ドストエーフスキイ全作品を読む会 読書会通信 No.168
 発行:2018.6.1


6月読書会は、下記の要領で行います。
 
月 日 : 2018年6月9日(土)
場 所 : 池袋・東京芸術劇場小会議室7(池袋西口徒歩3分)
開 場 : 午後1時30分 
開 始  : 午後2時00分 ~ 4時45分
作 品  : 『未成年』
報告者  :  國枝幹生さん 司会進行 小山創さん        
 


第46回大阪「読書会」案内 作品『カラマーゾフの兄弟』第2編
ドストエーフスキイ全作品を読む会・大阪読書会の第65回例会は、以下の日程で開催します6月16日(土)14:00~16:00、・会場:まちライブラリー大阪府立大学 参加費無料 
〒556-0012 大阪市浪速区敷津東2丁目1番41号南海なんば第一ビル3FTel 06-7656-0441(代表)地下鉄御堂筋線・四つ橋線大国町駅①番出口東へ約450m(徒歩約7分)
小野URL: http://www.bunkasozo.com 



6月読書会

報告者は、國枝幹生さん 司会進行は小山創さん

今回の報告者、國枝幹生さんは、なんとなくアルカージィを連想してしまうところがあります。どのようなアルカージィ役をみせてくれるのか楽しみです。司会進行の小山創さんは多くの読者が敬遠する「未成年」という大海原への出航。確かなカジに期待します。よろしくお願いします。

年譜でみる『悪霊』から『未成年』まで (編集室)

1871年(50歳) いよいよ『悪霊』をロシア報知に連載開始
1872年(51歳)スターラヤ・ルッサに旅行。以後、夏をこの地で送る。
1873年(52歳)ミハイローフスキイ『祖国の記録』誌で『作家の日記』、『悪霊』を批判。  『悪霊』をかなりの部分にわたって改訂、単行本とする。ペテルブルグ刑務所の青少年犯罪者収容所を訪れ、浮浪児の精神状態についての資料を蒐集。
1873年2月22日書簡 M・P・ボゴージン(1800-75歴史家、古文書)宛て (中村訳)
…幾編もの中編や小説の人物像が頭の中に群がり湧いてきて、心の中で熟成してゆきます。そうした人物たちのことを考え、ノー トをとり、書きつけておいたプランに毎日新しい要素を付け加えてゆくのですが、気付くと、自分の時間が残らず雑誌に取られてしまっていて、自分はその先を書くことができないのです。そして、後悔と絶望に落ち込むのです。ネクラーソフとの和解
1874年4月 ネクラーソフ、ドストエフスキーに今度書く作品長編(『未成年』)を1875年の『祖国雑誌』に連載してほしいと頼む。
「夫は、ネクラーソフとの親交が甦ったことを大変喜んだ。ネクラーソフの才能を夫は高く評価していた。」(アンナ『回想』)
・3月 サマ―ラ県の飢餓救済運動に参加。
・4月 『市民』編集長辞職
・5月 スターヤ・ルッサに移住 8日 チュレムヌイ城少年院見学
・6月7日 外国旅行出発
・7月 ドルグーシン一派の住民扇動事件。
・8月中旬 スターラヤ・ルッサに帰還。
・冬中『未成年』執筆 1875年『祖国の記録』1月号から連載開始。



悠々たるいそがしさ ──ドストエフスキーの『未成年』
(引用:『新潮世界文学14:未成年』の栞)

武田泰淳

私は未成年アルカージイが好きだ。初対面の老公爵との無邪気な女性論によって、たちまち老公爵が彼を好きになったのは当然である。彼にくらべれば、六本木族、フーテン族、ヒッピイ嬢は何と魅力がうすいことか。悪友ラムベルトに指導された彼には、ハレンチを敢えてする体験はいくらでもあったが、もっと他の未成年らしさを次から次へと発揮するので、卑屈と高潔、どすぐろさと純白、いやらしさとけなげさ、つまりは人類の二つの傾向をあますところなく演じてみせてくれる。

たしかに『赤と黒』の主人公にくらべれば、彼の行動は不細工で、スマートではないかも知れない。これはスタンダールとドストエフスキー、フランス人とロシア人のちがいでもあろうが、一方の目標がナポレオン、こちらはロスチャイルドと「理想」の対象こそちがえ、われらはアルカージイ通してジュリアン・ソレルをジュリアンを通してアルカージイを充分に理解することができる。おそろしく負けん気で、いざとなれば決闘も辞さない点、大人たちの仲間入りして一歩も後へひかない点など、そっくりである。女性関係で成功しないところはアルカージイの方が気の毒であるが、義父および、もろもろの男たちの心理の闇の奥ふかく突入して行くことでは、かのフランス青年にたちまさっている。自分の卑しさ、育ちの貧しさが逆作用して、上流階級で思い切った(子どもじみてもいるが、なかなか抜け目ない)活躍をやるのも共通している。幼年時代の屈辱、いじめられるだけでなく、自ら敢えていじめられ役を演じねばならなかった屈辱は、このロシアの青年の方がはるかにすさまじい。

彼のヴェルシーロフ研究が深まるにつれ、われらはドストエフスキーの人間学の高い高い階段を、彼の目にみちびかれつつ、息苦しくも喜びに満ちて登りつづけねばならなくなる。彼がこの不可解な義父にあこがれたり愛したり、憎んだり反逆したり、密告したり離れ去ったりする、その目まぐるしさは、よくよく考えてみればわれらが日常感じている人間関係のこまやかな感覚、説明しがたい矛盾の連続を、ものの見事に定着し、表現した結果なのである。

彼はたえず、人間を誤解している。奇妙な人物ヴェルシーロフのみならず、可憐な妹や傲慢な未亡人、社会主義の友人、下宿の貧乏人、すべてをうまく理解できないで、たえずみんなからおどろかされる。したがっていらだった怒ったり、うっとりしたり死にかかったり、つまみ出されたりして、絶望の直後に大歓喜にみまわれたるする。「ああ、なんて善良な性格の人なんだろう」と、彼が感嘆した青年貴族は、次の日は賭博場で彼を無視し、彼を拒否する。そしてまた後の日には彼を満足させる行為を立派にやってのける。これらの変幻きわまりない男女を、彼は一体どうやって愛したり憎んだりしたらいいのだろうか。何回信じても、何回裏切られても、未成年は成長していかなければならない。しかもこの長編小説はドイツその他の教養小説の如く、一個の人格が形成されていく過程をたどるといった、単純な、なまやさしい種類のものではなく、破壊されたままの諸人格がとめどもなくせめぎあう、なまぐさい修羅のちまたの展開なのであるから、歩いたり、かけ出したり、しゃべったり、首に抱きついたかと思えば撥ねのけたりする彼の毎日は、まことに多忙で色彩ゆたかとならざるを得ない。

それにしても、一ばんの重要人物ヴェルシーロフがまざまざと読者の前にあらわれてくれるまでのペエジ数の多さには眉をしかめる方もあろうが、さらにもう一人の重要人物、かの老巡礼がヴェルシーロフ家にたどりついて寝込むまでについやされる枚数にはあきれかえるほかはあるまい。しかもそれはすべて愛すべき未成年者のゆたかな多忙によってひきおこされた事態で、ストオリイが先細りになりかかると突如として全く別種の新鮮な未来があらわれるという、悠々たるドストエフスキー的手法にすっかり身をまかせてしまうことをおすすめしたい。ほこり高き貴族娘カテリーナはこの青年を評して、「あなたがこわいわ」と口走る。このこわさとは、たぐいまれなる誠実な猪突猛進ぶりを形容してマトを射ている。この種の誠実さなしには、悲劇も喜劇も生まれるわけはないのである。 



『未成年』の登場人物一覧


引用:[ ドストエフスキー作品の登場人物一覧表 ]
http://www.geocities.jp/honnomado/dosuto_2.html

主な人物

・アルカージイ(アルカージイ・マカーロヴィチ・ドルゴルーキー)
20歳.ヴェルシーロフの実子.ソコーリスキー老公爵の秘書.生まれて間もなく他人に預けられ寄宿舎で暮らしていた。19歳になった時父に呼ばれてペテルブルグへ出て来て、両親や妹、義姉らに会う.ロスチャイルドになるのが夢
・ヴェルシーロフ (アンドレイ・ペトローヴィチ・ヴェルシーロフ)
45歳.様々な女性と浮名を流す、アルカージイの父
・ソーフィヤ(ソーフィヤ・アンドレーエヴナ)
38歳.アルカージイの母.百姓の娘で、庭師マカールと形式上の結婚をした.ヴェルシーロフとの間にアルカージイとリーザが生まれる.素朴でやさしい愛情を持った母親
・カテリーナ(カテリーナ・ニコラエヴナ・アフマーコワ)
?歳.ソコーリスキー公爵の娘.故アフマーコフ将軍の後妻だった.ヴェルシーロフの恋人
・リーザ(リザヴェータ・マカーロヴナ・ドリゴルーコワ)
19歳.アルカージイの実の妹.ソコーリスキー若公爵の子を身ごもる
・マカール老人 (マカール・イワーノヴィチ・ドルゴルーキー)
70代.アルカージイの戸籍上の父.ヴェルシーロフの召使で庭師だったが、妻ソフィヤがヴェルシーロフと住むようになってからは巡礼の旅に出る.謙譲な信仰心を持ち、その生き方がアルカージイに大きな影響を与える
・タチヤナ伯母(タチヤナ・パーヴロヴナ・プルトコーワ)
みんなと血縁関係はないが、世話好きの元気な小地主の伯母さん.少年アルカージイを乳母のように、時にはどやしながら育てた.
・アンナ (アンナ・アンドレーエヴナ・ヴェルシーロワ)
22歳.アルカージイの異母姉.

脇役たち

・ソコーリスキー老公爵(ニコライ・イワーノヴィチ・ソコーリスキー) ――?歳.カテリーナの父で、ヴェルシーロフの友人.アンナと婚約中.
・故アフマーコフ将軍 ――カテリーナの夫だったが、病死した.
・リーディヤ ――16歳.アフマーコフ将軍の前妻の娘.ヴェルシーロフの子を身篭っているとの噂.
・セリョージャ公爵(セルゲイ・ペトローヴィチ・ソコーリスキー)  ――?歳.リーザの恋人.名門の貴族で現実的な能力は乏しい.リーザが自分の子を身ごもっていると知りながら、アンナに結婚を申し込む.
・ストルベーエフ ――セリョージャ公爵の祖父
・ストルベーエワ ――セリョージャ公爵の祖母
・エフィム・ズベレフ 男.19歳
・クラフト      男.26歳 アンドロニコフの助手.後に自殺.
・デルガチョフ    男.25歳 革命運動のグループのリーダー.
・ワーシン      男.20歳? 
・ステベリコフ ――?歳.ワーシンの義父.
・故アンドロニコフ ―― ヴェルシーロフの財産問題を担当していた.
・マーリヤ・イワーノヴナ ――?歳.アンドロニコフの姪.アルカージイの中学時代の親代わり. カテリーナが書いた「重要な手紙」を持っていたが、アルカージイにそれを渡す.
・ニコライ・セミョーノヴィチ ―― ?歳.マーリヤ・イワーノヴナの夫.
・ラムベルト ―― 寄宿学校の時の同級生で、アルカージイを子分にしていた.のっぽの男とトリシャートフと共にアルカージイを恐喝する.
・アルフォンシーヌ ―― ラムベルトの妻
・のっぽ ――名前は不明(たぶんアンドレーエフ)
・トリシャートフ ――ラムベルトの陰謀に加わりながらも、アルカージイに味方する.
・オーリャ ―― ?歳.ヴェルシーロフと関係を持つが捨てられる女性
・ダーリヤ・オニーシモヴナ ―― ?歳.オーリャの母
・ビオリング男爵 ――カチェリーナと婚約している.

プレイバック読書会(過去の通信を覗く)


『未成年』etc 
(編集室)

■ 一口に「現代ロシアの家庭と青年」を描いた小説といっても、そこは複雑だ。訳者米川正夫は、この作品について解説で、このように述べている。(一部抜粋)
ドストエーフスキイが『未成年』をネクラーソフの依嘱によって雑誌『祖国雑誌』に発表したのは、1875年で、『カラマーゾフの兄弟』に先だつこと約5年、ドストエーフスキイの生活が安定期にはいって、その芸術も完全に円熟の境に到達したころの作品であるから、彼の作家として思想家としての偉大さは、遺憾なくこの中に凝集せられ、渾然とした味わいの深い、インチメートな滲透性に充ちている点、この文豪の長編中ほとんどくらべるもののないユニークな作品である。(全集)
■ 中村健之介さんは『ドストエフスキー人物辞典』の終わりで、この作品感想をこのよう
に締め括っている。
『未成年』という小説を距離をおいて眺めると、貴族である実父ヴェルシーロフは「落ちた偶像」と化し、農民のマカールがアルカーヂーにとっては「善い人」として記憶に残るという結果になっている。ヴェルシーロフという知識人はマカールという民衆に敗北し、ロシアの未来を担う新しい世代の「未成年」は、そのマカールに近づき、かれから「真実」を学んでゆくというところにドストエフスキーのロシアの未来への期待と希望を読み取ることができる。
■ 『未成年』の素材の一つ、ドルグーシン事件について。
彼(ドルグーシン)は、有能で、知的に発達し、教養もあり、民主社会的傾向の新しい思想の感化を受けた男であります。現在の社会秩序は彼を満足させませんでした。彼は自分なりの理想をこしらえたのでした。それは、大体のところ、チェルヌィシェフスキーあるいはフレロフスキーの理想に近いものでした。
(ドルグーシン・グループの一人、レフ・トボルコフの供述)
■ ドルグーシン・グループとは何か
1876年7月ドルグーシン一派の裁判があった。ドストエフスキーは新聞を読んで興味をもった。そして、『未成年』のデルガチョーフとその仲間のモデルとした。彼らの理念は、協会や皇室を否定して、福音書のイエスの教えに従わんとする革命家たち。
■ 太宰治とアルカージィ 太宰とドストエフスキーは、似て非なるものと思っている。が、パクリの名手太宰が、どこまでドストエフスキーを理解していたかはわからないところだ。名作『津軽』でクライマックスは運動場でタケさんに会うところ。太宰の心中疑惑をなめるように検証する長篠康一郎によると、津島修治は、その夜、タケさんの家に泊まって徹夜で四方山話をした。話の中心は「自分は兄さんたちとほんとうの兄弟なのか」という疑惑についてだった。太宰には「生まれてすみません」とか「罪・誕生の時刻に在り」『人間失格』には「日陰の子」なんて書いてある。これについて長篠たちは「われわれ第三者には窺い知れないそれなりの理由と、深い苦悩があったのだろうな」と同情を寄せている。が、心中オタク・文学オタクの言動の生涯から、その疑念の隅にアルカージィを演じる姿を想像してしまう。太宰ファンに水差すようで申し訳ないが、本通信作成中にふと浮かんだ空想である。



4・14読書会報告
 
               
参加者21名 さくら散った後に重いテーマを明るく語る。今年の桜は、気温に恵まれ四月を待たずして満開となりました。そんなわけで読書会の頃には、葉桜となりました。お花見気分が抜けての「おとなしい女」の報告と談議。自殺という重いテーマではありましたが、太田香子さんの緻密な報告と、梶原公子さんの確かなかじ取りで活発に感想がでました。内容的には、夫に対する批判が多かったように思います。
「嫌いなタイプ」「覇気が悪い男」「最低男」「昭和の時代の男」「昭和の伝統文化」などの感想から昭和の男たちには、なんとも耳の痛い作品だった。
これほどの深い絶望は、ドストエフスキーもかっつて表現したことがなかった。/『おとなしい女』の主人公も、救いのない絶望の中から、不思議な言葉を耳にしたような気がする。「人々よ、互いに愛し合うべし」米川正夫『ド全集・ドストエーフスキイ研究』



「ドストエーフスキイの会」情報


第49回総会と第245回例会
ドストエーフスキイの会は、5月12日(土)午後1時30分から千駄ヶ谷区民会館にて第49回例会総会と第245回例会を開催した。なお例会の詳細は、以下の通りです。

報告者:泊野竜一氏 
題 目:「19世紀ヨーロッパ文学における沈黙する聞き手 ―― ホフマン、オドエフスキー、ドストエフスキーとの比較考察の試み ―― 」



評論・連載
      
「ドストエフスキー体験」をめぐる群像
(第77回)前田英樹氏の新著『批評の魂』(新潮社)について    
    
 福井勝也

先日(5/19)当読書会の母体である「ドストエーフスキイの会」の総会(49回)と例会(245回)に参加して来た。当方は、会創立後(1969)10年程の入会(1978)なので、発足時の熱気(大学紛争の渦中)については寡聞で、無論その記憶はない。早いもので来年には「会」が活動を始めてから何と50年を迎える。

「会」は次の言葉によって開始された。「明治以後のわが国知識人の精神史に、ドストエーフスキイ文学のあたえた影響は、今日にいたるもその持続度と深さにおいて、他に類を見ないものがある。それだけわたしたちの精神とこの19世紀ロシアの作家との対話の歴史は古い。いわばそこには一つの精神の潮流のごときものが形成され、そこにかもされる渦や流れの形は時代とともに変わってきた・・・(1969.2.12)」。

現在もその<対話>は継続していると思うが、その持続の内実について改めて考えさせられる好機を得た。自身も40年程ドストエフスキーに親しんで来られたのは、根本にはドストエフスキーの時空を超えた作品の感化(愛読)によるだろう。しかしそれだけでは十分には説明し尽くされない。そこには、発足の言葉にある明治近代化以降の日本人が19世紀ロシアの作家と積み重ねてきた<対話>が横たわっていた。しかしその対話の歴史が真実明らかにされてきたろうか。そしてその<潮流>にあって、大きな足跡と強い影響を及ぼしたのが「近代文芸批評」を創始したと称される小林秀雄の存在だ。しかしながら、その核心的意味が明らかにされてきたろうか。今回の読書で、そんな問いを改めて喚起させられ、それへの解答を確信する好著に廻り合った。前田英樹氏の『批評の魂』(2018.3)である。ドストエフスキー文学の我が国における受容を深く考えるうえでも、是非この場で紹介しておきたい。

本著は、近代日本文学史にあって時代背理的に「批評」という文学形式が生成せざるを得なかった真実を、著者が「批評家」と呼ぶ、主に小林秀雄・正宗白鳥・河上徹太郎の三人の交友とその文業から明らかにするものである。本書は『新潮』に2016.1月号から2017.2~5月号まで連載されたものだが、その途中、前田氏は某インタビュー(2016.8)に応答されている(「立教映像身体学研究 第5号」2017.3.10)。やや長めになるが、重要だと思う関連部分を、最初に引用しておく。なお、インタビュー全体は現在ネットでも検索可能である。

 僕が考える<批評>は、要するにディシプリンができあがることへの永続する抵抗です。対象があって、その対象に共に生きるという一つの生き方の確立なのです。どうやったら対象と共に生きられるかは、簡単なことです。その対象への愛によって、その対象を内側から生きるという一つの態度、決心、方法なのです。それは、必然的にディシプリンの成立には協力しないのです。(注、このあとにフーコーの『知の考古学』の説明が入って、その方法としての<考古学>と<系譜学>への言及がされる。それに続けて)どんな場合にも、ディシプリンの形成に抵抗している。いろいろなディシプリンの箱の中に生成途上の知を回収して、その生きた運動を奪うということに絶えず抵抗する働きだと思います。

それを何と呼んでもいい。僕は<批評>という言葉にそういう意味を込めている。要は、思考の働きを死んだサンプルのようなものに換えて並べていく、そういうあり方、そういう手続きの総体(注、この<手続きの総体>が、ここで前田氏が問題にしている<ディシプリン>の内実であろうが、辞書的には「学問分野・専門分野」という意味も確かめられる)に対する根本的な抵抗ですね。それから、僕らがものを知ることの中にももともとある創造性、それを回復する自主独往の営みが批評なのです。

さらに本書の元になった連載文に触れて、その趣旨が率直に語られている箇所がある。
「批評の魂」で書きたいと思っているのは、明治以降、日本の文明が近代化してきたときに、精神のなかに、ほんとうは何が起こったのかというと、まさにもろもろのディシプリンが科学技術や社会制度と共に入ってきた。日本には皆目なかった西洋式の知識の枠組みが入ってきたわけです。そういうものと渾身の力で闘った人たちがいる。闘いながらこの自分が生きるとは何かを根本から問い直した人たちがいる。彼等が遺した仕事は、しばしば<批評>という形を取りました。取らざるを得なかったのです。それは、なぜかということを、一生懸命書いているところです。

書き上げられた本書を何度か読み直して、その意図は十分に達成させられたとの感想を抱いた。ここで、前田氏が述べている<批評>という文学スタイルこそ、小林秀雄が「様々なる意匠」(1929)から『ドストエフスキーの生活』(1935.1~37.3、39.5刊行)に至る過程で胚胎させた核心であった。それは「独身者文芸批評家」から出発し、「文芸時評家」を自ら廃業して、「批評家」としての「対象を持つ、ということ」によって成し遂げられた。そして、それがボードレールでもランボーでもない、19世紀ロシアの作家ドストエフスキーを選択することで達成されたのだ。その経緯に僕は改めて注目させられた。

そして本書で特筆すべきなのが、文学史という<ディシプリン>によって自然主義作家として分類された正宗白鳥を「批評家」として発見してゆく道筋が、小林のそれと同時並行的に明らかにされたことだろう。そしてそのトピックが、これも<ディシプリン>でしかなかった文学史的接点「思想と実生活論争」(1936)を新たなかたちに読み解いたのであった。

その意識的当事者は、確かに小林秀雄(と盟友の河上徹太郎)であるのだが、その箱を丁寧に開いたことは、本書の功績であろう。それは前田氏が、小林と正宗氏との交遊を丁寧に読み解き、その晩年に至るまでの文章を精密に愛読したことによる。ちなみに小林の遺著は、『白鳥・宣長・言葉』(1983)であった。

ここで、「思想と実生活論争」を論ずる本書固有の表現を引用してみたい。それは、トルストイに対するものであるが、ドストエフスキー文学の本質にも係わり(「魂のリアリズム」)、さらにその語彙は、著者が喜びの哲学と語るベルクソンの表現を踏まえている。なおそれらすべてが、前田氏が愛読する小林秀雄の言葉の<浸透>による批評の文体だと思えるものである。

小林が、菊池寛と正宗白鳥の類似を言うのは、河上が言う通り、その「理想(イデア)主義(リズム)」によってだろう。しかし、この「理想主義」は夢を描いたり、空想に耽ったりする態度とは関係がない。むしろ、生活が便宜上採用する虚構の底を踏み破り、現に在るものに達しようとする烈しい「現実(リアリ)主義(ズム)」を引き連れている。精神にこのイデアリズムがある時には、それが掴み出す対象には必ずそのレアリスムがある。このような理想主義者たちを騙しうる言葉は、どこにもない。「文学」も「思想」も「社会」も「自然法則」も、みな彼らが深く爪を立てる現実(レアリテ)の前で、言葉の効果を消滅させてしまう。(p.41)

もう一つ本書の読みどころを指摘しておけば、小林秀雄の最終作『本居宣長』(1965.6~76.12)に折口信夫との思い出話に触れた箇所がある。これも文学史的にかなり有名だが、必ずしも十分に分かった話にはなっていない。すなわち戦争中に小林が初めて折口を訪問した際のことであった。宣長の『古事記伝』をめぐる折口との遣り取りで、「橘守部の『古事記伝』の評」に関する小林の<失言>による沈黙があって、そこで後に「私は恥ずかしかった」と小林は書き記すことになる。そして折口は駅までの送り際に、「小林さん、本居さんはね、やはり源氏ですよ、では、さよなら」きっぱりと言い放って去ったという件である。本書の肝心なところなので、全体通読をおすすめしたいが、一部文章を引いておきたい。まずは、「私は恥ずかしかった」のは何故かという問題である。

「私は恥ずかしかった」とは、そのような己の無作法、未熟が恥ずかしかったのだろうが、むろん、それだけではあるまい。『古事記伝』という「美しい形」の実在を前に、身動きもならず独り在る自分の姿が恥ずかしい。恥ずかしかろうが、どうであろうが、これは、辛い、焼けつくような批評の魂を与えられて、近代の日本に生きる者の、取り繕いようもない孤独である。(p.273)

この箇所の「恥ずかしさ」の意味の解明は、はっきり言って当方にとって「目から鱗」であった。そして実は、この「恥ずかしさ」が後に小林に『本居宣長』を書かせるに到る
経緯に気付いてもう一度驚いた。正確には、その経緯よりも、そのことを明らかに語ってくれた前田氏の読みに敬服した。そして、折口の言葉に年月を経て小林はどう応答したか。

折口の言おうとすることは、はっきりしている。宣長の評価されるべきは、古事記研究によってではない、その源氏論によってである‥‥。以来、二十数年、「私の考へが熟したかどうか、怪しいものである」と小林は書く。読んでも読んでも、「やはり、宣長といふ謎めいた人が、私の心の中にゐて、これを廻って、分析しにくい感情が動揺しているやうだ」(『本居宣長』)と。この感情は、調査、検討、解釈の試みで片の付く代物ではない。自分を動揺させる「宣長といふ謎めいた人」の魂の形、これを書き通し、みずから生き直してみる以外には、鎮まることのないものだ。(p.273~274)

ここまでの本書の引用で、当方はやや不思議な感覚に陥った。それは、前田氏の説明の地の文に引用される小林の言葉が、自由間接話法の文体のようで、二人の声が一体化したように聞こえて来たからである。やや長くなるが、もう少しその続きを引用してみよう。
「物を書くといふ経験を、いくら重ねてみても、決して物を書く仕事は易しくはならない。私が、こゝで試みるのは、相も変わらず、やってみなくては成功するかしかないか見当のつき兼ねる企てである」(同前)。「物を書く」ことが、こういう企てであるのなら、居心地よく大学に収まって、調査、検討、解釈の試みに終始する学者の論文などは、物を書く仕事の部類ではないことになるだろう。

言うまでもないが、折口信夫はそうした種類の学者では決してない。[‥‥]だからこそ、小林には、折口の別れ際の言葉が胸に残って消えない。「小林さん、本居さんはね、やはり源氏ですよ、では、さよなら」。だが、小林が観た「宣長といふ謎めいた人」は、そうではない。『古事記伝』という、さかしらな解釈を拒絶した「美しい形」は、そうではない。折口が、橘守部を援用し、おそらく手厳しく批判してみせたような書物ではないのだ。源氏論はすぐれているが、古事記注釈はだめだ。[‥‥]当然のことだろう。神話で語られる事柄すべてを事実として受け取る、[‥‥]こういう考えに反対するのに、理性だの悟性だのを持ち出すには及ばない。日常生活で見聞きし、考え慣れた事実を尺度にものを言うだけで充分である。しかし、「宣長といふ謎めいた人」は、『古事記伝』を書くにあたって、そういうものの言い方を、厳しく己に禁じた。小林の批評家魂を深く動揺させるものが、そこにあった。 (p.274~275)

この辺で紹介を止めようと思う。引用しながら、本居宣長→小林秀雄→前田英樹へと連なる批評家魂の浸透を強く感じた。「物を書く」ということへの畏怖を喚起させられた。
本書の最終頁で小林と河上の最後の対談(「歴史について」1979)で二人が「批評家って、居ないもんだなあ」言い合うのを聞いて、その言葉の孤独に涙する前田氏が居る。それと同時に、「しかし、それだけではない。批評の魂が、どれほどの深みから人間を救うものであるか、生きることを教えるものであるか、そのこともまた、私は信じ直すほかなかったのである」と結語する前田氏が存在する。ドストエフスキーを読み続けて来た者として、そしてこれからも読み続けたいと思っている自分にとって、桁違いに有益な本だと改めて感じた。
(2018.5.22)

前田英樹(まえだ・ひでき)
批評家。1951年、大阪生、奈良に育つ。中央大学仏文科卒、立教大学仏文科教授、同、現代心理学部映像身体学科教授を歴任。著書に『定本 小林秀雄』『言語の闇をぬけて』『セザンヌ 画家のメチエ』『信徒 内村鑑三』『日本人の信仰心』『民俗と民藝』『ベルクソン哲学の遺言』『剣の法』『小津安二郎の喜び』ほか。



ドストエフスキー文献情報

2018・4・1~2018・5・26   提供=ド翁文庫 佐藤徹夫さん

逐次刊行物
・〈二度読んだ本を、三度読む・8〉未完のカーニバル ──ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』/ 柳広司「図書」832(2018.5.1)p36-40
※新年度になると毎年、前年度の活動を収録した『演劇年鑑』を入手して、ドストエフスキー作品の劇化を調査してきたが、これを中止した。この年鑑の所蔵を調べ、更にドスト作品を確認してください。誰か!!
※2018年4月9日刊、岩下博美まんが『罪と罰』は新刊かと思われたが、2010年4月15日の再出版であった。(日本文芸社 → 講談社)

漫画化『罪と罰』リストアップ
1.手塚治虫(てづか・おさむ)
  (1)COM新年特別号ふろく〈COM名作コミックス〉MUSHI PRO1953
  (2)〈漫画選書14〉東光堂 昭和28年11月5日 \120 、函
  (3)〈手塚治虫漫画全集10〉講談社 19776月15日 \340
  (4)〈手塚治虫初期傑作集4〉小学館1991年1月10日
     \1200 ※平原太平記;化石島;罪と罰
  (5)〈角川文庫/96/4~11-25〉角川書店 平成7年3月25日 \680
     ※罪と罰;珍アラビアンナイト;レモン・キッド

2.大島弓子(おおしま・ゆみこ)
  (1)別冊少女コミック・1月号連載「罪と罰」※未確認
  (3)〈サンコミックス〉「ロジオンロマーヌイチ ラスコーリニコフ ―罪と罰より―」
     朝日ソノラマ 昭和51年9月25日 \350

3.汐見朝子(しおみ・あさこ)
  (1)〈マンガ世界の文学7〉世界文化社 1996年6月1日 \1300
  (2)〈コミック世界の名作シリーズ・双葉文庫名作シリーズ L-24-1〉
   双葉社 2002年4月25日 \571

4.ハドルフ・パレイス
  ・〈Newton CIassics 7 〉Crime and Punishment by Dostoyevsky 罪と罰
  ドストエフスキー 監修・坂内徳明/訳・永井健三 解説(アンドルー・ジェイ・ホフマン)、対訳付 Newton Press(ニュートン・プレス)1997年7月20日 \1200

5.バラエテイ・アットワークス
『罪と罰』〈まんがで読破〉イースト・プレス 2007年10月1日 \552
MD004

6.岩下博美(いわした・ひろみ)
  (1)〈マンガで読む名作〉日本文芸社 2010年4月15日 \876
  (2)〈講談社まんが学術文庫 0006〉講談社 2018年4月9日 \800

その他の作品 

1.〈まんがで読破(MD010)〉、カラマーゾフの兄弟 バラエテイ・アートワークス イースト・プレス 2008年2月1日 \876
2. 〈まんがで読破(MD026)〉、悪霊 バラエテイ・アートワークス イースト・プレス 2008年12月15日 \552
3. 〈まんがで読破(MD092)〉地下室の手記 バラエテイ・アートワークス イースト・プレス 2011年10月10日 \552
4.〈マンガで読む名作〉カラマーゾフの兄弟 岩下博美 日本文芸社 2010年11月25日 \876+
5. BIRZ Comics Special パースコミックススペシャル〉カラマーゾフの兄弟① 及川由美 幻冬舎コミックス 2010年3月24日 \667+
6.〈BIRZ Comics Special パースコミックススペシャル〉カラマーゾフの兄弟② 及川由美 幻冬舎コミックス 2011年7月24日 \667+



「ドストエフスキイ研究会便り」
〈主催・芦川進一〉

ドミートリイ論、親鸞仏教センターについて―

芦川進一     
                                 
★河合文化教育研究所HPの「ドストエフスキイ研究会便り」は、第6回目から『カラマーゾフの兄弟』のブラック・ホールたるスメルジャコフと取り組んでいます。今回の第10回目はドミートリイを取り上げ、この存在が抱える様々な問題を、モークロエ村で彼が突き当たった「黒い不幸」、「餓鬼の夢」に絞り込んでゆき、イワンが言う「罪なくして涙する幼な子」の問題と重ね、ここからスメルジャコフがどのように見えてくるか考えてみたいと思います。一連の考察は取り敢えず次回で終了の予定ですが、登場人物たちが抱える問題は限りなく、カラマーゾフ世界の大きさと豊かさと奥深さを前に「日暮れて道遠し」、深い溜息をつかされています。
★一昨年上梓しました拙著『カラマーゾフの兄弟論―砕かれし魂の記録―』、これに対する思いがけない反応の一つは、親鸞仏教センターの方々からのものでした。カラマーゾフ世界への私のアプローチは聖書学的角度からの考察を土台とし、殊に人間の罪意識の帰趨に焦点を絞ったものですが、この点が「罪悪深重の凡夫」の自覚の上に立つ親鸞聖人を専門とする方々に関心を持って頂くことになったのです。その結果、センターの小冊子『アンジャリ』に「ドストエフスキイのイエス像」を寄稿させて頂き(第33号、2017)、これは『読書会通信』にも前回まで掲載して頂きました。また昨年春には当センターに招かれて「ドストエフスキイ、イエス像探求の足跡―ユダ的人間論とキリスト論―」というタイトルでお話をし、その後でセンターの皆さんと討論をさせて頂いたのですが、この講演と討論の記録が6月下旬に雑誌『現代と親鸞』(第37号)に掲載されます。興味がおありの方は下記にアクセスなさって下さい。http://www.shinran-bc.higashihonganji.or.jp/publish/publish_admission.html#02
★なおこれらの事が契機・縁となり、その後同センターで親鸞を研究される方やその他の宗教学・思想関係の方々と私との間で、「ドストエフスキイと親鸞」について考える研究会が始まりました。殊にイワン・スメルジャコフ・阿闍世・提婆達多の四人に的を絞り、人間の罪と救済のテーマを浄土教とキリスト教の磁場で検討しています。研究会のメンバーは私を除いて若い方たちばかりですが、このようなテーマと正面から取り組もうという若い学究が出てきたことに私は驚き、また喜んでいます。この方たちに出来る限りドストエフスキイと聖書を理解して貰おうと思っています。やがてある程度の纏まりがつきましたら、何らかの形で報告をさせて頂こうと考えています。
※ アクセスについては、http://bunkyoken.kawai-juku.ac.jp/research/dosuto.html?「ドストエフスキイ研究会」?「ドストエフスキイ研究会便り(1)~(11)」の順となります。「河合文化教育研究所」あるいは「ドストエフスキイ研究会便り」と入力して、クリックして頂いても同じプロセスになると思います。少々煩雑で恐縮です。なお下原ご夫妻が主催される「ドストエーフスキイ全作品を読む会」のHPにもリンクして頂きましたので、こちらからもアクセスが可能です。http://dokushokai.shimohara.net/



広  場 


閑話「今、ドストエフスキー作品を読むこと」前編
野澤高峯

 僕はドストエフスキー文学について初心者ですが、本会第244回例会報告会での発表内容を踏まえ、19世紀のロシアの古典作品を、現代の日本でみなさんと読み続けている意味を、今回、いくらかお話したいと思います。
 報告会では「スタヴローギンとムイシュキン―人間的価値審級を読み解く―」と題し、自明と思われる宗教的背景をあえて排し、作家の思想には迫らず、スタヴローギンとムイシュキンの二人を作品内で存在論的に位置付け、『悪霊』と『白痴』は二人の悲劇を描いた作品だとして結論付けました。僕の造語では「スタヴローギン=被投的ニヒリスト」、「ムイシュキン=超越的ニヒリスト」とし、二人の遭遇した神秘体験を「語り得ぬもの」としてその内実は言及できないものとしました。報告の主旨は「現代で、人間が一切の超越項を置かず「真・善・美」に向える条件は何か」という哲学的な問いをドストエフスキー作品から浮上させることでしたが、宗教的教説を前提とせず、「語り得ぬもの」そのものを主題にしない点では、みなさんとの読解アプローチが基本的に違い、一部の方とは全く会話が成立し得なかったという場面もありました。しかし、その差異は今後の読書会に向けて、僕にはとても有意義でした。それは僕が読書会復活参加で3年を経過するも、なかなかみなさんと話がかみ合わない点とも共通するので、今回、その意味を紐解いてみたいと思った次第です。
 僕は還暦を迎えたばかりの年齢ですが、日本では80年代の社会構築主義(ウィトゲンシュタインの言語ゲームとフランスポストモダン思想)の衰退以降、社会・文芸批評論論壇ではその後の90年代が僕にはとても面白かったと思っていますし、当時は同世代の社会学者の宮台真司と大澤真幸の活躍が目立ったと思います。今となってはとても古い書籍ですが、2000年に宮台が『終わりなき日常を生きろ』の続編として刊行した『サイファ覚醒せよ!―世界の新解読バイブル』での主題が現代でも色あせず、むしろ昨今のSNSから外に出始めたネトウヨ現象などを見ていると、決して政治的な語りで捉えるのでは無く、僕がドストエフスキー文学で感じている思考の枠組みで、今の日本の社会を見る主題として生き続けているとも感じてしまいます。その点が今回の標題でお伝えしたかったことです。
 僕が宗教や「語り得ぬもの」について、どのように位置づけているかは、むしろ宮台が提示した「サイファ」と提示した例の方が僕にとっては今でも有効なので、少しお話してみます。
 僕の上の世代では吉本の共同幻想論でも括れると思いますが、簡単に言って、宮台は人が生きているというフィールドを多重帰属と捉え、第一次帰属(家族)、第二次帰属(社会的共同体)、第三次帰属(アイデンティティ・実存)以外に第四次帰属先を「サイファ」として提示しました。この「サイファ」とは社会に回収されない「端的なもの」「世界の根源的非規定性」を指示しています。おおざっぱに言ってしまえば、いくら社会を改革して生きやすいものにしたとしても、そこからこぼれ落ちる脱社会的存在が出現する。そういう存在をどうしたらいいのか、という問いに対する答えが「サイファ」(と提唱しているのはむしろ著書で対談している速水由紀子)です。後程触れますが、この「サイファ」の内実を今回説明することが主旨ではありません。宮台や速水が、この第四次帰属先を設定した意味を僕がどのように受け止めているかが、ドストエフスキー文学への読解態度と共振する点です。僕は2000年以降の日本社会を現在まで振り返ってみると、第一次から第三次帰属自体の劣化や変容が進んだと思っており、それだけ第四次帰属をうまく受け止めることが重要になっていると感じ、このことがドストエフスキー作品をもとに、世代を超えて読書会で皆さんと語りあいたい主題の一つだとも思っています。僕の見立てでは「語り得ないもの」とは、あえてこの「サイファ」と捉えたほうが、みなさんにはわかりやすいかもしれません。自分でも60年生きてきて、この多重帰属思考は10代のころから無自覚に実践してきたように思え、第二次帰属先だった30年務めた企業を退職しても、いくつかの社会的共同体に帰属してきた点(社会的にはいろんな顔や肩書)は、アイデンティティを支える上では今にして思えば有効でした。文学や哲学を学ぶ時間や空間はむしろ第三次帰属なのかもしれません。今になって宮台や速水のこのテーゼを僕が解釈する限り、この「サイファ」を人間の外側に実体としての「本体」として想定せず、むしろ哲学的には「本体論の解体」(竹田青嗣)に向かうべき思考を基にして、ドストエフスキー作品を読んでおり、作家は、スタヴローギンとムイシュキンが遭遇した体験そのものに何らかの価値を見出さず、あくまでもそこにロマンチックな仮構を施さず悲劇として描いたというのが、先日の発表の主旨でした。しかし、発表当日に疑問を頂いた事にも共通するように、作品には宗教的背景(キリスト)を想定する解釈が大半ですし、そこには倫理性を支える教義解釈と本来性を支える真理問題が集約されますが、あえて強調すれば、人間の精神文化はこの第四次帰属を求めた歴史でもあるわけで、ドストエフスキーは「無神論」ということでその事を作品化しているというのが僕の理解です。宮台はこの「端的なもの」とは、「名状しがたいすごいもの」に向かう人間の心性として、「表現」と「表出」を分けています。それは「意味」と「強度」の分離としていますが、報告会でも触れましたが、僕はこの「強度」を「価値」と読み解いています。この分離は「思想」と「情動」と分けることも可能でしょう。僕がスタヴローギンとムイシュキンの情動所与に伴う体験として浮上させたのは、「語り得ないもの」を思想的、宗教的に意味づける事に興味がなく(それ自体は「超越」として語り得ない)、それは「サイファ」についても同じです。あくまでもそこは「価値」を支える「情動」が向かう先として見ていく事に、今を「感情化した社会」とする現代的な意味があるような気がするのです。また、作家はその体験について、二人に自律性を立てず神秘体験に遭遇してしまったというのが僕の見立てでした。話がそれますが、ムイシュキンのこの世界体験を以前、読書会通信で『白痴』を「セカイ系」を背景にラカンの「想像界・象徴界・現実界」を引用しつつ述べた事がありますが、問題意識は同じです。その点は文芸批評でも精神分析的批評の有効性が再浮上するかもしれません。ドストエフスキー作品でも、従来のフロイト主義でのエディプス・コンプレックスによる「父殺し」解釈がありましたが、昨今でも是枝裕和の家族映画が注目されるように、既に第一次帰属(家族)の中身が揺らいでいる現代社会では、この解釈が前提としたフロイト理論自体が無効であると言えるでしょう。現代ではフロイトを乗り越える形でラカンが理論を継承しましたが、今ではジジェクだけではなくラカニアン・レフト(ラカン左派)が「剰余享楽」「資本主義のディスクール」などを基に、鬱や自閉症、ヘイトスピーチを読み解く社会論(松本卓也『享楽社会論』)や政治論(ヤニス・スタヴラカキス『ラカニアン・レフト―ラカン派精神分析と政治理論』)が注目されていますし、僕はここでの「享楽」と「情動」の関係に面白さを見出しているので、『罪と罰』、『悪霊』などから現代日本社会の問題を浮上させる意味では、精神分析的批評といえども、こうした読み解きにも目を向けるべきかもしれません。問題の本質を思想ではなく情動として僕が取り上げる背景には、精神科医の香山リカなどの社会的活躍もありますが、怪しいジャーナリストという他称もある著述家の菅野完が、以前、ツイッターで次のようなことをつぶやいていました。
 「大部分のネトウヨって医療の対処なんだとおもいますよ。素直に。だからこそ、出版業界は罪深い。医療の対象となるような人を対象読者にするのならば「正論」とか名乗っちゃいかん。「爽快」とか「すこやか」のごとく「ああ、疾病が緩和するんだな」という感じのタイトルにせねばならない。」
 上記は落語や演芸に造詣が深い菅野独特のアイロニーですが、別の場所では下記の通り真面目に論じています。
 「今起こっている対立は、「政権批判側」と「政権擁護側」の対立ではない。我が国を近代国家として維持しよう、我が国の法治主義を維持しようとする勢力と、その重要性を理解せぬ勢力との対立なのだ。もっと端的に言えば、知性を擁する勢力とバカとの対立なのだ。」(『バカとの戦い』月刊日本5月号)
 これは状況論としての本質的なコメントだと思います。
 さて、なかなか本題に入れません。誌面の都合上、詳細は次回に持ち越しますが、2000年以降の社会の劣化は、この数年とみに目につきます。個別的な社会的事件を例にするには差し控えたいとは思いますが、第二次帰属のフィールドでは行政組織内での「同調圧力(共同幻想)」と忖度、権力関係での「使嗾(教唆)」と個人の倫理性の問題など、結構、後期のドストエフスキー作品で語れる事件が目白押しです。ただ、上記のネトウヨさんの動向には、やはり「バカ」と一括りにせず、文学ではその存在を冷静に語りあえるのではないかとも思っています。それはやはり、宮台や速水が昔に「サフィア」として提示した第四次帰属の問題です。この点は歴史的にはどこの文化でも宗教が横にありますが、読書会でもドストエフスキーの捉えたイエスを語り合うのでも、ともすると不毛な神学論争に陥りがちなのを回避したいと思っているところです。僕にとってはそうした神学論争に拘ることに、ともするとロマン主義的な文学的反俗を呼び、ドストエフスキー文学の現代的な意味が隠れてしまうというのが、初心者としての率直な感想です。
 前置きが長くなりましたが、次回は、宗教やドストエフスキー作品との関連を踏まえ、いくつかの日本の文芸作品なども例とし、誌面に余裕があれば過去の超国家主義や天皇制、昨今のヘイトクライムやネトウヨ現象なども含め、この第四次帰属の捉え方についてお話したいと思います。(続く)



ドストエフスキー関連架空秘話3部作
 (編集室)
「下原敏彦の著作」のサイトに転載しています。 http://dokushokai.shimohara.net/toshihikotoyasuko/toshihikochosaku.html

・「ある元娼婦の話」『江古田文学62』2006
 あの日、あの夜、迎えたのは、極悪人でも役人でもない、中年の流行作家だった。彼は、なぜサハリンをめざしてきたのか? その謎が一人の元日本人遊女の話からあきらかに。元農奴と売られてきた水飲み百姓の娘。二人の心に通ったものは・・・・。
・「ペテルブルグ文豪の子孫」『ドストエフスキー曼陀羅 3号 』
 家族を残して蒸発したぐうたらな父親、嘘で固めた人生。彼が隠したかったのは何か。革命少年として育った人間は、反革命の文豪をどうみていたのか。つづいた血脈に感動がひろがる。
・「ペテルブルグ千夜一夜」『ドストエフスキー曼陀羅 6号 』
死刑判決がでた国家転覆の思想犯たち。そのなかに。あの人がいた。将来シェークスピア―、ゲーテにも勝ると劣らない作家になるかも知れない。なんとしても助けたい。1文官の彼が必死の覚悟で実行した命をかけた作戦とは。



新 刊 

『清水正・ドストエフスキー論全集 10』《宮沢賢治とドストエフスキー》2018年3月25日発行 D文学研究会 ¥3500+税
今、ここに清水正のドストエフスキー論の悲憤が明らかになる。「私の言葉は同世代の誰にも通じなかったのだと思う。友達はとうとう一人もいなくなった。ただ、先生だけが、私の拙い哲学と、情熱と、怒りを受け止めてくれていたのだと思う。(日芸教授・上田薫「80年代の終わり」より)
「私の大学時代は、何かに出会いたくて出会いたくて、もがきながらも出会うことはかなわなかった。この時代の渇望が私を日芸の大学院へと進学させ、宮沢賢治との出会い、本当の文学との出会い、そして清水先生との出会いを可能にしたのだ。/「宮沢賢治とドストエフスキー」における日露文学者の運命的な出会いも然り、さらに言えば、私自身もまたロシア
人と出会い、結婚した。」(日芸教授・ソロコワ山下聖美 栞「さまざまな出会い」より)

『ドストエーフスキイ 広場 No.27 』 2018年4月14日発行 ドストエーフスキイの会 \1200

近日刊行 
下原敏彦『オンボロ道場は残った オンボロ柔道場と我が家の記録』 
柔道の町道場は激減している。そんななかで土壌館町道場は健在である。30年を過ぎたいまも地域の場となっている。なぜ、町道場はつづいたのか、つづくのか。本書で、その謎があきらかに――。ちなみにオンボロ道場は、2002年6月末「オンボロ道場再建」番組として日曜お昼の時間、三週にわたって放映された。今年は15周年を迎える。



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