテルブルグのリーザが懐かしいよ。
黒犬   ここでもやり込められたんですね。小娘に。のっけから。
地下室男 そうかもしれん…しかし、信じたい、彼女のなかにも金剛石はあることを…。
地下室男、映画『哀愁』の「別れの曲」が流れる深夜の雪の街に消えていく。



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