ドストエーフスキイ全作品を読む会 読書会通信 No.149 発行:2015.4.4
4月読書会は、下記の要領で行います。
月 日 : 2015年4月18日(
場 所 : 池袋・東京芸術劇場小会議室7(池袋西口徒歩3分)
開 場 : 午後1時30分
開 始 : 午後2時00分 ~ 4時45分
作 品 : 『罪と罰』3回目
報告者 : 小柳定治郎氏
会 費 : 1000円(学生500円)
大阪「読書会」案内 5・16
ドストエーフスキイ全作品を読む会・大阪読書会の第27回例会は、「大阪ブックフェスタ+」(4・18~5・17)参加のため、以下の日程で開催します。・5月16日(土)14:00~16:00、・会場:まちライブラリー大阪府立大学 参加費無料 作品は『』〒556-0012 大阪市浪速区敷津東2丁目1番41号南海なんば第一ビル3FTel 06-7656-0441(代表)地下鉄御堂筋線・四つ橋線大国町駅①番出口東へ約450m(徒歩約7分)
小野URL: http://www.bunkasozo.com
4・18読書会について
金貸し老婆の殺害計画と実行。主人公ラスコーリニコフは、一線の踏み越えに悩み迷います。しかし、現実世界では、簡単に踏み越えている容疑者たち。連日のように血なまぐさいニュースがつづきます。『罪と罰』の読みは3回目になります。桜の季節、心さわぎますがあらためて作品にこめられたドストエフスキーのメッセージを考えてみましょう。(編集室)
罪と罰」読書報告資料 小柳定治郎
以下のテーマで報告します。
1.「ラザロの復活」の朗読から見えてくるもの
―ソーニャに朗読を迫るラスコーリニコフの「気持ち」を考える―
2.金貸し老女殺害の動機と背景を考える
―ラスコーリニコフの「傲慢」とドストエフスキーの「メッセージ」
3.表題「罪と罰」について―とくに「罰」を考える―
*紙面の都合で、報告レジメは、1項目「ラザロの復活」のみ全文掲載します。2、3項目は前文を紹介、後は当日全文コピーしたものを配布します。
1.「ラザロの復活」の朗読から見えてくるもの
<第四部の四を中心に考える>
○ラスコーリニコフ(以下、ロージャ)がソーニャに「ラザロの復活」を読んでくれないかと頼んだ意図は何か?
・読んでくれと頼んだのは4回
① リザヴィェータの聖書をめくりながら、「さがして、おれに読んでくれないか」
② ソーニャから「あなたは読んだことがないんですの?」とたずねられて、「ずっと前・・・・・。まだ学校に行ってたころ。さあ読んでくれないか!」
③ 『こんなところにいると自分まで神がかりになってしまう!感染しそうだ!』と考え、いらだたしげに、押しつけるような調子でだしぬけに「読んでくれ!」と叫ぶ。
④ ③を受けて、ソーニャは「なんのために、だってあなたはどうせ信じていらっしゃらないじゃありませんか?」と、静かに息でも切らしたようにささやく。これに対してロージャは、「読んでくれ!おれはそうしてもらいたいんだ!リザヴィェータには読んでやったんだろう!」と言い張る。
・ロージャの直接的な動機は、「だが彼女(ソーニャ)は気が狂っていないと、いったい誰が言ったか、はたして彼女は健全な判断力をもっているのだろうか?・・・・・・ことによると、奇蹟の起るのでも待っているのではないだろうか? いや確かにそうに違いない。しかしこうしたことはすべて発狂の徴候でないといえるだろうか?」と考えたことによる。
・『不幸な狂える女』かどうか、神がかりの狂信者かどうかを確認しようとした。
・この考えの背景には、『彼女には三つの道がある、運河に身を投げるか、気違い病院へ入れられるか、あるいは・・・淫蕩に身を投ずるかだ』、ところで彼女は自殺はできない(罪の意識と、そうしたらあの人たちはどうなりますの?)、真の淫蕩はまだ一滴だって彼女の心臓にしみ通ってはいやしない、すると?
・さらにロージャが上の「三つの道」を考えた背景には、「こんな恥ずべきこと、こんな卑劣なこと(彼女の不本意な生業)が、君の内部でそれとは正反対な、別な、神聖な感情と肩を並べてちゃんと両立しているというのは、いったいどうしたことなんだ?」、「いったいどうして彼女はこんなにも長いあいだこのような環境に甘んじていることができたのだろうか・・・すると彼女を支えて来たものはいったいなんであろうか?」という驚きと疑問があった。
・①~③まではソーニャが神がかりの狂信者かどうかを確かめたいというロージャの意図がちらちら見える。
・④はどうであろうか?彼女が神がかりの少しイカれた女かどうかを見たい気持ちもあるでしょうが、それ以外に、いやそれ以上に、ソーニャの朗読に、あるいは朗読するソーニャに何かを求めていたのではないだろうか?
・ここでロージャがだしぬけに「ラザロの復活はどこだい?さがしてくれないか、ソーニャ」と聞いた背景は何か?
●奇蹟を本気で(狂気で?)信じているかどうか、「ラザロの復活」あたりを読ませたらソーニャの反応がよくわかるんじゃないかなと思ったのか。
●ポルフィーリの質問で出たこの箇所を思い出したからか。
●自分の今置かれた状況のなかで、この箇所が自分の心に何か感じるものがあるからか、けだしあったとしても推し量りがたい。
●作家の意図、ラザロとロージャを重ねようとしていたことはほぼ間違いないと思う。しかしその事と、作品のなかのロージャの意識は分けて考えるべきかと思う。
・朗読が進み、イエスが涙をながした個所を読み上げたところで、彼女の様子を見ながら、「やっぱりそうだったのだ! 彼女はすでにまぎれのない、正真正銘の熱病にその全身をふるわせているではないか。彼の待ち受けていたのはそれだったのである。」と述べられている。ロージャの待ち受けていたそれとは何か? それは神がかりの状態を確認することもあったろうが、④で求めていたものでもあると考え、以下のように理解する。
・第六部の八から引用。ロージャの独白。『いったいなんのために、いったいなにをしに、おれはいまあの女(ソーニャ)のところに行ったのだろう?用事なんか一つもありゃしなかった、ではあの女を愛してでもいるのか? いやそんなことはない・・・・・おれにはあの女の涙が必要だった、・・・、あの女の胸をかきむしられるような苦しみが見たかった!・・・人間の顔が見たかったのだ!』
・「人間の顔を見たかった」とは、彼の心がどんな状態にあると解すべきか?犯行後に彼を襲う自己嫌悪と動揺と混乱(引用は省略)、そして究極は孤立感とまわりとの断絶感→第二部の二を参照
孤立感、断絶感については3.のテーマで触れたい。
●大学に在籍していた時分、よく眺めたニコラエフスキー橋上からのニェヴァ川のパノラマを見たあと、母娘からもらった銀貨を川に投げ込んで帰るさなか、「彼はその瞬間、自分を鋏かなにかであらゆる人、あらゆる物からぷっつりと断ち切ってしまったような気がした。」なおパノラマの叙述については、2.のテーマで触れる予定
・ところでロージャが「人間の顔」をあえてソーニャに求めたのはなぜか?
●「おれは君を選んだんだ、お父さん(マルメラードフ)が君のことを話してくれたときから、このことを打ち明けるのはきみだけだとね。」
●とつぜん、彼はすばやく全身を屈めると、ぱっと床に突伏して、いきなり彼女の足に接吻した。「おれは全人類の苦しみに対して頭を下げたのだ」、そして「君の大きな苦しみに対して・・・」
大きな苦しみ→自己犠牲(ロージャはこれに共感)
大いなる罪びと
*妹ドゥーニャも後に(第六の八で)、自分に(ロージャに)人間が必要になった時、彼はまず彼女(ソーニャ)のなかに人間を求めるだろう、という慰めを得た、と述べている。
○ドン・キホーテのようなラスコーリニコフ
第四部の四でかわされるロージャとソーニャの平行線をたどる会話
会話といっても、ソーニャの心情を理解しないロージャの一方的な会話
*朗読にためらうソーニャの誰にも言えない、内心の秘密を彼なりに理解していながら、それでもわかっていない。
●「君(ソーニャ)だってやっぱり踏み越えてしまったんだ・・・・・。
君は理性によって、精神的な生活があるいは送れたかもしれないが、いずれはセンナヤではてる身の上、君は辛抱しきれまい。それに一人きりになったら、おれとおなじように、気が狂うに違いない・・・・・。」
*彼女とその生活を支えているのは、理性ではなく信仰。
「神様がなかったらどうして生きて来られたでしょう」
*彼女は一人きりではない、愛する家族がいる。
●「どうしたって?いつまでもこのままでいるわけにはいかないからさーーー実際、君が病院に送り込まれたらそれこそどうなると思う、肺病やみの義母はすぐに死んじまうだろう、あとに残された子供たちは?巷を見てごらん、7歳の子が淫蕩の風にしみ、一人前の泥棒なんだ・・・・・」
*ロージャの言葉には現実的な説得力があり、私もなるほどと思うけれど、ソーニャは、やはりぎりぎりの信仰に望みをかけている。
「なんでもしてくださいます!」、わたしなりに解するならなんでもしてくださる神にすべてを(これから先のことも)ゆだねています、ということでしょうか。もっともぎりぎりのところで生きている彼女に確信的な信仰があるかどうかわかりませんが。
●「おれたちは二人とも呪われた人間なんだ、だからこれからは一緒に
行こうじゃないか!」
*同じ呪われた人間かな?
*「行くってどこへ?」、同じ一本道?
●脅迫めいた言われ方をされたソーニャは、とうとうヒステリカルに泣きながら「では、どうすればいいんですの?」と繰り返す。それに対して ロージャは「破壊すべきものを一挙に破壊して、苦難を一身に引き受けるだけだ、力でもって蟻塚の蟻のような虫けらどもに対して!・・・」
*ソーニャ、おそらくわからず絶句。リザヴィエータ殺しの」話で全身ぎくり。破壊すべきものについては2、のテーマでまた触れたい。
*二本(ロージャとソーニャ)の平行線がただ一つ交わる点がある。
ソーニャが彼を限りなく不幸な人間として同情している点と、ロージャが彼女を自己犠牲という苦を背負いながら生きる大いなる罪人
として共感している点。
▲ドン・キホーテのように一方的にしゃべりまくるロージャとソーニャの見事なすれ違い、作者は何を言おうとしているのか?
以下、2項目、3項目のテーマは、前文のみ掲載します。内容の全文は、当日、コピー資料として配布します
2. 金貸し老女殺害の動機と背景を考える
―ラスコーリニコフの「傲慢」とドストエフスキーの「メッセージ」―
・動機づけは意外と難しいです。肝心の作者自身が以下のような状況だからです。
・松下裕さんが「ロシアの十大作家」のなかで、ドストエフスキーの「創作ノート」によると、「罪と罰」の主人公がなぜ金貸しの老婆を殺したかという動機の問題は、長いあいだ作者その人にもはっきりしなかったという驚くべき事実がある、と述べている。
・くわえて、亀山郁夫さんがシクロフスキーの証言を紹介して、「ドストエフスキー自身、犯罪をどのように動機づけたらよいか、なかなか決断がつかなかった」と。
・それはともかく、一番難しい点は本人(ラスコーリニコフ)の言い分がころころ変わる点です。自首の後の法廷での彼の証言は0ではないにしてもまともに受け取れないでしょうし、どの場面の発言が本音で、どれが建前か、見分けるのが難しいこと、たとえば信仰についていえば、主よ!どうか私に私の道をお示しください、と言ったかと思うと、神様なんかいないかもよ、と言ったり、信じています!と言っても、どうもまゆつばもんだったり、「二枚舌」かなと思う反面、本人どこまで自分の気持ちをつかんでいるのかな?も含め、読者の方が振り回されてしまう点が多々あるからです。 (詳細は、当日の資料)
3.表題「罪と罰」について ―とくに「罰」を考える―
○江川卓氏は、ドストエフスキーが題名に使った「罪と罰」はベッカリーアの著書「犯罪と刑罰」のもじりではないか、と考えている。ロシア語訳にすると罪といい、罰といい、使われている言葉は全く同じである。違うのは、ドストエフスキーの作品「罪と罰」は罪一般、罰一般を意味すると考えられる。としたがって、例えば「罪」は刑罰だけでなく、過失や責任といったビナー、さらには道徳や宗教上のグリェーフの意味をも含まれると考えられる。前回報告された前島氏が指摘された「踏み越え」は
適切な日本語ではないかと思う。(詳細は、当日の資料)
『罪と罰』を書いた頃
・1865年(44歳)
6月『祖国の記録』編集者クラエーフスキイに『酔っぱらい』(『罪と罰』の原型)の掲載を申し込み断られる。夏 罪と罰』起稿。10月コペンハーゲンから帰る途中、船中で『罪と罰』推敲。11月末第一稿を焼却。
・1866年(45歳)
『罪と罰』を「ロシア報知」1月号から連載(2月、4月、6月、7月、8月、9月、12月)
6月頃『賭博者』の構想成る。『罪と罰』第5編執筆。「ロシア報知」側の要請を受け入
れ、第4編第7章(ソーニャがラスコーリニコフに福音書を朗読する条り)の改稿にや
むなく同意。
10月4日 速記者アンナ・グリゴーリエヴナ・ストキナ、ドストエフスキーを訪問。
5日~29日(12時~4時迄)『賭博者』口述筆記
11月3日 『罪と罰』最終編の速記をアンナに依頼。
11月8日 アンナに結婚を申し込む。
2・21読書会報告
24名参加で盛会 『罪と罰』2回目、新旧会員参加で賑やかに
ドストエフスキー情報 2015・2・20~3.20 提供=佐藤徹夫さん
〈図書〉
・これぞクラシック ・フョードル・ドストエフスキー…
罪と罰/(中村)=中村邦生 P230-231
『小説への誘い 日本と世界の名作120』
小池昌代、芳川泰久、中村邦生著 大修館書店 2015.2.20
・『それでも世界は文学でできている 対話で学ぶ〈世界文学〉連続講義3』沼田充義著 光文社 2015.3.20 292P 19㎝ \1700+
※1.加賀乙彦(P22~24)2.辻原登(P115~120)でドストに言及。
〈逐次刊行物〉
・『ドストエフスキー曼陀羅 5号』編者・清水正(提供=『読書会通信』編集室)
日本大学芸術学部文芸学科「雑誌研究」編集室 2015.2.10
・「ドストエフスキー放浪記」清水正
・「清水氏の『悪霊』の世界について」福井勝也
・「清水正著『ドストエフスキー『白痴』の世界について』山下聖美
・「ペテルブルグ千夜一夜」下原敏彦
評論・連載
「ドストエフスキー体験」をめぐる群像
(第58回)「オウム真理教事件」から20年後の「イスラム国邦人殺害事件」
井筒俊彦という思想家に着目しながら
福井勝也
自分の生まれ育った隣町にイスラム寺院があり、子どもの頃はフイフイ教と呼んで敷地の周りで近所の友達と遊んだ記憶がある。一時廃墟になり、しばらく後に立派に建て替えられた。現在居住するマンションからそのドームと尖塔を南方右斜めに眺めることができる。
年明け(1/7)フランスで起きた「シャルリー・エブド事件」(イスラム過激派による5人の風刺画家とライターを含む12人の襲撃殺害)が、翌月(2/1)の2人の日本人人質殺害事件へと連続することで、それも「イスラム国」(IS)から発信されるメッセージと酷い画像がインターネットで眼前に流れ続けた時、遠方の見慣れた寺院を改めて意識することになった。無論、イスラム過激派と日本在住のイスラム教徒とは無関係であることは断るまでもない。同時に、日本人が囚われて以来メディアで叫ばれ続けた「テロとの闘い」というキャッチフレーズもとりあえず間違っていないのだろう。しかし日本人人質が何故、このように「処刑」されねばならなかったのか、その真相は日々流される情報からだけでは解けそうもない。実行犯が英国育ちの富裕な?エジプト系移民の子弟であったことが気になった。日本人人質殺害の事実に触れた時、何故か咄嗟に地下鉄サリン事件(95.3.20)を思い出し、二つの出来事が自分の中で交差した。「イスラム国」(IS)と「オウム」とは無関係なのは当たり前だが、どこか深いところで通底していると感じた。その感覚がどこから来るのか。ここに、現在読書会で取りあげているドストエフスキーの『罪と罰』、主人公のラスコーリニコフを代入してみるとどうなるか、そんな想念に捕らわれて仕方なかった。今回の拘りを持続させながら、少し書き続けてみたい。
薄々と知っていたが改めて調べてみると、隣町のイスラム寺院が日本でも有数のモスクであり、戦前(1938、昭和13年)の創建で、ロシア革命を逃れた2人のタタール人(イブラヒムとムーサー)がそれに関わっていたことが分かった。そして現在「東京ジャーミー」(2000)と称されるこのモスクができた頃には、何時からか縁遠くなってしまったイスラム(教)に、多くの日本人が強い関心を寄せていた背景が浮かんで来た。それは歴史的には、第1次世界大戦後、ロシア革命以降盛り上がりを見せた汎(パン)イスラム主義の使徒として来日した2人のタタール人と、当時大東亜共栄圏を夢想していた多くの日本人が交差した歴史事実があった。ちなみに汎(パン)イスラム主義とは、19世紀後半に生まれたイスラム世界を統一しようとする思想・運動で、西欧列強のイスラム世界の植民地化に抗する中身のもので、現代のイスラム原理主義の流れの淵源となるものである。そしこの時期、イスラム(教)に深く共鳴した代表的日本人が、後に東京裁判で東条英機の頭をポカリとやった大川周明(1886-1957)であった。そして彼の元でアラビア語文献の整理にあたり、後に『コーラン』の邦訳者となるのが生誕100年を迎えた思想家の井筒俊彦(1914-1993)であった。そしてイブラヒムとムーサーこそ、井筒俊彦のアラビア語の教師であったのだ。彼は最晩年、作家の司馬遼太郎との対話「二十世紀末の闇と光」(1993)で大川を回顧し「大川周明が私(井筒)に近づいて来て、私自身(井筒)も彼(大川)に興味をもったのは、彼がイスラームに対して本当に主体的な興味をもった人だったからなんです」と語っている。井筒は大川のような右翼的な実行的思想家ではなかったが、彼も師の元でイスラームへの理解を主体的に持続し、世界有数のイスラム学者として大成することになった。その関心のきっかけを与え、イスラム(教)への導き手となった高僧がイブラヒムとムーサーであった。同じ対話のなかで、井筒は遺言のように自分が目指した世界への思いも語っていた。「私の構想している「東洋」のなかにはイスラームはもちろん、ユダヤ教も入っているし、インド、中国、そして日本、全部入ってくる。それにギリシア。そういうものを総合したような世界を考えて、その世界に通用するひとつの普遍的なメタ的な言語を哲学的につくりだせれば、理想的だと思っているんです」(なお、ここでの話題は先日(3/7)折口信夫研究の批評家、安藤礼二氏の「西洋と東洋の対話を目指して ― 井筒俊彦の100年」の講演資料による。さらに井筒の再評価では、批評家若松英輔氏の『井筒俊彦 叡知の哲学』(2011)を参照させていただいた)。
ここで大川周明に戻り井筒俊彦にシフトして論じているのは、この辺におそらく今回の「イスラム国」(IS)が連日世界を震撼させ、その標的が日本にも及んできている問題をその深層において読み解く鍵があると思うからである。「テロとの闘い」というキャッチフレーズだけでは、到底解決の糸口は見出せない。それどころか逆に危険が招来がされるだろう。大事なことは、大川と井筒が引き受けたように主体的に「イスラム」とかかわり、井筒が目指したような間口の広い「東洋」をさまざまなレベルで思索し、再構築してゆく試みなのだろう。実は、大東亜共栄圏という歴史的夢想には本来そのような理想が孕まれていた。井筒は、その理想を学問において生かしたのだと思う。確かに日本歴史は、その理想を裏切るかたちで世界大戦へと舵を切り敗戦を迎えた。そして戦後も日本はアジアに在りながら、文字通りの「ファー・イースト」として、政治経済体制において欧米流思想を奉ずる優等生として生きることを選択し続けた。ここで考えるべきこととは何か。大川周明という思想家が有名になったのは、東京裁判で東条英機の頭をポカリとやったためだった。結果大川の精神障害が発覚し、そのために戦争裁判から外された。「ギャグ」のような話に聞こえる。何故か今日、この「ギャグ」が意味深に思えるのだ。つまりこの「ポカリ」は、当時の東条のみならず戦後の日本人の頭をも打つ正気の「ポカリ」ではなかったか。
実は、今回井筒俊彦に焦点を当てたのは、さらに彼がその「東洋」について考えてゆく過程でロシア文学、とりわけドストエフスキーに邂逅し、そのことが大きな意味を持ったからである。この角度からの井筒氏との出会いが自分に与えられた意味も大きかった。この点は、数年前の「広場」(2012)の論文(「小林秀雄の「絶筆」」)のなかでユングに関係して触れたことがある。井筒が戦後すぐに慶応大学で講義したテキストが後に『ロシア的人間』(1953・1978)という名著となり、それが当方のドストエフスキー文学との出会いの重要な導きになってくれた。井筒にとってロシアとは、アジアとイスラムそしてギリシアを結びつける地勢学的な意味ばかりではなかった。それは、西欧のキリスト教とは異質なドストエフスキーのロシア(ギリシア)的な宗教観のうちに、後にコーランの世界までに至る宗教的ビジョンの端緒を提供する貴重なきっかけになった。この辺りは、近年『ロシア的人間』の先行的著作『露西亜文学』「ロシアの内面的生活」を編集紹介され解題も付された亀山郁夫氏の『井筒俊彦―露西亜文学』(2011)に詳しい。亀山氏は「「ロシア文学との出遭いは私を異常な精神的体験とヴィジョンの世界の中に曳きこんだ」(『ロシア的人間』北洋社版、「後記」)との井筒の言葉を引用しつつ、「彼にとってロシア文学が、その後のひとりの哲学者として自立していくうえで重大な契機となったことを裏付けている」と述べている(同著「解題」)。ここでトルストイ文学との差違を論じドストエフスキーの世界の本質に触れた井筒の言葉を紹介しておきたい。井筒が如何に本質的なドストエフスキー体験を引き受けたかが理解できる言葉だと思う。
「トルストイからドストエフスキーに目を移すと世界は全くその姿を一変して悽愴なる暗闇の中に覆没してしまう。トルストイの文学はいわば白昼公然たるところに行われる活劇で、その画面全体に明るい陽光があたっているから眼に見えない暗い隅というようなものは何処にもない。画面は一重で平面的であり、裏側がない。しかるにドストエフスキーの画面は常に二重写しになっている。彼が描く現実の世界は常にまぼろしの如き印象を与える。これは彼が現実の世界を平面的に描いているのでなく、実は表側の現実の向こう側にあるもう一つ別の世界を象徴的に描こうとしているからである。表側の世界とは我々が現に生活しつつある現実の時間的世界であり、ドストエフスキーがそれを通じて象徴的に描き出そうとしている別の世界とは時間なき世界、時間の世界と矛盾しそれと全く質を異にする世界、つまり永遠の摂理の世界である。永遠の世界は宗教的な言葉で表せば神の国ということに他ならない。ドストエフスキーは我々が住んでいる時間の世界は終末論的構造を有するものであること、すなわち人々の大部分はそれと気付かずに居るけれども実は其処に全く時間を超えた全然別な秩序が或る偉大なる終末を目指して時々刻々に浸入し透徹しつつあり、時間の世界が着々として実現しつつあること、つまり神の国が現に今ここに来りつつある光景を描こうとするのである。」(「ロシアの内面的生活」)同著、p232)
やや長めの引用しつつ考えていたことがある。20年が経過してなお事件の全体像が闇に埋もれたままのオウム真理教事件についてである。その「最後のオウム裁判」が現在、東京地裁で続いていて、既に刑が確定した主犯格等の死刑囚達の言葉が連日報道されている。そのうちの地下鉄サリン事件で「送迎役」を務めた元幹部、新実智光死刑囚(51)は、20年を経てなお、13人を死亡させ6000人以上を負傷させた事件についてきっぱりと言い切っている。「今でも、救済の一環だと思っている」そしていまも松本死刑囚を「尊師」と呼び、「神秘力があり、自分の魂を導いてくれる存在」と説明し、「ポアという技法で、魂を高い世界に移し替えることができる」とも評している(2015.3.11の朝日新聞)。とにかく現時点まで経過した20年が、この新実死刑囚にその罪を認識させ改悛させることが全くなかったのだ。
今我々は『罪と罰』というドストエフスキーの小説を読んでいるが、ラスコーリニコフが流刑地のシベリアにあって、自分の犯した複数殺人に対して何らの罪の意識を持ち得ずにいることを知っている。勿論当方に、小説内主人公のラスコーリニコフと新実死刑囚を同列に論じようとする意図はない。ただし引用の井筒俊彦のドストエフスキーの文学の本質を明らかにした言葉を繰り返し読むうちに、観念(宗教的理想?)に目覚めた人間が心の闇に踏み入る危険(業)と紙一重にあることにも気付かされる。ラスコーリニコフは19世紀ロシアのペテルブルグで生活しながら、幾つもの偶然が重なって「老婆殺し」という「踏み越え」をして「あの世」を彷徨する運命を課せられた。彼を殺人に導いた社会的動機(貧困の撲滅?)も見落とせないが、その「踏み越え」には人類の救済(=宗教的理想)という本質的動機があった。翻ってオウム真理教事件を考えた時、20年前に自分が書き記した小浜逸郎氏の言葉が甦ってきた。「<ドストエフスキー的主題>の現実化を目の当たりにすると、なんとそのこっけいかつ悲惨な<蛮行>ぶりばかりが引き立ってしまうことか。理想を求めずにはいられない人間という文学的主題が現実のなかで演じられると、こっけいで悲惨な<蛮行>としてしかあらわれないこと ― そこに私はだれにも逃れられない<現在>を感知し・・」。その<現在>を考えるために自分は、ドストエフスキー文学を読み続けようと思った(『ドストエフスキーとポストモダン』(2001))。果たして、あれから20年が経過して謎に少しでも近づくことができたろうか?もう少し自問を続ける。
ここでもう一人幹部(正悟師)のオウム信者のその後を紹介する。実はこの野田成人(48)氏は(2015.3.15の毎日新聞)幹部であったが、偶然?サリン事件等の謀議に加えられずに、結果的に事件以後のオウム教団の後始末と後継教団にも加わりながらも、その後麻原の教義から自由になりオウムと手を切った人物である。彼によって出家し、サリン事件の実行犯になった豊田死刑囚は高校の一年後輩だという。現在は、その罪を悔いて被害者の救済と教団脱会者の支援活動に取り組んでいる。改めて紹介すれば、彼は兵庫県三木市に生まれ、現役で東大に合格し物理学科に進んだ。専門課程に入った3年次、素粒子理論を志した自分の限界が見えた。本屋で何気なく取ったのが麻原死刑囚の超能力本だった。「物理学でない、別の可能性があると思った」という。87年6月、20才の時で、時代はバブル、物質主義の風潮に違和感を覚えていて、ほどなく入信し、4か月後には貯金100万円を寄進して出家した。早々にニューヨーク支部に派遣されるなど重用されたという。記事の最後の野田氏の言葉と隈元浩彦という記者のコメントを引用し、今回は筆を擱く。もう少し言及を続けてみたい・・。
「『凡庸な悪』だった」と野田氏はいう。ナチス戦犯裁判を傍聴した米哲学者が使った言葉で、思考を停止した平凡な人間が巨大な悪を引き起こす状況をそう呼んだ。「オウムの中で絶対的な善や正義を追求すれば、それが悪の要因になった。果たしてオウムだけの問題なのかと思う。一神教のように一つの価値観にとらわれればいずれ悪になる」麻原死刑囚を絶対視するなかで始まったオウムの集団暴走。思考を停止した組織が一つの価値観に呪縛されるとき、悪に染まることを事件は教えてくれた。イスラム過激派集団「イスラム国」(IS)などを見れば「終わった事件でないと」思えた。 (2015.3.20)
広 場
連載5
『罪と罰』の世界―人間性の深みをめぐる優越感と負い目
渡辺 圭子
(前号からのつづき)…皆同じ、という視点をもつことである。それと自分の中に潜む無意識世界(成り立ちや本質を知ろうとする力に満ちている)や人間や人生の深遠さを知ること、人間の力では理解できない深遠なもの(神と呼ぶものか)をみつけること。解けない謎を前にしては、皆同じなんだから、傲慢になることも卑屈になることもない。ソーニャの信仰とポリフィーリーの態度は、同じ人間性の深みをめぐる優越感と負い目に、関係ある、といっても、そこから自由になるには、また、昇華するにはどうすればいいか、そんな視点がくみこまれたもの、といえる。
ポルフィーリーの態度
ポルフィーリーの態度は、一見、意地悪で冷たそうである。自分の推理力、分析力に自信をもち、犯罪者を追い詰めることに、快感を感じているのでは、と思われる。しかし、実際は、ラスコーリニコフを理解しており、ある意味あたたかさえある。ポルフィーリーは、彼の論文、事件の性格や結末を次のように述べている。
あれは眠られぬ夜、かっかとする頭で構想されたものなんでしょうな。胸には心臓が高鳴り、抑圧された感情がうずいている、というやつです。(論文)(21)
これは空想的な陰鬱な事件でしてね、現代的な事件なんです。人間の心がにごり血が清めるなんていう言葉がさかんに引用され、快楽こそ人生のすべてだと宣伝される。現代の事件なんですよ。(事件の性格)(22)
理論を考えつかれたが、それが挫折してあまりに独創的でないことになってしまって恥ずかしくなった。結果は、卑劣きわまることになってしまった。そうですよね。(結末)(23)
ポルフィーリーはラスコーリニコフの心に潜む鬱屈をみていた。さらに、鬱屈に様々な理論が加わることで、鬱屈を晴らしたい思いと正義の追求のすりかえがおこり、犯罪の正当化につながることを危惧していた。先のラスコーリニコフの犯罪のところでもふれたが、彼はラスコーリニコフに、その危惧の念を話している。それに対し、ラスコーリニコフは丁寧に答え、自分の論文の主旨は、犯罪の正当化でなどない、と述べている。しかし、ポルフィーリーは、簡単に納得し、信じこみ、危惧感を捨てたりなどしなかった。彼は、青年の最初の熱情的な習作が大好き、などと論文に理解を示し、もつとも高貴な、大人物たるの資質をさえそなえられた人、という評価をしながらも、事件の結末について卑劣きわまること、と述べ、ラスコーリニコフの行為を、人間や人生を考えた末でも、深みにせまれたわけでも何でもない、ただ人を傷つけただけの、卑劣な結果である、と犯罪をしっかり批判している。歩みよりと批判、彼が、そんな態度をとったのは、いろんな事件を通して、理想に燃えたはずが、私利私欲に変化したり、鬱屈を晴らしたい思いと正義の追求をすりかえ、信じた道へつっぱしった結果、世のルールを逸脱した犯罪者となり、抹殺される、数々の挫折をみてきたためではないだろうか。鬱屈を晴らしたい思いと正義の追求のすりかえ、その問題について考えていくと、スヴィドリガイロフとドゥーニャのところでもふれた、精神面における、人間や人生を広く深く見る力をめぐる優越感という点で、高潔も卑劣もつながる、というところへいきついてしまう。
最近、なぜ人を殺してはいけないか、という疑問、自分はここにいる、ということを証明するような事件、そんな疑問や事件を考える参考として、『罪と罰』は注目されているという。だが、実際に事件を起こした人間の声、「不条理をわからせてやりたかった」、「人を殺してみたかった」は、ラスコーリニコフよりも、『悪霊』のピョートルが、同志と認めた者の声に近い。ピョートルは、世間に破戒と混沌をもたらし、伝説の皇子の話を流布する。そして、時期がきたら、ニコライを皇子に仕立て、新しい世界を創り、支配者になろうとしていた。破戒と混沌をもたらす同志として、次の者をあげている。
子供たちといっしょになって、彼らの神や揺籃を嘲笑する教師、これはもう同志です。教育ある殺人犯を、彼のほうが被害者より知的であり、金を得るために殺人を犯さざるを得なかったのだと言って、弁護する弁護士、これも同志です。感覚を体験するためと称して、百姓を半殺しにする中学生、これも同志です。犯人を片っ端から無罪にする陪審員、やはり同志です。自分がリベラルでないことを恥じて、法廷でびくびくしている検事、もちろん同志、同志です。(24)
何という雑誌かは忘れてしまったが、ある少年の犯罪を、『罪と罰』や『異邦人』になぞらえて、まるで人間社会の矛盾を追求したために、人生を考えたがために、犯罪をやらざるをえなかった、といわんばかりの弁護をした、弁護士の話が載っていた。少年は、まさに、感覚を体験するためと称して、百姓を半殺しにする中学生に匹敵し、弁護士もまた、ピョートルが同志と認めた弁護士に匹敵する鬱屈に様々な理論が加わることで、鬱屈を晴らしたい思いと正義の追求のすりかえがおこる。その様々な理論とは、次のようなものではないだろうか。
ラスコーリニコフの論文や、ラズミーヒンの社会主義批判にあるように、○○(みんなの幸福といったような誰も反対できないこと)のためというスローガンの下、どれだけの流血があったか、正義は危険性をはらんでいる。環境さえ整えてやれば(ラスコーリニコフにとって法、地下男にとって理性、分別)といったような、人間はそんな単純なものではない。表面に現れたきれい事(理性、分別ある態度)に潜む本質(弱さ、ずるさ、欺瞞、奸智、邪悪な利欲etc)を追求することで、人間や人生の新たな姿、真の姿を発現させることができ、自分を欺かない、見失わない生き方、個人の権勢欲、名誉欲に利用されたものでない、真の、道徳、倫理、その他人間社会の規範etcに、近づくことができる。そのために、現行の規範に、ゆさぶりをかけることが必要である。(以上)
ピョートルは、まるで、犯罪者の味方、良き理解者である。しかし、その一方で、犯罪者達を、規律を乱す邪魔者としている。
ぼくらの同志は、人を殺したり、放火をしたり、古典的にピストルを撃ち合ったり、人に噛みついたりする連中は邪魔になるだけです。ぼくは規律抜きにしちゃものを考えられない。だって、ぼくはペテン師で、社会主義者じゃありませんからね…(25)
ピョートルは、一方では、人を殺す人間(厳密にいえば、半殺し、殺人を正当化する者であるが)を同志といいながら、もう一方では、規律を乱す邪魔者としている。言葉では同志といいながら、本心は捨て駒としかみていない、そんな心が、充分感じられる。事件を起こす者、ピョートルが同志と認めた者は先記の理論に酔い、いい気になり、信じた道へつっぱしった結果、世のルールを逸脱した犯罪者となり、捨て駒のように捨てられてしまう。初め、ピョートルのいう同志と、犯罪者は、似て非なる者に思えてならない。 (次号150号につづく)
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ドストエーフスキイの会 第227回例会
月 日 :2015年5月16日(土)午後2時~5時 予定
会 場 :千駄ヶ谷区民会館 JR原宿駅徒歩7分 予定
報告者 :未定
OSAKA BOOK FESTA+2015 まちライブラリー大阪ブックフェスタ+
2015年4月18日(土)~5月17日(日)
ドストエーフスキイ全作品を読む会・大阪 5/16(土)