ドストエーフスキイ全作品を読む会 読書会通信 No.186
 発行:2021.6.17


第304回6月読書会のお知らせ

月 日 : 2021年6月27日(日)日曜日開催です
場 所 : 池袋・東京芸術劇場小会議室5(池袋西口徒歩3分)03-5391-2111
開 場 : 午後1時30分 
開 始 : 午後2時00分 ~ 4時45分
報 告 : フリートーク 「ドストエフスキ―の現代性」について
司 会 : 太田香子さん 
会場費 : 1000円(学生500円)

8月読書会は、2021年8月21日(土)開催予定です。
会場は、東京芸術劇場小5会議室14:00~17:45

「大阪読書会」は、2021年7月26日(月)に第64回大阪読書会を開催予定です。
時間:14:00~16:00 
作品:『作家の日記』251~285頁
会場:東大阪ローカル記者クラブ

【お願い】
会場の東京芸術劇場は、コロナ感染のため、直前まで開催は不確実です。心配な方は当日、東京芸術劇場(03-5391-2111)にご確認ください。会場では姓名と連絡先(電話番号)の記入をお願いします。参加される方は、検温と体調管理を。発言・朗読の際にもマスク着用が必須です。


6・27読書会はフリートークで
 

東京都は、コロナ感染拡大予防対策として、緊急事態宣言を6月20日まで延長しましたが、先行きは不透明です。6月27日の読書会は、4月読書会につづいて日曜日開催になりました。コロナ禍とオリンピックの影響で会場確保が難しくなっております。ご了承ください。予定としては、「ドストエフスキ―の現代性」をテーマとしたフリートークにしました。こんなときにこそドストエフスキ―。各自の想いをご自由に大いに語り合いましょう。
 
「ドストエフスキーの現代性」について   

提案:太田香子

ドストエフスキー作品の新潮文庫の表紙カバー裏を見ると、「現代の予言書、とまでよばれた文学を創造した」とあります。また、国際的なテロから家庭内での問題に至るまで、社会を震撼させる事件が起こると、ドストエフスキーの作品や言葉が引き合いに出されることは珍しくありません。ドストエフスキーの残した言葉や考え、問題提起は、現代においてもその意味を失っていないようです。改めてドストエフスキーの現代性について考えてみたいと思います。参加者全員で下記テーマについて話し合い、理解を深めてみませんか。
 
・ドストエフスキーはどの側面においてもっとも現代を予言していたのか
・ドストエフスキーが現代の問題を予言できたのはなぜか
・ドストエフスキーが現代に生きていたら何を語るか



ドストエフスキ―生誕100年祭におけるペレヴェルゼフの講演

(引用:下原敏彦『ドストエフスキ―を読みつづけて』より)

100年前、1922年ロシアの文芸批評家ヴェレリアン・フョーロドヴィチ・ペレヴェルゼフ(1882-1968)はモスクワで行われたドストエフスキ―生誕100年祭で「ドストエフスキ―と革命」について講演した。そこで彼は、ドストエフスキ―は、常に現代の諸問題を提起する作家であると訴えた。(ペレヴェルゼフ著『ドストエフスキ―の創造』長瀬隆訳)

…ドストエフスキーは依然として現代の作家であり、この作家の創作のなかで展開されている諸問題は今日まだ解決を見ておらず、したがって、ドストエフスキーについて語るということは、依然として、今日の生活のもっとも痛切にして深刻な諸問題について語るということになるのだ。偉大な革命の竜巻にわしづかみにされ、それによって提起された諸課題の渦中で奔走し、情熱的かつ痛切に革命の悲劇の全変転に対処しつつ、私たちはドストエフスキーのうちに自分自身を見いだすのであり、彼のうちに、あたかも作家が私たちとともに革命の雷鳴を聞いているかのように、革命の峻烈な問題の提起を認めるのである。

…予言者であろうがなかろうが、ドストエフスキーが革命の心理的世界を深く知っていたこと、彼が生きていた当時はもちろん、いな、革命の日々においても多くの者が予想だにしなかったことを、革命に先立って彼がそのうちに鮮明に見ていたことを――これは議論の余地のない事実である。…革命の日々にドストエフスキーを想起しなければならないのは、ただたんに生誕百年歳にあたるからではない。革命そのもののため、革命の自己認識のためなのだ。ドストエフスキーの革命への態度は、指を口にくわえてぽかんと傍観しているのではなく、積極的に革命を意味づけようと努めつつ、現下の諸問題に対処しているすべての人々の深く研究しなければならぬものなのである。



コロナ禍でも、人間は、罪を犯す。
(編集室)
 
◆立川の事件 19歳「動画見て刺激」(2021年6月3日 朝日新聞)
東京都立川市のホテルで男女が殺傷された事件で、警視庁は2日、東京都あきる野市の職業不詳の少年(19歳)を男性への殺人未遂容疑で逮捕した。捜査関係者によると、少年は容疑を認め、「人を殺す動画を見て刺激を受けた。女性と無理心中する様子を撮影しようとしたらけんかになった」と話しているという。警視庁によると、死亡したのは派遣型風俗店員の女性(31)=相模原市緑区=で、同じ店の男性従業員が重傷を負った。



4・21読書会報告 
 

コロナ感染不安のなか11名の参加がありました。
報告者は太田香子さん。前半は、「神秘的な客」の朗読。後半は、『カラマーゾフの兄弟』のエピグラフ「一粒の麦、死なずば…」の持つ意味とは?という報告でした。レジメに添って丁寧に話されました。報告後、即座に多種多様な意見や感想が噴出しました。朗読を交えた報告スタイルには新鮮さが感じられておおむね好評でした。
「いろんな読書会にいったが、こんなに楽しい読書会は、はじめてです!」といううれしい感想が述べられました。



私は、なぜドストエーフスキイを読むのか、読み続けるのか

ミレニアム記念寄稿 3サイクル&30周年記念特集 (2000.2.12)

近代化に対する深く鋭い分析があったから

高橋誠一郎

私は日本の近代化をドストエーフスキイの受容という視点から考察した論文「日本の近代化とドストエーフスキイー福沢諭吉から夏目漱石へ」(『日本の近代化と知識人』所収 東海大学出版会)を書きました。ここでドストエーフスキイが日本の近代文学にも強い影響を及ぼした理由の根底には近代化〈西欧化)に対する彼の深く鋭い分析があったことを明らかにしようとしました。『ドストエーフスキイ広場』第9号に掲載の論文では、ドストエーフスキイが「近代化の制度としての学校」の問題をすでにフーコーに先だって深く考察していることを『貧しき人々』と『分身』の考察を通して明らかにしようとしました。また、同じ時期にまとめた「近代的な<知>の反省-『死の家の記録』から『地下室の手記』へ」(『文明研究』)では、このような制度や権力の考察が『死の家の記録』において一層深められていることを示そうとしました。ドストエーフスキイが提起した問題やその解決の試みを解明することは、新しい世紀を切り開くためにも焦眉のことだから、と考えています。

ドストエフスキーは、今ここに生きている

熊谷暢芳

「陽気な人は無神論者ではない」という『未成年』のマカール老人の言葉が私をとらえて放さない。あらゆる人が、どこかに「明るさ」を持っている。たぶんそれなしでは生きていけない。すると、あらゆる人は好むと好まざるとにかかわらず無神論者ではない。ラスコーリニコフ、キリーロフ、イワンその他のビッグネームの思想は見物としてはたいそうなものだ。しかし、このマカールの言葉は、そうした物語を離れて日々生きる現実の私に対し、死角を突いてくる。「おまえは神を信じているはずだ」というのだ。私は神を信じているのだろうか。私が否定しきっていないこと、そのことによって、私は明るさを持ち続けていられる。それは、私の一部である見えない部分だ。ゾシマにかかるとこの思想はもっと明示される。それがなければこの世は地獄であるという愛は、この世を地獄と感じることから人を遠ざけさせるこの明るさのことだ。この明るさは異界から来るという。しかしこれは一層わからない。

一方、明るさの源泉は、現在の脳生理学の知見によれば、個体の脳に存在する脳内物質の作用として説明される。個の快のみであるなら、もう異界は不要だ。いったい明るさとは、個にのみ還元できるものなのか、それとも個を越えるものなのか。個を越えるものである、との答えの向こうに異界からの放射であるという言葉の実質が見えてくるかもしれない。いまや、神があるか、との問いには、麻薬の快楽と崇高なるものに対する至福は同じか、という設問に置き換えられる。これは、二つの美の差異を見いだせず驚愕するミーチヤの姿だ。この差異とは何か。陋劣な欲望に耽りながら崇高なヴィジョンを見ることの出来るスタブローギンの前に立ちふさがり、両者の併存を許そうとしないマトヨーシャの幽霊だ。この差異がなければ神はいる余地がない。神の有無を問うことの意義が失われ、ドストエフスキーのモチーフは失われたか。競合するにしろ共有するにしろ、ひたすら欲望の充足と快の追求を原理として動く現代において、快を追求するそのままの姿勢を、その深部において個の呪縛から解き放そうという苦闘によって、ドストエフスキーは、今ここに生きている。だからドストエフスキーはわたしを放さない。



連 載 ドストエフスキー体験」をめぐる群像

   
(第95回)三島没後50年が廻り、ドストエフスキー生誕200年の「感想」
 保田輿重郎の三島由紀夫追悼文「天の時雨」について

福井勝也
                          
コロナ禍も既に一年半に及び、現在(6/3)緊急事態宣言が複数の都道府県に発令されている。宣言延長も度重なり、慢性的な医療逼迫の地域も常態化しつつある。危機収束の「切り札」とされるワクチン接種の掛け声が急に大きくなった。但しそれが実は、開催まで期限の迫った東京オリンピックを「強行」しようとする「外圧」への配慮ならば、どうにも頂けない。ともかくこのままでは、民意を無視したまま、国民の生命を犠牲にする国際契約のなし崩し的実行という危険な賭けに踏み込みかねない。この成行きが、コロナ禍をどうにか遣り過ごしてきた日本国(民)が甘受せねばならぬ結末なのだろうか。百年に一度と称せられるパンデミックの世界的危機にあって、その人類的災厄に深く係わることなく、場当たり的な施策に甘んじて来た日本国(民)が、引き受けねばならない因果であるのか。

おそらくこの大前提に、国(民)の安全保障(危機管理)を、他人/他国任せにして来た戦後76年にも及ぶ日本人の<平和な生活感覚>が横たわっている。さすが最近の世論調査では、この点に目覚め始めた民意が明らかになり、緊急事態条項を盛り込んだ憲法改正論議へ舵を切るべきとの声が多数になりつつある。この点で戦後25年の節目1970年11月25日に、目前の自衛隊員に向かって三島由紀夫が訴えた「檄文」は、単なる時務的な演説の域を越えて、なお現在の日本人が真摯に耳を傾けるべき原点の言葉として響いて来ないか。

「われわれは戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失い、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。(改行)政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を?してゆくのを、歯噛みをしながら見ていなければならなかった。」
 
一体三島由紀夫とは、危機が日本に迫り来る時に守護神の如く蘇る大人ではなかろうか。そう言えば、かつて本欄で三島について書かせて頂いたきっかけは、2011年3月11日の東日本大震災の発生であった。「東日本大震災と古今和歌集(仮名序)」(「通信」No.126-2011.6.15)。今回の事態では、三島が呼びかけた自衛隊の医療編成部隊が国民の生命を救済する重要な任務を担っている。これをして皮肉な事態と見るべきではないだろう。国民の自衛隊へ寄せる思いは確実に変化しつつある。これも日本の行く末を身を賭してまで憂い、広い心で遠くから見守りつつ逝った、三島大人の深慮の中にあることだろう。
 
昨年(2020年)は、三島由紀夫没後50年であった。そのために昨年から今年にかけて、そして今日もなお、さまざまなかたちで「ミシマ」がこの世に招喚されている。その事態がコロナ禍と重なったことは、ドストエフスキー生誕200年が更にそれに重なり、それらの因縁が一層強められているものと感じる。おそらくその事は、既に本欄で触れてきたことだが、百年に一度の世界的危機にあって、両人が特別な魂を有する人類的先達として、彼らの言葉が今こそ甦る時機にあるからだろう。そんな思いも手伝ってか、昨年の「憂国忌」(2020.11.25)では特に耳に残る言葉を聴いた。それは、来賓の一人として登壇された富岡幸一郎氏の言葉であった。氏は、以前から当方が注目する文芸評論家であるが、かつて当本会でもご講演を頂いたことがある。

その氏曰く、50年間読み続けてきた三島由紀夫への全言及にあって、三島と戦前から縁のあった文学者保田輿重郎(1910-1981)の「天の時雨」が最も深く印象に残る文章だと語られたのだった。富岡氏はその詳細については、その場で述べられなかったが、以前から当方もその通りだと感じていたので、とにかく注目すべき発言として聴いた。

「天の時雨」は三島の没後直ぐに起筆され、丸二年間(s.46-s.47)書き続けられ、それらが一つに成った追悼文である。現在は『保田輿重郎文庫22「作家論集」』(新学社刊)で読める。発表順に全体が五篇からなり、三島の死を悼む痛切な言葉が連なる。保田の嘆きは、三島と保田との個人的因縁を超えて、日本の歴史文化に根ざす真率な三島評価となっている。確かにこれまで随一の批評だと思う。その大前提に、元来日本人とは、このように人の「死」を悼み、悲しむものか、その驚きがあった。保田の三島への深い愛情を感じた。

さらに先述の三島論を本欄(「通信」No.126)に記した前後に、批評家前田英樹氏の『保田輿重郎を知る』(2010)の紹介文(「通信」No.128、2011.10.13)を書かせて頂いた。その直接のきっかけが、保田の追悼文「天の時雨」を読んだことであった。それらの読書は、東日本大震災、それに随伴して発生した福島原発事故を受け止める心の拠り所を求めてのものだった。ただこの時「天の時雨」については、その末尾の三島を偲ぶ「景仰歌」を紹介するに止まった。それは前田氏の文章に眼を開かれる思いが先になって、まずは保田輿重郎を正しく受け止めて伝えること、ともかくそれだけで精一杯だったからだ。

あれから丁度10年を経て、コロナ禍が治まらぬ昨今、あの時の思いが甦って来ている。そのことは、ただの偶然ではないと感じる。有難いことに前田氏とは、今日もお付き合いが続いている。そして現在注目すべきことに、前田氏が「保田輿重郎の文学」と題して、文芸誌『新潮』に2018年9月号から本年(2021)6月号まで通算31回、渾身の連載を続けておられることだ。あと4回(10月号)で完結とお聞きしている。そして大変嬉しいことに、次々回(8月号)では、何と保田の三島論に言及されると言う。当然「天の時雨」が焦点になろう。これまでの端然とした批評を締め括る出色の三島/保田論が期待される。

待望の発表は待つしかないが、少し予習のつもりで、前田氏が今丁度論じておられる保田の『日本の文学史』(s44.-s.46『新潮』連載、s.48年刊)について触れておきたい。その最終部「日本文學の未来-四」において、保田は川端康成の『眠れる美女』に触れたあと、「文学史」の掉尾を飾る現代小説として三島由紀夫の遺作『豊饒の海』に言及している。事件後程なくの小説評として、これまでほぼ言及のなかった文章だが、さすがに保田は代表作を深く見抜き、三島の正確な世界文学史的位置づけをしている。これ以上の端的な要約はない。
 
「三島由紀夫氏の最後の四巻本の小説(『豊饒の海』、筆者注)は、小説の歴史あつてこの方、何人もしなかつたことを、小説の歴史に立脚した上でなしあげようとしたのであろう。そういふ思ひが、十分に理解されるやうな大作品である。川端氏の非常に近くにゐた人だが、人間の小説の歴史の上に新しいものを加へようとした小説家の考へ方としては、全く對蹠的なものに見える。それは方法について云つてゐるのである。三島氏も、人のせぬおそるべきことを考へ、ほとほとなしとげた。そこには人間の歴史あつてこの方の小説の歴史を、大網一つにつつみ込むやうな振舞ひが見える。人を、心に於て最微に解剖してゆくやうな努力は、私に怖ろしいものと思はれた。三島氏ほどの天才が思つてゐた最後の一念は、皮相の文學論や思想論に慢心してゐる世俗者よりも、さういふもののと無縁無垢の人の共感されるもののやうにも思はれる。その共感を言葉で言ひ、文字で書けば、うそになつて死んで了ふやうな生の感情である。」(『保田輿重郎文庫20「日本の文學史」』p.412-3)
               
この『日本の文學史』を保田が執筆途中に三島が自刃した。それで、代表作『豊饒の海』論が「文學史」の最後に置かれることになった。言い換えると、保田氏は、天命によりそれを書き記す「時機」を自分のものとした。そしていち早く、三島由紀夫を日本のみならず世界の文学者として位置づけて評価することになった。二人の深い因縁を感じる。その思いに至る始まりこそ、三島自刃の知らせを聞いたその瞬間であった。保田は『日本の文學史』後記で、この「時」に触れている。すでに「天の時雨」が背景となって、その眼目とすべき三島の「檄文並びに命令書」(三島本人はともかく、並んで自刃した森田必勝の精神をこそ後世に向かって恢弘せよ、との同志小賀正義君宛て命令文書)が特筆される。
 
「第十六章「南朝の文学」は、昭和四十五年十二月號であつた。「新潮」の發行日は前月七日が例にて、この十二月號は十一月七日に發行され、この月の二十五日に三島由紀夫氏 が自刃した。私が三島氏を始めて知つたのは、彼の中學生の終年時であつたことと、その時は三島氏の恩師なる清水文雄氏が、彼を伴つて拙宅を訪れたといふこととを、事あつた後に、清水氏から承つた。三島氏の自刃の日は、夕方から時雨が一時はやんだが、夜更けになつてから激しい雨となり、終夜ひさめと降りしきつた。三島氏の檄文並びに命令書は、日本の文學の歴史を考へ立言するに當つて、一箇眼目となすべきものにて、わが日本文學史の信實である」。(『同文庫』p.418、太字は筆者)
 
ここからは「天の時雨」の文章から、当方が特に心に留めた箇所を引用列挙してみたい。保田の真意が溢れる言葉として、現代の日本人に必ず届くものがあると思うからだ。なお、原文は旧かなによるものだが、ここからは新かなに改めて書き写すことにする。

「三島氏の事件は、近来の大事件という以上に、日本の歴史の上で、何百年にわたる大事件となるものであると思った。(‥・)この理由については、よほど丁寧に云わねば、こちらの気持ちのおさまらないような、しかも広範多岐な國の歴史をふまえた論証を必要とするものである。」  (『保田輿重郎文庫22「作家論集」』「天の時雨」一、p.271-2)

「三島氏は人を殺さず、自分が死ぬことに精魂をこらす精密の段取りをつけたのである。人を殺さずして巨大機構を根底でゆり動かした。怖れた者は狂と云い、不安の者は暴と言い、またゆきづまりといい、壁に頭を自らうちつけたものといったりしている。想像や比較を絶した事件として、國中のみならず世界に怖ろしい血なまぐさい衝動を与えた点近来の歴史上類例がない。その特異を識別することは怖れをともなう故に、それを無意識にさけて、政論的類型的に判断する者は、特異の含んでいる創造性や未来性や革命性に恐れる、現状の自己保全に処世している者らである。創造性未来性革命性というのは、イデオロギーや所謂思想と無縁の、人の生命の威力のものである。」(同「天の時雨」二、p.281)

「この度のことについて、第一印象の絶対感から、三島氏の死は、民族滅亡の危機感より、さらに広くふかい人類の終末観を、心の底でひしひし味った結果のように思った。今の世界と人心の動向のままでは、人類は滅ぶのではないかというのは、世界中の叡智のある人の怖れとなっている。戦争の直前私が近代の終焉ということを主張した時は、世上の進歩主義者らはただ嘲笑したが、今日英国の有識者が、ロンドンから自動車を追放し馬車を走らせよといっても、多数市民はそれにきく耳をかす状態となった。これが世界の一つの動きである。」 (同「天の時雨」二、p.285)

「(・・・)人の一生に於いては、精魂をこめて対さねばならぬかなしみがある。その時は身うちの血液が悉くつめたく凝固して、耐えねばならぬのである。(改行)二十五日の夜は、京都は時雨定めなくふり、夜半を過ぎてから明方には本降りにふり増した。私はその時雨を國中の人々が彼の死に泣いた泪の量にくらべていた。そして人々のついに寝しづまったあとの激しい降りは、わが御祖の神たちの泪だったであろう。(同「天の時雨」二、p.287)

「私は彼の最後となった文学作品を、同時代に生れた者として、かつ多少ならぬ因縁も、そえてありがたくうれしく思っていたのである。戦後少したったころの、世評高い作品の完備されたそらぞらしさより、ここ数年の小説に切迫のものを思った。それは天地の初めのような、初心があった。彼は自分のしたことの反省に、全く誠実すぎたようである。しかしこれは人間として、まして文人として当然のことである。彼はわれ一人往く勇者だった。」(同「天の時雨」三、p.289)

「今度の一挙に当たって、彼が憲法改正を言っているのは、改正運動の一般次元で云っているのではないと思う。本質論としての、彼の天皇論をふまえて、その論を考えないと、真意は殺される。世上にいう人命尊重とか福祉國家論などを、三島氏は嫌悪したというのも、非常に次元の高い、この一貫する論理からである。今日の時務論的な政治論の状態ではうかがい得るところでない。天皇の御本質を大嘗祭にとらえた思想は、ここ百五十年の民族血史の実践者としては、この人に初めて見たのである。」 (同「天の時雨」三、p.291)

「その遺書(命令書、筆者注)をよんだ時、同志の青年に対する心遣いの立派さに私は感動した。三島氏の思想行為については、今のような状態でも、私はなおとかくのことをいうことが出来る。並んで自刃した森田必勝については、この青年の心を思うだけで、ただ泪があふれ出る。むかしからこういう青年は数量上多数といえないが、無数にいたのである。

それが日本であり、又日本人の證である。今日の腐敗の多い世にも、なおこういう青年がいたのである。こういう美事さがあるということだけを示した、何も残さぬものが、永遠と変革と創造を、流れにかたちづくってきたのである。」(同「天の時雨」三p.294)

「今日の世界は、どこもかも戦争の場となっている。世界の戦場で、戦争の様相は、陰惨と残忍を極め、人道と人心は、表現しようもなくあれすさんでいる。その二十五年間、我國土をかこむ海の防ぎのめぐみから、鎖された遊園地で、反戦よ平和よと遊んでいる。三島氏は内外の人心の悲惨や荒廃のありさまを、優秀な文学者の直感で、我々の知らない不幸まで了知し、人道滅亡の危機をひしひしと感じていたのだろう。彼の近年の思想上の急激な上昇現象には、第一義の高尚な原因がある。彼の政治論は、今日の時務論の次元でよめば全く無意味である。しかし彼は清醇な本質論を、汚れたきょうの時務論のことばでいい、卑しい政治論の次元から説き起そうとした。私は身のつまる思いがする。」 (同「天の時雨」三、p.296)

「三島氏の死は、森田必勝氏と二人の死ではあるが、大なる死としては一つの死といってよいと思う。ただ一つの死の大きさが、國中を震撼させ、多少ものごとを問題として自主的に考えることの出来る人々に、その人の歴史観上の最大時に匹敵する重荷を、その心にかぶせたのである。」(同「天の時雨」四、p.305-6)
   
「わが国の文學の歴史を見ていると時々尊くて不思議な人物が出てきた。私は三島氏にそういう今世の一つの典型を味っている。私は自著の「日本の文學史」に後記をしたため、「三島氏の檄文並びに命令書は、日本の文學史の信實である」と誌した。これは今も、私のおしつめた思いである。」(同「天の時雨」五、p.324)

(2021.6.5)



広 場 

ドストエフスキーひ孫氏への学生からの質問 

2004年、ドストエーフスキイの会はひ孫ドミトリイ氏を日本に招待しました。氏は、ドストエーフスキイの会はじめ各地で講演をおこないました。

以下は、早稲田大学での講演の時、会場で配布された資料にあった、学生からドミトリイ氏への質問です。その率直さにハッとさせられます。

◇ドミトリイさんは、先祖があれほどのスーパーマンだったことについて、どう思われていますか。また、そのことは得ですか、損ですか? 重圧に感じたことはありませんか? 嬉しかったことは、悲しかったことは? 母国ロシアや、ロシアの社会でドストエフスキイの子孫であることはどのように思われていますか?

◇私はドストエフスキイの『罪と罰』を大学に入って読みました。大学生になって読んでもわからないことはまだまだあります。ドミイトリイさんは、ひいおじいさんのこの作品を何歳ごろ読みましたか? またこの作品についてどう感じましたか?『罪と罰』で現代的と感じるところはどこでしょう? ひいおじいさんのどの作品が一番好きですか?

◇ドミトリイさんはどんな本を読まれていたのでしょう? 一番好きな本は何ですか?日本の文学を読んだことがありますか? ロシアにおいて日本文学はどのようなイメージでとらえられているのでしょうか?

◇ロシアの読書人口は多いですか? 若者もいわゆる名作を読みますか?現代のロシア人に母国ロシア文学に対する誇り、興味はあるのでしょうか? 現在のロシアでは、どのようなジャンルの文学、作家に人気がありますか?

◇現在のロシアの政治(プーチン政権)についてどう思いますか?

◇『地下室の手記』についての感想をお聞きしたいです。

◇曾祖父について祖父や親からどう聞いていますか?

◇『カラマーゾフの兄弟』の中のドミートリイ、イワン、アリョーシャ、スメルジャコフを加えた兄弟では、誰がいちばん好きですか?

◇私はドストエフスキイの『死の家の記録』が一番好きです。この小説はドストエフスキイのシベリアでの流刑が下敷きになっていると思うのですが、その実体験がどのようなものだったかに興味があります。



★文豪ドストエフスキ―のひ孫ドミトリー氏と日本の研究者との興味深い縁について、以下に書かれています。

☆特集:文豪ドストエフスキーの曾孫ドミトリー氏来日(『ドストエーフスキイ広場No.14 2005』
☆文豪の末裔 ひ孫救った日本の制がん剤 (北海道新聞 1986年3月27日)
☆架空秘話「レニングラードの運転手」(下原敏彦『ドストエフスキ―を読み続けて』)


投 稿       

キリ―ロフとの対決   

富岡太郎

ぼくは今すぐ自殺したい、誰もが卑劣だからね!ぼく自身だって卑劣さ。だが僕は我意を主張するために自殺する。そして神になる!なぜならイエスだって死んで無になったんだよ。愛が無に終わるんだ。何のために生きているのか、君が人間なら答えてみたまえ!――キリーロフはピョートルに言った。

若かったころ、宗教などまるで信じていなかった私は、なぜかキリーロフが好きだった。ドストエフスキ―は明白に、病めるキリーロフを「悪霊にとりつかれた者」として描く。それがイヤな気持ちになった。ドスト氏の信仰は分かるが、ドスト氏の描く悪霊の方が現代的で親近感があった。ドスト氏の否定は見事であり、ゾシマ長老やソーニャなど肯定的なキャラクターよりも血わき肉おどる引力がある。

私の父親は悪しきドストエフスキ―読者であり、キリーロフの自殺を「人類の解放」とか「真の精神的革命」とか絶賛していたものである。アルコール依存症だった父は、文学の中に現実から逃げる出口を見つけ出し、酒場で文学論をたたかわせては、給料を全部飲んでしまうのであった。妻子を泣かせての文学談議は、キリーロフがそうだったように、何も生み出さずに終わった。

平成21年、父は、孤独死した。老人クラブに入るよう私がすすめても、父は「オレは人間ギライなんだ」と言って断っていた。誰もが卑劣であり、自分さえも卑劣といって自殺したキリーロフのように、絶望した魂は自分をひそかに神とする。「太郎、神はいない。だからオレが神だ」と父はよく語っていた。まさに悪霊という名の神であった。ドスト氏の描く人間は本当にリアルである。若い私もキリーロフと対決しなければならなかった。その引力にひかれながらもである。

アルベール・カミュは「ペスト」でキリーロフ的人間をヒーローにした。無神論的ヒューマニズムが「ある」ような気がするのだろう。しかし、戦後民主主義も75年をすぎて、その偽善性を明白にしている。税金は老人や障害者に分配するべきなのに、教員や役人の方へ流れてしまっている。少子高齢化社会は日本を破戒しかねない。無神論ヒューマニズムはカミュとともに過去のものとなっている。ネットで元気があるのはサルトルでもカミュでもない。愛国である。日本人としてドストエフスキ―をどう読んでいくかが問われている。宗教的リアリティとして読んでゆけるか。魂の本当に欲しいものをドスト氏の本~得られたら幸いである。



ドストエフスキ―関連情報


<新 聞>

時超えるドストエフスキー 
この作家は予言的な力を持つ 人間の精神の振幅を最大限に描く。(中野稔)
(日本経済新聞 2021.5.9) 

<映 画> 

SF映画「禁断の惑星」とイワンの悪魔 (編集室)

今年になってBSテレビで半世紀まえに観た映画をみた。そのころはドストエフスキ―をしらなかったが、『カラマーゾフの兄弟』をはじめて読んだとき、真っ先に頭に浮かんだのはこの映画だった。優れたSF映画をあげろといわれれば、『2001年、宇宙の旅』を筆頭に『惑星ソラリス』『タイムマシン』『猿の惑星』などをあげるが、よりSF的でドストエフスキ―を想起するSF映画といえば、文句なしに1956年米で制作されたフレッド・M・ウイルコックス監督の『禁断の惑星』をあげる。この映画のテーマは、人間の文明が、極限まで進歩したらどうなるか。不死の問題も神の問題も解決された世界は、どんなことになるか。

映画のストーリーはこうだ。恒生間移動ができる超高速宇宙船「C-57-D アンドロメダ号」(アダムス船長)は、宇宙探検で行方不明になった宇宙船を見つけ救助のため遭難船がいる惑星に向かった。その惑星は、極度に文明が進んだ知的生物が住む星だった。だが、遭難船の生存者は物理学者のモービアス博士と、その娘だけだった。神の力を得て、不死にもなった知的生物は、1人もいなかった。クレール人の遺跡のすばらしさをみた船長は、遺跡を地球に持ち帰りたいという。が、モービアス博士は、なぜか反対する。そしておそろしいことが。

『カラマーゾフの兄弟』アリョーシャの心の隅に潜むちつぽけな悪魔・・・。「銃殺にすべきです!」青白いゆがんだ笑みを浮かべて、兄を見上げながら、アリョーシャは低い声でつぶやく。イワンのせせらわらいがきこえてくる。神の力を手に入れ、不死にもなった知的生物はなぜ滅亡したのか。「やったぜ!」イワンは有頂天になってさけぶ。「…おまえの心のなかにも悪魔のヒヨコがひそんでいたわけだ。アリョーシャ・カラマーゾフ君」

文明科学の発達で不老不死も解決し神のような存在になった知的生物。だが一夜にして全滅した。すべてのものを具現化する文明。心の奥に潜む潜在意識をも具現化してしまったのだ。



資 料


学術情報への扉 ドストエフスキー研究を垣間見る


下原康子

ドストエフスキー愛読者には、大きく2種類のタイプがあるようです。感動型と研究型。むろん両者は交じり合ってもいます。研究型の方に向けて、研究者の業績を集めたデータベースや研究に利用される2つのサイトを紹介します。

学術情報(一次情報)検索サイト

CiNii Reseach  https://cir.nii.ac.jp/ja
本、論文に加えて、博士論文やプロジェクト情報まで横断的に検索できるサイトです。検索欄にドストエフスキーと入れて検索ボタンをクリックしてみてください。1509件が検索されます(2021.4.7現在)。画面左のデータ種別(論文、本、博士論文、プロジェクト)をクリックすることで種別の絞り込みができます。(絞り込みは検索欄に複数のワードを入れても可能です)。同じく画面左の“本文・本体リンクあり”をクリックすると、本文が読めるものが選択できます。検索結果のタイトルの下にある、オレンジ色のアイコン(機関リポジトリ、SiNii、DOI など)は、本文などへのリンクです。リンクの種類と説明は、「論文詳細表示画面について」をごらんください。

Google Scholar  https://scholar.google.com/
Google社が提供する研究者向けの検索サービスです。検索欄にキーワードを入力して検索します。インターネット上にある世界中の関連図書・論文などが、引用数が多い順に表示されます。タイトル部分をクリックすると、本文が掲載されているページにアクセスします。気になる論文がみつかったら「引用元」や「関連記事」のリンクをチェックします。「引用元」をクリックすると、その論文を引用した論文をたどることができます。また、「関連記事」をクリックすると、関連性が高いとGoogleが判断した文献を一覧で確認できます。

2021年4月現在、dostoevsky で約5万件もの文献が検索されます。絞り込み方法はいろいろですが、検索欄に複数のワードを入れるAND検索も可能です。検索結果画面の右部分に[PDF]の表示があったらラッキーです。開いて、Google翻訳にかければ日本語で読むことができます。

また、画面左の“すべての言語”をクリック、次に“日本語のページを検索”をクリックすると日本の文献に絞られます。日本語文献の場合、日本語のキーワードや人名から検索できます。



掲示板


第18回国際ドストエフスキー協会(IDS)シンポジウム

https://www.ids2022n.jp/
開催日時;2022年3月4日~3月8日
開催場所;名古屋外国語大学

ドストエフスキー生誕200周年記念の原稿募集のお知らせ
2021年はドストエフスキー生誕200周年(1821~1881)です。この節目を記念して「読書会通信」編集室は、「私は、なぜドストエフスキーを読むのか、読みつづけるのか」を連載しています。メールまたは郵送にてご送付ください。

2021年8月読書会
月 日 : 2021年8月21日(土)
会 場 : 東京芸術劇場会館小5会議室 池袋西口徒歩3分
時 間 : 14:00~17:00(開場13:30)
朗読会(参加者の方にそれぞれの役を演じていただきます。奮って立候補してください)
『罪と罰』模擬法廷 金貸し老婆とその妹強盗殺人事件裁判 第五回公判(最終審理)
http://dokushokai.shimohara.net/toshihikotoyasuko/kanekashi.html



編集室


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年6回の読書会と会紙「読書会通信」は、皆様の参加とご支援でつづいております。開催・発行にご協力くださる方は下記の振込み先によろしくお願いします。(一口千円です)
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