ドストエーフスキイ全作品を読む会 読書会通信 No.102 発行:2007.6.6
第221回6月読書会のお知らせ
6月読書会は、下記の要領で開きます。大勢の皆様のご参加をお待ちしています。
月 日 : 2007年6月16日(土)
場 所 : 東京芸術劇場小7会議室(池袋西口徒歩3分).03-5391-2111
開 場 : 午後1時30分
開 始 : 午後2時00分 〜 4時50分
作 品 : 『白痴』2回目
報告者 : 村野和子 氏
会 費 : 1000円(学生500円)
◎ 終了後は、二次会を開きます。いつも楽しいドストエフスキー談議になります。
会 場 : 近くの居酒屋 JR池袋駅西口周辺
時 間 : 夕5時10分〜7時10分頃迄
会 費 : 3〜4千円
6・16読書会『白痴』2回目
『白痴』レポートに寄せて
村野和子
ドストエフスキーの作品の中でも、『白痴』の結末は私の最も好きな場面のひとつです。殺されてしまったナスターシャのそばで、ロゴージンとムイシュキン公爵が一夜を過す、この最後の部分だけを切り取って読んでも、その度に胸に迫ってくるものがあります。一般的にはこのフィナーレは悲劇と解されているようですが、私にはどうもそのようには思われないのです。なぜならこの結末を読んだ後はしばらく、何か暖かい気分に包まれるからです。
ドストエフスキーは『白痴』連載の途中、姪のソーニャへの書簡で「わたしにとってはこの第4篇、つまりその結末は、あの長編で最も重要なものなのです。というのは、あの長編ぜんたいが、ほとんどその結末のために構想され、執筆されたからです」(1868・10・28)と、述べています。
ドストエフスキーにとっても結末は特別な場面のようで、そう思うと、親近感が沸き、意を強くさせられてしまいます。そしてついには、ドストエフスキーも私のように、胸を熱くしながらこの場面を書き終えたのではないかとさえ思われてくるのです。
上記の書簡のおよそ一年後『白痴』の連載が終わり、作品については期待したほどの公表がえられなかったものの、ストラーホフ宛ての書簡には、「小生はあの長編そのものでなく、小生の思想を弁護するのです」(1869・2・26)と書かれてあります。思想表現のうえでも、この結末は、重要な位置をしめているに違いないのであり、今回、私の読後感も視野において、その思想に分け入るレポートにしました。
レポートは下記の順で進めるつもりです。
「世界は美によって救われる」か
★ 「しんじつ美しい人」とは ・作中の具体的な例をもとに
★ 「美は世界を救う」の意味 ・小林銀河氏の原文訳を得て・美しい しんじつ美しい しんじつ美しい人について
★ 「しんじつ美しい人」の結束 ・美は世界を救ったのか
『白痴』etc・・・
『白痴』のプラン
書簡・回想・覚え書き・『作家の日記』から(ネチャーエワ『写真と記録』中村健之介訳)
1867年12月31日 A・N・マイコフ宛
もう随分前から、私は一つの構想にとり憑かれて苦しんでいたのですが、それを小説にする勇気がありませんでした。というのは、その構想は、実に誘惑に満ちていて私は大好きなのですが、あまりにも手強くて、それに取りかかる備えが出来ていからなのです。その中心のイデーは、「完全に美しい人間を描く」ということです。私に言わせれば、これ以上難しいことは、とりわけ現代では、他にありえません・・・・。
このイデーは、確かにこれまでにもある程度は芸術的イメージとして時々ちらりと現れはしたのですが、しかし、あくまである程度に過ぎなくて、完全な姿で現される必要があるのです・・・
大体のプランは出来上がりました。まだまだ先の部分の細部がちらりと見えたりして、それが私を惹きつけて私の中の熱を保ってくれます。だが全体の統一は?主人公は?というのは、私の場合全体の統一は主人公の形で決まってくるのです。そういう風になってしまっているのです。私はどうしてもその人物像を作らねばならぬわけです。ペンを動かすうちにその像が育っていってくれるかどうか?しかもなんたることでしょうとんでもないことがひとりでに起きてしまいました。主人公の他に女主人公まで存在する、ということが判明しました。つまり主人公が二人いるのです!!しかもその他にさらに二人の人物がいて、これがどう見ても主要な人物で、つまりほとんど主人公に近いのです(脇役的人物たちはといえば、かなり書き込まねばならない人物が数えきれないほどたくさんいるのです。小説自体も八篇からなる長編です)四人の中心人物のうち二人は私の心の中でしっかりと形をとったのですが、一人はまだ全然形をなしていないし、四人目の、つまり最も重要な第一の主人公は、はなはだ弱々しいのです。私の心の中のイメージとしては弱々しくはないかもしれないのですが、実に難しいのです。
1868年1月1日 姪のソフィヤ・イワーノワ宛
この小説の中心思想は、本当に美しい人間を描くことです。この世にこれ以上難しいことは、とりわけ現代では、ありません・・・・なぜなら、この議題はあまりにも大き過ぎるからです。
・・・・・この長編の核心となる考えは、私が昔から懐いていた秘蔵のものなのですが、とても難しくて、長い間それに取り組む勇気が出なかったのです・・・本当に美しい人間を描こうと企てた作家はすべて、わが国のみならずヨーロッパの作家でもそうなのですが、常に、力及ばず引き退ってきたのです・・・美しいもの、それは理想です。しかしその理想は、わがロシアの場合も、文明化されたヨーロッパの場合も、確かな形に作り上げられてきたとは到底言えないのです・・・この長編は『白痴』と題されて、あなたに、すなわちソフィヤ・アレクサンドロヴナ・イワーノワに捧げられています。
親愛なる友ソフィヤ、私は、この小説がいささかなりともその献辞に値するものになってくれるようにと、心から願っているのです。
プレイバック読書会
あの頃、『白痴』は、どう読まれたか。21年前の1986年の読書会を振り返ってみました。No.94「ドストエーフスキイの会」会報(1986.3.28)から。
『白痴』 田中幸治
ドストエーフスキイが終生、心にやきつけていた絵が三点ある。一つはクロード・ローランの「アシスとガラテア」、黄金伝説を語るもの、一つはラファエロの「聖母マリア」、そして「白痴」の主題として大きくとりあげられるホルバインのキリスト、十字架からおろされたばかりのキリストの絵である。
1838年10月31日(17)兄ミハイルにあてた手紙の中でドストエーフスキイは、その前、同年に同じく兄あてに記した手紙の懐疑的な内容とは対照的に、「もし認識の目的が愛と自然であるならば、そこには心情にとって広大な場が開けます。」と記している。この二通の手紙の間には大きな飛躍があったものと私は推測する。このとき以来、ドストエーフスキイには、「ギリシャの多島海の一角で、、青々としたやさしい波、島々、巨石、花咲く岸辺」「それなくしては、人類は生きることも欲しなかったろうし、死ぬことすらできなかったろう」という心象の風景、自然と人間との根源的なかかわりあいが、つまりは「アシスとガラテア」に画かれている世界が、やきついて離れなかったのではないだろうか。セルバンテスのドン・キホーテは、山羊飼いの人々に向かって高らかに演説する。「幸福なる時代よ、幸福なる時勢よ!その時代に対して古人は黄金という名を与えた。・・・
水澄める流れせんけんたる小川は、香気あるれいろうの水を―」、聴衆は「呆気に取られて口を開けたまま、一語も答えないで彼に耳傾けていた。」そして、ドン・キホーテを「心から喜んでもてなした。」だが、「白痴」のムイシュキンにはこれがない。ムイシュキンになじみ深い風景は、「白糸のような滝、白い雲、古城の廃址」である。ムイシュキンをかかる孤独に追いこんでいるものはなにか。直視すべき暗い現実を象徴するようなものとしてホルバインのキリストがでてくる。レーベジェフの言う『茵?の星』、鉄道や化学や実際方面の風潮、「今まで人類の友という連中は、数限りなくあったけれど、かりにだれかその一人の自尊心を傷つけてごらんなさい、その男はすぐ、浅薄な復讐心のために、平気で四方からこの世界に火をつけますから」、イッポリートの生まれない権利を持っていた存在を演じなかったに違いない。人をばかにしたような条件。ナスターシャの「ゆがめられた運命に対する賠償」を非妥協的に追求しつづけるデカダンス。
しかしドストエーフスキイが大事なものとして表現したかったのはムイシュキンとリザヴェータ夫人、ヴェーラなどの間に流れるものとしてみられる優しい心(『同情』、第2編5)だったのではないだろうか。
『白痴』を書き始めた頃(米川正夫訳全集から)
1867年(46歳)
2月15日午後7時、トロイツキイ・イズマイロフスキイ大寺院でアンナと挙式。
4月14日、ド夫妻外国旅行に出発。以後4年間外国放浪。(債権者逃れも一因)
5月 1日、ドレスデン美術館でホルバイン、ラファエル、レンブラント等鑑賞。
7月10日、ツルゲーネフを訪問。論争、絶交を決意。夏〜秋、ルーレットに熱中、
8月12日、バーゼル博物館でホルバインの「イエス・キリストの屍」鑑賞。
9月中旬、「ベリンスキイとの交遊」完成。『白痴』起稿。
11月下旬、『白痴』第1稿破棄。構想をたてなおす。
12月、『白痴』の最終プラン決定
1868年(47歳) この年の5月長女サフィアを肺炎で亡くす。
1月『ロシア報知』に『白痴』連載開始(3月号を除き1月〜12月号)
黒沢明『白痴』を観る
新谷敬三郎(1922-1995)
1975年9月23日発行「会報 No.39」
12月8日黒沢の映画『白痴』をみた。これは確か1951年の作で、、そのときみて以来である。黒沢の映画はどれもこれも大抵好きだが、とりわけこれは忘れがたい。初めてみたときの驚き、ドストエフスキイの小説の世界が見事に映像化されている。
でも記憶というものはいい加減なもので、まるで忘れていた。芸術作品から受けた感動というものは、その表現の正確な記憶を伴わないで、持続していくものらしい。そして二度目にはまた新しい発見がさせられる。
この映画が青函連絡船の船室から始まり、長い字幕の説明が続くということを忘れていた。そして今は消えてしまった札幌の駅前の光景、雪に埋もれた街の家並、こうした映像は私には連絡船とともになつかしい風景である。三船敏郎扮するところの、彼はなんと若いのだろう。ロゴージンの奇妙な家、ああいう作りの家、といっても見たことのない人には想像つかないだろうが、ああいう家はたしかに私が育った頃の小樽などにはあった。
それから、夜のスケート場の場面。巨きな奇妙な雪の像、あの頃にもう今の雪まつりの催しがあったのかと思ったりしたが、そこで奇怪なお面を冠ってスケートする人々の乱舞、この場面も私は忘れていたけれども、黒沢という人はとっくに知っていたのか、と驚かされた。こうした舞台設定、それは原作にはなかったはずだが、そこでの人物の出し入れはバフチンのいわゆるカーニバル化の見事な表現である。これはおそらく映画の、そして映画でなければできない、すぐれた場面であろう。
そればかりでない。物語は原作を忠実になぞりながら、その展開の時間を雪の季節、おそらく一月から三月初め頃までのあいだに圧縮し、そのあいだ絶えず雪を降らせている。シナリオは久坂栄二郎作ときいたが、こうしたこともドストエフスキイ的世界を表現するのに、見事な効果をあげている。
森雅之のムイシュキンにまた感銘したけれども、私は長く原節子のナスターシャはミスキャストだと信じていた。というのも、この女優はそもそも大根だと思っていたせいもあるのだろうが、このナスターシャは悪くないと考えを改めた。むしろ久我美子、今のテレビドラマでは創造もつかないアグラーヤ役は、あの鼻にかかった声のイメージが合わない感じだった。
『白痴』の映画は、このまえに1946年フランスで作ったそうだが、黒沢はごらんになっていただろうか。ロシアでは1910年、22分の無声映画、説明の字幕と、おそらく状景の断片で作られている。その後は、1958年の御存知のもの、小説でいえば第一篇だけで終わっている。
(映画『白痴』 黒澤明監督 1951年、松竹
連載
日本近代文学の<終焉>とドストエフスキー(続編)
−「ドストエフスキー体験」をめぐる群像− 第10回
長瀬隆氏の『ドヴォイニーク』について
福井勝也
本編もいつのまにか、第10回目を迎えた。その時々の紆余曲折の話題を楽しみながら書き継いで来ている。ドストエフスキー文学に深く切り結んだ情報に触れるなかで、本論の中身と不思議に同調する内容が浮かびあがってきたりすると次の話題への「促し」のようなものを感じてしまう。文芸誌『すばる』の特集の中身については前回言及したが、最近、さらにそんな興味深い内容の講演を聴かせていただいた。
先日(5/19)の第38回総会後の第180回例会は、ペレヴェルゼフ『ドストエフスキーの創造』(89年、みすず書房)の訳者である長瀬隆氏が「キーワードとしてのドヴォイニーク」と題して講演された。氏は、読書会にも何度か足を運んでくださり、身近にお話を伺って来たが、ロシア語への深い見識に支えられた「筋金入り」のドストエフスキー研究家だと常々畏怖してきた方である。現在も精力的に著作を執筆されていて、最近ではチェーホフ関連の報告に加え、何と560枚の原稿を書き上げ『ドストエフスキーの今日』を公刊予定という。今回の発表の中身も積年のドストエフスキー研究の集大成的なもので、著書の内容を予告する濃密なものであった。今回はとにかくその長瀬氏の発表に触れてみたい。
事前の例会報告要旨の書き出しを、長瀬氏は次のように始められている。
「『カラマーゾフの兄弟』は小説、すなわち虚構の物語であるが、それは<私>なる語り手によってなされている。それではこの<私>はドストエフスキーその人とイコールであろうか。私はこの<私>もまた虚構化されていると考える。この<私>は《ドヴォイニーク》(二重人と分身の両義を有す)と題される第二作における語り手<私>と同じである。」
今回の長瀬氏の発表の要点は、このドストエフスキーの生涯にわたる作品を貫く小説の「作中作家」・「語り手」の持つ意味への言及であった。それがはっきりとした形で現出したのが、第二作のいわゆる『分身』(この訳語自体が問題で、その前提になる「ドヴォイニーク」という言葉が焦点になる)で、この問題が26年後の『未成年』のヴェルシーロフが告白する「自分が二つに割れてゆく」「二重人」として作中作者のアルカージーによって再定義されたのだとする。『カラマーゾフの兄弟』のイヴァンが見る分身(=「悪魔」)もこの二極分裂の結果であって、それは作品の序文を語る<私>の成れの果て、その化身であったのだという。長瀬氏はこのドストエフスキーの小説表現における「作中作家」・「語り手」についてペレヴェルゼフやジラールにも言及しながら、「ドヴォイニーク」の語源に遡ることでその核心に迫ろうとした。とにかく、560枚の原稿全体に目を通していないわけでその詳細を論ずるわけにはゆかないが、講演を聴いていてこちらの問題意識と触れあう部分についてここで指摘させていただく。それはこれまで論じてきた本編の問題とも関連していて、講演終了後に質問させていただいた中身でもある。
まず長瀬氏は、ドストエフスキーの小説表現に特徴的な「語り手」・「作中作者」について問題とする者がほとんど今までになく、ペレヴェルゼフやジラール位のもので、バフチンもこの問題には触れてはいないと話された。この指摘は必ずしもその通りとは言えないのではなかろうか。当日講演会の司会をされた木下豊房氏も、ロシア本国の研究者でこの種の内容をとりあげた研究はすでに数多くあるという意見を出されていた。例えば、その木下氏自身が少し前にドストエフスキーと武田泰淳の文学を比較分析するうえで援用したバフチンの「作者像の問題」の「一次的作者」・「二次的作者」の内容なども、すでにバフチンが精緻な「作中作者」論を語っていたということではないか(『広場』15号p66)。また前回に触れた『すばる』特集号の番場俊氏の<メディア・リテラシー>への言及は、ドストエフスキーの小説における語り手を「速記者」「記録作者」「報道記者」の立場・機能から考察するもので、それ自体バフチンの「ポリフォニー小説」の内実に迫ろうとするものと言える。これが21世紀的視点に基づく新たな「語り手」論であることも明らかだろう。さらには同じく特集号のアクーニン氏の語る<メタテクストとしてのドストエフスキー>という視点も、ドストエフスキーの小説の語り手が作家自身ではなく<虚構化された語り手>であるという長瀬氏の見解と同一の前提に基づくものだろう。またここ数回三浦雅士氏の『青春の終焉』でとりあげてきている、小林秀雄の最後のドストエフスキー批評(「『白痴』についてU」)が到達した<グロテスクな笑ひ>の問題が、<虚構化された語り手>すなわち<私>もまたひとつの表現組織、ひとつの奇怪な現象にほかならないということを前提にしているものだ。このように見てくると、その小説表現の「語り手」・「作中作者」の特徴的なあり方こそドストエフスキーの文学を語るうえで核心的なものであることが徐々に明らかになりつつあると言える。勿論、長瀬氏の年来の論も本質的にそれらと関連したもので、特にその「語り手」・「作中作者」の発生から消滅までその推移をドストエフスキーの作品全体にわたって明らかにしようとした点で独自な内容のものと言える。そしてその内実をキーワードである「ドヴォイニーク」の語源に求めたことにその展開の根拠があると見るべきだろう。
さらにドストエフスキーの「語り手」の特徴を語るために、長瀬氏は、プーシキンに始まる近代ロシア文学とりわけプーシキンを継承するゴーゴリの小説における「語り手」・「作中作者」のあり方をドストエフスキーのそれと興味深く比較対照された。では、その差異とは何なのか。その点で氏は、処女作『貧しき人々』が書簡体形式で書かれた意味について、ドストエフスキー自身が兄ミハイルに書き送った手紙の中で、書き手である作者の正体を読者に隠し通したことだと自身が語っている点についてその論述で触れている。確かにここは注目すべき箇所だと思う。私見になるが、ドストエフスキーにとってはその処女作から、小説の「作者」は意識的に<隠されたかたち>で<登場>していたと考えられる。ここですでに<語り手の虚構化>が始まっていると言っても良いのかもしれない。系譜的にゴ−ゴリのそれと異なったかたちの隠された「作中作者」・「語り手」であったからこそ、二作目で一挙にその独自なかたちでそれが現出し、まもなく新ゴリャートキンの姿となって消えてしまったのではないか。しかし、この独創的な試みが一体何に基づき、何のために為されようとしたのかについて理解できる評者はすぐには現れなかった。以後、ドストエフスキーが小説を書き続けたことの意味はこの酷評された第二作『分身』の執筆意図に込められた、その語り手のスタイルを反芻し模索しながら世に問い続けた営為として考えられる。長瀬氏は、その帰結として『未成年』の作中作者のアルカージーがヴェルシーロフについて語る「ドヴォイニーク」という言葉の定義として再現前して来ることを明らかにしようとした。自分には、処女作『貧しき人々』のスタイルが、実は書き手である作者の正体を読者に隠し通すことであったということと、第二作『分身』以降の「語り手」が複雑な消長の経過を辿ったことは深く関連しているように思えてくる。処女作はもしかすると、第二作よりも問題を孕んでいたのではないか。ベリンスキー等の批評家の慧眼は残念ながらそこまで届かなかったということか。
ここまで書いてきて、実は自分がこの連載を始めた「日本近代文学の<終焉>とドストエフスキー」のはじめの問題に還ってきたような思いがしている。それは、端的には二葉亭四迷の小説『浮雲』の問題としてある。それは『広場』14号に掲載された拙論にも書いたように、この『浮雲』の問題は二葉亭がドストエフスキーから学んだ「語り手」のあり方の具体化の試みであって、それが挫折してゆく経緯こそ日本近代文学史の負?の結節点であったということだ。ドストエフスキーの『貧しき人々』から『分身』に至る「語り手」の挫折?の経緯と『浮雲』が中絶してゆく挫折の経緯が何か妙に重なって見えてくる。ここであえて、『広場』14号の持論の一部を引用しておく。
「二葉亭の『浮雲』は<ゴ−ゴリ>の線上から一歩踏み外して<ドストエフスキー>とともにあろうとしたのだと言いたい。その表現のおそらく前提となる<我々は皆、ゴ−ゴリ『外套』の下から出てきた>という象徴的な言葉も、ゴ−ゴリ流の文体を対象化し、後年バフチンに発見されるドストエフスキーの文体の独自性(=ポリフォニ−な小説構造、そのカ−ニバル性)の達成という、よりドストエフスキーの側に即して理解したい。このことは、二葉亭が『浮雲』第三篇をかくうえでドストエフスキーに拘った意味を文字通り受け取ることにもなる。勿論、二葉亭の『浮雲』全体をバフチンの言うポリフォニックな小説だと指摘するには無理があるが、少なくとも主人公の文三の場合、終盤にかけて<内語>形式で自己意識の対話化が試みられているところがある。この点で例えば、後藤明生氏は『浮雲』の文体のダイアローグ性には主人公の分裂のほかに<語り手自身の分裂>という問題が孕まれていて、それは内部と同時に外部から作中人物を対象化してゆく方法と文体を保持した<近代的な視線>に基づくものだと指摘する。さらに二葉亭はその方法と文体によって、文三の悲惨な物語を実際には<喜劇>として<異化>することさえ可能にしたのだとする。」(『広場』14号p35)
ここでは、後藤明生氏の<語り手自身の分裂>が<近代的な視線>に基づくものだと指摘が注目される。それは内部と同時に外部から作中人物を対象化してゆく方法と文体として現れてくるものとして語られる。この視線がドストエフスキーにあってゴーゴリにはなかったものということか。長瀬氏もドストエフスキーの「語り手」を基本的に<近代的な視線>の介入と考えているようだ。しかし同時に、今回特別に配布された一枚の資料では、問題の《ドヴォイニーク》というロシア語で、「二重人」と「分身」の両義を有する言葉を採用されるにあたって、やはりゴーゴリの『死せる魂』のロシア原語に秘められた二重の意味が参照されたのだろうと推測している。
長瀬氏は、ここでこの下敷きとなるゴーゴリの『死せる魂』(=『死せる農奴』)をどの範囲まで拡張して《ドヴォイニーク》の言葉に投影しているのだろう。私は、お話しを伺いながら、19世紀ロシアインテリゲンチャの分裂が、ロシア的大地の淵源でもある農奴的な心性と西欧化した知識人の精神の分裂であって、それがゴーゴリの『死せる魂』(=『死せる農奴』)の意味内容だと考えた。そうだとすると、それが病んだ知識人的二重体の内実そのものとして、ドストエフスキーの《ドヴォイニーク》(「二重人」・「分身」)の中身に充填できるような気がした。しかし一方自分には、この「語り手」の系譜が、バフチンがそのドストエフスキー論のなかで展開したジャンル論と関係したものとしてあるようにも思えるのだ。つまりプーシキンに始まりゴーゴリが継承する近代ロシア文学の系譜以前の、広くヨーロッパのルネサンス文学以前にも繋がるものとしてのそれだ。バフチンの指摘する「笑い」の問題や、後藤氏が『浮雲』の主人公に見た<喜劇性><異化>の問題は<近代的な視線>の介入だけでは説明がつかないのではないか。むしろ古代・中世的な語りの物語の背景に連結するものであって、その<アマルガム的語り手>がドストエフスキーの《ドヴォイニーク》の正体なのではないだろうかと思うのだ。二葉亭の『浮雲』も、その文体を模索するうえで参考にしたとされている「落語」の語りに浸食されていたはずだと推測できる。
ここでさらに唐突な言い方になるが、かつて自分がユング心理学に触発されて最初に書いたドストエフスキー論(「無意識的なるもの−ドストエフスキーとユング−」1984/『ドストエフスキーとポストモダン』2001所収)のことを思い出していた。それはベルジャーエフの言い方とも関連しながら、小林秀雄がドストエフスキーの文学とは「形而上学的心理の文学」と呼ぶことができると語っていたことの問題である。そこではまず、人間の「魂(=「プシケー」)の原初的あり方が人間の「息」(=「プネウマ」)に始まるものであることを教えられた。そしてその「魂」という心の深層の姿を表現するスタイルが、分裂した19世紀ロシアインテリゲンチャの二重体的な心理を掘り下げる方法としてドストエフスキーが模索した<語りの構造><語り手のあり方>と関係していたのだと。そのことを、今回長瀬氏が問題とするドストエフスキーの《ドヴォイニーク》(=「二重体」)が、ゴーゴリの《ドウフ》(=「魂」・「息」)から始まっているとの指摘から思い出された。おそらく、《ドウフ》という言葉も、原語的にはギリシア語の《プネウマ》(pneuma)に基づくものだと推測できる。そしてユング心理学が人間の魂《プシケー》()の根底を探求する、東洋的な方法でもある「形而上学的心理学」であったことをここでも再度指摘しておきたい。勝手な思いつきを並べているが、この辺の問題は未だ十分な説明になっていないのは承知している。小林秀雄のドストエフスキー論としても余り語られていない部分で、今後別の機会に一つのテーマとして論じてみたいと思っている。いずれにしても、今回の長瀬氏の《ドヴォイニーク》論は、自分に次の論への<促し>を与えてくれた。スペースの関係で今回論じられないが、さらに長瀬氏の今回の発表のもう一つの柱であった<マルクスの貨幣論>と<新訳聖書のヨハネ黙示録論>との対比も大変興味深い内容であった。この問題は、D・Hローレンスの「アポカリプス論」とも関係するわけだが、本編でも前々回に問題とした三浦雅士氏の「マルクスはドストエフスキーの分身、もっとも重要な分身にほかならない」というヨーロッパ思想における終末論的急進論とも軌を一にしている。まさにカーニバル的な過激さを孕む『青春の終焉』の主題とここでクロスしてくることになる。さらにこの点では、講演会後に発表への感想でも触れた「ムネオ事件」に連座して現在も裁判中の外務省の佐藤優氏が、現在文芸誌『文學界』で自伝的に語っている「私のマルクス」がとにかく興味深い。学生時代(彼は、京都の同志社大学神学部出身で、キリスト者にしてマルクス主義者?)に学んだドイツ神学論とマルクス主義の問題から最近はドストエフスキーの文学への言及もなされていたりしていて目が離せない。次回も引き続きこの辺の話題についてその「促し」に従って思い付き的に語ってゆきたい。
2006年のドストエフスキー書誌
提供:【ド翁文庫・佐藤】佐藤徹夫氏から
《作品翻訳》
・地下生活者の手記 伊吹山次郎訳 オンデマンド版
ゆまに書房 2006年2月24日 ¥4300
<昭和初期 世界名作翻訳全集 85>
・白夜(白夜;ヨルカと結婚式;小さい英雄) 伊吹山次郎訳
オンデマンド版 ゆまに書房 2006年2月24日 ¥3900
<昭和初期 世界名作翻訳全集 86>
・カラマーゾフの兄弟 1 亀山郁夫訳
光文社 2006年9月20日 ¥724
<光文社古典新訳文庫・K A−ト 1−1>
・カラマーゾフの兄弟 2 亀山郁夫訳
光文社 2006年11月20日 ¥781
<光文社古典新訳文庫・K A−ト 1−2>
・おかしな人間の夢 太田正一訳
論創社 2006年12月15日 ¥1200
<RONSO fantasy collection>
・キリストのヨールカ祭に招かれた少年 田辺佐保子訳
『ロシアのクリスマス物語』 CDブック
群像社 2006年12月20日 ¥2000
*読み手:渡辺知明
・カラマーゾフの兄弟 3 亀山郁夫訳
光文社 2007年2月20日 ¥838
<光文社古典新訳文庫・K A-ト 1−3>
・『地下室の手記』 ドストエフスキー 安岡治子訳
光文社 2007年5月20日 ¥552
<光文社古典新訳文庫 K Aト 1-6>
《研究書》
・『小説家が読むドストエフスキー』 加賀乙彦著
集英社 2006年1月22日 ¥680
<集英社新書・0325 F>
・3 ロシアの文豪ドストエフスキー p32−46
『知られざる万人の病 てんかん』 金澤治著 改訂2版
南山堂 2006年2月1日 ¥1300
<医学教養新書>
・5 陰影 ドストエフスキーのペテルブルグ p195−210
『サンクト・ペテルブルグ よみがえった幻想都市』
小野文雄著 中央公論新社 2006年2月25日 ¥820
<中公新書・1832>
・『ドストエフスキー『地下室の手記』を読む』 リチャード・ピース著
池田和彦訳、高橋誠一郎編
のべる出版(発売:コスモヒルズ) 2006年4月10日 ¥2400
・『ウラ読みドストエフスキー』 清水正著
清流出版 2006年6月8日 ¥2600
*『ドストエフスキーの暗号』(日本文芸社)の加筆増補版
・カラマーゾフの兄弟(宇佐見森吉) p303−305;罪と罰(宇佐見多佳子) p318−319;白痴(宇佐見森吉) p322−324;
貧しき人びと(宇佐見多佳子) p328−329
『名作あらすじ事典 西洋文学編』 青木和夫編
明治書院 平成18年7月25日 ¥3800
・『ドストエフスキイの遺産』 セルゲイ・フーデリ著、糸川紘一訳
群像社 2006年8月16日 ¥2500
<ロシア作家案内シリーズ・6>
・残された者たちが語ること 『ペテルブルグの文豪』をめぐって p147−179
『J・M・クッツェーの世界 <フィクション>と<共同体>』 田尻芳樹編
英宝社 2006年9月20日 ¥3150
・地下生活者の手記(柴崎みな子) p1−3;罪と罰(中島朋子) p69−
72;賭博者(沓沢清治) p167−169;白痴(金井真弓) p388
−391
『世界文学あらすじ大事典 3 ちか〜ふろ』 横山茂雄、石堂藍監修
国書刊行会 2006年9月22日 ¥18000
・私の読書日記 情報分析官・ドストエフスキー・孤高の日本 p289−294;
・書評 二〇世紀の名著 ミハイル・バフチン『ドストエフスキーの詩学』
p408−409;空前の「謎解き」作家 亀山郁夫『ドストエフスキー
父親殺しの文学(上下)』 p500−501
『打ちのめされるようなすごい本』 米原万里著
文藝春秋 2006年10月15日 ¥2286
・『マッチ売りの少女』とドストエフスキー(藤沼敦子) p219−233
・芥川龍之介とドストエフスキイ 『カラマーゾフの兄弟』から『藪の中』へ
(国松夏紀) p607−624;ドストエフスキイと黒澤明 『白痴』を
めぐる語らい(井桁貞義) p664−481
『ロシア文化の森へ 比較文化の総合研究 第2集』 柳富子編著
ナダ出版センター 2006年10月26日 ¥8000
・樋口一葉 『にごりえ』 p190−199 *ほかでも論及
『私小説という人生』 秋山駿著
新潮社 2006年12月20日 ¥1700
・『ドストエフスキー全集』を完訳した米川正夫ゆかりの地(郡司良) p41−45
『ガイドブック 新日本のなかのロシア』 長塚英雄&「日本とユーラシア」
紙編集部編
東洋書店 2007年2月20日 ¥600
<ユーラシア・ブックレット No.105>
・『清水正・ドストエフスキー論全集 1 萩原朔太郎とドストエフスキー体験』
清水正著
D文学研究会(発売:星雲社) 2007年3月20日 ¥3500
・『1時間で読める! ドストエフスキー要約『罪と罰』 タミワオフィス編
講談社 2007年4月6日 ¥800
・第U部 正教会の発展 第8章 ニコライの同労者と弟子たち 第3節
『心海』ノート 明治のなかのロシア思想 Y-\ p244-255
『ニコライ堂異聞』 長縄光男著 成文社 2007年3月28日 ¥3800
*雑誌「心海」が紹介するド翁の反響を示す
・ペテルブルグのエネルギー 文学はそれをどう捉えてきたか(郡伸哉)
p155-183 *三 洪水のエネルギー(p160-162)、ほか
『創像都市ペテルブルグ 歴史・科学・文化』 望月哲男編著
北海道大学出版会 2007年4月25日 ¥2800
<スラブ・ユーラシア叢書>
・第二部 ニヒリズムの歴史 第五章 ロシアのニヒリズム 十五 ドスト
エフスキー(p397-413)
『ニヒリズム その概念と歴史 下』 岩波哲男著
理想社 2006年4月30日 ¥3000
《雑誌・紀要》 *紀要は、現在PDFで入手できるもの中心。
・三島由紀夫が読んだドストエフスキー(清水正)
「江古田文学」 25(3)=61(2006.2.25=2006 Winter)
p185−192 *特集:いま、三島由紀夫を考える
・ドストエフスキー・ノート(3) 日本ロシア文学会講演「宣教師ニコライ、
出会った人たち」(中村健之介)
「大妻比較文化=大妻女子大学比較文化学部紀要」
7(2006.3.1) p143−127
・ドストエフスキイにおけるニヒリズムの問題(I) 『白痴』を中心に(清水孝純)
「福岡大學人文論叢」 38(1)(2006.6) p379−419
・座談会 ドストエフスキー派から見たチェーホフ(清水正、下原敏彦、下原
康子、横尾和博)
「江古田文学」 26(1)=62(2006.7.31=2006 Summer)
p114−145 *特集:チェーホフの現在
・対談 二つの「ドストエフスキー」の間に(加賀乙彦、亀山郁夫)
「すばる」 28(8)(2006.8.1=August 2006) p146−161
・ドストエフスキイにおけるニヒリズムの問題(II) 『白痴』を中心に(清水孝純)
「福岡大學人文論叢」 38(2)(2006.9) p687−727
・『キャッチャー・イン・ザ・ライ』と『地下室の手記』 リリアン・ファースト説を起点
とする間テクスト的解読の試み(梅村博昭)
「東京農業大学農学集報」 51(2)(2006.9.30) p53−68
・ドストエフスキーとギャンブル(下原敏彦)
「別冊國文學」 61(2006.10.20) p158−164
*特集 ギャンブル 破滅と栄光の快楽
・『カラマーゾフの兄弟』が人生を変えた(鎌田實)
「今日から悠々」 5(2006.11.1=2006 秋号) p24−25
・ドストエフスキイにおけるニヒリズムの問題(V) 『白痴』を中心に(清水孝純)
「福岡大學人文論叢」 38(3)(2006.12) p1169−1214
・ドストエフスキー [4](山崎むつみ)
「文學界」 61(3)(2007.3.1) p151−179
・<都会文学の最高峰> 志ん生とドストエフスキー(平岡正明)
「本の時間」 2(4)=12(2007.3.15=4月号) p38−39
・ドストエフスキー [4](承前)(山崎むつみ) p176−212
・<文學界図書室> 「私小説という人生」秋山駿(千葉一幹)
p324−327
「文學界」 61(4)(2007.4.1)
◎特集 21世紀ドストエフスキーがやってくる p195−281
「すばる」 29(4)(2007.4.1)
・対談 ドストエフスキーの"新しい読み"の可能性 ロシア・東欧文学を
めぐって(大江健三郎、沼野充義) p196−217
・インタビュー メタテクストとしてのドストエフスキー(ボリス・アクーニン、
聞き手・構成:沼野恭子) p218−226
・さまざまな声のカーニバル ドストエフスキー研究と批評の流れを瞥見する
(沼野充義) p227−231
・トルストイとドストエフスキー(加賀乙彦) p232−237
・二〇〇六年の『罪と罰』(井桁貞義) p238−245
・「赤い蜘蛛」と「子供」(斎藤環) p246−249
・ラテンアメリカ作家とドストエフスキー(野谷文昭) p250−252
・『地下室の手記』から(青山南) p253−255
・インドのスタヴローギン(中村和恵) p255−258
・「厚い雑誌」の興亡 一九世紀の雑誌記者(貝澤哉) p259−263
・『罪と罰』 メディア・リテラシーの練習問題(番場俊) p264−269
・『カラキョウ』超局所的読み比べ(斎藤美奈子) p270−281
《新聞》
・<ほん Book 訪問> 「小説家が読むドストエフスキー」を書いた 加賀
乙彦さん 宗教小説像あぶり出す(佐藤孝雄)
「北海道新聞」 2006.3.12 p14
・<たいせつな本> 金原ひとみ ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』
上巻読むのに4ヶ月 一気に3日で中下巻(金原ひとみ)
「朝日新聞」 2006.5.7 p9
・<名作ここが読みたい> 虐げられた人びと ドストエフスキー 何もかも
話し続ける少女(樫山文枝) p10
・<私のいる風景> 亀山郁夫さん ロシア文学者 『悪霊』醜い
自己欺瞞 自己に重ねる(松本良一) p13
「讀賣新聞」 2006.5.20 夕刊
・<書評> 清水正著 ウラ読みドストエフスキー 絶妙なウィットやユーモア
(岳真也)
「週刊読書人」 2645(2006.7.14) p5
・<たいせつな本> 沼野充義 ドストエフスキー『罪と罰』 異様に暑い
夏の殺人 心は震撼するばかり(沼野充義)
「朝日新聞」 2006.7.23 p11
・<文芸3点> 幻想的で痛快な「神話殺し」(鴻巣友季子)
*セルゲイ・フーデリ『ドストエフスキイの遺産』ほか
「朝日新聞」 2006.8.22 夕刊 p10
・<書評> セルゲイ・フーデリ著 ドストエフスキイの遺産 作家をキリスト者
として把握(清水正)
「週刊読書人」 2656(2006.9.29) p5
・<登場> 舞台「罪と罰」に主演 俳優小山力也さん 心を柔らかくする
芝居(大井民生)
「しんぶん赤旗」 2006.10.3 p9
・声優の傍ら大役に挑む 「罪と罰」小山力也
「朝日新聞」 2006.10.5 夕刊 p12
・<町の本屋さん 第5回> 懸命に読み継いだ『悪霊』 ボツ然たる気分を
持った駆け出し時代(脇地炯)
「週刊読書人」 2658(2006.10.13) p2
・<シネマの風景 34> 白痴・札幌市 今はなき個性的景観 街が丸
ごと舞台(和田由美)
「北海道新聞」 2007.2.17 夕刊
・<売れてる本> カラマーゾフの兄弟 ドストエフスキー著 亀山郁夫訳
(小柳学)
「朝日新聞」 2007年5月6日 p12
最新刊
『21世紀 ドストエフスキーがやってくる』 2007年6月10日発行 集英社 定価2500円
いまどきドストエフスキー?知っている人も、知らない人も 読み進めれば、ヤメラレない。こんなにおもしろかったんだ。
本書は、マスメディアというか、文芸雑誌『すばる』に掲載された著名人のドストエフスキー関連原稿が大半を占める。大江健三郎はじめ多勢の作家、研究者が、いかにドストエフスキーを熱く読んできたかを語る。惜しむべきは、40年近く読み続けている「全作品を読む会」や、研究発表をつづけている「ドストエーフスキイの会」例会につい、なぜか触れられていなかったことである。木を見ずして、森を見る。そんな言葉を思い出した。
広 場
訃報 田中元彦(駢拇)さん急逝
先の高橋由紀子さんにつづいて、またしても悲しいお知らせです。
5月31日夜、堤さん発信のメールを見て驚きました。ドストの会会員の田中元彦さんが5月20日に逝去されたとの訃報でした。70歳。田中さんは、今年1月の例会で報告されました。氏はこれまで「Seigo」氏のHPや例会で積極的に発表されていました。読書会にも、是非に参加していただきたいと思っていました。それだけに悔やまれます。『広場NO.16』の「ドストエフスキーと自殺」が遺稿となりました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
田中氏のことで思いだすのは、3月例会でのことです。前号の「ドスト会情報」にお詫び訂正文を掲載した件です。氏報告の傍聴記で、田中氏の服装について羽織姿の正装だったのを、思い違いして着流しと書いて氏から指摘されました。お詫びしたところ、「書いていただいて文句を言ってすみません」と、かえって恐縮され読書会にカンパくださいました。そのときの人なつっこいお顔と質疑応答で、厳しい質問にも笑顔で答えられていた姿を思い出します。
田中さんには駢拇(べんぼ)という筆名があります。この駢拇について、もしかしたらイタリアの詩人『俗語散文集』のベンボ(1470−1547)と関係があるのでは・・・と、お尋ねしようと思っていましたが、果たせませんでした。田中さんは、昨年から例会に参加されるようになりました。一般的には短いお付合いといえます。が、ドストエフスキーの場では常に永遠です。いつまでも忘れないでしょう。さようなら!合掌。
第222回8月読書会
月 日 : 2007年8月11日(土)
時 間 : 午後2時00分〜4時45分
会 場 : 東京芸術劇場小会議室7 JR池袋駅西口徒歩3分 03-5391-2111
報告者 : 未定
作 品 : 『白痴』3回目
ドストエーフスキイの会第180回例会
月 日 : 2007年7月28日(土)
時 間 : 午後6時〜9時00分
会 場 : 千駄ヶ谷区民会館 JR原宿駅徒歩5分
報告者 : 会員数名による合評
題 目 : 『ドストエーフスキイ広場 No.16』
掲示板
『広場』販売
○ドストエーフスキイの会の最新会誌「ドストエーフスキイ広場No.16」が刊行されました。ご希望の方は「読書会通信」編集室まで。 定価1200円 バックナンバーもあります。
○ 年6回発行の「読書会通信」は、皆様のご支援でつづいております。ご協力くださる方は下記の振込み先によろしくお願いします。(一口千円です) 郵便口座名・「読書会通信」 口座番号・00160-0-48024
2007年6月1日までにカンパくださいました皆様には、この場をかりまして厚くお礼申し上げます。2006年の会計は次の通りでした。
○ ドストエーフスキイ作品の感想、評論、自著の宣伝、映画、演劇評、自身のドストエフスキー体験など、かまいません原稿をお送りください。(メールか郵送)
「読書会通信」編集室:〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方