ドストエーフスキイ全作品を読む会 読書会通信 No.178
 発行:2020.2.20


2020年2月読書会


月 日: 2020年2月29日(土)
場 所: 池袋・東京芸術劇場小会議室7(池袋西口徒歩3分)
開 場: 午後1時30分 
開 始 :  午後2時00分 ~ 4時45分
作 品 : 『カラマーゾフの兄弟』 6回目
報告者 :  口火報告者 冨田陽一郎さん・下原康子さん 司会 太田香子さん        
会 費 : 1000円(学生500円)


第56回大阪「読書会」案内2・8(土)『カラマーゾフの兄弟』第12編
小野URL: http://www.bunkasozo.com 

  原稿募集 ドストエフスキー生誕200周年記念の原稿を募集します!!
「読書会通信」編集室は、生誕200周年を記念して、原稿を募集します。

テーマ:「私は、なぜドストエフスキーを読むか、読みつづけるのか」
400~800字程度(短くても可)
常時受け付けます。2021年末まで。
順次「読書会通信」に掲載します。


2020年…読書会に希望を
 (編集室)

令和2年になって、過ぎたのはたったの2か月。しかし、世界は先の見えない出来事に翻弄されている。世界大戦まで危惧されたイラン・アメリカ対決。欧州を揺るがせた英国のEU離脱。醜悪な思想にとり憑かれた相模原事件裁判。そして、ラスコーリニコフの悪夢を想像させる新型コロナウイルス。オリンピアの灯は、すぐそこに見えてはいるが、行き手を閉ざす闇は深い。いまこそドストエフスキーである。作品に秘められた人間の謎解き。我ら読書会が希望への澪つくしにならんことを信じて「カラマーゾフ万歳」を謳わん。



2・29読書会

     
報告者は、冨田陽一郎さん&下原康子さん
司会進行は、太田香子さん


スメルジャコフについて

冨田陽一郎 (筆名 冨田臥龍)

今回の発表は、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』の中の登場人物、スメルジャコフについてである。スメルジャコフについては色々言われているが、この人物を自分に重ねて読む人は少ない。それは、スメルジャコフが気味の悪い下男として描かれていることもあるが、最も肝心な点は、作者ドストエフスキーがあえて感情移入しにくいように、客観描写によって描いている点にある。だが、これが盲点であって、本来はドミートリイ、イワン、アリョーシャの三兄弟に加えて、スメルジャコフもまた、おそらくはフョードルの子という点において、主人公たちの一人と考えて、主観的に感情移入して読んでもいいはずなのである。ちなみに、作者は冒頭で、アリョーシャを主人公と述べているが、三兄弟とそれに加えての一人であるスメルジャコフも、父フョードルの子という立ち位置において、同等に主人公の資格を持っていると発表者は考えている。

発表者は、ここで語り手から遠く、作者によって感情移入しにくいように設定されているスメルジャコフから見た『カラマーゾフの兄弟』というものに注目している。それは発表者の人生体験と、読書体験から、この共感を拒絶する人物に親和感を覚えたからである。また、人間にとっての「悪」の問題というものに関心を持っており、その体現者としてのスメルジャコフに着目している。「悪」の問題を解くことで、「善」の問題や、人間における究極の善悪の裁き手である「神」の問題、神と人間との関係の問題、神がいるのに、なぜ世界には貧困や戦争といった苦難が起こり続けるのか、といった問題なども、解けてくると考えるからだ。

発表は、原卓也訳を用いて、主に作者によるスメルジャコフの描写と、スメルジャコフの発言から引用して、スメルジャコフ自身に語らせる形で発表を進めてみたい。



ドストエフスキーのてんかんについて
(報告メモ)
(参考HP:ドストエフスキーとてんかん/病い 関連資料)
http://dokushokai.shimohara.net/meddost/shiryo.html
     
下原康子

1.てんかん発作
脳全体あるいは脳の一部で神経細胞が異常放電を起こした状態(電気器具がショートしたイメージ)。異常は発作時だけ。現在ではほとんどが薬でコントロールできるが、ドストエフスキーの時代には治療法はなかった。
2.ドストエフスキーのてんかん発作
脳の一部から起こり脳の全体におよんだとされる。発作は一日に2回から4か月に1回までの変動がある。平均すると、月1回の発作がおよそ35年間続いたと考えられる。遺伝的素因があった可能性もある。(Voskuil)
3.医学文献
PubMedという医学データベースでdostoevskyの検索(タイトル&抄録)を行うと77件がヒットした。そのうち44件がてんかん関連であった。(2020年2月現在)。論文の著者は、てんかん専門医、神経科医、精神科医など。いずれも文学者とは目のつけどころが違う読み方をしている。
4.てんかん発作の記録
手帖」、「アンナの日記」、「同時代人の証言」(グリゴローヴィッチ、ヤノーフスキイ、ストラーホフ、ソフィヤ・コヴァレフスカヤなど)、「シベリアの第七歩兵大隊の医師エルマコフの診断書」などの記録が残されている。後年、ドストエフスキーがてんかんをわずらっていることは周知の事実になっていた。
5.小説のなかのてんかん者
『主婦』ムーリン、『虐げられし人々』ネルリ、『白痴』ムイシュキン、『悪霊』キリーロフ、『カラマーゾフの兄弟』スメルジャコフ 他。
6.スメルジャコフの詐病てんかん
スメルジャコフは本物のてんかん発作と偽発作の両方を使い分けていた。
(J.C. DeToledo「アリバイ工作に使われたスメルジャコフのてんかん発作に関する考察」)7.あらゆる種類の発作
発作の種類:全般発作(突然意識を失って倒れる大発作)/部分発作(意識がある軽い発作)
身体的な前兆:手の爪に近い部分のかゆみ(アンナの証言)。喉の震え(スメルジャコフ)
特異な前兆・症状(これ自体が部分発作という解釈もある):夢様状態、アウラ、幻視、二重身体験(自己像幻視)自動症 他。
後遺症:書く・話す混乱、発作後の欝、最近のことがらを記憶する機能の混乱 他。
8.医学論文における見解
①てんかんはドストエフスキーにとって、文学のみならず、人生や世界への態度、哲学・思想にまで大きな影響を与えた特別の体験。パスカルはかって『病の善用を神に求める祈り』を語った。ドストエフスキーもまたてんかんを善用したといえるであろう。(Alajouanine)
②発作をくりかえしても知能の低下は来たさないことを自ら証明。(Gastaut)
③自身の病気を文学作品の中で知的に利用する方法を見出した。(Iniesta)
④芸術が科学的観察を補強し、推考を助けることを示す好例。(Morgan)
⑤ドストエフスキーは作品のなかにてんかんのある人物を登場させ、発作前の前駆症状や発作直前の前兆をみごとに表現している。(松浦雅人)
⑥精神科に入ったら1~2年は精神医学の文献なんかよりもドストエフスキーを読みなさい。(今村新吉・初代京大精神科教授)
⑦創作家としてのみならず、癲癇患者としても天才的であった(赤田豊治)



読書会報告(2020年1月11日)


『カラマーゾフの兄弟』第6回 全員参加のフリートーク形式。参加20名。

登場人物から、関心のある登場人物ペアを上げてコメントする、という趣向ですすめました。ちなみに、以下のペアがあげられました。( )は発言者の性別。ここでの、好感度ナンバーワンはドミートリイでした。(「友だちになりたい(男)」「兄に欲しい(女)」など)、関心度ナンバーワンはといえば、スメルジャコフでした。ということで、次回(2月)は「スメルジャコフ」をめぐって語りあうことになりました。

イワンと大審問官(男)
キリストと大審問官(女)
スメルジャコフと去勢派(男)
イワンとスメルジャコフ(男複数)
イワンと悪魔(女)
スメルジャコフとアリョーシャ(男女複数)
ドミートリイとペルホーチン(女)
イワンとアリョーシャ(男女複数)
ゾシマとアリョーシャ(男)
グルーシェンカとドミートリイ(女)
グルーシェンカとサムソーノフ(男)
アリョーシャとコーリャ(女)
グルーシェンカとカテリーナ(女)
アリョーシャとドミートリイ(女)
ドミートリイとイワン(女)
ニーノチカ(男)
ニーノチカとスメルジャーシチャヤ(女)



傍聴記 第255回ドストエーフスキイの会例会
 (2020年1月25日)

ドストエフスキーのおもしろさはディテールに宿る。
杉里直人氏「『カラマーゾフの兄弟』を翻訳して」を聞いて。
                             
下原康子

ドストエーフスキイの会第255回例会に参加しました。四十数名の参加者で会場の早稲田大学文学部教室はいっぱいでした。新訳への関心の大きさがうかがえました。配布資料にそって、Ⅰ.符号の話 Ⅱ.辞書の話 Ⅲ.注釈の話 の順に話されました。その中で私が特に興味深かったのが注釈の話でした。「注」は好奇心を満足させたり想像を広げたりしてくれます。例にあげられた注のひとつが、「ザリガニ」です。「第11編4章賛歌と秘密」にラキーチンのことばとして「賢い人間は何でもできる、賢い人間はザリガニの捕え方も心得ている(江川訳)」とあります。杉里さんの注によれば、このザリガニというのは「10ルーブリ紙幣」の隠語(このお札が赤い紙に印刷されていたため)で『死の家の記録』でも使れているそうです。

講演の最中に、杉里さんの「注釈と解説」部分のゲラ刷りが回覧されました。(出版は2月中旬とのことです)。ゲラ刷りを手に取り、その厚さ(A5版190頁、1264項目)に驚嘆し、「気づきの宝庫」を予感しました。このとき偶然開いたところで見つけたある注で「アハ!体験」が発動しました。確かめるには出版を待たねばなりませんが、おそらく“ベルナール”の注だったと思います。ベルナールが出てくるのは、ザリガニと同じ「第11編4章賛歌と秘密」の中で、ミーチャはアリョーシャにラキーチンから“ベルナール”を吹き込まれたと語ります。ミーチャは無神論者ということでベルナールを嫌い、ラキーチンも、モスクワの名医をも、ぞろぞろ出現するザリガニ捕りに長けた卑劣漢=ベルナール野郎の同類と総括します。法廷でも「そいつはぼくが拘引されてからまで、金を借りにきたんだ!見下げ果てたベルナールの出世主義者め、神さまなんぞ信じてもいないくせに、長老さまをたぶらかした野郎だ!(江川卓訳)」と怒鳴ってラキーチンの面目をつぶします。それにしても、ラキーチンは気になる人物です。ドストエフスキーは、ダメ人間、デタラメ人間、犯罪者でさえもどこか共感的に描いていますが、なぜかラキーチンには冷淡です。

アハ!体験を誘発させたのは、ベルナールの注で目についたストラーホフという名前でした。ベルナールとストラーホフ。何かの繋がりがあるのでしょうか?。帰宅して、グロスマンの「年譜」(新潮社版ドストエフスキー全集別巻 松浦健三訳編)でそのあたりを探ってみました。この「年譜」の人名索引はとても便利です。ベルナールとストラーホフの関連が以下のように書かれていました。
1866年12月 N.N.ストラーホフが、《祖国雑記》に論文「クロード・ベルナール。実験方法をめぐって」(サンクト・ペテルブルグ、1866年刊『実験医学序説』について)を発表する。
また、同じく「年譜」1878年12月(カラマーゾフの執筆時期)に以下の記載があります。
1865年刊『実験医学序説』の著者クロード・ベルナールが逝く。ロシアでも関連論文が多数現れた。

ストラーホフと言えば、「ドストエフスキーとてんかん」関連の文献でよく引用される人物です。彼がドストエフスキーから直接聞いたというアウラ体験の証言は、後世のてんかん研究に貢献しています。しかし、そのこと以上にストラーホフが有名なのは、1883年11月26日にトルストイにドストエフスキーを中傷する手紙を書いたことです。(ドストエフスキーが亡くなったのは1881年1月28日)。問題のこの手紙は1913年《現代世界》10月号に載りました。その時には、トルストイもストラーホフもこの世にいませでした。(この手紙はグロスマン「年譜」に、また、『回想のドストエフスキー 下巻』の最後にそのまま載っています)。

一方、ドストエフスキーの方はストラーホフについて手紙と手帖に書き残しています。
①アンナ夫人への手紙(1875年2月12日)
・・・なぜかストラーホフはわたしにたいして胸に一物あるような態度を取るのだ。・・・いや、アーニャ、これは根性の悪い神学生型だ。それ以外の何ものでもない。あの男は今までもすでに一度、わたしを見棄てたことがある。それはつまり、『エポーハ』が没落した時のことだ。『罪と罰』の成功を見てから、やっと駆けつけてきたのだからね。(米川正夫訳)
②手帖より(新潮社版ドストエフスキー全集27 江川卓・工藤精一郎・原卓也訳)
P.426(ストラーホフ)・・・ふかふかした椅子に座り、自分のではなく他人の七面鳥を食べるのが好きだ・・・生粋の神学校的特徴だ。素性はどこにも隠しようがない、いかなる市民的感情も義務もなければ、何か醜悪なことに対するいかなる憤りもなく、反対に彼自身も醜悪なことをする。・・・(900字ほどで、情けけ容赦ないことばが連ねてあります。《解題》によれば「手帖」の公表は、作家の死後まもなくはじまり、1883年版の全集第1巻に、「ドストエフスキーの手帖より」と題して、主として晩年の手帖の一部が収録されたのが最初だそうです。

これから先は、私の空想的推理です。
ストラーホフが「手帖」を目にした可能性は考えられます。怒りにまかせて中傷の手紙を書いたのかもしれません。その上で、私は、もう一つ別の理由として、ラキーチンのモデルにされたからではないかと推理しました。グロスマン「年譜」をたどって見えてくるストラーホフの複雑で面倒な人物像はラキーチンの印象と重なります。また、ドストエフスキーに対するストラーホフの感情のいらつきは、ラキーチンがアリョーシャに見せた嫉妬が入り混じったあざけりの態度を思い起こさせます。出世好きの神学生ラキーチンの20年後がストラーホフ。若き日のストラーホフがラキーチンのモデルなのではないでしょうか。ストラーホフにしてみれば、ドストエフスキーの最高傑作の中に、未来永劫、好もしくないモデルとして登場するのは耐えがたいことでしょう。ちょっぴり同情します。それにしても、その「意趣返し」がいかにもラキーチン的なのは滑稽で、痛々しくもあります。

講演を聞き、改めてドストエフスキーのおもしろさはディテールに宿ると思いました。たった一つの注でここまで楽しめるのですから。これからも繰り返し読みつづけていきたいと思います。



連 載      

ドストエフスキー体験」をめぐる群像
(第87回)『路上の人』の「キリスト」顕現、そして「悪魔」的危機の今日
                                 
福井勝也

令和二年正月も既に月末を迎えたが、中国武漢発新型コロナウイルスの世界への感染が止まらない。連日のニュースで感染者、死者の人数が中国政府から公表されているが、その実数には不透明なところがあり、今や封鎖都市となった武漢だが、すでに中国全土へのウイルス拡散を防止するタイミングを失しているとの情報もある。日本国内でも武漢等への渡航歴のない日本人によるヒトからヒトへの感染も確認されて、「パンデミック(爆発的な流行)」の恐怖が人々を捉えようとしている。この文章を書き始めつつある今日、WHOの「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」(PHEIC)宣言(1/30)も飛び込んで来た。

数千年の歴代中国王朝は、実は蔓延する疫病によって、その衰亡交替を重ねてきた歴史があると聞くが、毛沢東もその例外でなかったらしい。その直系の習近平国家主席は、2002年に広東省で発生したSARSでの教訓を生かしきれず、その威信をかけた今回の対応を誤れば、香港問題以上の世界的危機の元凶となるだろう。そんななかで、同氏が、今回のウイルス感染症を「悪魔」と語ったという情報が妙に気になった。超ハイテク(軍事)管理国家をアメリカに伍して実現しつつある国家元首の言葉として聞いたのだが、「コロナウイルス事件とは中国型独裁の病気である」との見解もある。確かに人類は、ドストエフスキー生誕200年を来年に控えて、またぞろ「悪魔」が召喚される危機に遭遇しているようだ。

このところ本欄では、堀田義衞の『路上の人』(1985)を扱ってきた。そろそろ締めくくろうと思う。物語では最後、やはりドストエフスキーの「大審問官物語」を明らかに踏まえた場面があって、その後二人の行く末が語られて終わる。すなわち異端派(カタリ派)が立て籠もる山巓城塞にキリストが顕現してきたらという問いに、主人公のヨナ(従者)と騎士(主人)が対話するクライマックスが描かれる。ただし「大審問官物語」同様、キリストはこの場を「訪問」しただけであって、「再臨」のために来たのではなかった。

「キリストさまがもし、いまここにおいでになったら、どうお裁きになりますでしょうか?」「うむ……。恐らく、黙って、双方(山巓城塞に立て籠もるカタリ派信者と山下のカトリック教徒、筆者注)の足に接吻をして、黙ってこの場を去られるであろう」そう言ってから騎士は、われ自ら恐るべきことを言い抜いてしまったことに深く驚愕した。しかし言ってしまったことは、もとには戻らず、戻せもしない。それを聞いたヨナもまた黙り込んでしまった。王座に座する、彼の大いなる者にしてかくの如きか。ヨナとしても、この世の底が抜けたような気がしたのである。(「新潮文庫」p.295、ゴシック筆者)

堀田は、西欧キリスト教が辿った歴史の結節点とも言うべきカタリ派のモンセギュール
山巓城塞の攻防(1244)にイエス・キリストを来場させて、ドストエフスキーの「大審問官物語」の「キリストの接吻」まで模倣し「無力なキリスト」を踏襲してみせた。まずはそう読み取れよう。しかし同時に堀田は、この場面の前後でキリストの「再臨」について語っていて、その延長にあるヨナの言葉でこの物語を最後閉じている。

モンセギュールの城塞には十字架も立ってはいなかったが、それは、あたかも現世の重い負荷と、天上の恩寵との境界城塞として見え、また、まさにこの地上が天上に離陸上昇しようとしている。その窮極の一点と見えた。されば、この山巓の一点以外に、イエス・キリストの再臨にふさわしかるべき、他の如何なる地があろうとも思われなかった。それに、理の筋からしても、もし教権が明らかに譲り渡されてあるものとすれば、ローマ・カトリックより旧いものにしか再臨は出来ないであろう。(「文庫」p.284)
「イエス・キリスト様が再臨なさるとすれば、やっぱり、もとのエルサレムにでしょうな」というのが、われわれの知る、路上の人、ヨナの最後の言葉であった。(p.315)

キリストの「再臨」に立ち会うわけではないが、その存在を感じ取る瞬間というものはありうるのだろう。現在文芸誌『すばる』連載の亀山郁夫氏「ドストエフスキーの黒い言葉」(2019.10月号~)を興味深く読んでいる。

その第4回(2020.1月号)では、イワンの言葉とされる「神がなければ、すべては許される」が焦点になっている。それが、哲学的宗教的バリエーションを孕む幾つかの言葉によって揺さぶりをかけられる。それは、例えばスラヴォイ・ジジェクの「神があれば、すべては許される」であり、あるいは、ジャック・ラカンの「神がなければ、すべては禁じられている」なのだが、無論単なる言葉の言い換えや逆説ではない。引用の言葉を何度か繰り返しながら、さらに紹介の物理学者S・ワインバーグの「宗教がなくても良い人は良いことをするし、悪い人は悪いことをする。だが、良い人に悪いことをさせるためには、宗教が不可欠である」を反芻していると、イワンの言葉、その無(反)神論の内容、その射程と思えるものがおぼろげに分かってくる。畢竟、亀山氏の言葉を借りれば、「偽善に蔽われた西欧が信仰するカトリックを無神論より悪いとしたドストエフスキーの心情」に根ざした歴史的な宣言であったのが分かる。

これに前回までの当方の議論を付加すれば、イワンの宣言とは、辺境のロシアが生んだ「異端派(去勢派等)」に並ぶ「特殊セクト」によるものであって、「<隠れ>民衆的キリスト信仰者の<反神論>の言葉」ということになろう。こう考えれば、アリョーシャのイワンへの接吻が、イワンの語るキリストの大審問官への接吻の反復だった真実が素直に理解される。同時に二人のカラマーゾフ的生命力の深層的紐帯が新たな「セクト」の核心になろう。ここには「(ロシアの)キリスト」は信じるが「神」は認めないという、「特殊な異端派」が成立していると考えられる。

そして以上の私見は、『路上の人』でカタリ派の起源をブルガリアからギリシア・ロシア以東に求めるキリスト教圏内の「異端信仰」に対する堀田の歴史的知見に導かれた。さらに『路上の人』の最後、ドストエフスキー(イワン)の「大審問官物語」のキリストの顕現と接吻、それを模倣する物語の展開によってその意を強くした。

亀山氏は、イワンの言葉「バリエーション」の引用紹介に先立って、東日本大震災の被災地を訪れた際に不意に襲われた「何かしら強烈な働きかけ」について触れている。「世界は三次元ではなく、四次元であるという不思議な感覚、言い換えると、神は存在し、この悲惨な現場をともに見ているという感覚である。その神は、けっして人間の顔をしていたわけではなく、私を背後から包みこむ巨大な霊的な存在(ないしは気配)として知覚された。そしてその無力な神の、慈しみ溢れる微笑のようなものまで感じとることができた……。」 (『すばる』1月号p.276、ゴシックは筆者)

ここでの文章の「神」に「キリスト」を含むものと読めば、今までの文脈上「キリストと(亀山氏との)遭遇」であったと言えなくもない。亀山氏はこの言葉の直前、この自分を捉えた知覚を、「ゾシマ長老の遺体から発せられた腐臭に衝撃を受け、神に対する自然の優位という現実にさらされたアレクセイ(アリョーシャ)・カラマーゾフの恐怖」によるものだと語っている。とすれば、この圧倒的な「自然力」は「悪魔的な力」でもあって、「神」はそれを「黙過」していたことになる。無論、この「神」は「キリスト」ではない。

どんなに人間が知性を発達させ科学的知見で武装しようとも、圧倒的な自然力には及ばない。日本人は、そのことを約9年前の<3.11>に目の当たりにした。それは死にゆく存在である人間が、その宿命を突然に自覚する瞬間の経験(恐怖)であった。だからイエス・キリストは、その「再臨」と死者の「復活」を核にした「信仰」を説いたのだろう。ところがイワンは、地上にある理不尽な苦痛とともにあることを選択し、天上世界を拒否することを宣言した。結果それ以降、我々は、ドストエフスキー(イワン)の言葉によって「神殺し」以降の世界(「ニヒリズム」)を生きなければならなくなった。

しかし同時に我々は真にイワンの言葉の真意を理解したのだろうか。先述したイワンの言葉への「バリエーション」をもう一度噛みしめる時、実はイワンを十全に理解してこなかったことに気付くだろう。考えるべきは、イワンが背負おうとしたものの内実だろう。それは無辜の子どもの理不尽な苦痛であったが、同時にそれは大審問官(イワン)が「悪魔」と密通してでも、成し遂げようと試みたこと(但し、実はこれも自己犠牲によるもので、まずは強者の孤独に耐えることであり)それは、群れとしての弱き人間どもの生活と生存を守ることであった。

この時、イワン(大審問官)が密通した「悪魔」とは何ものか?畢竟、人間が生物種として群れの生存を確保しようとする時に召喚される仮構的存在(「フィクション」)だろう。実は、それはドストエフスキー(イワン)にとって必ずしも「神」と対立するものではなく、むしろその「分身」のような存在ではなかったか。同時にドストエフスキー(イワン)にとっては、神よりも、イエス・キリストの存在の方が大切であった。だからイワンは「キリスト」のように、人間(「無辜の幼子」)の苦痛をその身代わりとして自らに課した。そして同じようにその「憐れみ」から「悪魔」をも召喚することになった。つまりそれと密通してでも、群れのなかの弱き人間(「迷える子羊」)を守ることを孤独に引き受けようとした。結果、キリストは大審問官に黙って接吻し、大審問官はその接吻に自らの心底を見透かされたと感じたのだろう。

引用した亀山郁夫氏が語る、被災地を訪れた際に不意に襲われた「何かしら強烈な働きかけ」による「不思議な感覚」とは、一見日本人の自然への畏敬の思いに通じた「物のあはれ」を根底に据えた感覚のように読めるが、同時にロシア文学者として深く親しんで来たドストエフスキーに特徴的な「神(とキリストとの微妙な関係を含む)」観念を色濃く反映したものに感じられた。

実は、亀山氏の『すばる』連載文では、第五回「神がなければ、ぼくが神だ」(2月号)で紹介された、ドストエフスキー文学の核心的としてのロシア語原語「ベソフシチナ=бесовщина」という言葉が眼に付いた。同時に、この意味付け「悪霊たちの謀りが原因と見られる超自然的な事件、謎めいた事件(「ウィキ辞典」)」であり、その「「悪霊たちの謀り」とは、何も、自然の猛威ばかりに限られているわけではない。飢饉やコレラなどの人災もまた、「悪霊たちの謀り」の一つになぞらえられてきた」の一文が、特に要注意だと感じた。直ぐに、新型ウイルスを「悪魔」と呼んだ習近平国家主席の言葉への連想に繋がった、そして第4回(1月号)の「神がなければ、すべては許される」に戻るかたちでの今回の論述になった。いずれにしても、今日的事象と深くリンクする刺激的なドストエフスキーの言葉が毎回ピックアップされ、一筋縄では論じ難いコアな文章を含むものである。できればもう少し、フォローしてゆきたいと感じている。

とにかく「人災」と考えられる新型コロナウイルスの感染拡大の一方で、「悪魔」の仕業だと言い募る為政者があって、多くの民人は速やかなその終息を祈るしかない今日的危機の本質とは何なのか。「神なき時代」と言われても、圧倒的な自然力の前に無力を感ずる人間は、一方で至高の存在を感じつつ祈り、もう一方でその自然力自体を「悪魔」と呼んでその災いを祓い除けようとする特殊な生物種であるのだろう。ドストエフスキーの文学は、その両方の「神」を召喚し、それに真剣にコミットする人間存在を注視したものであったと改めて思う。いよいよその「今日性」の際だった現代文学の様相を強めて来ている。  (2020.2.10)                       


予備校graffiti(六) ― 私が出会った青春(最終回)―


河合文化教育研究所・研究員 芦川進一

curious boy(好奇心坊や)が投げかけた「ベストの問い」

★N君は、自分の質問はそそくさと片づけてしまい、その後は私に次々と質問を投げかけてくる、と言うよりは熱心に「探索」を開始する少々変わった生徒さんでした。先生の出身地は? 出身校は? 年齢は? 外国旅行歴は? 好きな国、嫌いな国は? 外国の好きな建物は? 好きな本は? 好きな作家は? 好きな音楽、絵画は? 初恋は何時? 奥さんはどんな人? お子さんは何人?・・・

★勿論、これら全てを一度に聞くわけではありません。彼にはその日に決めたテーマがあるらしく、一連の質問を立て続けにサクサクとしてくるのです。質問には嫌味がなく、その「探索」の系統性には独特の「知性」さえ感じさせられます。つい私も乗せられて気軽に答えると、彼はフンフンと聞いていて、好奇心が満たされるや、ニコニコして帰ってゆきます。彼の去った後は、爽やかな春風が吹き抜けていったかのようで、不思議な後味の良さが残されるのでした。「 curious boy(好奇心坊や)」―― 私はN君のことを、秘かにこのように呼ぶようになりました。

★N君はいわゆる「講師の追っかけ」などではなく、今思うに、恐らく人と話すこと自体を生来の喜びとしていたのではないでしょうか。大人にせよ若者にせよ、世に「話し好き」の人は数知れず、しかも自分の話ばかりする人が大部分で、真の「聞き上手」はごく稀にしかいません。「聞く・話す」はfifty-fiftyが原則なのですが・・・そんなわけでN君の場合のように、好奇心を以って講師に語りかけ、次々と質問を投げかけてくる生徒さんがいると、こちらもハッとさせられてしまいます。「この子は心の開いた子だな!」と。

★「curious boy」が投げかけた質問の中で、私が最も驚かされたものはこれです。

「先生、先生が一番好きな言葉って、何?」

今までの人生で、これが私の受けた「ベストの問い」ではないかと思います。平凡で常識的な私ですが、流石にこの時は「愛」だとか「友情」だとか「誠意」、或は「大志」だとか「努力」などの「人生訓」を返す気持ちはありませんでした。自分の心の最深奥に突き刺さるものを感じ、私は一瞬、身構えました。

★と言うのも私は、この時N君が投げかけてきた質問と、ある意味で同じような問いを、当時も今も、ドストエフスキイに関して問い続けているのです。

「ドストエフスキイの究極の一語とは、何だろう?」
であり、更には「肯定と否定」「激震が走る」などの言葉でした。しかし彼からズバリ「一番好きな言葉は?」と問われ、咄嗟に私の内から飛び出してきた一語とは、「晴々とした」という形容詞でした。
―当時・四十歳前後の「混迷」の内にいる私にとって、それは「憂愁」であり、「地下室」。

★「晴々とした」весёлый ―― これは『カラマーゾフの兄弟』の中で、聖者ゾシマ長老とその弟子の青年アリョーシャを中心に用いられる形容詞です。ご存知のようにドストエフスキイ世界とは、罪や罰、殺人や自殺、死に至る病や狂気、貧困や泥棒、陰謀や裏切り、憎悪や背信、懐疑や不信・・・人間の陥る地獄・陥穽が「これでもかこれでもか」と繰り返し描かれ、その「闇」の中から「光」を求めるドラマが展開する世界です。そしてこの「晴々とした」という形容詞こそ、難しい思弁や概念は措いて、「幸福な」とか「喜ばしい」とか「静かな」などの形容詞と共に、ドストエフスキイが最終的にその登場人物たちに与える「究極の一語」だと言ってよいでしょう。同じ問いを今出されたとしても、私はこの「晴々とした」という形容詞を、ドストエフスキイの「究極の一語」として選ぶと思います。その一語をこの二十歳前後の青年が、私の内なる「混沌」から、図らずも一瞬の内に、ごく自然に引き出してくれたのです。(この語については、拙著『カラマーゾフの兄弟論 ― 砕かれし魂の記録 ―』(河合文化教育研究所、2016)の「おわりに」でも扱っています)

★私の答と簡単な説明を聞き、「curious boy 」は満足げに帰ってゆきました。それ以降彼と私の間で、この言葉についてもドストエフスキイについても、更なる会話が交わされた記憶がありません。またその後彼からの連絡も一切ありません。しかしいつも思うのですが、この人生で縁あって出会いを与えられた人との間に、一瞬でも絶対の瞬間が与えられた以上、その出会いを更に引き伸ばすべき理由を私は見出せません。このような出会いと、与えられた瞬間の絶対性は、我々に潔い別れへの心をも自然に与えてくれるのです。それ以上、何を望むことがあるでしょうか?

★この「curious boy 」を、尽きぬ「探索」に導いたものとは何だったのか? その後私は折につけこのことを考えています ―― そもそも人間同士の間で交わされる問答において、相手の一番好きな言葉とは何かを尋ねること以上に、美しく素晴らしい問いが、そしてこれ以上に開いた心の姿勢があり得るでしょうか? この時質問者は、その言葉の奥に潜む、相手の心の最も大切なものの開示に耳を凝らし、心を集中させているのです。ここにあるものが「好奇心」だとすれば、それは我々人間が持ち得る最も上質な「好奇心」であり、コトバの真の意味で高貴な「探求心」とも呼ぶべきものでしょう。今では私はこの青年こそ、ドストエフスキイが私の人生に遣わしてくれた若き真の友、「聖なる好奇心・探求心」を手にした天使だったのではないかとさえ思っています。

おわりに

「予備校graffiti」は今回を以って終了とさせて頂きます。昨年の12月で河合塾での仕事を全て終えるにあたり、私はそれまでの一年間六回にわたり、ドストエフスキイ研究会を中心として出会った若者たち延べ60人ほどの思い出を、このサイトに記してきました。記録に残しておきたい若者たちはまだまだ多いのですが、その「思い出」を今までと同じように記し続けても、単なる「昔懐かし」的な回想の羅列に堕してしまう危険性が少なくありません。彼らとの出会いを「未来」を孕んだ活きたものとするために、今後私はなお所属する河合文化教育研究所で、自らの研究を進めると共に、彼らへの指導もより厳しく続けようと思っています。

そこでは今まで通り、ドストエフスキイの作品と、彼が「命」としたイエスについて記す新約聖書を誤魔化しなく読み続けることが核となるでしょう。その研究会の成果は、「河合文化教育研究所」のHP「ドストエフスキイ研究会便り」に随時発表してゆく予定ですので、関心を持たれる方はご覧下さい。今まで掲載してきた「予備校graffiti」も、一つの新しい「ドストエフスキイ論」となるよう心掛けました。改めてHPでご一読頂ければと思います。

間もなく東京ではオリンピックが開催されます。翌2021年は、「ドストエフスキイ生誕200年」ということで、恐らくマスコミ・ジャーナリズムとアカデミズムとによる、様々な催しが行われることでしょう。私自身はこれらとは一切関わることなく、ドストエフスキイ研究会で、上に記した作業を若者たちと黙々と続けていると思います。聖書を基にしたドストエフスキイ理解が、ドストエフスキイの長い労苦に正面から応える道であり、その道を行くことは、時間をかけた地道なテキストとの取り組み以外にないと信じるからです。この認識を「読書会通信」の愛読者の皆様と、更には「ドストエーフスキイの会」の皆様と共有し、静かな「ドストエフスキイ生誕200年」を迎えたいと思います。

(編集室より)
一年間の連載、ありがとうございました。大学予備校という戦場にいる受験生にドストエフスキーの啓蒙は可能なのか。そんな疑問があった。が、この連載はその疑問を払拭した。芦川氏の情熱は確実に伝わっている。そのことが本連載で立証された。そのように思うところです。これからもドストエフスキーと聖書研究に寄せる情熱と研究、その深化を応援し見守っていきたいと思います。

下原康子さんは、ある新聞社の若い女性記者と名刺交換した際、いきなり「芦川先生を知ってます」と言われた。名刺にあった「ドストエーフスキイ全作品を読む会」を見てのことだったようだ。この話を聞いたとき、下原道場に一時入門した青年のことを思いだした。その青年は、壁のドストエーフスキイ・シンポジウムのポスターを見て「芦川先生」と言った。彼女も彼も河合塾の出身だった。彼らにとってドストエフスキーは、すべて芦川さんに繋がるようだ。芦川氏=ドストエフスキーなのだ。芦川進一氏のドストエフスキー啓蒙は、着実に確実に現代の若い人たちに浸透している。そのように思います。



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投稿(2019.12.31)

①恋愛を数式で表現できるか

富岡太郎
  
ドスト通信で10月読書会が中止になったことを知った。1月11日は参加できそうになく、(代わりに)手紙でドスト氏の注意点などを投稿します。(昨年)2月25日に作文した私の文章の中に「2+3=5」を疑うくだりが出てきますが、これはデカルトの「方法序説」の中の例でありまして、ドスト氏はたしか「2×2=4」を疑っていたように思います。また、イワン・カラマーゾフ「平行線が交わる」云々とユークリッド幾何学を疑うくだりもありまり、数式の妥当性を疑うことは流行だったのかもしれません。カントは「純粋理性批判」で面白いことを言っています。「500円という数字は500円の内容を十分表現している。帳簿の計算の通りに実際の現金が変化するからである。

例えば、今月が500円赤字で貯金が1000円だとすると、残高は、1000-500=500で、500円ということになる。ところが、500円という数字は500円の内容をまるまる表現していない。帳簿の1000円に勝手にプラス500円と書きこんでも、いささかも残高は増えないからである云々」。要するに数字と実在の関係性の話ですが、500円という理念がリアリティーにどう対応しているのかは論争中であると思われ、ドスト氏の「2×2=4」は死のはじまりとか、デカルトの「2+3=5」は悪魔にだまされてるとかいう論点は、現代でも解決していないはずです。(明日の天気予報を必ず当てることができないように、カオスについてはスーパーコンピューターでもなかなか未来予想できず、核抑止理論の正しさもいい加減で、いつキノコ雲が発生するか誰にもわかりません)近代合理主義はこのように不完全であり、それを超越しようという試みは、日本の西田哲学やロシアのドスト文学に共通するテーマではないでしょうか。21世紀、ネット社会になりまして、人工知能(AI)の開発とか量子コンピューターの登場とか、得体の知れないパワーが現れてきたようですが、「二進法と四つの論理演算子」で一切が決まっているだけのことで、『罪と罰』のソーニャの自己犠牲の文学とか、『カラマーゾフの兄弟』の三兄弟のキャラクターとか、不滅の魂をゆさぶる作品の勝ちはいささかも古くないものと思います。

②近代化について
 
ドストエフスキーは近代化をしりぞけ前近代的な教権・王権を守る古い思想家と誤解されるが、近代化の闇を早くから把握し愛するロシアが闇におおわれないよう文学活動したと私は考える。まず近代化之特徴であるが、プロテスタントの「天職」から分かるように、自分でかせいだ私有財産を紙に由来するものとして絶対化し、子孫に相続させ、永遠化することで「ブルジョワを中心にする」社会。そう考えると分かりやすい。

つまり地主の土地を王権や教権が没収し小作に分配する「大権」の否定こそ近代社会であろう。(旧約聖書には50年に1度は王が地主の土地を小作人に与え全農民を自営農民にする「ヨベルの年」が定められており、このことにより上流国民と下流に国民が分断されず、『階級化しないように』王の大権を定めている)。カトリックとプロテスタントの争い(宗教改革)も「私有財産没収県」の否定と肯定に分かれての争いだったし、ナポレオンは富国強兵のため私有財産を永遠化し、ブルジョワ社会を成立させようとしたのだろう(のちにヨーロッパは階級社会と化し「私有財産廃止」というヨウカイが現れて、さらに世界大戦後に「冷戦」を作り出す。それだから世界大戦の原因は植民地というより、外国の富を狙う貧困層をかかえてしまう近代社会の構造が生み出したもの、王権、教権、大権を理性が否定したあげく生じた殺し合いだったように思われる)。ドストエフスキーが理性のワナにひっかからないよう小説で『悪霊』たちを描きだしたのも「世界大戦に向かう闇」「共産社会に向かう闇」を直観していたからだと思う(租びぇととなったロシアは何千万人もの死者を出す計画経済に苦しみ人口を大きくへらしている)。ドストエフスキーの「ポストモダン」は21世紀にもまだ生きつづけている。




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令和元年に亡くなった田中幸治さんのご子息よりお手紙をいただきました。

長年に渡りドストエフスキーの読書会通信をお送りいただき、又、この度は更に追悼文をご掲載いただき、ありがとうございました。写真を整理していて、ドストエフスキーの会関係の集まり?か、と思われるものが沢山出てきたのですが、その雰囲気の一端を知ることが出来ました。

私は、家庭人としての父の姿しか見ていなかったので「ドストエフスキー」という言葉にうんざりしていたのか、よく覚えていないのですが、読まず嫌いのまま成人してしまいました。就職して家を出た後に、読んでみたことはあります。魂を引き込まれるような作品とは思いましたが、深入りしないまま通り過ぎています。他にも話に出てくる哲学者や文学者等、名前くらいは 知っていても世代の違いというか興味の対象が違っていて、たぶん父の話しに 耳を傾けていなかったのでしょう、深く議論を交わしたことがなかったのが、今になってみると残念でなりません。

晩年の父は仏教的な心に関心が強かったように思っていましたが、盛んにドストエフスキーを論じていた頃からそうだったのですね。剣道と仏教と、比較思想やインターディシプリナリー等、特定の専門分野ではなく、総合的に考えることを目指していたようですが、私には書いたものを見ても、ちょっと理解を超えていました。父の表現方法は、いまにして思えば言葉と思想の、コラージュみたいなものだったのかなあ、という見方をすれぱ、少しは分かる気もしますけれど… 。私の見るところ、宗教や哲学、文学等を専門的に論じることよりも、常に現実が問題意識にあり、世界各地の戦争や悲しい出来事の報道に心を砕いていました。 それも。言葉や思想の力でなんとかしたいと思っていたところが、やっぱり文学者だったなあ、と思っています。

ずっと週末毎に会いに行っていましたので、長らく続いた習慣がなくなってしまって空気が希薄に感じる時もあります。それでも思い返してみると、小さく丸まってベッドに横たわる様子から、子どもの頃、当時、家の周りに多くあった 空き地で一緒にキャッチボールをして遊んでいる父の声や仕草までが、夢の中で映画を観ているように、空気感まで浮かんで来ます。その間の、成長するまでのなかで出会った様々な瞬間が、断片的にふっととよぎります。思い出がある限り、人はその中に生きているのですね。この頃「他人の目で観る」ということを、道徳的な意味でも対人関係のスキルでもなく、まさに「言葉通り」に体験し、実感することがあります。

田中幸治さんの著作

吃水線 ドストエーフスキイ研究者の手記
田中幸治著 東洸社 1970
ドストエーフスキイと仏教の日本的展開との谷間から
田中幸治著 東洸社 1981
ドストエーフスキイ山脈
田中幸治著 近代文藝社 1983.8-1990.4  [正] , 続
法然上人の歌とドストエーフスキイのアリョーシャ
田中幸治著 関東図書 2004



編集室


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