ドストエーフスキイ全作品を読む会 読書会通信 No.193 発行:2022.8.15
読書会のお知らせ
8月20日(土)に予定していた以下の読書会は、コロナ第7波感染拡大のため
急遽中止いたします。
月 日 : 2022年8月20日(土)
場 所 : 池袋・東京芸術劇場小会議室5(池袋西口徒歩3分)03-5391-2111
開 場 : 午後1時30分
時 間 : 午後2時00分 〜 4時45分
作 品 : 『分身』
会場費 : 1000円(学生500円)
☆10月読書会は、2022年10月22日(土)開催予定です。
時間 14:00〜17:45 作品『分身』
会場 東京芸術劇場小5会議室
☆第70回「大阪読書会」は、2022年10月28日(金)開催予定です。
時間 14:00〜16:00 作品『プロハルチン氏』
会場 東大阪ローカル記者クラブ 携帯080-3854-5101 小野
8月読書会について
コロナ第7波の感染拡大が止まりません。様子見してきましたが、収束の兆しがみえないことから、8月読書会は誠に残念ながら中止にさせていただきます。
予定していた『分身』の報告はとりやめました。本号に報告要旨と資料を掲載しましたのでごらんください。10月読書会では、『分身』報告者に短い解説をしてもらった上で、参加者のみなさんのご意見ご感想をお聞きしたいと思います。残りの時間は、参加者全員の<私の『分身』>フリートークにあてる予定です。本号を持参してご参加ください。
『分身』発表まで (編集室)
1845年 夏『分身、ゴリャートキン氏の冒険』に着手
1846年2月1日『分身』を『祖国雑誌』に発表
兄ミハイルへの手紙 (1846年2月1日)
今日ゴリャードキンが門出します。つい4日前までは書いていたのですがね。『祖国雑誌』で11台分しめることになります。ゴリャードキンは『貧しき人々』より10倍も上です。仲間の連中は『死せる魂』以来、ロシアにこれだけのものは何ひとつ現れなかった、これは天才的な作品だ、といっています。まだまだ彼らのいうことはこれどころじゃありません! まったくゴリャードキンはこのうえなく成功しました。あなたも気に入るでしょう。何がどうということはわかりませんがね! きっと『死せる魂』以上に気に入るでしょう。
V・G・べリンスキーの『分身』評
[医師の管理に属することである](1846年のロシア瞥見)
典拠『ドストエフスキー写真と記録』V・ネチャーエワ 編訳・中村健之介 論創社
『分身』において作者は巨大な想像力を見せてくれた。この主人公の性格は、ロシア文学が誇り得るもっとも深刻で、大胆で、真実なる着想の一つであると言えるし、この作品には知性と真実があふれているし、芸術的手腕にしても劣らずたいしたものである。しかし、それと同時に、あり余る自分の力を統御し、効率よく使うという点では、この作家がまったく無能であるということも、ここには明らかに見てとれる…。しかし『分身』には、今一つ本質的な欠陥がある。それはこの小説の幻想的色合いである。幻想的なものは、現代では、精神病院においてのみ存在を認められるのであって、文学においては認められない。それは医師の管理に属することであって、詩人の与かるべきことではない。
『分身』報告要旨 風変りな解釈 (2022.8.20)
下原康子
『分身』は『貧しき人々』で一夜にして文壇のシンデレラボーイになった25歳ドストエフスキーの第二作です。半年余りで書き上げられました。13章からなる中編で、わずか4日間の物語です。発表当時は『分身 ゴリャートキン氏の冒険』という題名でした。ドストエフスキーの意気込みに反して、文壇では「冗長すぎてとうてい最後まで読み通せない」とはなはだ不評でした。
『貧しき人々』と同様にゴーゴリの影響が顕著です。ストーリーは『狂人日記』そっくり、「分身」のアイディアは『鼻』を連想させます。とはいえ、現在においてもこの2作品ほどには読まれていないようです。
このたび、わたしが、読書会報告として準備した資料のメインは「分身」に関する現代の医学的知見の紹介です。一見、文学にはなじまない情報ですが、わたしにあっては、長い間敬遠していた『分身』を再発見するために必要な行程でした。
<医学的「分身」>という「鍵」を用いることによって、ようやく、身体と精神の両面において《ゴリャートキン=新ゴリャートキン》という発見に至ることができました。『分身』もまた、ディテールにドストエフスキー独自の親密リアリズムが宿る、比類なき「徹頭徹尾真実な物語」でした。ドストエフスキーが「わが主人公」と呼んだゴリャートキンと『貧しき人々』のジェーヴシキン、二人のセリフは取り換え可能なほど似ています。長い間喉につかえた小骨だった『分身』がわたしのお気に入りベスト10の仲間入りをしました。
『分身』のロシア語の原題、ドヴォイニーク(двойник)は、ドイツ語ではドッペルゲンガー(Doppelganger)、英語ではダブル(double)、日本では自己像幻視と呼ばれ、自分とそっくりの姿をした「分身」を見る現象です。古くから神話・伝説・迷信の伝承のなかに、また、文学作品(ゴーゴリ、ポー、モーパッサン、ワイルド、芥川龍之介、梶井基次郎など)のなかで描かれています。一方、医学においては、その現象は幻覚(illusions)と診断される症状なのです。
自己像幻視の現象(症状)は医学用語ではオートスコピー(autoscopy)、日本の医学論文では「二重身体験」と索引されています。純粋に視覚のみに現れる現象であり、たいていは短時間で消えます。現れる自己像の多くは自分の姿や動きを真似るだけの鏡像で、独自のアイデンティーや意図は持ちません。しかし、まれな例として、より奇妙な、本人とその分身のあいだに相互交流がある自己像幻視、ホートスコピー(heautoscopy)が報告されています。分身との関係は友好的な場合もありますが、敵対的なことのほうが多く、どちらが「オリジナル」でどちらが「分身」なのかに関して、ひどい混乱が起こり、最後には「分身」を殺すことで、自殺に追いやられることさえあります。
3点の資料を紹介します。
資 料 1
解 説
米川正夫さんの『分身』論です。今更のように気づいたのは、ゴリャートキンはジェーヴシキンの「分身」であり「継承」に他ならないことでした。のみならず、「ドストエフスキーの創作において、ゴリャートキンは最初の大きな道標の役目をつとめている」という米川さんの指摘に深く共感します。ゴリャートキンもまた、ドストエフスキーが愛した滑稽と悲哀をまとったドン・キホーテの仲間の一人です。
米川正夫『分身』について
(典拠:米川正夫「ドストエーフスキイ研究」第2章:分身(『ドストエーフスキイ全集 別巻』)
ベリンスキイは、この作品に漲っている幻想的な色彩を、根本的な欠陥と見なして、「現代では、幻想的なものは精神病院でのみ扱われるべきもので、文学においてではない。これは医師の管轄の属すべきもので、詩人の関するところではない」と断定している。
しかしながら、かつてベリンスキイは、科学も文学も同様に、自然・人生の真実を究明することを使命とするが、ただ違うところは、科学が理論と証明を手段とするのに対して、文学は形象の再現によって、感情を通して認識させる点に存する、というような意味を述べたことがある。まさしく、ドストエーフスキイは『分身』のなかで「幻想的なもの」(この場合では精神錯乱)という人間的な一現象を、形象によって再現したのであって、ただ芸術的な表現が完璧でなかったというに過ぎない。
1956年に発表された『ドストエーフスキイ』で、エルミーロフが、ベリンスキイの断定を敷衍して、「精神病理そのものは臨床家の分野であって、芸術家のそれではない。『分身』の中ではそれが独立した意義を持った場合が多すぎる」といい、作者は「病める魂の上に超越することなく、主人公の世界感覚と一体化した」ことを責めている。まさしくドストエーフスキイは非凡な作家として、主人公の世界感覚と一体化したには相違ないが、それと同時に「病める魂の上に超越」したのである。もしそうでなかったら、ドストエーフスキイはゴリャートキンといっしょに、発狂していたはずではないか。
エルミーロフは、『狂人日記』の中には詩があるけれども、『分身』にはただ精神病理学があるのみだ、と断定している!それよりもさらに前にベリンスキイは、『分身』によって初めて芸術化された近代文明の産物、近代都会の生んだ現象を、いとも簡単に否定したばかりか、嘲笑せんばかりであった。ところが、ドストエーフスキイは、これを科学の反面である文学によって、大きく肉づけしたのみならず、かかる現象に対して人類的な悲哀をいだき、これを絶滅せんことを、おそらく無意識に祈願したのである。
かくしてドストエーフスキイは、『狂人日記』のポプリーシチンの発狂、『鼻』のコヴァリョフの分裂という二つのテーマを総合して、先師をはるかに凌ぐ思想的な作品を創造した。彼は自分の鋭い感覚と知性をもって、ゴーゴリの幻想的な作品の蔵する魅力を分析し、その思想を深化し、現代化したうえ、どうしてこのような現象が起こるかを示したのである。
主人公のゴリャートキンは、単に地下生活者のみならず、『悪霊』のスタブローギン、『未成年』のヴェルシーロフ、イヴァン・カラマーゾフの先駆者として、ドストエーフスキイの創作において、最初の大きな道標の役をつとめている。ドストエーフスキイ自身も、その意義を自覚して、1877年の『作家の日記』でこんなことをいっている。
「この小説は断然失敗であったが、その着想はかなり立派なもので、あの構想以上にまじめなものは、わたしもかつて文学の中へ導入したことがない。が、形式はぜんぜん不成功であった。その後15年たって、うんと直したけれど、そのときもこの作品がまったくの失敗作だということを、ふたたび確信した。もしいまわたしがこの着想を取り上げるとしたら、ぜんぜん別の形式を与えたであろう」
資 料2
解 説
フロイドの弟子だった精神分析学者オットー・ランク『分身 ドッペルゲンガー』から抜粋しました。みごとにダイジェストされた「精神分析的あらすじ」です。
「高度なその芸術的業績は、パラノイア症候群の特徴を見落とさないだけでなく、妄想の形成を患者自身の立場から周囲の人びととその波紋を描かせていく、完璧な叙述の客観性に特徴がある」と述べています。
オットー・ランク: 精神分析学的『分身』論
典拠:『分身 ドッペルゲンガー』オットー・ランク 著 有内嘉宏 訳 人文書院 1988
第2章 文学における分身像:ドストエフスキー『分身』(P.42-52)
われわれの主題(分身)が最も衝撃的に、しかも心理的に最も深く表現されているのは、おそらくドストエフスキーの若き日の小説『分身』(1846)であろう。ドストエフスキーは精神障害の突発を、──病気に対する認識不足から──自覚せずに、あらゆる都合の悪い体験をパラノイア的解釈から秘密裁判所(フェーメ)の迫害とみなす── 一人の人間を通して描きあげている。妄想とその現実との混同へ徐々にのめりこんでいくさま、── 本来はそれが外的ストーリーに乏しい物語の全内容である ──が、卓抜な手並みで叙述される。高度なその芸術的業績は、パラノイア症候群の特徴を見落とさないだけでなく、妄想の形成を患者自身の立場から周囲の人びととその波紋を描かせていく、完璧な叙述の客観性に特徴がある。破局に至るまでのわずかな数日間に凝縮された展開は、物語全体を転載する以外にはほとんど再現のしようがあるまい。だが、ここではただ、簡単に個々の発展段階の特徴をしるすしかない。
物語の不幸な主人公ゴリャートキン氏名目参事官は、ある朝、役所に出向く代わりに、国政参事官ベレンジェーエフ、つまり、「ある意味で父親代わりになってもらった、大昔からの恩人」の館で催される晩餐会に出かけるために、格別念入りに品よく身支度をする。ところが早くもその道中で、さしあたり彼に計画を変更する気にさせるさまざまなことが起こる。馬車の中から彼は二人の若い役所の同僚を見かけるが、その一人は彼を指さし、もう一人は大声で彼の名前を呼んだように思われた。彼は「この愚劣な小僧っ子ども」に腹をたてているうちに、また新たな一段と都合の悪い事件に行く手を阻まれる。彼の直属の課長アンドレイ・フィリッポヴィチの瀟洒な儀装馬車が彼の馬車の傍らを通り過ぎ、課長は、このような状況で部下に出会ったことにどうやら驚いたとみえる。
ゴリャートキン氏は、「言い知れぬ苦悩に満ちた重苦しい不安にかられて」自問する。「課長に、おれがだれだか明らかにしたほうがいいのだろうか。それとも、まるきりおれじゃなく、おれと取り違えるほど似た、赤の他人のように、何食わぬ顔をしていたものだろうか?」「そうですとも、私はともかく私じゃございません・・・とにもかくにも、全くの別人でございます・・・ええ、それだけのことです」。結局、彼は上役に挨拶をしない。この馬鹿げた振る舞いや、そう仕向けた仇敵どもの悪意を思い出してほぞをかむうちに、ゴリャートキン氏はほんの数日前にはじめて知り合ったばかりだが、「主治医のクレチアン・イヴァーノヴィチに、彼自身の精神安定のために何かとても重要なことを伝えたい切実な欲求」を覚えた。
見るも無残にうろたえながら向かい合った医師に、彼は回りくどく、パラノイア患者特有のあいまいさで、実は敵に、「私を破滅させようと誓いを立てたあの意地悪な仇敵ども」につけねらわれています、と打ち明ける。連中は毒薬さえ手を出しかねないが、とりわけ道徳的に私を葬ることが狙いであり、そのために、さも意味ありげにほのめかされるさる女性との関係が切り札として使われているのです、と彼はさりげなく漏らす。連中がとかく彼を結びつけて中傷する、このドイツ人の女将と、彼がまさに物語の冒頭で訪ねようとする昔の保護者の令嬢クララ・オルスーフィエヴナは、きわめて繊細かつ個性的に説明される色情狂的な彼の幻想を支配しているのである。「このけがわらしいドイツ女の巣窟には悪の諸力の全軍が潜んでいる」と確信する彼ゴリャートキン氏は、恥じらいながら医師にこう告白する。課長と、クララに求婚している昇任したばかりのその甥が、私の噂話を広めたのです。私は以前泊まっていた女将に、食事代のつけを払う代わりに文書で結婚の約束をしなければならなかった、だから、私は「すでに別の女性の婚約者」だなどと。
少し早めに着いた国政参事官の館で、彼はそれとなく歓迎されていないことを知らされ、決まり悪そうに引きさがり、他の客たちが──そこには課長もその甥もいたが──奥に通されるのを茫然として見送るはめにおちる。その後、屈辱的な状況にもかかわらず、彼はクララの誕生日を記念して催される祝賀会に紛れ込み、いざ祝辞を述べる段になると、救いがたい醜態を演じ、一同のひんしゅくを買う。さらにクララと踊る際も彼は足がもつれてつまずき、ついにパーティーの席からつまみ出されてしまう。
深夜、彼は「仇なす敵から逃れるために」、悪天候をついて当てもなく人気のないペテルブルグの通りを駆けてゆく。彼は、「自分自身から身を隠そうとでもするかのように、いわば何よりも自分自身から逃げ出したいかのように」見えた。精も根もつきはて名状しがたい絶望にとらわれた彼は、ついに運河のほとりで足をとめ、欄干によりかかる。と不意に、「たった今、誰かが彼の横、彼のすぐ隣に、同じように欄干にもたれて立っていたように思えた。そして──なんと奇妙なことだろう!──彼に何やら話しかけた気配さえした、早口で手短に、よくのみこめなかったが、何か身近なこと、彼と個人的にかかわりのある話のようであった」。
彼はこの不思議な幻影にかき乱された心を落ちつけようとするが、さらに先を急ぐと一人の男がやって来る。この男こそ自分に向けられた陰謀の主役だと思うまもなく、彼はすれちがいざまに、ひときわ目立つその外見の酷似にぎょっとする。「男も同じようにとても急ぎ足のうえ、同じようにすっぽり外套外套にくるまっていたし・・・彼ゴリャートキン氏と同様、ちょこまかと、せわしなく、小走りに歩いていた・・・」。
三たび同じ見知らぬ男に出会い、途方もなく驚いたゴリャートキン氏は、男の後を追いかけて呼びとめるが、すぐ近くの街灯の光に全身が照らしだされると、人違いでした、とわびる。だが、彼は男をよく知っていることを疑わなかった。「ゴリャートキン氏は男の名前、名字も呼び名も父親の名前までも知っていた。しかし、たとえこの世の宝をみなくれたとしても、決してこちらからは男の名前を呼ばなかっただろう」。
なおも思いをめぐらすうちに、いまや避けられそうにない不気味な出会いを、彼はむしろ一刻も早く待ち望む気になりはじめていた。はたせるかな、ほどなく見知らぬ男はつい目と鼻の先を歩いていた。我が主人公はいまや家路をたどっていたのだが、その紛れもない分身もちゃんと家路を心得ているふうに見えた。分身はゴリャートキン氏のアパートに入り、危険きわまりない階段を敏捷に駆け上がると、ついに、下男が待ち構えていたように開ける住まいに入っていく。ゴリャートキン氏が息せき切って自分の部屋に駆け込むと、「見知らぬ男は、同じように帽子と外套をつけたまま、目の前のゴリャートキン氏の寝台に」腰をおろしていた。どうにも感情をぶちまけられず、彼は「恐怖のあまり体をこわばらせて相手の傍らにへたりこむ・・・ゴリャートキン氏は今宵の友人が何者か即座にわかった。今宵の友人こそ、ほかでもない、彼自身、まさにゴリャートキン氏その人であった。もう一人のゴリャートキン氏でありながら、しかもゴリャートキン氏自身── 一言で言えば、あらゆる点で彼は、いわゆる分身と呼ばれる者であった」。
この前夜の体験が残した強烈な印象は、翌朝の迫害観念の増幅にはっきりあらわれる。以後、迫害観念は、まもなく現実の姿をとり、もはや妄想の産物の中心から消え去ることがない「分身」からいよいよ明瞭に紡ぎだされてくるように感じられる。「職務怠慢のかどで叱責」を覚悟しなければならぬ役所で、主人公真向かいの席に、紛れもなく第二のゴリャートキン氏である、新参の役人を見かける。だが、それは「別のゴリャートキン氏、まったくの別人でありながら同時に、第一の者と全く瓜二つのゴリャートキン氏。同じ背丈、同じ体つきと身のこなし、同じような服装、同じように禿げた頭──要するに、何一つ、いや事実完璧に似せるために何一つ忘れられたものはなく、もし二人を並べて立たせてみれば、だれ一人、まったく実のところだれ一人としてどれが本物のゴリャートキン氏でどれが偽者は、どれが古参でどれが新参か、どれがオリジナルでどれがコピーか、言えなかったであろう」。だが、この忠実な「鏡像」は、そのうえ、同名であり、同じ町に生まれ、両者は確かに双子と見まがうばかりだが、気質の点では、いわば原像と正反対なのである。「鏡像」は無鉄砲者・偽善者・追従者・出世主義者であり、だれにも取り入るすべを心得ているために、不器用・内気・病的なほど誠実なその競争相手をまもなく押しのけてしまう。
これより展開されるゴリャートキン氏と彼の分身との関係は、その描写が小説の主要内容をなしているが、ここでは最も重大な局面しか書きとめられない。最初はきわめて親密な友情関係、いや主人公の仇敵に対抗する盟約さえ結び、彼は新たな味方に最も重大な秘密までも伝える。「僕は好きだ。君が好きだよ、実の兄弟のように好きだ、本当さ。でヤーシャ、君と組んで、やつらにひとついたずらをしてやろうじゃないか」。
ところがまもなく、ゴリャートキン氏は彼の似姿こそ最大の敵であることを嗅ぎつけ、この元凶から身を守ろうとする──分身が主人公の同僚や上司たちの愛顧を横取りする役所でも、また分身がまんまとクララに取り入ったらしい私生活においても。癪なこの男は主人公の夢の中まで追いかけてくる。分身から逃げまどうさなかに似姿の大群に取り囲まれ逃げられなくなる、といった夢をみる。だが、起きているときも、この不気味な関係に悩まされ、挙句のはてにピストルによる決闘を申し込むのである。
この類型的なモチーフのほかに、ここでも鏡の場面がある。しかも、物語が鏡の場面ではじまるのは、その重要性を証拠だてていると思わせる。「さて、ベッドからとび起きるや、彼はまず、箪笥の上に置かれた小さな丸鏡の方へすっとんでいった。鏡に映し出された、近視で髪の毛がかなり薄くなった寝ぼけ顔は、まず絶対にだれの注意もひきそうにない、取るに足らない代物だったが、当人はその映像にいたくご満悦のていであった」。
分身による迫害が山場をむかえる段階になると、ゴリャートキン氏はレストランのカウンターで小さなパイを一個もらえば十倍の勘定を請求され、お客様はこれだけ食べられました、と明確な指摘がある。口も利けぬほどの驚きは、目をあげて「我が主人公がいまのいままで鏡とばかり思っていた」真向かいの戸口に、もう一人のゴリャートキン氏の姿を認めるや、たちまち理解に変わる──つまり人違い、あいつはそれをずうずうしく逆手にとっておれを笑いものにしようとしたのだ。極度の絶望にかられた主人公は、「父親同様の」庇護を求めて最上級の上司を訪ねるが、そのときも同様な錯覚に陥る。閣下と彼のぎごちない面談を突如中断させる「奇怪な客。前にも一度あったことだが、我が主人公がいまのいままで鏡とばかり思っていた戸口に──あの男があらわれた──それは言うまでもなく例のゴリャートキン氏の知人であり友人であった」。
同僚や上役に対する奇怪な振る舞いによって、ゴリャートキン氏は解雇される。だが、他の分身主人公の破局がことごとく女性に結びついているように、本来の破局はここでもクララ・オルスーフィエヴナとかかわりがある。彼の分身や、「ドイツ人の女将」の「弁護人」ワフラーメーエフと手紙のやりとりをしているうちに、手違いから、ゴリャートキン氏は改めて彼の色情狂的幻想をあおる、一通の手紙をひそかに手渡される。その私信でクララ・オルスーフィエヴナは、心ならずも押しつけられた結婚から私を守り、すでに卑劣漢のしくむ陰謀の罠にはまり、いまこうして高潔な救いの神に心中を打ち明けている、この私と一緒に逃げて欲しいと願っていた。
疑い深いゴリャートキン氏は、あれこれ思案に暮れたすえ、やはり呼び声にこたえ、指示通りクララを、夜九時に馬車に乗って彼女の家の前で待つことに決める。だが逢引に向かう道中で、彼はなおも万事を解決する最後の試みを企てる。彼が父と仰ぐ閣下の足下に身を投じ、破廉恥な分身から救っていただきたい、と嘆願してみよう。つまり、「あれは別の人間でございます、閣下。そして私もまた別の人間でございます!彼も一個の独立した人間でございますし、私も独立した人間でございます、本当に、私は完全に自立しておるのでございます」と言うつもりであった。ところが、いざ貴人の前に出ると、彼はうろたえ、どもりながら作り話をはじめ、閣下にもその客人たちにも不審感をうえつけてしまう。とりわけ、その場に居合わせ、ゴリャートキン氏が先に助言を求めた例の医師は、彼を鋭く観察し、もちろん、閣下の寵愛をうける彼の分身もまたそこに居合わせ、結局彼を分身が外に放り出すことになる。
ゴリャートキン氏は長時間クララ家の中庭に潜んで待ちながら計画の利害損失をいま一度すっかり洗い直した。と突然、彼は華やかな証明に照らされたあちこちの窓から見つけ出され──もちろん分身によって──とても愛想よく館に招き入れられる。彼はもくろみが発覚したと思い、不愉快きわまりない事態を覚悟するが、意外にもそのようなことは何も起こらず、逆に、一同から好意的に愛想よく歓迎される。「幸せな気分に襲われ、彼はひとりオルスーフィイ・イワーノヴィチにばかりかすべての客人に対して、いやそれどころか危険な彼の分身に対してさえ、あふれるばかりの愛を感じ、分身もいまでは決して邪悪な敵ではなく、もはや分身そのものですらない、まったくの局外者で親切な人間のように思えた」。
それでも主人公は客の様子から、何か特別なことが準備されているにちがいない、という印象を受ける。つまりは分身と和解させようとしているのだと思った主人公は、接吻のために頬をよせる。ところが、「ゴリャートキン二世氏の下品な顔に何やら邪悪な影が浮かんだようであった──ユダの接吻、うわべの愛情の、あの渋顔が・・・ゴリャートキン氏は頭ががんがん鳴り、目の前が真っ暗になった。ゴリャートキン氏の似姿が果てしない長蛇の列をなして物音もすざまじくドアから部屋の中へなだれ込んできそうな気がした」。
はたせるかな、そこへ不意に一人の男が入ってくる。その姿を見るなり、我が主人公は、「すでに前々から何もかも承知し、似たような事態を予感していた」とはいえ、思わず恐怖にとらわれる。勝ち誇った分身が意地悪く彼にそっと耳打ちするところによれば、それは医者であった。医者は、一同に申し開きをしようとする哀れなゴリャートキン氏を連れ去り、彼と馬車に乗り込むや、たちまち馬車は動き始めた。
「仇敵どもの甲高く響く、まことに抑えがたい叫び声が、別れの挨拶がわりにおくられてきた。しばらくの間、なおも幾人かの人影が馬車と歩調を合わせ、車の中をのぞきこんでいた。だがその数もしだいにへり、ついにはだれも見えなくなった。いまではただゴリャートキン氏の恥知らずな分身だけが残り」、右に左になりながら馬車と並んで走り、別れのキスを送るのだった。しかし、分身の姿もついに消え、ゴリャートキン氏は気を失ってしまう。夜の闇の中でふっと我に返ると、彼は傍らの同伴者から食費も宿泊料も国から支給されます、と聞かされる。「我が主人公はわめき、頭を抱えた──この通りであった、彼はもうとっくの昔にこの事態を予感していたのだ!」
資 料 3
解 説
神経科医によるホートスコピーの症例報告です。ポー、ワイルド、ドストエフスキー、モーパッサンの作品を引用しています。モーパッサン『オルラ』の引用は、
ゴリャートキンの「貴下かもしくは小生か、いずれか一人。われら両人の共存は不可能にご座候」という痛ましい手紙を思い起こさせます。患者Aの証言は、オリヴァー・サックス『見てしまう人々 幻覚の脳科学』などで、引用頻度の高い報告です。
ピーター・ブルーガー : ホートスコピイ、てんかん、および自殺
論 文 名:Heautoscopy, epilepsy, and suicide
著 者 名:Peter Brugger et.al
掲載雑誌:Journal of Neurology, Neurosurgery, and Psychiatry 1994;57:838-839
抄 録
ホートスコピイ、てんかん、および自殺は、主として文学の中で知られているトライアド(3つ組)である。 この論文は、ホートスコピイの経験中に自殺を試みた複雑部分発作の患者を報告する。
ホートスコピイ(heautoscopy)は、マルチモーダル(多様式)な重複的幻覚である。古典的なドッペルゲンガーで知られているように、鏡で見られるような身体または身体の一部の単なる視覚的な幻覚であるオートスコピイ(autoscopy)の特徴に加えて、身体から離れた経験(out of body experiennce)と自分の身体から物理的に分離されているという主に身体的な錯覚をあわせ持っている。
伝統的な民間伝承では分身(ダブル)は常に死の前兆と考えられているが、医学的にはさまざまな神経障害や精神障害の枠組みで説明されており、健康な被験者でも経験される可能性がある。ホートスコピイは小説でよく見られるテーマであり、分身の出現は主人公の死を告げることが多く、通常、その死は自殺である。
その最も劇的な例は、エドガー・アラン・ポーの「ウィリアム・ウィルソン」で、彼は分身を刺そうとして自殺する。また、オスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』、フランツ・ヴェルフェルの『Spiegelmensch』、フリードリヒ・フォン・ゲルスタッカー『ドッペルゲンガー』の主人公たちも自殺で、第二の自分に取りつかれた恐怖から逃れた。 フョードル・ドストエフスキーの有名な小説『分身』のホートスコピイは、主人公がわれと我が身から逃れたいと願っていた、まさにそのときに初めて現われた。ギィ・ド・モーパッサンの『オルラ』の主人公は、最後に、分身を殺そうとする。「そうだ・・・いささかの疑いもなく・・・あいつは死ななかったのだ・・・すると・・・つまりおれが死ななけれなならぬのだ!・・・」。
これらの作家の何人かは、てんかんを患っただけでなく、おそらく個人的な経験としてホートスコピイを知っていたと思われる。しかし、ホートスコピイと自殺思考との関連が自伝的経験に基づいているかどうかは不明である。 次に述べる患者は、ホートスコピイ、てんかん、自殺という3つの関連を示唆する症例である。
患者Aの症例
21歳の右利きの男性。15歳まで問題になる病歴はなかった。15歳のとき複雑部分発作を発症した。彼は1日3回まで、非常に速く過ぎ去る一連の個人的な感覚を経験し、その間、右手につかんだ物が落ちると報告した。まれに全般発作が起こった。 神経学的および身体的検査は正常だったが、右手を素早く動かす動作速度が低下していた。 発作間欠期脳波は、特に呼吸亢進時に活発な左側頭葉てんかんの焦点といくつかの右側頭葉てんかんの放電を示した。
17歳で頭皮電極を使用した長期ラジオビデオテレメトリー、21歳で卵円孔電極を使用して、彼の典型的な複雑部分発作の6つが記録された。発作の1つを除くすべてが左側頭領域で始まり、放電が右側頭領域に急速に広がっていた。
複雑部分発作の1つは右中脳側頭起源であった。 この発作は、睡眠中に記録され、左中深部起源の複雑部分発作が終了した直後に記録された。 患者は、carbamazepine、 oxcarbazepine、 phenytoinなどの抗けいれん薬で治療されていたが、デジャヴのエピソードを1日2回まで経験しており、一定の効果しか得られなかった。 17歳のときのCTでは、左中基底側頭葉に低密度の2cm病変が認められ、4年後にMRIにより多嚢胞性であることが示された。PETは左側頭葉の代謝低下を示し、包括的な神経心理学的検査は、言語の重度の障害を示唆したが、それは左側頭葉機能障害と互換性のあるエピソードではなかった。 その後、左中深部腫瘍が外科的に切除された。組織学的には、胚形成異常の神経上皮腫瘍として分類された。
訳者注:以下の患者の証言は オリヴァー・サックス『見てしまう人々 幻覚の脳科学』(第14章 ドッペルゲンガー 自分自身の幻)に引用されている。その箇所の訳を転載した。
ホートスコピイが発現したのは入院の少し前だった。患者は フェニトインの服用をやめて、ビールを数杯飲み、翌日はまる一日寝ていて、その晩、三階にある自分の部屋の真下にある大きい茂みのなかで、困惑してブツブツ言っているところを発見された。茂みはほぼ壊滅状態だった。地元の病院に運ばれ、胸部、骨盤など複数の打撲傷が認められた。患者は錯乱状態にあり、脊椎および右足を動かすと痛みに反応したが、放射線学的には骨折はなかった。
患者は次のように説明している。その朝、彼はめまいがするような気分で起きた。あたりを見回すと、まだベッドに寝ている自分が見えた。 彼は「自分だとわかっていて、起きないので仕事に遅刻する危険を冒しているこの男」に腹が立ってきた。その体を起こそうと、まず大声で呼びかけ、次に揺さぶってみて、そのあと何度もベッドのなかの分身に飛び乗った。寝ている体は何の反応も示さない。 そのときはじめて患者は、自分が二人いることにとまどい始め、どちらが本当の自分かわからなくなったことへの恐怖が募った。自覚のある体が、立っているほうとまだベッドで寝ているほうとで何回か切り替わった。ベッドにいるモードのとき、はっきり目が覚めているのに完全に体が麻痺していて、自分の上に覆いかぶさって自分をたたいている人物におびえていた。
彼の目的はただ一つ、再び一人の人間になることだ。窓のそばに立って(まだベッドに寝ている自分の体が見えて)窓から外を見て突然、「二つに分かれているという耐えがたい感覚を終らせるために」、飛び降りることにした。同時に、「この捨て鉢の行動がベッドに寝ている自分を怖がらせ、もう一度私と合体することを促す」ことを願っていた。次に覚えているのは、痛みで目が覚めると病院にいたことだ。
考 察
発作に関連したホートスコピイはよく記録されている。頭頂部または深部側頭病巣の患者で最もよく見られる。複雑部分発作の主たる内容である場合もあれば、大発作に先行する内容の一部である場合もある。私たちの患者のように、経験中の自我は不安定である。ある瞬間には自分の体に閉じ込められ、次の瞬間には分離され、自分の体を外側から見たと報告する。 ホートスコピイは、特に発作との関連において、しばしば激しい恐怖または絶望感を伴う。
ホートスコピイで自殺に至った最初の実録には、昼夜を問わず、ドッペルゲンガーに迫害されたと感じた男が自分を撃ってそれを取り除いた、と述べられている。興味深い実録の1つは、ホートスコピイとは別に側頭葉のてんかんを強く示唆する感覚と精神の状態を示した若い男性の例である。 彼はホートスコピイのエピソードにおいて、自殺を試みる自分を見ながら、同時に山から落ちる自分を感じていた。4年後、彼は岸壁の下で死体で発見された。
Lukianowiczの患者が恐れていたのは、てんかん発作よりも度重なる分身の出現だった。彼は気が狂うのを恐れていて、モーパッサンの『オルラ』の主人公と自分を何度も見比べていた。ある日、彼は路面電車に飛び込みその場で死んだ。40歳の看護師は、学生時代から強直性発作を起こしていた。発作の前には、決まってホートスコピイが先行し、虚しさと惨めさがぐんぐん増大し自殺について考えるようになった。ついに彼女は自殺した。
ホートスコピイ、てんかん、および自殺は、以前に認識されていたよりもよく見られるトライアド(三つ組)である可能性があるが、それぞれの間の相互関係についてはほとんど知られていない。うつ病とてんかんは一般的には関連しており、自殺企図はまれではないため、ホートスコピイの希少性を考えると、トライアドは単なる偶然の一致に過ぎないと主張することはできる。しかしながら、私たちの患者のような少数の生存者の鮮明な説明は、明らかにドッペルゲンガー体験と自殺衝動との因果関係を示唆している。ホートスコピイの臨床体験は民間伝承で知られる「死の予兆」としての「分身」理解の確認を求めている。
(下原康子訳)
6・4読書会報告
参加者10名。コロナ感染の影響で、参加者は少なかったが『貧しき人々』に加えて『外套』や『駅長』についてもさまざまな感想・意見が出ました。
読書会で朗読・紹介された箇所
【プーシキン『駅長』についてのジェーヴシキンの感想】(7月1日手紙)
【ゴーゴリ『外套』についてのジェーヴシキンの感想】(7月8日手紙)
ドストエフスキ―作品における『駅長』と『外套』の類似場面
【ルーブル紙幣を投げ捨てる。『駅長』との類似】
【閣下の御前で。『外套』との類似】
投 稿
わたしの 『貧しき人びと』
上垣 勝
(序)
都はるみさんが歌う「女の海峡」が聞こえます。
? 別れることは 死ぬよりも もっと淋しい ものなのね
東京(ペテル (ブルグ))をすてた 女がひとり 汽車(ばしゃ)から船(そり)に 乗りかえて
北へながれる… 夜の海峡 雪が舞う
砕けた恋(ゆめ)に 泣けるのか 雪がふるから 泣けるのか
ふたたび生きて 逢う日はないと 心に決めた 旅なのに
みれん 深まる… 夜の海峡 わかれ波
いのちと想う 愛も無く 海の暗さが 眼にしみる
汽笛よ波よ おしえておくれ 私の明日は どこにある
こころ冷たい… 夜の海峡 ひとり旅 ? (ルビは替え歌)
ロシア人の魂はどこか日本人の魂に通じるとか?もしかすると日本人の魂の故郷(ふるさと)?演歌にそれがあるかも知れませんね。都はるみ扮するワルワーラが、そして「読む会」の皆が、コブシのきいたはるみの声で、オーラを放ってこれを歌えばどうなるでしょう。
(1)
6月の読書会で話題になったように、確かに『貧しき人びと』には中年男の巧妙な援助交際らしきものが見え隠れします。また30歳ほど年齢差がある一種の純愛交際にも見えます。ところどころで男性が愛を告白するような場面も見られ、女性もニュアンスこそ違え優しい愛情を示しますから、そう見られてもおかしくないでしょう。ただ二人に不思議と肉体関係がないのは不自然だという人もあるでしょうね。だが、むろん魔がさせばそんなことも起こらないとも限らない危うい所にいますが、それはあいにく起こりません。事実ここにあるのは、靴底がはがれパクパクする古靴を履き、半分近くのボタンがとれて一本の糸にやっとぶら下がっているボタン一つがある服を着た、人生に敗れた薄汚れた人物はいるが、全編には性愛に堕ちない清潔感が漂います。もし現代日本人の性愛を当然とする小説に妥協しちまえば、作品の薫りはすっかりなくなったでしょうね。
物語は、ワーレンカの手記からグンと深まり、手記の2からはほぼ目を離せなくなり終わりまで一気に読まされます。恐らくベリンスキーたちもそうだったでしょうし、若き下原さんもそうだったかな?それまでは夢のような話ですが、ここから実にリアリティのある15歳の少女の手記として、万人の心を打つものになります。息子ポクロフスキーとワルワーラの短い心の出会い、貧しい彼の死と、息子の前でおどおどしその死の前でオロオロする父ポクロフスキーの物語、ワルワーラの母の死など。手記の前までは、老人と遠縁の若い女性のたわいない交換日記の類(たぐい)ですが、手記以降は俄然現実味を帯びた物語となって立ち現れ、貧しき人々の群像が目の前に登場します。
その後明らかになるのは、この二人こそ貧しき人であるという事実であり、やがてそれはもう手のつけようのない貧しさとなってありありと目の前に描き出されて行きます。ワルワーラは今や、主人公と人生を共に、小庭を隔てて、差し向かいで生きる存在であり、彼はいとしく思うゆえに借金までして尽くす中でどんどん落ちぶれ、自分でも自分が嫌になり、酒に酔い潰れ、欠勤するので、職場で一層疎外されて孤立します。200年前のロシアのことですが、眼を転じれば現代の日本でもこうした情況で暮らす身近な人たちがありそうで心痛みます。
やがて、「貧しき人びと」のクライマックスが近づき、パカパカする泥靴を履き、よれよれの服を着た主人公、僅かに糸がつながって上着にぶら下がっていたボタンが落ちて、閣下の足元辺りまで転がって行く事件。そしてあろうことか、同僚が去った後、閣下が百ルーブル紙幣を主人公に渡し、顔を赤らめて握手するシーン。ジェーヴシキンだけでなく、涙腺が詰まった老人でも、しばしば涙で先を読み進むことができません。詰まりすぎず間伸びもせず、緩急をつけながらちょうどいい所でストーリーが高揚して高まって行く。これではやっぱり敏彦さんでなくてもすっかり参って虜にされますね。
さて、人生を共に差し向かいで生きていたような天使さんのようなワーニャが、一転、大陸の奥深く、地平線まで続くステップ地帯に、愛なき人と生活のために去って行きます。兎狩りに明け暮れる地主のブイコフとの間に何の愛も、ましてや魂が出会って差し向いで生きる思いはなく、生活に行き詰まり果てた現状を何とか打開するための女の苦肉の策。生活のための結婚です。それにしても彼女の前には広々とした世界があり、人生の馬車道はステップの遠く、未来はどこまでも続いているように見えます。いや、彼女の本心は、あなたのかわいそうなワーレンカを忘れないでねと、涙をふきこぼしつつ後ろを振り返り、いや、彼に手を伸ばし身体も伸ばしつつ、都はるみの歌と共に?馬車に揺られて去って行こうとするのです。
だがそれに対して、主人公のジェーヴシキンは、かけがえのない彼女を追いかけると寝床から声をからして語りつつ、明日は起き上がると言ってただただ叫ぶだけです。彼の魂は「差し向かいで生きて来た」天使さんであった彼女を求めて、魂は渇きに渇き、声をからしにからして駄々をこね、彼女の名を呼ばわりながら、今は人間ひとりが生きるか死ぬかという大事な時なんですよと呼ばわりながら、馬車の後から力の限り、息の根が絶えるまで、駆けていきます、と記して終わります。
(2)
素人の愚かな散文で間延びしたでしょう?すみません。いったいこの小説は何を語り、青年ドストエフスキーは何を求めたのでしょう。23歳の君は何が言いたいんだい?
ジェーヴシキンは、ワルワーラが家庭教師の口があると聞くと断固やめさせようとし、最後に彼女がブイコフのもとに行く決心をした時は、子どものように何とか止めようと駄々をこねるような言葉を連発して最後の最後まで書き連ねます。
上にたどったように、ジェーヴシキンが一貫して求めているのは、「自分と差し向かいで生きてくれる存在」と言っていいでしょう。同伴者と言ってもいいかも知れません。心を許して差し向かいで生きてくれる人です。彼はワルワーラを愛し、ワルワーラも彼に愛情を抱きます。心を許してあれこれと相談し、父が娘を愛し、娘がその父を案じるように、それ以上に相互に思い遣り、共に落ちぶれて行く姿で、共に愛おしみ励まし合います。彼は、職場にも、長屋にも一旦は心許せる人たちがいるかのようでしたが、やがてはそんな人間はどこにも居らず、彼女だけが唯一そうした存在になります。だが、「心を許して差し向かいで生きてくれていた」その人が、安定した生活を求めて結婚を決め、突然遠くに去って行くのです。ああ……。
一体どこに、「どこまでも自分と差し向かいで生きてくれる存在」はいるのか。そういう存在は本当に世にいるのか。自分でそういう存在を作ろうと努力するしかないのか。たとえ作っても、いつかは何かで別れが来るのか。また永遠に共に居る存在があると思えても、それは幻想、想像の産物、単なる詭弁でないか。この小説は、後期の作品のようにまだそこまでは行きませんが、やがては必然的にそのことを問おうとしているように、私には思えます。では、永遠に、真に差し向かいで生きてくれる存在、永遠の同伴者はどこにいるのか。若きドストエフスキーは自覚してか、しないでか、それを探しに作家人生の旅を始めたように、私には見えるのです。
「二重人格」=「分身」。自分を対象化し、自分の中を探してもその存在はあろう筈はありません。いや、自分の分身を扱おうとすると、めまいするような奇妙な感覚に襲われ、一種のグロテスクなものが登場します。私の愚かな想像では、この作品が一旦は注目されたが後には評価を下げたのは、この奇妙さ、言いようのないグロテスクさが一般の人には受けなかったに違いありません。私は凄い追求力だと感心すると共に、正直なぜか胸糞が悪くなったのを覚えています。人の心にある謎は、ここまで重く分裂し、重篤であるとさえ思いました。後年の奇妙な作品、「鰐」の軽快な明るさは、まだどこにもありません。
さて、ドストはその後暫くの年月が経ち、やがて彼の身に降りかかった長い突然のシベリア流刑が訪れます。その中で彼は予期せず、永遠に、真に、人生を自分と差し向かいで生きる存在に出会ったと言っていいでしょう。私にはまだそのいきさつも詳細もよく分からない愚かな素人ですが、よく分かりませんが、それはイエス・キリストでしょう?違います?その同伴する神、永遠の実在に出会わなければ、「罪と罰」も、「白痴」も、「悪霊」も、「カラマーゾフの兄弟」も生むことはなかったのではないかしら。そうじゃありません? 彼がその実在に出会った場所は、あの「地下室の手記」で語られた誰にも言えない心の暗がりであったに違いありません。いや、そのような深い実存での出会いなしには、あれ程の影響をこの作家に、またいかなる人間にも与えはしないでしょう。「どんな人の思い出のなかにも、だれかれなしにはうちあけられず、ほんとうの親友にしかうちあけられないようなことがあるものである。また、親友にもうちあけることができず、自分自身にだけ、それもこっそりとしかあかせないようなこともある。さらに、最後に、もう一つ、自分にさえうちあけるのを恐れるようなこともあり、しかも、そういうことは、どんなにきちんとした人の心にも、かなりの量、積もりたまっているものなのだ。」(「地下室の手記」)。
連 載
「ドストエフスキー体験」をめぐる群像
(第102回)『広場31号(2022.4.)』合評会掲載論文等への「感想」
福井勝也
@ ドストエフスキーにおける「謙虚・スミレーニエ」の意味について−木下豊房論文
一見地味な標題ながら、作家像の本質論に根ざし、結果的にアクチュアルな問題提起を強く帯びることになり、今回「特集号」に相応しい巻頭論文だと感じた。本論考は、同じ筆者の「ロシア民衆の宗教意識の淵源 正教思想の伏水脈「ヘシュカスム(静寂主義)」とドストエフスキー」(『現代思想』生誕200年記念《総特集》ドストエフスキー(2021.11.25)所収)と前後して発表された関連論文で、今回両論考を併読させて頂いた。そして、木下氏のロシア・ヘシュカスム(静寂主義)への言及は、『広場27号(2018.4.9)』掲載の「『カラマーゾフの兄弟』におけるヨブ記の主題とゾシマ長老像、及びその思想の源流」から始まっていたことを指摘しておきたい。そこでのゾシマ像の探求において、既にその要点が次のように語られていた。今回論文もそうだが、ジイドのドストエフスキー論が結論に影響しているのが興味深く、日本のドストエフスキー受容のあり方との関連の指摘も重要だと感じた。
ドストエフスキーの作品解釈に絡んで、(‥‥)「謙虚」と「禁欲」を旨とする「ヘシュカスム(静寂主義)」に発するロシア人の伝統的宗教意識も、ドストエフスキー理解には欠かせないものだろう。この宗教意識は教義(ドグマ)や道徳的定言命令とは無縁な、哲学的人間学に近しいものといえよう。(‥‥)このように見てくると、ドストエフスキーの創作方法の内側には、このロシア固有の伝統的な宗教意識に根ざす人間観が脈打っており、バフチンのいうドストエフスキーの対話的人間観と創作方法の本質も、実はロシア人のこの伝統的な宗教意識に淵源を遡ることが出来るのではないかという仮説に、私の関心は向かっている。(『広場27号』、p.111)
本論考(『現代思想』掲載論文も)では、その元々の「関心」を引継ぎながら「ヘシュカスム」の起源から現在までの歴史的経緯が、ドストエフスキーに関連してより広範に語られている。そこでは「所有派」(スチャジャーテリ)と「非所有派(清貧派)」(ネスチャジャーテリ)の相克(「ポジとネガ」)が詳らかにされ、現代ロシア正教会の問題のあり方までが射程に入ろう。筆者が総括した、現代的課題を解くドストエフスキーの「夢」が二つの論考の中でも同じように基調に据えられている。
そこでの提言は、その後に起きたロシアのウクライナ戦争によって、ドストエフスキーを正しく理解することが今如何に重要かというアクチュアルな問題にも繋がっていると感じた。無論、筆者は「戦争」まで予期していなかったのだが。やや長文だが、二論考の趣旨が総括的に述べられている『現代思想』論文の末尾までの文章をここに引用したい。当方には、ここでの提言が実行されたなら(ドストエフスキー、ヘシュカスムの夢が正当に受容されたなら)、ロシアによるウクライナ侵攻(戦争)はありえなかったのではと思われた。
ドストエフスキーは、「俗界に在っての修道」による人格個体の心身の変容の夢(タボル山の光)を追いながら、並行してもう一つの夢を追っていた。それは「英知(愛)」、「改悛」、「憐憫」、「自然や他者との一体感」といった徳目を踏まえた霊的共同体(ソボールノスチ)を人類の未来に実現する夢である。それはシベリア流刑後の六〇年代から「土壌主義」(ポーチヴェニチェストヴォ)を標榜してのロシアの民衆のメンタリティとは何かの探求であった。それは国家権力に癒着した所有派(ヨシフ派)系流のロシア正教の顔とはむしろ裏腹の、そのネガともいうべき、「神の似姿」に造られた人間(正教思想特有の人間観)の自由な、開かれた、変容可能な、コスモポリティックでポリフォニックな世界建設の夢の探求であった。これまでのところ、この正教思想の伏水脈であるヘシュカスムの夢が、神権政治の本流と化した所有派(ヨシフ派)の文脈に掠めとられ、「ロシアメシア二ズム」というナショナリスチックな看板に塗り替えられたことによって、かんばしからぬ反応を読者に引き起こしていると危惧されるのである。今や私達読者、研究者には、ドストエフスキーの思想が遭遇しているそのような文化史的なコンプレックス、二重性を透視して、ロシアの民衆の理想と一体化したドストエフスキーの夢を正当に理解する時期が来ている。(『現代思想』掲載論文p.213、太字は福井、「夢」という字句を追った)
A 「神の観念の破壊」について − 熊谷のぶよし論文
今回『広場』「特集号」を一通り読み終わって、貴重な収穫が得られたと感じたのが本論考であった。筆者は本誌の編集責任者であり、その後記で自作論考について「「観念的な議論」にはいっさいよらず、イワンの心の中の「神の観念の破壊」のヴィジョンをたどって見た」。と簡潔に書いている。本論文の意義を客観的かつ率直に自己評価していると思った。ドストエフスキーの小説は、神学あるいは哲学的思考を孕む形而上学的作品だとされる。その最たるものが『カラマーゾフの兄弟』におけるイワンの「神がなければすべては許されている」という思念(人肉嗜食の奨励を含む)だろう。さらにイワンには、モスクワ時代の叙事詩「地質学変動」による「神の観念の破壊」(人肉嗜食の回避を含む)から<神無き理想社会>へという思惟の連続が語られる。この一見相矛盾する思想の真実を丁寧に追いかけて見せたのが、今回の熊谷論文であったと思う。
ここでいきなり一つの質問を思い着いた。賛否ある人肉嗜食の議論がイワンの更なる叙事詩「大審問官論」に成長したと考えられる。そのイワン(あるいはキリーロフ)が説いた<神無き理想社会>と「大審問官論」がどのように関係するのかを聴きたいと思った。最初の読後感に戻るが、形而上学(神学)的問題を小説という文学形式で思索して見せたのが作家ドストエフスキーであった。そのやり方は、各々の作品で、各々の登場人物達に、その各々の生きる時間の中で、その思惟同士を対話させる方法をとった。そのこと自体が彼の思惟全体であって、そこには作家の結論はなかったように読める。
それにしても、『カラマーゾフの兄弟』のような大作長編となると、だれが何をいつ語ったか、その事実すら読者はそのうちに忘れてしまう。後から頁をめくって考えようとしても、元々の大問題の謎の中にうっかりせずとも巻き込まれてしまう。今回熊谷さんがやったことは、愛読者としての読書力を十分発揮することで、問題を物語の中に正確に追いかけ、それを丁寧に語り直してくれたことだろう。結局、それが編集後記のあの言い方となった。自分はこのやり方、人類の大問題をドストエフスキーが物語る展開に沿って、筋目正しく辿って見せてくれたことに意義を感じた。問題が、それ自体として正しく提起し直された実感を得た。問いの立て方の正しさは、問題がほぼ正しい解へ既に導かれたことになる。
実は、当方の本論への興味はイワンの「神の観念の破壊」よりも、むしろその前提理論、人間の生物学的変化を生み出す大規模な環境変化としての「地質学的変動」の方にあった。それは他でも既に述べたことだが、ここしばらく某所でベルクソン(1859-1941)の哲学を学び、丁度このところ、ベルクソン四主著のうち第三作『創造的進化』(1907)と最終作『道徳と宗教の二源泉』(1932)を並行して読んでいて、そろそろそれらの終わりが見えて来ている。イワンの「地質学的変動」の議論に興味を感じたのは、生物進化論を扱った『創造的進化』のみならず『道徳と宗教の二源泉』の両者叙述部分と共振するものがあったからだ。実はこの二作の刊行間隔こそ四半世紀の年月があるが、後者の遺言的著作は、生物学的進化論を哲学的に批判する内容の前作をなくして書かれなかったものだろう。それくらい一体的かつ順序を追って読むべき両著だと、現在痛感しているところである。
ドストエフスキー(1821-81)は、ダーウィンの(1809-82)『種の起源』(1859)の歴史的洗礼を受けていたはずだ。その影響下ドストエフスキーは、イワンに生物学的変化を導く「地質学的変動」を語らせて、結果それを越えさせようとした。その前に、イワンの無神論の出発点はダーウィンの神学否定にあった。ドストエフスキーは基本的に、ダーウィンの世紀を生きたと表現できよう。しかし今回、当方はダーウィン、そのダーウィニズムを哲学者として後年批判的に再考したベルクソンとドストエフスキーとの関連に気付かされた。ベルクソンの二著(特に、後著『二源泉』)に拘る理由だが、それはベルクソン哲学の到達点とも考えられる問題であった。すなわち、回避すべき(世界大戦以後の)人類的危機を目前にして、自然(宇宙)が仕組んだ新たな人類種の創造的な誕生と進化の道筋を説く希望の哲学。それこそベルクソンが、恰もドストエフスキー文学から学んだ内容であるように感じられた。そして本論考は、当方に、よりクリアーにその問題を明らかにしてくれた。
ドストエフスキーがイワンやキリーロフに語らせる「神の観念の破壊」によって成立する<神無き理想社会>というヴィジョン。それが生み出されるためには、新しい人間の誕生がその前提に必要になる。この点で、今回の論考で特に興味深く読んだ箇所がある。イワンの他にキリーロフにも注目して、その二人の違いのあり方を丁寧に語る次の部分だ。
キリーロフとイワンはともに自然の変動と精神の変容の強い結びつきを確信しているが、その因果関係においては、両者の考える方向性は正反対といえる。キリーロフでは、「人間が神になる」という実存の変容が物理的変化の原因であるが、イワンでは環境の激変が実存の変容の原因となっている。キリーロフには主観が客観に影響を及ぼすという発想があるが、これはかなり神秘的な発想でイワンにそれはない。イワンは自然の因果関係の範囲で、物理的な「地質学的変動」を原因とし、その結果としての実存の変容を考えている。環境の激変に適応するための進化論的な身体の変化が主観を根本的に作り変えてしまう。その時に「神の観念の破壊」がおこる。「神の観念の破壊」は、科学的な知見の集積により蒙が啓かれ神が否定されるという啓蒙とは異なり、自然と肉体と精神の関係の直接的な変化によっておこる。この直接性においてキリーロフとイワンには通じるものがある。(『広場31号』p.59、太字は福井による)
この部分が気になったのは、キリーロフとイワンの人間変容の差異を丁寧に辿って見せる表現自体に何か既視感が伴ったからであった。しかしよく読むと、この二人の主観(実存)客観(環境)のどちらを優先させるかという議論は、「神の観念の破壊」に到達する辺りでその差異が消えて、最後には両者同じようなものになる。そのうち、自然と肉体と精神を一挙に飛躍させる言葉が、「直接的な変化」「直接性」というキイワードであることが分かった。しかしこの言葉は、そもそもどこから来たのか、そうとしか言い得ない内容なのか。
考えてみると、はじめに熊谷氏が拘ってみせた主観(キリーロフ)対客観(イワン)の議論は、ダーウィンの進化論を含め様々に主張された生物進化説において、実はその科学的説明の土台になったものであった。それは、結局は唯心論(観念論・目的論)か唯物論(実在論・機械論)という古典哲学の二元論的世界の反映的思考でしかなかった。実はベルクソンの『創造的進化』という著作(前半)は、この生物科学的説明の根拠の不完全さについて、各種進化説の不備を丁寧に検証するものであった。この点で、引用の熊谷氏(ド氏?)の議論は、途中それと似た経緯を辿って、最後「直接性」というキイワードによって、新たな世界が開かれた。おそらくそれは、ドストエフスキーが仕掛けた「進化説」を丁寧に辿り直した結果によろう。その点でやや結論的に言えば、その「直接性」と言う言葉こそ、ベルクソン哲学の「創造」(「生命的飛躍」)あるいは「持続」というキイワードではなかったか。
さらにここで気になったのは、「神の観念の破壊」という場合、そこでのキリーロフとイワンの言う「神」とは何かという問題である。ベルクソンの『道徳と宗教の二源泉』に照らせば、人類種変容の可能性が出現する以前の宗教、言わばその既成宗教を「静的宗教」と彼は呼んだ。そして人類種変容が可能になった以後の宗教を、ベルクソンは「動的宗教」と呼んでいる。この点で、キリーロフとイワンの「神の観念の破壊」の「神」とは「動的宗教」のそれではなく、既存宗教「静的宗教」の「神」と考えるべきだろう。それは二つ宗教が、次元の違う質的差異を有するからだ。このことは、以下の議論とも関係してくると考える。
すなわち、ベルクソンは『道徳と宗教の二源泉』において、例えばキリストの存在を「動的宗教」を導く「特権的魂」のシンボルとして位置づけ、現段階の人類は「静的宗教」に止まりながら「動的宗教」を目指すべき段階と考えている(静的宗教と動的宗教の併存)。そこで重要なのが、既に変容(「創造的進化」)を遂げた者(例えば「キリスト」)の真実に感化され(「神秘家」)、それを広める者たち(「伝道者」)の存在だ。この点本論で、真実に「覚醒し」かつ「伝道」する者である『おかしな人間の夢』が引用されているのは、興味深いと思った(『広場』p.58)。ここには、ドストエフスキーの究極の「夢」も描かれていた。
特に、この「男」(「神秘家」ゾシマと「伝道者」アリョーシャに比すべき者)とイワンの存在を結びつけたことは、本論筆者の慧眼だと思う。そして、この「男」が夢で見た楽園のヴィジョンが宇宙体験の産物であったことも大切な要点であろう。それは当方に、ベルクソン哲学の有り様を連想させる。それは明らかに、キリスト教など特定の教義に与するものでない。あくまで『創造的進化』の筆者による、物質的傾向と生命的傾向の充満という自身の宇宙規模の「神々」の世界観によって、人類の持続する生命の未来のあり方を最後鮮明に語るものであった(『道徳と宗教の二源泉』)。この点ではその最晩年に、ドストエフスキーが『おかしな人間の夢』という宇宙小説を書き、人類の未来のビィジョン(「伝道者の夢」)を描いて宇宙規模の宗教観を説いたことに、それは重なっているように思えた。そして本論の最後、ゾシマが説く「救済」のかたち(人肉嗜食とその回避が、民衆の信仰と謙譲から現れるとする)とイワンの「神の観念の破壊」によって「救済」の目的が同じ様に達成されるという結論に、筆者熊谷氏が下記のように説明していることに注目した。
神無しに個々人が死に向き合う時の矜持は、人間を「謙譲」に導く。彼らが「傲慢」であると称されなければならないのは、その「謙譲」が神によらずになされるからだ。しかし神によらずになされる「傲慢」な「謙譲」は、最後に神を呼び寄せるのではないであろうか(『広場31号』p.59、太字は福井による、なお余談だが当方「特攻」を連想した)。
その後熊谷氏は、論考の「むすび」で、イワンの「地質学的変動」後のヴィジョンを語るヴェルシーロフにおいて、最後イワンにおいても「キリストの再臨」「神の再臨」を呼び寄せている。この結末は感動的だが、一見唐突な「希望」の言明のようにも見える。そもそも、ここに出現する「キリスト」とか「神」とは何ものか。熊谷氏も最後注でも拘っているが、ドストエフスキーのここでの一連の議論は、ダーウィンが開始した進化論による時代的制約を被るものであった。しかしドストエフスキーはそれを「地質学的変動」の潜在的エネルギーの現実化によって未来的に越えようとした。ベルクソンも、そのことを科学的な思考のみでは間に合わぬので、自身の哲学の言葉によって同じように突破しようとした。それが最後、彼の人類への「遺言」になった。 (2022.7.31)
お知らせ
芦川進一 (河合文化教育研究所・ドストエフスキイ研究会) より。
河合文化教育研究所の「ドストエフスキイ研究会」に関連して、以下に二つほどお知らせをさせて下さい。
[1]「ドストエフスキイ研究会」のHPがリニューアルされました。
「ドストエフスキイ研究会便り」は既に43回ほどになりましたが、様々なテーマが混在していてアプローチがし難いとの意見が寄せられていたため、この度リニューアルされました。新たに整理されたライン・アップは以下の通りで、何処からでも入ることが可能です。
1.はじめに
2.研究会30年の活動 ―五つの軸に沿って―
3.ドストエフスキイ研究会便り (3)〜(7)聖書論/(8)〜(13)スメルジャコフ論
4.ドストエフスキイ研究会便り (14) 新型コロナ・ウイルスとドストエフスキイ
5.ドストエフスキイ研究会便り (15)〜(26)講演記録
6.肖像画・肖像写真 (1)〜(9)
7.予備校graffiti(グラフィーティ) ―私が出会った青春― (1)〜(6)
今後の「研究会便り」は、親鸞仏教センターの若手研究者と続ける研究会での発表を基に、(26)の「『カラマーゾフの兄弟』の「光」について ―ゾシマ長老とアリョーシャが表現するもの ―」を出発点として、約10回にわたりドストエフスキイのキリスト教思想の本質について考察を試みる予定です。これが聖書に馴染みのない方への参考となり、また積極的に聖書を読みこなす新しい「ドストエフスキイ世代」に、思索の土台を提供出来ればとも願っています。
[2]新しいドストエフスキイ論の出版を予定しています。
二年前、この読書会通信に一部を連載させて頂いた「予備校graffiti―私が出会った青春―」と、或る講演でお話をした、私自身の人生に於ける「様々な問いとの出会い」(「研究会便り」(17)(18))とを一つにして、新しいドストエフスキイ論が河合文化教育研究所から出版される予定です。
前者に於いては、私がドストエフスキイ研究会で出会った若者たちについての報告でしたが、後者に於いては、私自身が師の小出次雄先生から如何にドストエフスキイ世界に導かれ、如何なる修業時代を送ったかの回想であり、これら両者を一つにすることで、日本におけるドストエフスキイ受容の一断面が独自に奥行きを持ったものになるのではないかと思っています。また小出先生は西田幾多郎先生の直弟子であり、この師弟間に存在した厳しい神探求、「絶対のリアリティ」探求のドラマを視野に入れることで、ドストエフスキイ受容の歴史に一つ新しい視野が加わるのではないでしょうか。
日本ではなかなか受け入れられないドストエフスキイに於ける聖書とキリスト教。このテーマと取り組み続けて半世紀。そろそろ一つの纏まった形を浮かび上がらせ、それを日本の文化・思想史の中に位置づけることがこの新著の目的とする一つですが、基本的には身近なエピソードの積み重ねによる記述であり、図版も多く読みやすい本に仕上がりつつあると思います。出版の際には是非ご一読下さい。
シンポジウム
第18回国際ドストエフスキー協会(IDS)シンポジウム
https://www.ids2022n.jp/
コロナで下記日程に延期しました。
開催日時;2023年8月23日〜8月28日
開催場所;名古屋外国語大学
雑 誌
『江古田文学 第110号』令和4年7月25日発行 江古田文学会 特集・石ノ森章太郎
編集室推薦図書
『再会中国残留孤児の歳月』 山本慈昭・原安治著
日本放送出版協会 昭和56年9月1日
山本慈昭は信州阿智村「長岳寺」の住職。原安治はNHK記者
終戦35年目、残留孤児を探す大陸行
NHK『再会』(昭和35)がテレビドキュメンタリー優秀賞受賞
『還らざる夏』 原安治著 幻戯書房 第2刷2016.3.10
二つの村(信州阿智村・平塚)の戦争と戦後を描く。
長野県阿智村(旧:会知村及び近隣村)から満蒙開拓に参加したもの総勢330名。死亡260名。全体の80lが死んだ。これが「王道楽土」の建設を旗印に行われたひとつの国策の結末であった」(『満蒙開拓史』)
著者5歳の時の平塚大空襲(昭和20年7月16日8000戸消失、328人の市民が犠牲)の体験と重ねて描いている。
編集室
カンパのお願いとお礼
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郵便口座名・「読書会通信」 番号・00160-0-48024
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「読書会通信」編集室
〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原敏彦方