ドストエーフスキイ全作品を読む会 読書会通信 No.152 発行:2015.10.8
第271回10月読書会のお知らせ
月 日 : 2015年10月17日(土)
場 所 : 池袋・東京芸術劇場小会議室7(池袋西口徒歩3分)
開 場 : 午後1時30分
開 始 : 午後2時00分 ~ 4時45分
作 品 : 『賭博者』
報告者 : 黒野優奈さん&柏木みどりさん(ドストエフスキー@女子会)
会 費 : 1000円(学生500円)
第31回大阪「読書会」案内 11・14『罪と罰』第3編、第4編
ドストエーフスキイ全作品を読む会・大阪読書会の第30回例会は、以下の日程で開催します。11月14日(土)14:00~16:00、・会場:まちライブラリー大阪府立大学 参加費無料
作品は『鰐』
〒556-0012 大阪市浪速区敷津東2丁目1番41号南海なんば第一ビル3FTel 06-7656-0441(代表)地下鉄御堂筋線・四つ橋線大国町駅①番出口東へ約450m(徒歩約7分)
絶体絶命の中で生まれた『賭博者』 (編集室)
ドストエフスキーは、借金地獄から抜け出すために、評判のよくないステロフスキーの提案を受け入れた。それは苛酷なものだった。全作品を3千ルーブルで売り渡す。併せて書き下ろしの新作小説1編を添えるという無理難題。しかも1866年11月1日までの期限付きである。もし破られれば、ドストエフスキーの過去および将来の作品に対する版権は無償でステロフスキーのものになるという屈辱的な条件。
折しも作家は、『罪と罰』執筆中。物理的、時間的、精神的からも到底不可能な状態にあった。が、速記という超ウルトラQの手段で乗りきった。『賭博者』は、まさにドストエフスキー絶体絶命のなかで生まれた作品。
この作品報告は、6月読書会で突然、アンナのように現れた女子会の皆さんです。皆さん、どのように読まれたのか、報告が楽しみです。
「ドストエフスキー@女子会」の皆さんについては横尾和博さんが紹介します
司会兼報告は、黒野優奈さん&柏木みどりさん
『賭博者』きみは運命を殺してもいいんだというギロチンのお墨付き ~私とドストエフスキー
黒野優菜
先日、インターネットのtwitterを見ていると、見知らぬユーザーのこんな投稿を目にした。「勤務先のアルバイトの女の子が、先輩に理不尽な叱責を受けたらしく、涙を流していた。彼女を皆で慰め、パートの女性が『私も何度も死にたいと思ったことあるよ』と言うと、女の子が『死にたいんじゃない、殺したいんです!』と言ったので、自分は呆気にとられつつ、苦笑してしまった」という内容で、実際には140文字の短い「呟き」なのだが、私は強烈に印象を感じた。この女の子の叫びについてふと、「ドストエフスキーに出て来る少女みたいだ」と思ったのだ。
「カラマーゾフの兄弟」のグルーシェニカ、カテリーナ、リーズ、他にも多々、「自分を苦しめる相手(運命)を殺したいんだと泣く女性」がいたように思うが、ここでは『賭博者』のポリーナについて触れたい。なぜ、主人公は彼女の望む物を全て、ようやく与えたという場面ですら、彼女を救えなかったのか。それは「救い」などが、彼女の苦しみを救うのに必要なものではなかったからではないか。物語冒頭で彼女は、主人公に彼女の金で賭けに勝つことを要求した。だが主人公は失敗し、最後に訪れた幸運をそっくり彼女に与え、彼女に大金を―彼女の恋人の顔に叩き付けることで、幸福になれるであろう金額を渡す。だが彼女は「私、あなたのお金なんか貰わないわ」と、与えられた恵みを拒絶する。彼女は、他者から与えられる救いでなく、自分の手で運命を殺すことでなくては、幸福になれなかったのではないか。主人公は彼女に金を渡し、彼女が運命を殺すことを許す所までは到達したが、その動機が彼女への理解ではなく、彼自身の恋心であることで、彼女を幸福にする他者として失格だったのではないかと思う。そこで彼女は自ら幸福になるために、自分に鈍感な恵みを垂れようとする男に、自分の価値を落とした上で自らを投げ与えることで、「運命を殺した」のではないか。
私がドストエフスキーを読むのは、そのように「己を悩ます運命を殺そうとする女性」を、作者が非常に魅力的に書くためだ。また彼がその作品が人々に評価されている、古い文豪だと言う点にも魅力を感じる。私がこの文豪の作品に登場する彼女たちに感情移入し「こんな奴、殺してやりたい」と思う時、己の運命を見捨てておかない聡明な彼女たちが、生き生きと己の運命に掴みかかるのを見る。それはまるで、18世紀のギロチンと、古い制度の温もりの中で死刑執行の許可を得た執行人のような気分であり、己の余り鮮やかな悪意には怯んでしまう臆病な私としては「己の運命を殺してもいいのだ」というお墨付きは、ただ生きる上でも有難い恩恵というのに近い。だから、つい読んでしまう。
ドキュメント「賭博者」(編集室)
1865年1月 『世紀』自然消滅、ドストエフスキー個人の負債1万5千ルーブル。 7月 外遊ヴィースバーデンで所持金全てを失いあちこちに借金の申し込む。 11月 『罪と罰』第1稿を焼却、著作権をステロフスキーに売却。
1866年 6月末 ドストエフスキー(45歳)モスクワ郊外の別荘で『賭博者』の構想。
9月末 モスクワから帰る。
10月 1日 ミリュコフを訪問、速記をすすめられ受入る。 3日 速記学校長オリヒンはアンナを推薦。 4日 アンナ(20)ドストエフスキー宅訪問。『賭博者』速記を開始。5日 正午~4時まで、速記。
10月29日 連日 正午から4時まで口述筆記終了
11月 1日 ステロフスキー宅訪問、『賭博者』渡す。8日 アンナに結婚を申し込む。
1867年 4月14日 ドストエフスキー夫妻、債権者を逃れて外国旅行に出立。以後、4年間帰国せず。
アンナとドストエフスキーの出会い
9月末のある夜、読書会参加の人から電話をもらった。『賭博者』読み始めたが、どうにも気持ちが入らない。そんなお話だった。読書家の人だったので、意外に思ったが、すぐに、そうかも知れないと思った。だいたいにドストエフスキーの作品は、長編以外は評価がわかれるところだ。この作品を読みきれない人がいても不思議はないと思った。
『賭博者』、この作品が注目されるのは、作品の評価もあるが、第一の理由は、他に在る。それは、この作品が作家ドストエフスキーとアンナ夫人を引き合わせたことにある。『賭博者』がなかったら、ドストエフスキーとアンナは永久に出会うことはなかった。
ドストエフスキーの書簡から A・P・スースロワ宛(1867年4月23日)
私は、ステロフスキーに、昨年の11月1日までに、普通版印刷台紙10枚以上の未発表の小説を渡さなければならなかった。そういう契約だった。それを履行しない場合は恐ろしいほどの違約金が待っていた…10月4日になっても、私はまだ取りかかることができなかった。ミリュコフが、小説を口述筆記すれば4倍からのスピードが上がるから速記者を雇え、と勧めてくれた。速記学校の教授のオリヒーンが自分の教え子の、最優秀の教え子を回してくれて、その女子学生を雇うことに話がまとまった。10月4日から仕事は始まった…我々の仕事は快調に進んだ…小説「賭博者」は24日間で出来上がった。(もう印刷されている)。
私の速記者、アンナ・グリゴーリェヴナ・スニートキナは若くて、とても器量よしの、20歳の娘さんだった。しっかりした家の出で、女学校を優秀な成績で終えた、とても気立てのいい、明るい性格の人だった…小説が仕上がる頃、私は、わが速記者が、彼女は私にはそんなことはひとことも言わなかったけれど、私を真剣に愛して居ることに気づいた。私も彼女がますます気に入ってきていた…私は彼女に結婚を申し込んだ。彼女は承諾した。かくして私たちは結婚した。…私はしだいに、彼女は幸せになれるだろうという確信を深めている。彼女には真心があるし、人を愛することを知っている。(訳・中村健之介)
回想録から アンナ・ドストエフスカヤ著『回想』筑摩叢書 他
1866年10月3日…いつものように私は第六番男子中学校へ行った。ここで速記教師P・オリヒーンは授業をしていた。私がいつもの席に座りノートを開きかけていると、オリヒーンが私のところにやって来て、長椅子に並んで腰をおろして、こう言った。
「アンナ・グリゴーリェヴナ、速記の仕事をやってみませんか?速記者を一人みつけてくれという依頼があって、ぼくは、ひよっとしたら、あなたがこの仕事を引き受けてくれはしないかと思ったので…」
「 速記のお仕事って、どんな方の仕事でしょうか?」
私は興味を感じて尋ねた。
「作家のドストエフスキーなんです。彼は今、新作にかかっていて、それを速記の助けを借りて書きたい、というわけなんです。ドストエフスキーの話では、大版印刷台紙でおよそ七枚ぐらいの小説になるだろう、と言うですがね…」
私は二つ返事で引き受けた。ドストエフスキーの名は子どもの頃から知っていた。私の父はドストエフスキーの愛読者だった。私自身も彼のいろんな作品を読んで感激した。『死の家の記録』を読んだ時は涙を流した。才能豊かな作家と知り合いになれるばかりか、その仕事の手伝いをするのだと思うと、私は胸がわくわくして嬉しかった…
はじめての会話&速記
(作家の家の)書斎に入って来たのはドストエフスキー自身で、おそくなったことをわびながら、こうたずねた。
「速記をはじめてもうだいぶなりますか」
「まだ半年です」
「先生にはたくさんお弟子さんがいますか」
「はじめのうちは150人以上もいましたが、いまでは25人ぐらいしかいません」
「どうしてそんなに少なくなったのです」
「だれでも速記なんてごくやさしいと思って来るのですが、何日かたっても全然だめなので、やめてしまうのです」
「新しいことはなんでもそういうものですよ。意気込んではじめても、たちまち熱がさめて投げだしてしまうのです。苦労しなければならぬのはわかっていても、いまどき誰がすすんで苦労しようとするでしょう」
一見したところドストエフスキーは、相当な歳のように思われた。ところが話し始めると、たちまち若い感じになって、私は、この人は、恐らく37歳は越えていないだろう、と思った。
彼は背は中くらいで、ぴんと、真っすぐな姿勢をしていた。明るい栗色の、やや赤茶けた感じの髪はたっぷりとポマードが塗られて、念入りになでつけられていた…ドストエフスキーの青白い病人のような顔は、すっかり見なれた人の顔のような感じがしたが、それは多分、私が前に彼の肖像写真を見ていたからだろう。青い色のラシャのジャケットを着ていたが、それはかなりくたびれた感じだった。しかし、シャツはしみ一つなく真っ白だった。
プレイバック読書会(1975)
ドストエーフスキイの会会報(」1975.3.24)
谷山啓子
池袋の「コンサートホール」という喫茶店の三階を使っての二度目の読書会で、9名くらい集った。「賭博」については、あまり関わりのない人ばかりだったせいか、ドストエフスキイとだぶったこの作中の「私」の賭博熱には、「気ちがいめいている」等と、ごく客観的な皆の言葉だった。賭博をするものの態度として「ここでは勝負が二種類に分かれていて、一は紳士風とされ、他は平民風、すなわち物欲を主とした一般有象無象のやり口である。紳士は、断じて儲けそのものに興味をもってはならない。本当の紳士というものは、たとえ自分の全財産を賭博で負けてしまっても興奮などすべきではない。有象無象は、事実まったく穢い勝負の仕方をする、という二つがあって、この主人公はもちろん「平民風」に、身も心も打ち震えながら一か八かと、一喜一憂、必死の思いで賭ける。私は「タロット占い」でカードをくって、たまに「物質にこだわる」とでていくるとギョッとする。感情を大切にして、純なる精神葛藤の状態でいたいのに、物にこだわっているため、澄んだ心で自然に行動できないのじゃあないかと、不安に落ち込むからだ。「ドイツの家で代々遺産を守り、ふやしていくことを目標に家族全体が生きていった結果は、ロスチャイルド男爵など~が出現する。」と主人公がいっているが、これは、日本の家父長制で家を守っていく感覚にぴったしである。このドイツ式の正直な労働による貯蓄の方法に対する、ロシア人の富の獲得への無能力と、無暗やたらに不体裁なくらい金を浪費するという話を続ける。問題の70歳の祖母のルーレットにおける熱狂ぶりは、まさにそのロシア人気質のエキスである。フランス貴族の小説のように、遺産が転がり込んできて、それが恋愛続行の資本になり、めでたく美しく話が流れていくのではなく、死ぬ寸前のはずの老女がひょっこり親戚の前に姿をあらわし、皆が指をくわえて当てにしている金を、目の前でじゃんじゃん賭博でなくしてしまうのだ。連中、青色吐息、顔色を変えて止めようとするのに、「ええじれったい、どんどんお賭け、うるさいね、私のお金だよ」と熱狂しているエネルギッシュな彼女は「自分が死ぬと思っていたのだろう、残念だったね」といいながらも、全くその俗意を憎んだりするようなことのないスケールの大きさが、我々読者をカタールシスへさそうのだ。主人公が賭博を始めるきっかけはポリーナの命令だし、恋の奴隷なのだが、彼女を自分の部屋に残して賭博場で奮戦し、大金をわしづかみにしてもどってきた彼を見てポリーナはがっかりしただろう。彼の顔は賭けそのものに熱中し陶酔していて、彼女に対する熱情がまるで分裂してしまっていたからだ。彼女があざけりながら、彼に金をたたきつけるのもむりはない。主人公はこれがきっかけで、生粋の賭博者となるからだ。血の気も失せながら、くちびるを震わせ、目をギラギラさせながら、ルーレットをみつめる彼は、彼女から受けていた自虐的な自尊心屈辱の快楽を、ルーレットにおける一瞬一瞬の、「元も子も無くす」というスリルと興奮の快楽に置きかえてしまったのだ。「賭け事」にもいろいろある。パチンコ、マージャン、競輪、競馬などと。私の少ないパチンコ経験では、玉の入るのは、その台の決まったチューリップであるような気がする。この物語でも、同じ「0」や「赤」が続けて何回も出ることに賭けて、勝ったりしている。つい最近、場外馬券を人に頼んで千円だけ買ってもらったら、それが3600円になって戻ってきた。ロングホークとカブラャオーという馬だった。これは堅実な走りをすることで人気があり、多くの人が賭けるので、配当金は少ないうちだということだった。でも、100万円賭けていたら、360万円はいったし、1000万円賭けていたら、3600万円戻ってきたのにと勘定してみる危険な私。
プレイバック読書会(1984)
ドストエーフスキイの会会報 1984.8.4
『賭博者』ポリーナは亡きマリアか
奥野武久
『地下室の手記』の後『罪と罰』を連載中の1866年に書かれた『賭博者』は作品の位置から見て賭博をめぐってヨーロッパとロシアの問題と西欧近代批判を浮かび上がらせた小説とも読めるが、(実際それは見事に描けている)僕には地下室での恋愛を描いた作品に思える。恋愛小説と読むと全体の雰囲気がジッドが『背徳者』の後に書いた『狭き門』と似てなくもない。渦の中と外、前と後、地下室も恋愛もルーレットも同じ様なものだろう。中に居れば全てが不明確で予想もつかない。ルーレットに熱中すれば勝負に負け、恋に恋するものはその相手を失う。互いに近づこうとするする努力と熱意がお互いを遠ざける。アレクセイにとってアレクセイがそう思い込んでいる主人であるポリーナの秘密(実際そんなものは無いのだが)を知る事は自分の置かれた運命(地下室)の謎を解く鍵でもある。ルーレットに勝つ方法を発見すれば楽に勝負に勝てるという訳だ。アレクセイにとってのポリーナのわからなさはポリーナにとってのアレクセイのわからなさでもありそしてその間にはデ・グリューとブランシュが居て互いを見えなくしている。もしこのわからなさに違いがあるとしたら地下室と地上との違いだろう。それはアレクセイがライバルだと思っているポリーナの使いのミスター・アストリーとの最後の対面で彼がロシア人に関して辛辣で性急な為アレクセイをとらえそこなっている様に。だがアレクセイも又自分自身を誤解している。これはある程度当時のドストエフスキーの精神的位置と置かれていたジレンマを現しているかもしれない。地下室の渦は全てを巻き込むだろう。ちょうどロシアの祖母さんの賭博への情熱が将軍とブランシュの結婚をぶち壊してしまう様に。又アレクセイのポリーナへの不可解な情熱はポリーナを不可解な行動に駆り立てる。何故ならそれがポリーナにとってはアレクセイとの関係を持続させる手段であるからだ。だがこのかけ引きもアレクセイがポリーナの為に賭博で金を儲けて帰ってきた場面、その渦の極北で破局を迎える。アレクセイは何もわかっていなかった。そしてひとつの渦が終わる。この情熱的な女ポリーナにとって誤解しながら近づくことが互いを遠ざけるならば立ち去るのが共に在ることの方を選ぶだろう。これが地下室の払う代価だ。アレクセイの地下室の渦の中からもう一度地上にもどる試みは失敗に終わる。だが13章以降のアレクセイの渦への印象の変化と賭博に熱中していながらそうでない自分を見る事は別な何かを語っている。アレクセイはミスター・アストリーとの最後の出逢いでポリーナが自分を愛していた(いる)のを知らされ又新しい旋風の渦中に在るのを知らされる。だがポリーナの愛の告白で渦の支配者はポリーナではなくなる。アレクセイには初めと違ってポリーナの秘密が謎なのではもうなく彼女の運命なのだ。アレクセイの流す涙はそれを語っている。地下室から地上に戻るのではなく地下室の意味が変わるのだ。そこはもう地下室ではない。最後のアレクセイの行動やミスター・アストリーの予言に反してアレクセイが賭博に熱中する事はもうないだろう。『賭博者』の謎解きが『罪と罰』等の重層的作品への転機と後に描かれる作品の女性像の変化に繋がっているのかもしれない。そして『白痴』のナスターシャで視点を変えてもう一度描かれている様に思う。おそらくドストエフスキーにはソーニャの様な女性とそうではない女性といった像があるのではあるまい。このポリーナという女性にモデルがあるとしたら死んだ初めの妻のマリヤでアポリナーリャ・ススロワはブラッシュのモデルの様な気がする。ドストエフスキーは『賭博者』を執筆していた頃兄ミハイルの死や兄の負債の整理等相変わらず渦の中にあった訳だがこの作品を口述で後の妻になるアンナと共に仕上げその仕事をすすめるうちにアンナを愛するようになったという。部屋の中をぐるぐる歩きながらドストエフスキーはどんな気持だったのだろう。もしかしたらドストエフスキーは約束の期限ともうひとつの危機を脱したのかもしれない。それでいいのだ。渦の中と外、いや内と外。
8・15読書会報告
お盆最中の開催にもかかわらず参加者24名、初参加3名で大盛会。
連日30度超の気温に加え、お盆の真っただ中の開催。出足も悪く、参加者は少ないかも、そんな心配もでてきたが、2時前後になると、続々と参加者。最終的には、満室に近い24名の参加者。インターネットからのはじめての人も3名。今回も賑わう読書会となった。
小野口哲郎さんの司会進行でスタート
世代交代の流れで今回は、小野口哲郎さんが司会進行を務められた。長年、尽力された福井勝也さんは「これからは書くことに力を注ぎます」とバトンを渡された。
これまで40年間の司会進行及びお知らせ役は、以下の皆さんでした。(4~10年周期)
1970年~1990年頃までの司会進行者:佐々木美代子 岩浅武久 新谷敬三郎 田中幸治 野田吉之助 井桁貞義 国松夏紀
お知らせ=佐々木美代子 野田吉之助 佐伯(下原)康子 国松夏紀
1991年~2015年までの司会進行者:藤倉孝純 横尾和博 福井勝也
お知らせ=横尾和博 下原康子 下原敏彦
2015年8月~
8月小野口哲郎 10月黒野(女子会)、12月江原…今後は、複数人での回り持ちで。
※「読書会通信」は、趣味で発行しているので、できなくなったら廃刊します。(引き継ぎは可)会場抽選やお知らせは、決められた日時での抽選会、諸経費などの問題があるので引き継ぎ者に負担ない状態で移行してゆきたいと思っています。
フリートークで730歩など活発な意見・感想
6月につづいてフリートークでしたが、いろんな意見、感想がだされた。ラスコーリニコフと同世代のときに読んだ『罪と罰』の印象と、老いてから読んだ『罪と罰』の違い。
若い頃は、ラスコーリニコフに対して共感のようなものがあった。が、年齢を重ねるにつれ、彼の生き方に腹が立ってきた。母親として引っ叩きたくなった。
ラスコーリニコフの穴倉から、金貸し老婆の家までの、730歩は正しいか。ロシア旅行したとき実際に数えてみたら、多かったが…この疑問に対して、別の体験者は、「ロシア人の歩幅と日本人の歩幅が違うのでは」との感想。様々な意見・感想がありました。
【『罪と罰』5回読書会を振り返る】
やはり人気の高さでしょうか。『罪と罰』、気がつけば5回もの読書会でした。はじめての人も多く参加されました。『罪と罰』読書会をふり返ってみました。
1回目(2014.12・13)報告者・参加者 テーマ「私の『罪と罰』」 参加者18名(新2)
2回目(2015.2・21) 報告者・前島省吾 テーマ「『罪と罰』の不思議な言葉とラスコーリニコフの犯行動機。 参加者24名(新6)
3回目(2015.4・18) 報告者・小柳定次郎 「ラザロの復活」の朗読から見えてくるもの」他2題 参加者26名(新4)
4回目(2015.6・20) 報告者・参加者 テーマ「ソーニャについて」参加者28名(新6)
5回目(2015.8・15) 報告者・参加者 山地清乃さん「ラスコーリニコフについて」参加者24名(新2)
『罪と罰』5回目最終回熱く
今回は、ラスコーリニコフ、スヴイロフガイロフ、ラズミーヒンの人物像についての議論が多かった。主人公ラスコーリニコフの未成熟さが指摘された。スヴイドリガイロフについては、もう少しと書きこんで欲しかった、という意見もありました。
いつも物静かな山地さんですが、常に熱い思いを秘めています。フリートークの最後に「ラスコーリニコフについて」の所見を述べられました。印象強かったので紹介します。
ラスコーリニコフの奇妙な思想はどこから?
山地清乃
作者の次の描写に理由の一端があると私は思っています。
「大学在学中、ラスコーリニコフは、ほとんど友人らしきものができず、みんなを避け通し、だれのところにも行かず、だれかに来られるのも気乗りがしなかったことだ。もっとも、じきにみんなの方も彼を相手にしなくなった。学内の集まりにも、学生同士のおしゃべりにも、気晴らしにも。どういうわけか何ひとつ加わろうとしなかった。
しかし、学業のほうは懸命に励み、骨身を惜しまなかったので、学生仲間からは一目置かれていたが、だれにも好かれることはなかった。ひどく貧乏なくせに、なぜか人を見下すような傲慢なところがあって、何か内に秘めているみたいに、人となかなか打ち解けなかったのだ。学生仲間の何人かは、彼が自分たちを子ども扱いし、知能面でも、知識面でも、思想面でも一歩先んじているとでもいった具合に見下し、自分たちの思想や興味を、何かしら低級なものと見ているように思った」
孤独で、陰気で、傲慢で、自分を買い被っている姿です。人間を凡人と非凡人に分け、自分を非凡人とみなすのは、選民意識です。人類救済のためには血をを流しても許される。人類救済は、ヒューマニティーだけれど血を流しても許されるは、その真逆です。論理が破綻しています。こうした破綻した論理はいくら考えても完成しないし、納得も自信も得られません。ノイローゼになるのは、当たり前です。彼の孤独な魂が彼に与えた生き方は、血の通わない観念の世界に彼を閉じ込めこの未発達な人間にしていると思います。視野は狭く、心はひ弱で、自立心に乏しく、甘ったれです。
奇妙な思想を持つに至ったもう一つの理由は、貧困だと思います。逞しいラズミーヒンですら家庭教師の口もなく休学しているくらいですから、友人もなく、世間の狭いラスコーリニコフの貧窮ぶりは、切実だったと思います。休学して、働くこともせず、奇妙な思想を追求することに取り憑かれた日々は、不幸にも案外、苦しいようで、彼に合った生活スタイルだったのではないでしょうか。生活を放棄し、ろくな食事もとらず、虫のように閉じこもる生活は彼を夢遊病者のようにし、遂にあの殺人計画が肉体化してしまったのだと思います。
彼のヒューマニティーは本物か?
火事の現場から、自らやけどを負いながら子供を救ったこと。病気の学生の世話をし、父親の世話までしたこと、マルメラードフの葬儀代に有り金の殆どを与えたこと。自分は食事代にも事欠くのにあとさき考えず慈善する。おそらくヒューマニティーは本物だったのでしょう。全編を通して、ラスコーリニコフの思考と行動に精神の汚れを感じなかったので、この点は肯定します。
しかし、歌うたいとか娼婦に、貧しい人たちとはいえ、母親の血のにじむようなお金を無造作に与えるところも慈善の心からと解するべきか、それとも少しルーズな金銭感覚なのか疑問が残っています。
人を寄せつけないラスコーリニコフは、多くの人たちに助けられます。ラズミーヒンの献身。ポルフィーリーのラスコーリニコフを本当に理解した知的な助言。そしてソーニャの存在です。シベリアに行っても観念の呪縛に苦しみ続けるラスコーリニコフをソーニャは見守り、やがて彼が少しづつ人間を見はじめます。最後に作者が「観念にかわって生命が訪れた」と言って、苦しみのあとの更生が暗示されます。私もそれを信じたと思っています。
「ドストエーフスキイの会」例会参加へのススメ
全作品を読む読書会は、ドストエーフスキイの会から生まれた会です。例会が大海なら、読書会は浅瀬です。はじめて読んだ人、これから読もうと思っている人にとっての出会いの場です。市民と研究者が融和する楽しい、愉快な場です。しかし、もっと沖で泳ぎたい、深くもぐりたいとするドスト熟練者には物足らない感があると思います。
そうした人たちには、例会をおススメします。奇数月、原宿にある千駄ヶ谷区民会館で開催されています。例会は、ドストエフスキー研究者の研究成果報告の場でもあります。さらなるドスト研究深化の場です。毎回、新しいドスト論を聴くことができます。
ドストエーフスキイの会の第229回例会は、9月22日(火)午後2時から千駄ヶ谷区民会館で開催されました。この日の報告者は、冷牟田幸子氏、題目は「『永遠の夫』と地下室」でした。冷牟田さんは、著書『ドストエフスキー無神論者の克服』(近代文芸社1988)訳書『ワッサーマン編『ドストエフスキーの「大審問官」』(ヨルダン社1981)があります。
ドストエフスキーに情熱を注ぐ研究者が続々、報告予定
2015年11月例会 長瀬 隆氏 (作家 チェーホフ研究者)
2016年 1月例会 田中沙季氏 (早稲田大学大学院生)
3月例会 芦川進一氏 (河合文化教育研究所研究員)
芦川進一さんの講演記録(全文)がインターネットで提供されています。
早稲田大学文学学術院文学部HP http://apop.chicappa.jp/wordpress/?p=1758
早稲田大学ロシア文学会主催 2014年度 秋季特別講演会(日本ロシア文学会、早稲田大学ロシア研究所共催
講演内容:イワンとアリョーシャの聖書―モスクワ時代、イエス像構成の一断面
ドストエフスキー文献情報 2015・8~9月
提供=佐藤徹夫さん
〈収載書〉
『異端の人間学』五木寛之+佐藤優著 幻冬舎 2015.8.5 ¥780+ 186Pp 17.3㎝
〈GS幻冬舎新書 387= -5-4〉
・第三部 詩人が尊敬される国 ・ドストエフスキーをどう読むか p152-156
『本をサクサク読む 長編小説から翻訳モノまで』齋藤孝著 中央公論新社 2015.8.7 ¥760+ 221p 17.4㎝〈中公新書ラクレ・535〉
・4章 海外古典文学を読まずに死ねるか ・Answer2 ドストエフスキーなら究極の「解説本」がある p145-147
『ドイツ映画零年』 渋谷哲也著 共和国 2015.8.20 ¥2700+ 304p 17.6㎝ 〈散文の時間 Soul of Press
・Ⅱ 字幕翻訳の余白――『ドストエフスキーと愛に生きる』p233-243
『読み切り世界文学』 山本史郎著 大竹守絵 朝日新聞出版 2015.9.30 ¥1700+ 311p 18.8㎝
・17 カラマーゾフの兄弟 p271-290 (・神がいなければ、すべて許される p273-282)
〈逐次刊行物〉
・第20課 ドストエフスキーの足跡をたどる p48-58,135-141
「NHKテレビ テレビでロシア語 8・9月号43(3)(2015.7.18)
※放映は8月20日(木)、再放送8月21日(金)
※講師・貝澤哉、ナビゲーター・小林麻耶
※2013年の再放送
“OId News”
・テレビ〈放送大学〉で、8月29日(土)11:15~12:00
「特別講義/ドストエフスキーと現代/亀山郁夫」が放映された。今年3回目。
評論・連載
「ドストエフスキー体験」をめぐる群像
(第61 回)「普遍宗教」としてのドストエフスキー文学について
山城むつみ「ソーニャ論」から柄谷行人「普遍宗教」へ
福井勝也
ドストエフスキーを長年読んで来て、なおその文学の分かり難さ、その難しさとは何であろうかと考えることがある。今回、この問題を突き詰め理解を深めたいと思った。丁度読書会が、『罪と罰』を終える時期と重なったこともあるが、直接のきっかけは「広場24号」合評会(7/25)で当方の論文「小林秀雄、戦後批評の結節点としてのドストエフスキー ― ムイシュキンから「物のあはれ」へ」について感想を頂いたことによる(「ニュースレター130号」)。そこでの焦点は小林最後の「白痴論」(1964)で提起された、小説最終部分の「読み」の困難性であった。
山城むつみ氏の大著『ドストエフスキー』(2010)の第二章「ソーニャの眼-『罪と罰』」は、この難問と正面から対峙されていたことに改めて気付かされた。タイトル通り「論考」は『罪と罰』のソーニャ論であり、「おとなしい女(クロートカヤ)」の原義を深めることで明らかになる「ソーニャ・リザヴェータの真実」であった。『文學界』での初出時(2005.11)の表題には「ソーニャは不気味で怖ろしい女である。-『罪と罰』にあてる新しい光」との副題が付されているが、奇を衒った論説とは全く違う。当方「通信」(No.98、2006.10)で、山城氏の文章のポイントを既に紹介していて、現在もネット版で参照できる。できればそちらも参照して欲しい。ともかくほぼ十年を経て、氏の「論考」に出会い直した。当方の「広場」掲載論文は、「山城ドストエフスキー」の根幹にある「小林ドストエフスキー」のその全体的核心について私見を述べたものであるが、その出発点は山城氏に多く教えられてきた。改めて読んで欲しいと思う核心部分をまず再掲しておく(以下の引用は、山城むつみ著『ドストエフスキー』第二章による)。
ムイシュキンがナスターシャに対して示した名状し難い「奇妙な」感情はソストラダーニェと呼ばれ、英語のcompassionがそうであるように、もじどおりには共に苦しみを受けることを意味し、同情、憐れみと訳すほかないのだが、辞書的な語義はどうでもいい、重要なのは、『白痴』という作品においては、ムイシュキンの、ほかでもない同情や憐れみと訳されるその感情が、結末においてナスターシャの死をもたらすにいたっていることである。小林秀雄が注意を促したとおり、この結末においてムイシュキンがロゴージンの家へ行くのは「共犯者として」なのだ(「『白痴』についてⅡ」)。同情や憐れみと訳すと口当たりがいいが、そこにはほとんど、殺す、死を与えると言ってもいい不穏な欲動が秘められていたのである。ムイシュキンの感情の本当の「奇妙」さはそこにある。(下線は筆者、この前後の微妙な表現に注意したい)
こういう「奇妙な」感情を愛と呼ぶのは常識的には抵抗がある。しかし、すでにキルケゴールにおいて見たように、ある種のキリスト者にはそれこそが常識だった。「愛のゆえにすべてを犠牲にしようとする衝動を感じたとき、ほかならぬこの愛ゆえの彼の犠牲が、かえって他の人を、恋人を、不幸のどん底におとしいれるかもしれないということを、そういう可能性のありうることを、彼が発見したとしたら、そしたらどうであろうか?」。キルケゴールがそう書いたのは、ほかでもない「キリストの悲しみ」に読者の注意を喚起するための喩え話としてだった。我々は先にアブラハム的な文脈に移植して読んだが、しかし、じつはこの「奇妙な」愛は、そもそもきわめてキリスト的な業だったのである。(p.138)
文中の「そもそもきわめてキリスト的な業」の元祖「アブラハム的な文脈」を語るには、本論の書き出しに戻る必要がある。実は、山城氏は旧約聖書の「イサク奉献」の物語(アブラハムは100歳にしてはじめて授かった一人息子イサクを全焼の生け贄、ホロコーストとして捧げよという神の命を受け、モリアの山頂でイサクに向かって刀を振り下ろすことになるが、神の赦しが直前に下り、アブラハムはイサクを受け取り直すことになる)を本論の中心に据えている。そしてこの主題への論究は、フランスの哲学者デリダが、ドストエフスキーの小説を引き合いに出して「アナタハ神二ツイテドウ考エテイルノカ」とセミナーで質問した女性に「神とはそういうものだ」と応答した話から始まっている。そしてデリダがこの問題を論じた『死を与える』(ちくま学芸文庫、2004)を紹介する際に、山城氏はデリダが尊敬してやまなかった「日本の友人」であるイスラム学者の井筒俊彦(「通信」No.149で、井筒のドストエフスキー理解の深さに触れた)に焦点をあてながら論考を進めている。当方の今回論点とも重なるところなので引用しておきたい。
彼(注、井筒)によれば、ムハンマド(マホメット)は「アブラハムに体現された純正な一神教的宗教」を昔日の本源的姿に立ち帰らせようとしただけだ(井筒俊彦『イスラーム生誕』)。イスラム教という新宗教を創始しようとしたのではなかった。ムハンマドにはいわばこう見えていたのだ。ユダヤ教もキリスト教もそれを始原としながら、やがてそこから逸脱してしまった、アブラハムが山頂に運び上げた岩が転がり落ちて行った軌跡のひとつがユダヤ教であり、もうひとつの軌跡がキリスト教なのだ、と。彼(注、ムハンマド)は、これに対して、落ちた岩を再び山頂に運び上げようとしただけなのである。たとえ結果としてそれがイスラム教という第三の軌跡を描いて転落して行ったとしても、それが彼の本意なのではなかった。
「イスラーム」とはそもそも「手放すのがつらいような貴重な所有物を他人の手に渡してその自由処理に任せるということ」を意味したというが、アブラハムが神の前でふるえおののき、自分に関わる一切を神に引き渡して委ねたのはどこよりも、モリアの山において一人息子のイサクに振り上げた刀を、力を込めて振り下ろしたその瞬間だろう。だから、ムハンマドにとっては、イサク奉献が「イスラーム」の祖型であり、アブラハムは人類最初のムスリムだったのだ。ムハンマドは、この原点にあったにもかかわらず忘れられてしまっている出来事を再び受け取り直したかっただけなのである。(同著、p.127)
ここで語られている「始原」について考えながら、今夏聴講する機会を得た柄谷行人の講演(8.29)「千年王国と現在-Dの探求」について触れてみたい。柄谷氏はご存知のとおり、漱石論等の文芸評論から出発して、現在も現役の戦後批評家、運動家として活躍しておられる。近年は『トランスクリティーク - カントとマルクス』(2001)から『世界史の構造』(2010)そして『遊動論-柳田国男と山人』(2014)など著作で、なお哲学者として発展されている。思えば当方のドストエフスキー理解も柄谷氏から受けた示唆が大きい。例えば「ドストエフスキーの幾何学」という本会講演(1985)があったが、その核心部分の「無限遠点としてのイエス・キリスト」は当方の記憶に深く刻まれた論点としてある(拙著『ドストエフスキーとポストモダン』(2001)所収)。
実は、今回講演を聴きながらこのキリスト論が気になった。乱暴な直観を述べるならば、現在の柄谷氏が論究している「交換様式D」に出現する「普遍宗教」とは、「無限遠点としてのイエス・キリスト」を敷衍したもので、山城氏が特記する「イサク奉献」のアブラハムの所為はその元型ではないかと思った。当方の「思い込み」はともかく、今回講演では、これまでの交換様式A・B・Cのいずれをも廃棄する「普遍宗教=D」が焦点化され、Dは厳密には交換様式ではないとの新らたな指摘もあった。注目したのは、原父ではない兄弟同盟が、反復強迫的に未来から回帰するあり方が語られていた点である。そこでは後期フロイト理論(「死の欲動」理論)が引き合いに出され、元々『カラマーゾフの兄弟』が連想させられる話だと思ったが、それが「原父殺し」ではなく「兄弟同盟」として論じられているのが肝心だと感じた。すぐに、山城氏の「カラマーゾフのこどもたち」での指摘(『ドストエフスキー』第六章、p.486)と照応した話だと思ったが、この辺りを「ドストエフスキー論」としてどう結びつけるべきか、興味が残った。今回、標題に「普遍宗教」としてのドストエフスキー文学を掲げた由縁である。例えば、『白痴』のキリスト公爵=ムイシュキンは、モリアの山のアブラハムの所為が反復強迫的に回帰したものであったと言えば、山城氏の議論と結びついてくる。ここら辺をどう論じるか。
そして今回柄谷氏は、Dに回帰するXの内実を「U(原遊動性)」であると明言された。当方の関心は、この「U(原遊動性)」が柳田国男の追求した「山人」として論じられてゆくもう一方の議論である(今回は柳田の話は出なかった)。柄谷氏は、最終的に柳田が、それを「固有信仰」の中に見出そうとしていて、彼の「固有信仰」は稲作農民以前のもので、つまり日本に限定されるものではないと述べている。さらにそれが最古の形態でかつ未来的なものであってみれば、柳田がそこに見いだそうとしたものこそが、「D」の普遍宗教、すなわち「U」の原遊動性ということになると論じている。ここでの当方の説明は、柄谷氏の『遊動論-柳田国男と山人』(2014)に今回の講演内容を重ねて述べたものであることを断っておきたい。併せてここで指摘しておきたいのは、小林秀雄も柳田に注目していたことである。その拘りから小林は柳田の「山の人生」の挿話、拙論でも「ムイシュキンの結末」とダブらせて問題にした「炭焼きの子殺しの話」に触れて繰り返し何度も講演した。ここに「もののあはれ」という普遍的な「固有信仰」を読み込んで、小林の「ドストエフスキー論」の根幹にあるものと「本居宣長論」のそれとをトータルに語ろうとしたのが当方の試みであった。
そんな私論は別にして、山城氏の論考での「始原としてのイエス・キリスト(=ムイシュキン)あるいはムハンマド」が柄谷氏の「D(普遍宗教)」・「U(原遊動性)」とどのように関係し、どう語られるべきなのか。この点、今回柄谷氏が述べた普遍宗教と世界宗教との差異が参考になる。
通常、普遍宗教と世界宗教は区別されない。いずれも、地域的・部族的な範囲を越えた宗教とみなされている。しかし、私はあえて普遍宗教と世界宗教を区別したい。普遍宗教は宗教ではない。つまり、それは交換様式A・B・Cに由来する力(呪力・権力・貨幣と商品の交換関係、筆者注)を否定するものだ。一方、現にある世界宗教は宗教である、すなわち様々な交換様式の力に依拠するものである。今日世界宗教と呼ばれているのは、広範囲に信者をもつような「宗教」である。一方、普遍宗教はその規模とは無関係である。普遍宗教は広範囲に広がるし、まさに世界宗教となることがある。しかし、世界宗教となることによって、普遍的になるのではない。むしろ逆に、それによって普遍宗教性を失うことが多い。世界宗教はかつて世界帝国の宗教であった。ゆえに、現在でもその信者が多いのである。一方、普遍宗教は世界帝国の宗教とは無縁である。にもかかわらず、普遍宗教は世界帝国においてあらわれた、ということができる。なぜなら、A・B・Cの結合体が大規模に実現された世界帝国においてのみ、それを越えるものとしてDが到来できるからだ。(中略) 普遍宗教は国家によって受容されるとともに、その普遍性をうしなうが、消滅してしまうことはない。それは宗教批判としての異端の運動において復活する。むしろ、つねにそのような異端の運動を生み出しうることが、普遍宗教の特徴だといってよい。私は、交換様式Dは普遍宗教としてあらわれた、と述べた。しかし、これは、Dは最初宗教としてあらわれたが、のちに宗教性を脱して社会主義運動となるということを意味するのではない。そもそも、普遍宗教は宗教ではない。その意味で、普遍宗教は根本的にDであり、Dは普遍宗教である。 (今回講演資料より)
この後にカール・バルトの言葉、イエス・キリストの社会運動は並列的な別のことではなく、両者がただ一つの同一のことだとの引用が続く。ここまで聴いたことを読み直した時、「普遍宗教」としてのドストエフスキー文学という問題意識が自分のなかでより鮮明になった気がした。
柄谷氏はかつて『近代文学の終り』(2005)を自ら宣言してきたが、なお現在の哲学的思考を生成するうえでそれらを継承してきているはずだ。おそらくその核心のひとつがドストエフスキー文学なのだろうと思う。そのことを別なかたちで担ってきた結果が、山城氏の『ドストエフスキー』(2010)であった。残りスペースが少なくなり、もう一つだけ山城氏のソーニャに関する文章を引用したいと思ったが、ネット版に譲ることにして今回はここまでとしたい。机龍之助論が始まらないが、忘れているわけではない。今回の話題に繋がるはずだと思う。参考に下記の柄谷氏の図式を添付しておく。(2015.9.9)
経済的下部構造としての交換様式 (柄谷行人講演配布資料より)
B 略取と分配 A 互酬
(支配と保護) (贈与と返礼)
C 商品交換 D X
(貨幣と商品)
広 場
連載8『罪と罰』の世界―人間性の深みをめぐる優越感と負い目
渡辺 圭子
〈前号まで〉ラザロの復活は、不信という石を取り除き、再び信じる心を取り戻す、という意味がある。迄。
ラスコーリニコフがラザロの復活を読んでくれと頼んだのは、こんなめにあっても、まだ神を信じられるのか、という挑戦である。ソーニャは、激しく動揺し、ためらいながらも、読んで聞かせたくてたまらなく思う。読みながら、不信や懐疑にみまわれることがあっても、人間の理解の及ばない深遠さをもった存在なのだから、信じざるを得ない、というところへ落ち着いていく。人間や人生の深遠さ、同じくそこを見ていたはずなのに、ソーニャは神を見い出せたが、ラスコーリニコフは見い出せず、そそのかしの道具としか思えなくなっていた、彼が神を見れない背景には、強すぎる優越願望がある。
強すぎる優越願望ゆえに、負い目につぶされ犯行に及んだ。ソーニャに対し、悪魔にひきづられた、といったが、それが、悪魔の正体であり、鬱屈を晴らしたい思いと正義の追究のとりちがえの、鬱屈の正体でもある。それがあるために、彼は、もっと高潔な何かを求めていたはずなのに、卑劣な犯罪にしかならなかった。失敗した自分の人生ばかり考えていて、二人を殺したことに罪を見い出せないでいる。自首をし、服役をしていても、本当に相手の痛みを思いやれたわけではない。しかし、ラスコーリニコフだけが、特別なのだろうか。そもそも、本当に相手の痛みを思いやることは可能なのだろうか。そこを考えると、ある人生相談の解答が思いおこされる。人を殴ってしまった、という相談に対して、解答者は、次のように答えていた。
いろんな場面で、殴りたくなることはたくさんある。しかし、多くの人間がそれをしないのは、そのことによって、殴り返されたり、治療費、慰謝料を請求されたり、離縁されたりいろんなリスクがあるからだ。あなたも成人している以上、きちんと殴った責任を果たすべきだ。(34)
殴られた相手の痛みを思えではなく、世間体重視のように感じられる。人間は相手の痛みを本当には思いやれない。自分の人生しか考えられない、生きられない、どんなに仲良くしていても、しょせんは一人、という意味でよく使われる。決して足跡は重ならないという言葉のように。この問題も、先の、ポルフィーリーの態度のところでふれたように一方からだと、とても非情に、残酷に響くが、相手も自分に対して同じことがいえる、一人にではなく、みんなにある、と思えば、納得できるようになるのではないだろうか。ラスコーリニコフは、ソーニャと自分を同じといったように、被害者も同じ、とは考えられない。彼は、自分がシラミか否か自問自答した時点で、自分は英雄でない、といったが、被害者も同じ、と考えられない点で、相手をシラミとみなすことが英雄の条件というのであれば、その一つは満たしたことになる。だからこそ、スヴィドリガイロフは、このように評した。
あのラスコーリニコフというやつは悪党だな、あれだけの重荷をひきずって見せた。あんなくだらない考えがすっとんでしまえば、たいした悪党になれるんだが。(35)つづく
追 悼 近内トク子さんを悼む
夏の終わりのある日、見知らぬ女の人から「あのう…読書会…ですか」と電話があった。声のようすから年配者のようだった。このあいだオレオレ詐欺の電話があったばかりなので、用心して「はい」とだけ言った。「どすとの読書会ですか」お年寄りらしい女の人は、もう一度、確かめるように聞いた。ドストの読書会と聞いて緊張が解けた。私は、「はい、そうです。ドストエフスキーの読書会です」と、はっきり答えた。「いつも読書会通信、送ってくれる、あの読書会ですか…」彼女は念を押す。
「はい、わたしが発送しています。編集室です」私は、言いながら新しく参加したいという人かな、と思った。ところが「読書会通信、もういらないんです。止めていただきたいんですが」女の人は、突然、言った。私は、面喰いながらも、思い巡らせた。
「すみません、トク子の、近内トク子の姉ですが」その言葉が一瞬にして靄を吹き飛ばした。
「ああ、近内さんの」私は、大きく頷いた。
「トク子は、春に亡くなりました」彼女はつづけて告げた。
「えっ、そうですか――亡くなられた?!」
私は、おうむ返しにつぶやいた。が、すぐに納得した。そういえば、いつも几帳面にカンパしてくれていた彼女が、今年は、まだ一度もカンパして来なかった。
「よくわからなかったものですから、遅くなり、すみません」
近内トク子さんの姉は、ひたすら遅れたことを詫びられた。そのあと、申し訳なさそうに「そういうことですから読書会通信を止めてください」と言った。
近内トク子さんは、たしか文化服装学園の先生を務められていた。もうだいぶ前になるが退職した後、故郷の福島に帰られた。東日本大震災、津波、原発事故、あいついだ災害。通信を発送するとき、いつもちらと気になっていた。が、遠く福島から応援してくれていた。物静かだがドストエフスキー作品の熱い読者だった。特に『悪霊』をテーマにしていた。読書会通信 No.59(2000.2.12)が、ミレニアム記念寄稿 3サイクル&30周年記念特集で「私は、なぜドストエーフスキイを読むのか、読み続けるのか」のアンケートをとったとき近内トク子さんからは、以下の言葉をいただきました。
「ドストエフスキイは私に魂と霊について語ってくれるからです」
『ドストエーフスキイ広場』における近内トク子さんの評論。(わかっている分です)
第5号(1995) 『悪霊』における「自然」
第7号(1997) 『悪霊』の双子
さようならトク子さん ご冥福をお祈り致します
ドストエフスキー最大の謎 ドストエフスキーのギャンブル依存はなぜ消えたのか。この医療報告に類似性をみた。 (編集室)
依存症患者の心の癒やし (2009年12月28日付 朝日新聞東京本社夕刊から)
坪野吉孝 (つぼの・よしたか)
筆者はかつて多量飲酒者だったが、約十年前、苦しい状況で思わず祈りの言葉を口にした時、急に世界が明るく開けて感じる一種の神秘体験をし、以来アルコールを全く口にしていない。それ以前にも意志の力で酒を止めようと何度か試みたことがあるが、2カ月と続かなかった。だから自分の意志以外の力が働きかけたとしか思えなかった。 自分の身に起きたことを理解しようと文献に当たるうちに出あったのが「依存症と恩寵(おんちょう)」(2007年再刊)だ。著者ジェラルド・メイ(40~05年)は米国のクリスチャンの精神科医。ベトナム戦争従軍時には武器の携行を拒否して患者の治療に当たったという。その後臨床を離れ、禅を含む超教派の立場での霊的指導と著作に専念した。
本書の中に一人のアルコール依存症の男性の話が出てくる。「ある日雑貨屋に行くのに道を歩いていたんだ。そしてそこの歩道のところで、心の平静さを見いだしたんだ」 男性は長年アルコール依存症を患い、その日も他の日と変わりはなかった。けれどもそのシンプルで不思議な瞬間に男性は変えられ、それ以来酒を飲むのを止めたという。男性自身はこの体験を宗教的な言葉で語らない。しかしメイの臨床経験によれば依存症患者でまれにこうした特別な癒やしが生じる。「神の愛が奇跡のように私たちを突き抜けることがある」という。 筆者の飲酒癖が精神科的に依存症の診断がつくものだったかどうかは分からない。けれどもこの男性の話を読んだ時、自分の身に生じたことがよく分かった気がした。
メイは各種の依存症(酒、薬物、仕事、家族、人間関係など)を、神ならぬものを自分の神としてあがめる偶像崇拝になぞらえ「現代人の聖なる病」と呼ぶ。依存症の癒やしには、薬物や心理的な治療にとどまらず、神の恩寵が必要な時がある。むしろ、人は依存症の経験を通し、人智を超えた神の愛の恵みに触れることがあると彼は主張する。 心の癒やしは、通常の医療とは別の形で生ずる場合がある。そのことは、患者には希望を、医療者には謙虚さを、もたらすものだろう。
新谷敬三郎先生没後20周年に寄せて (編集室)
今年、2015年は、ドストエフスキーの会を発足させた新谷敬三郎先生没後20年です。
白鳥は哀しからずや空の青海のあおにも染まらずただよふ 若山牧水
(「夫はこの白鳥のような人でした」と奥様が語られました)
新谷敬三郎著「『白痴』を読む」白水社 昭和54年
【純粋な読者】文学はひとつの行為である。それは作品を書くという行為であり、作品を読むという行為である。したがって、文学とは表現、伝達、享受、理解という一つながりの社会的な行為である。
差し当たって、私たちにとっては、文学は読むという行為である。ドストエフスキイの『白痴』という本はたくさん、ほとんど無数にといっていいくらいある。装丁や活字やその組み方などはさまざまかもしれないが、その内容はおそらくほとんどまったく同じであろう。おまえは、なにをわかりきったことを言う、というかもしれない。が、実は、このことが大切なのである。・・・・・・・・・・
ところが、文学が作品を一人で読む、活字を追うものになってから、読み方という表現形式の習得は、あたかも無用になってしまったかのように思われる。
ドストエフスキイの読み方などと言うこともあるけれど、それは今日決して、例えば『白痴』の朗読法のことを意味しない。文芸読本などと銘打った本もあるけれど、そこに批評家の高遠深刻なる独白はお目にかかっても作品を黙って読む法についてはおろか、その読書経験の報告など、まずはほとんど一行も見当たらない。思えば奇妙なことである。
ドストエーフスキイの会第230回例会
月 日 : 2015年11月21日(土)午後2時~5時
会 場 : 千駄ヶ谷区民会館 JR原宿駅徒歩7分
報告者 : 長瀬 隆氏
編集室
カンパのお願いとお礼
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